本・雑誌・ウェブ
蓮の華を見に行く
中沢けい
八月一日(日) 辻章氏に以前、袖ヶ浦の蓮池を案内し
てもらったことをとう突に思い出した。最近、突然、何
かを生々しく思い出すことが多い。たいへん生々しいの
だけれど、現実よりは幾分か美化されていて、脈絡もな
く思い出した場面を眺めているのが、このうえもなく楽
しい。子どもの頃、NHKの大河ドラマで「太閤記」の
最終回を親と見ていたら、緒形拳の扮する太閤が死ぬ場
面で、彼の一生が次々と回想された。「人間は死ぬ時に
一生の間のことを次々に思い出すと言うけれど、あれは
ほんとうかしら」と母がしみじみした声で言った。「さ
あて」といつも言葉少ない父が返事をした。これをどう
いうのだか、不思議なことを聞くものだと、私はよく記
憶に留めている。五つか六つだった。父は就寝中に心臓
の発作をおこして死んでしまったから、とても死に際に
一生の間を回想する閑などなかったような気がする。母
は多様な延命工作を施されて亡くなったから、心穏やか
に人生を回想する際が曖昧になったような気がする。
 袖ヶ浦の蓮池は大きくて広く、池の中の木橋を歩いて
も歩いてもつきることがなかった。
八月四日(水) 澁澤龍彦氏の十三回忌法要へ招かれ、
北鎌倉の浄智寺へ出掛けた。生前の澁澤氏とのおつき合
いはなかったが、最近、夫人の龍子さんと知り合い、そ
の縁でよんで下さったらしい。定刻、少し前に浄智寺に
つく。客殿に集った人の中に北欧から帰ったばかりの新
保祐司氏の顔があった。北欧旅行に出掛ける飛行機の中
で、前の座席に座っていた客が読んでいる新聞記事を覗
き見て、江藤淳氏が亡くなったのを知ったとのこと。そ
んな話をひとしきりしてから、「蓮を見に行きたいのだ
けれど、どこか良い所を知らないかしら」と尋ねたら、
材木座の光明寺がいいということだった。大賀博士が育
てた古代蓮が花を咲かせていると言う。そばにいた飛鳥
新社の小山晃一氏が、「蓮ならそこに咲いているじゃな
いですか」と浄智寺の中庭をさす。白い蓮がぽっかりと
咲いていた。
 場所を浄智寺から鎌倉パークホテルに移して行なわれ
た澁澤龍彦氏を偲ぶ会で、舞踏家の大野一雄氏が挨拶を
された。澁澤氏のお葬式の時、浄智寺に白い蓮の花が咲
いていたのが印象的だったというお話だが、「白い蓮の
花」と声高く発音する度に大野氏自身が白い蓮の花に化
身されて行くような身振りが加わる。想念の中に現われ
たものの美しさを、こんなふうに肉体で表現できる人も
いるのだと見とれた。
八月十日(火) 地下鉄のホームの売店で週刊新潮を買
う。女の武器は美貌と割り切った主人公の登場する林真
理子の小説「花探し」を地下鉄にゆられながら読む。全
部読んでいるわけではないが、私はこの主人公の吹切れ
方がおもしろいと思っている。生きている間だけを問題
にするのなら、これでいいのだなと納得したりする。と
ころが、私の頭の中にはいつ、どこで、誰から仕入れた
のかよく解らない観念が巣喰っている。「生まれかわる
なら同じ蓮の葉の上」、こんな男女の情愛の濃さを意味
する文句をどこで覚えたのだろう。まさか親子でテレビ
を見ていた時に小耳にはさんだ大人の会話の切っ端とも
思えない。「泥水の中から咲く蓮の花」こちらは高尚な
観念も世俗の汚濁の中から育つという意味だと記憶して
いるが、これも出処不明である。
 男と女の間も生きている身体があってこそと思えば
「花探し」の主人公のような美貌は女の武器という割り
切り方もできる。しかし、それは生の世界という狭い枠
組みに閉じ込められた気の毒な女の偏狭な考え方感じ方
の話と読めば読めないこともない。生の世界の外側に広
がっている広い死の世界が視野に入るとそう思える。同
じ娯楽のために作られた虚構でも、「牡丹灯籠」のおつ
ゆさんなどは、ただ恋しい恋しいの一念で、生きかわり
生まれかわりして、三世も四世も祟ったというからすご
い。小むずかしい話ではなくて、生の外側に死の世界が
置かれているほうが、セックスの描写は濃厚になるとい
う話。描写だけでなく、行為でも同じことか。つまりは
欲心、俗流に言えば助平心ということになる。
 数週間前、池袋の旭屋書店で千草忠夫の立派な装丁の
全集が並んでいたので驚いた。SM小説の流行もここま
