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ポーラとハワイ
鈴木清剛
 某月某日
 渋谷のパルコブックセンターで『ちびくろサンボ』完
全オリジナル版を立ち読みしたら、バターをたっぷりの
せたホットケーキが食べたくなった。さっそくホットケ
ーキミックスを買い、家に帰って作る。粉をボールにぶ
ちまけて泡だて器でぐるぐるまわし始めてから、かなり
の分量があることに気付いた。ま、いっか、と思い、と
にかく焼きまくると十枚以上にもなった。明日からは毎
日ホットケーキを食べることになるのかも、と思いつつ、
冷蔵庫を覗くと肝心のバターがないことを知ってがっか
りした。買いに行くのは面倒だったので、バターになっ
た虎のことを考えながら、コーヒーで流し込むようにし
て二枚だけ食べた。

 某月某日
 レオス・カラックス八年ぶりの新作、『ポーラX』の
試写を見るために八重洲通りへ行く。それにしても、な
ぜ試写というのはいつも昼とか午前中なのだろう? 夕
方くらいにしてくれたらもう少しゆっくりできるのに、
なんてことを思いつつ、ドトールで昼ごはんを急いで食
べる。窓ガラス越しに、ランチを食べに向かうサラリー
マンやOLたちがぞろぞろ歩いていた。男性は集団、女
性はふたり連れで歩く者が多かった。自分も数年前まで
は会社に勤め、彼等と同じような一時間きっちりの昼休
みを過ごしていたのかと思うと、なんだか不思議な感じ
がした。昼休みってゆーのは短いからこそ楽しい時間な
んだよなあ、とぼくは自分の弛緩しきった生活を煙草い
っぽんぶんの時間だけ反省し、試写室へと出向いた。う
ーん、うーん、うーん、どーなんでしょうかねえドヌー
ヴがおっぱい出してましたねえヒットするといいですね
え、でもまあ、カラックスは好きな作家だから、とにか
く応援させて頂きます、といった会話を配給会社の方と
交わし、試写室をあとにした。

 某月某日
 今夜はごちそうを食べに行こう、ということになり、
同居人Y子とともに新宿のKIHACHIイタリアンへ
行く。味はノーコメント、と書いておくことにしよう。
帰りにレンタルビデオ屋で「ブギーナイツ」を借りて真
夜中に見た。山あり谷あり人生いろいろ、奇妙でポップ
で悪趣味でクレイジー、といった感じの、どろりとしな
がらもさらりとした、セロリ入りの野菜ジュースみたい
な映画だった。

 某月某週
 おつかれ旅行でハワイへ行ってくる、と電話で友人K
に話すと、そりゃー絶対に行く前に日焼けサロンに行っ
て肌を慣らしといたほうが身のためだぜ、と言われ、二、
三日考えたすえ、ぼくは近所の日焼けサロンへ行くこと
にした。緊張しながら店に入ると、俗に言うガンクロガ
ールズ、肌を異様なほど黒くし、髪をまだらに白く染め、
街行くときでもレイと呼ばれる花の首飾りなんかを首に
さげていたりする、いっぷう変わった女の子たちが受付
けにたくさんいて、なるほど、こーゆう子たちはこーゆ
う所で働いているもんなのか、と変なことに納得しなが
らぼくは受付けを済ませた(三十分四千円!)。更衣室
に連れて行かれ、水着に着替えてオイルを塗ってバスタ
オルを巻いて出てくると、SF映画に出てくる冬眠カプ
セルのような日焼けマシーンの前に案内された。マシー
ンは一台一台アコーディオンカーテンで仕切られている。
じゃあ、時間になったらシャワーを浴びて下さいね、と
言ってガンクロ少女は外へ出ていった。ぼくは友人Kに
教わっていたとおり、機械の電源を入れるとすぐに水着
を脱いで素っ裸になった。マシーンから放たれる蛍光ブ
ルーの光はますます未来的で、SF好きのぼくとしては
浮かれた気分になってくる。強化プラスチックのベッド
は寝心地がいいとは言いがたいけれど、枕許からはさざ
なみの音とハワイアンミュージック、足許からは南国を
思わせるゆるやかな風、そして何よりも光の中で全裸で
眠るということが気持ちよく、擬似体験にすぎないのだ
とわかってはいながらも、いいっすねー、とぼくはひと
りつぶやいた。世の中にはまだまだ知らない世界がある
のでしょう。

