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決  闘
5月6日
 ひとは何故酒をのむのだろう。あの津軽の太宰治のご
とく「恥ずかしいからさ」でもない。久しぶりで砂子屋
書房の詩人でもある田村雅之君と吉祥寺で会った。小生
の詩集『荒城の月』を出すためだ。何故「荒城の月」と
詩集に命名したかというと、この歌は小学校の音楽の教
科書から文部省によって抹殺されたという。どのような
理由でか分からないが、どうも土井晩翠の歌詞が悲惨過
ぎるかららしい。作曲は滝廉太郎。「いま荒城の夜半の
月・替わらぬ光たがためぞ・垣に残るはただかづら・松
に歌うはただあらし」。土井晩翠の仙台の青葉城址、滝
廉太郎の出身地である竹田の城跡。それをミックスして
この曲は生まれた。「荒城の月」という歌はどうして生
まれたのか。明治三一年、東京音楽学校が『中学唱歌』
を編むのにあたってもとめたことに応じて作られた。作
者によれば、会津若松鶴ケ城趾の印象をもとに、故郷仙
台青葉城趾のそれを加えての作という。(古城)にかか
わる思いは明治維新のこともあって、当時の日本人の誰
しもが持っていた感情であった。特に鶴ケ城のように悲
劇の歴史を刻んだ城趾にあっては、そうした感情をパセ
テックにかきたてるものがあったと思われる。その意味
でこの詩は一種の国民詩と言える。以上は『日本名詩集
成』(学燈社)からの引用だが、当時の大部分の日本人
は、移り行く激動の時代に悲しい儚さを感じていただろ
うし、今も日本人のなかに、そういった感情は、ながれ
つづけているような気がする。
 田村君とは三○年来の付き合いである。居酒屋を転々
とした。思わず昔話になる。友人に長谷川裕一君という
男がいる。自由ケ丘の王監督の隣の豪邸に住んでいた。
自由ケ丘の決闘というものがあった。小さな運動会も出
来る場所である。相手は慶応出身の詩人のO君。飲みな
がらいきなり喧嘩になった。O君は少林寺拳法の有段者。
田村君は剣道の有段者。あの辺は坂がおおい。月光の中、
田村君は上段に位置してO君は下段だ。素手の戦いで田
村君が勝った。詩人賞を受賞した小長谷清実さんも一緒
だったがぼくらは、何だか喧嘩の理由が分からないので、
黙って長谷川宅で飲んでいた。そこで彼はどうしたか。
ふたりとも無傷である田村君も返り血を浴びて血まみれ
になって帰って来た。O君はさんざんだった。どうして、
そんな喧嘩をしたのだろう。一九七○年代末期は活気に
あふれていたのかもしれない。

5月7日
 今ヨーロッパで泥沼の戦争がはじまっている。テレビ
の映像では、まるで無残なSFである。しかし、この戦
争は日本に飛び火する可能性がある。その理由は日米同
盟があるからだ。自衛隊という名の日本国軍が後方支援
と称し動かないともかぎらない。
 まあ日本人の詩人、作家の戦争反対声明はないだろう。
人種闘争に対してノーとはいえないからだ。最近、あっ
と思ったのは平野啓一郎の「日蝕」である。いわゆる擬
古文だ。よくぞ中世ヨーロッパの魔女狩り時代を描いた
と思う。しかし、どうして、この本が売れたのだろう。
詩集も小説も昨今徹底的に売れない中で。最近、元河出
書房の編集者に出会った。今、ラーメン的な本が売れて
いるという。その言葉を考えてみるとハウツーものから
ドキュメンタリー小説に直結する。平野君の小説は実は
中世のドキュメントを現代に移し変えたドキュメントで
あった。

5月10日
 これまた久しぶりで長谷川裕一君と詩人の奥村真一君
に会う。両君ともコンピューターのプロである。吉祥寺
東急の食堂街から居酒屋「下駄屋」に流れる。用件は小
生の全部の詩集をコンピューターのCDロムにぶち込み
売ること。そんな世の中になったのである。長谷川君は
数奇な運命をたどっているらしい。今は山谷の近くのマ
ンションにひとりで住んでいる。東京神学大学中退。会
津生まれ。びっくりしたのは会津では今も「戦争」とい
えば第二次世界大戦のことではなく白虎隊の戊辰戦争の
ことを指すらしい。女は犯され大人はことごとく殺され
た。官軍への恨み骨髄に孫の代まで達している。会津藩
の不幸は徳川幕府に対する忠誠心が強すぎたのだと司馬
遼太郎もいっていたっけ。
 山谷の近くの駅で彼と待ち合わせていたとき、いわゆ
る手配師が来た。5、6人の労働者を相手にして熱弁を
ふるっている。北鮮に、ある物質を運ぶという。パスポ
ート抜きの密航船を使うらしい。ぼくも、その話に乗り
そうになったが、命懸けの、その話、気がのらなかった。