で来たか。身体を痛めつける描写が、人にタナトスを連
想させるので流行するのか。日常ではタナトスの感受性
を失いがちであることの反動を見る思いがする。「O嬢
の物語」は発表当時のフランスの植民地解放思想や自由
主義思想の全盛への痛烈な批評として書かれたそうだが、
それに倣って言えば、SM小説の流行は、タナトスへの
想像力の欠如が生んだエロスの荒廃を物語る。それは
「O嬢の物語」のように明快な批評意識を持たない。頭
脳をプラグマティズムに占領され、言葉を喋る舌をひた
すら生を語る偽善に縛られた結果、身体の感覚が怠惰な
反乱をおこしたものに見える。
 だからと言って、ナンマイダ、ナンマイダと唱えなが
ら、ナニにしてナンダカナアとくだらないことを考える
のは、蒸し暑過ぎるせいだ。
八月十六日(月) 青土社の阿部さんと鎌倉へ蓮の華を
見物に行く。盛りは過ぎたはずだが、今年は暑いので、
まだ、けっこう咲いていた。最初に鶴ヶ岡八幡宮の源平
池を覗いた。白い蓮の平氏池はパスして、赤い蓮の源氏
池のほとりを歩いた。牡丹園に入る。池のふちに五位鷺
が佇んでいた。いつ見ても何か考え込んだまま直立不動
を保っている鳥だ。写真を撮ろうと近付いたら、姿勢を
崩さずに横へ横へと移動して遠ざかってしまった。
 お昼を食べてから材木座海岸の光明寺へ回った。化粧
直しの工事が終ったばかりの山門がすっきりと建ってい
る。庭の池の蓮は古代の大賀蓮だという。なんでも今の
蓮にはない棘があるそうだ。大賀博士のことはよく知ら
ないが、私の母は中学か高校で教科担任をしてもらった
ことがあったと言っていた。それで、なつかしい。写真
を見るより、そんな話を思い出すほうが、私は亡くなっ
た人を身近かに感じられる。
 本堂から渡り廊下を伝って、別棟の広縁に出る。目の
前が蓮池だ。ここの蓮も赤い。広縁に足を投げ出して座
り、仙台の蓮池の話を阿部さんから聞いた。大きな池へ
舟を出して蓮の見物をするそうだ。詩経にある「参差た
る【こう】(くさかんむりに行)の菜は 左に右に之を
流む」という文句を思い出す。その大きな蓮池では蓴菜
もとれるのだそうだ。
八月二十三日(月) 歌舞伎座へ出掛ける。八月は三部
制で、一部と二部はもう見ていたが、新聞の劇評を読ん
だら三部も見たくなった。勘九郎の半七が見たい。芝居
を見物するうちに夜の雨になった。三原橋の交差点の向
うにある鮨屋の日除けシートの下に、バイク便の運転手
が集まり、雨宿りをしていた。白い糸のような雨の中で、
その光景は今様の広重を見るようだった。
八月二十六日(木) 娘を連れて上野公園を国立科学博
物館の方向へ歩いていると、「ダイカオ展の会場はこち
らです」と叫ぶハンドマイクの声が聞こえた。思わず娘
と顔を見合せた。それまで二人とも「オオガオ展」だと
思っていた。考えてみれば、デカイ顔の展示会ではない
から、ダイカオ展である。大顔展を見学してレポートを
提出することというのが娘の夏休みの宿題のひとつだ。
顔にまつわる学際的な展覧会というのだが、いったい何
の科目の宿題かは聞き忘れた。
 せっかく上野まで来たのだからと、新築になった法隆
寺宝物館も覗いてみた。それから回った国立博物館本館
地下のミュージアムショップは広々として品数がふえて
いた。娘とTシャツを三枚選んだ。
 不忍池に降りてみる。ここもまだ蓮の花がちらりほら
りと咲いていた。娘がまだ赤ん坊の頃、私の母もいっし
ょに湯島天神から不忍池を横断して上野まで歩いたこと
があった。写真を撮らなくてはいけないんだと、四苦八
苦していたら、娘が撮ってあげると、池の中へ両腕を突
き出すようにして蓮の華を撮影してくれた。「うまい!
 うまい!」と言ったら、「まあネ」と澄ましていた。
カメラは娘の所有物であるチェキだ。
 昨年の暮れにカメラ屋に注文した。中学の卒業式に級
友の写真を撮りたいとのことだったので、三月には間に
合うだろうとタカをくくっていた。インスタント写真が
撮影できるカメラでなかなか手に入らないとは聞いてい
たが、実際に品物を手に入れたのは五月だった。今のと
ころ、このカメラが我家にあるただひとつのカメラだ。
それで私もこれを持ち歩いたのだが、写真を撮影すると、
それを相手の人にあげてしまいたくなる。だから手もと
に写真が残らなくて困った。