 某月某週
 HISの格安ツアーでハワイへ行く。ワイキキビーチ
は辺り一面がハレーションを起こしているかのように光
り輝き、日焼けサロンなんぞに行って人工光線を浴びて
しまった自分がアホだと思った。ついでに友人Kもアホ
だと思う。キングの『グリーン・マイル』をビーチで読
みふけり、気が向くとブギーボードに乗ることをひたす
ら繰り返していた。

 某月某日
 荻窪駅前の『BOOK・OFF』へ行く。つるつるピ
カピカの新刊本が三百円くらいで売っていたり、普通の
書店よりも全然品揃えがよかったりするこの大型チェー
ン店の古本屋は、客の立場としては非常にありがたいの
だけれど、自分が書いた本が棚にあるのを見付けたりす
ると、なんとも複雑な気分になる。世の中っていうのは
絶えず循環しているわけだし、肯定する人がいれば必ず
否定する人がいるわけだし、ぼくも古本屋でたくさんの
いい本に出会ったわけだし、まあ、いいでしょう、と思
う反面、つまらなかったから? 手許に置いておく価値
がないから? 売れ残って返品されて在庫処分されたか
ら? と自著が売り飛ばされた理由を考えてしまう。し
かし、ぼくも古本屋をよく利用しているから、物書きと
しての立場なんてないも同然という気もする。読みたか
った小説や漫画を数冊買い込み、帰りに吉野家でけんち
ん定食を食べた。

 某月某日
 友人Kとその彼女と同居人Y子とともに、焼き鳥屋へ
行って生ビールを飲み、おでん屋へ行ってひとりボトル
いっぽんの割合でワインを飲み、カラオケボックスに入
って三時間ほど絶叫する。帰り道、友人Kは駅のホーム
で突然ダッシュしたり夜空に向かって叫んだりしていた。
ぼくは家に帰ると服を着たまますぐに寝た。

 某月某週
『ポーラX』のサントラCDのライナーノーツで、タワ
ーレコードの馬場さんとロッキング・オンの宇野さんと
鼎談することになり、新宿の某ホテルへと出掛ける。う
ーん、うーん、うーん、どーなんでしょうかねえドヌー
ヴがおっぱい出してましたねえヒットするといいですね
え、といったとりとめのない話で終わり、レコード会社
の方が困った顔をしていた。後日、レオス・カラックス
監督が来日し、「ハイファッション」誌上でぼくがイン
タビューをさせて頂くことになり、渋谷の某ホテルまで
出掛ける。口部分が変形するまで禁煙パイポをガジガジ
しつつ、マルボロライトをひっきりなしに吸い、背中を
丸め、色あせて錆色になったコットンジャケットを着て
いるカラックス監督は、アレックス三部作のドニ・ラバ
ンと雰囲気がとてもよく似ていた。通訳の方を介し、イ
ルフェボー、エビアン、トレビヤン、ポワソン、サバー、
オバー、ジュブドレアレアモンマルトル、ウーラッラー、
といったような外国語? に自分の言葉が置き換えられ
るせいなのか、思っていたほど緊張することはなかった。
あっというまに時間になり、終了間際、記念に『ポーラ
X』のチラシにサインを書いてもらった。家宝にしよう
と思う。

 某月某日
 二子玉川園までぶらりと出掛けてGAPで半袖のシャ
ツを買う。高円寺に戻ってくると、町内の人たちが『ル
パン三世』のテーマ曲で阿波踊りの練習をしていた。ぼ
くには到底真似できない曲芸だと思った。