5月11日
 白内障と金欠病が進行している。眼科にいった。手術
は、まだ早すぎると言われた。しかし本当に目がみえな
くなっている。吉行淳之介の「目玉」という作品集を思
い出した。埴谷雄高と日赤病院で出会った時ふたりとも
白内障だったが、そこから話ははじまるのだが、挿入さ
れた落語のほうは遊郭に行ったときの話である。襖一つ
隔てた遊郭で寝ていると、その襖の上に隣の客の義眼が、
ぽんとおいてある。そいつを遊女が酒に入れて飲ませて
しまう。ぎょっとしたのは、その目玉がウンコをしたと
き、じっと睨んでいたという話なのだ。吉行は洒落者だ
った。ちなみに彼の小説『夕暮まで』を読んでみたが、
ちっとも面白くなかった。中年の男と若い女の恋愛物語
だ。おかげさまと言うべきか。「夕暮れ族」という言葉
がはやった。友人たちには適齢期の娘さんをもっている
親がおおい。彼女たちは若い男に、ほとんど関心がない
という。つまり頼りにならないからだ。どうでもいいけ
ど、とにかく、そんな世の中になっている。
 吉行も、隣近所で親しかった埴谷さんも死んだ。埴谷
さんには数々の思い出がある。繰り返し話してくれたの
は、ドストエフスキーと原爆の父といわれたオッペンハ
イマー博士のことだった。しかしケンブリッジ大学のホ
ーキングの「ホーキング、宇宙を語る」を読んだときあ
わててしまったという。要するに「神」の存在を宇宙物
理学的に精密に証明したのだ。結論から言うと神と宇宙
の生命はひたすらに存在するということになる。しかし
人間は、どうして死ぬのだろう。

5月19日
 新宿の「俳句文学館」で、もう一六年も「詩塾」を主
宰している。もともと、この「詩塾」は「朝日カルチャ
ー・センター」から発生した。考えてみると、この「詩
塾」は一○○人以上の人々が通過している。そして彼ら
の大半は消えていった。たしかに「詩壇」というものが
ある。ただしスター的存在の詩人はいなくなってしまっ
た。
 いったい詩とは何なのだろう。もしかしたら絶望的ロ
マンかもしれない。

 海知らぬ農少年期の春の河童かな

 小沢信男、多田道太郎、谷川俊太郎、井川博年、加藤
温子、清水哲男ら他一○人と「余白句会」なる俳句の句
会を年4回ほどやっている。右は小生の一句だが見事、
0点。天が3点、地が2点、人が1点というふうに匿名
で、ひとり4句提出されているメンバーの作品に、それ
ぞれが点数を入れて行く。かくしてショウセイの迷作は
0。この句会の不思議さは、いったい、だれがリーダー
なのか、さっぱりわからないところにある。一応、小沢
さんが師匠格なのだが彼だって0点に近い点数は、ざら
にある。

 潮干狩り静かに待っていた三島の真夏の死

 作った時期はずれるが、この小生の句も0点。選者が
三島由紀夫の短編の傑作『真夏の死』を読んでいないと、
どうしても理解しがたい一句だが、やはり駄句か。しか
し毎回、0点でないことも断っておかなければならない。
しかし、この場で自分の名句を、ぬけぬけとあげつらう
ことだけはやめておく。自分のプライドが許さない。な
んだか変かな。
 0点で今でも思い出すのは中学一年の時、数学で見事
に0点をとったときである。両親に、その答案を見せる
に見せられず泣きそうになりながらボットン式の便所に、
ちりぢりに破いて捨てたことがある。その時は良心の呵
責に何故かおびえた。「余白句会」の場合は、まあ選者
たちの選句のレベルが低すぎるので仕方がない、という
ことで笑ってすますこともできる。わあわあと楽しい句
会である。でも、そうは言っても、そこらの俳句総合誌
を優に越えているプロ級の詩人たちがいるのは困るので
ある。もともと「余白句会」は詩人たちの集団なのであ
る。