立ち読み

2016年6月号


「ミライミライ」古川日出男(新連載)

一九七二年 札幌

 むかしむかし、詩人たちは銃殺された。一九七二年の二月上旬のことだった。場所は豊平川(とよひらがわ)の左岸の河原、そこに三十二人が並ばされて順番に処刑された。並びは横一列だった。使用されたのは自動小銃のAK47だった。その銃刑の執行隊は三名いて、みな軍服をまとい、毛皮の帽子をかぶっていた。列の左端から右へ、右へと、およそ三十秒に一人が撃ち倒されていった。いっぺんに何人もが連射で薙(な)ぎ倒されるということはなかった。性能を考えれば一挺のAK47で詩人たち全員を三十秒以内にまとめて処刑するのは容易だったのだが、それは処刑の目途から少々ずれるのだと思われた。処刑は恐怖を与えなければならない。反省を強いなければならない。そして反省を強いられているのは、処罰をうける当人たちだけではないのだった。「北海道の日本人」という大きな括りの集団がそのことを強いられているのだった。だから処刑に連射はなかった。銃弾は一発ずつ発射されて、詩人は順々に一人ずつ殺された。ただし各人におよそ三十秒が費やされる理由に、一人につき必ず三発から七発は銃弾を撃ち込まれていたから、という事実は挙げられる。命中精度がどうのこうのという問題ではなかった。一発よりも二発、二発よりも三発のほうが、被処刑者の魂に撃ち込まれる残響音が多い、という、まさに詩的な理由に拠った。雪は舞っていたが、まさに舞うといった程度だった。ほとんど降雪の範疇には入らない。しかし河畔は積もりに積もってはいた。その白い堆積のありさまが飛び散る鮮血を映えさせるに、たっぷり足りた。飛び散るのは血でもあったし、剥ぎ取られる肉片、噴き出す内臓でもあった。順番に射殺されていきながら、詩人たちは何を考えていたのか? 三十二人が三十一人になり、三十人になり、二十九人、それから二十八人になると、顔の表情(いろ)から察するに彼らの何人かは自らの罪を認めたのに違いない。ただし、それは銃刑を行なう側の理屈とは大きく隔たっていた。彼らは(三十二人の詩人たちは全員が男だった)こんなことを思ったのだ。ユーカラを題材にした詩を作るのは搾取だった、そういうのは大きな過ちだったし、たとえば羆(ひぐま)の霊を歌うにせよ、それをアイヌ人の熊送り(イヨマンテ)の儀式を下敷きにして語るのは、やはり文化的な搾取、掠奪(りゃくだつ)だった、また、もともと北海道にいたコロポックルという小さな小さな人間たちに言及したことも、詩の営みとしては真っ当であったにせよ、結局はアイヌ伝承への寄生だった! 彼らは、こう思ったに違いなかった。そうやって自らを断罪することで彼らは何を得たのか? じつはある種の平穏、魂の静謐だった。彼らは、「俺は」と考えたりしたに違いない。「アイヌの神話と歌謡を盗んだのだから、現に罪というものはあるのであって、罪深いのであって、よって、今から与えられる死も不当ではない」と。すなわち死を容(い)れた。すると恐怖は軽減された。だが、もちろん、三十二人いる詩人たちの全員がそうした納得をし得たはずはない。なぜならば、穏やかさとは正反対の表情(いろ)がやはり多く見られたからだ。彼らのうちの何人もが叫び、わめき、号泣し、おののいた。また、毅然と(あるいは平然と)罵りの言葉をAK47を手にした銃刑の執行隊に投げつける者たちもいた。通訳は不要だった。罵倒のロシア語程度ならばどの詩人も操れたし、札幌市民のおよそ二割はロシア語の日常会話がそれなりに流暢にこなせた。そもそも三十二人の詩人たちのうちの半分を、北海道大学の出身者および在学生が占め、この旧帝国大学からモスクワへの留学制度を利用した者も四人いた。
 そうしたインテリたちが、大きな行動に出、実際に詩人として大きな力を持ちはじめた契機は、前年、一九七一年の三月からのパキスタンの内戦にあった。より正確には、東パキスタン、すなわちバングラデシュの独立運動にあった。解放軍はノーベル賞作家であるベンガル人の詩聖、タゴールの『我が黄金のベンガルよ』を歌い、しかも独立を果たすやこれを国歌に制定した。タゴールはいわずもがな、イギリス統治領時代のインド独立運動の支持者でもあった。詩とは、これほどのものであり、詩人とは、これほどの存在なのだ。だから北海道のインテリたちは、もちろんインテリ以外の農民詩人などもそうだったが、ある自覚を持ったのだ。本州にはそのような詩人はいなかった。四国にも九州にもいなかった。共感はあったが、自覚には至らなかった。そして北海道の詩人たちがその大地を「民族(ニッポン)のため」との目標を掲げて歌いあげる時、いわゆる通常のエスニシティを超えて先住民族アイヌの視線が、文化が搦められ、詩行のうちに織り込まれ、あるいはコロポックルというアイヌ以前の先々住の民族かもしれない人間たちまでもが幻視されてしまうのは、たしかに罪過(ざいか)という側面はあるにはあったが、しかし必然でもあった。たとえば札幌を歌う時、その地名から漢字を引き剥がせば――剥ぎ取って、無文字の音だけにすれば――Sat-poro または Sari-poro というアイヌ語が顕(あら)われ、それは川を指し、その川こそが他ならない豊平川であるように。この、一九七二年の二月上旬に、三十二人の詩人たちの刑場となっている豊平川であるように。しかも、これは七番めに撃ち倒された詩人だが、彼はある作品のなかで「サッポロよ、豊平川よ」との反復(リフレイン)を用いていた。普段の言語から意味が剥(む)かれ、また意味が足されるのが詩であるのだから、このような事態は、まま起きる。すなわち、銃殺されるそれ以前に、自らの挽歌を予言的に詠(よ)んでしまっている、といったようなことは。その文学活動が深淵を掘れば掘るほど、それが真正の予言に化ける確率は増す。
 ところである程度の文学活動は許されて、しかし政治活動はその逆である北海道で、銃殺を行なうことを決定した側がその「罪」の根拠としたものを、豊平川の河原に強制的に連れてこられた三十二人の詩人たちが持っていないのではなかった。その文脈での「罪」は、それもまた、あるのだった。たとえば三十二人のうちの一人が、相当に著名な作品ちゅうで、

  熊は神
  神、神、神、鮭は
  往(ゆ)き、還(かえ)る

 と詠んでいる。反復(リフレイン)ともなっている。それがアイヌ文化の搾取か否か、の問いは別として、このフレーズの省略形は(「熊、神、鮭、ユキ、カエレ」だった)秘密の連絡手段を市井の人々といわゆる二十七年抵抗組織との間に提供していた。市井の人々とは、すなわち「北海道の日本人」たちだった。
 三十二人の詩人たちは、なるほど、政治的にも罪深かったのだ。その詩は現実的な威力において高性能の銃器に相当していた。
 そして三十二人の詩人たちは、順繰りに命を奪われることで、すでに生きているのは二十人以下の詩人たちとなっていた。豊平川の河原の横一列のその並びは、どんどんと右へ、右へと縮まっていた。誰も動かないのに、左端が斃(たお)れつづけることで縮まっていた。あと十八人、あと十七人、それから……。
 銃殺を決めた側が期待していた恐怖は、残された詩人たちの身であればあるほど、やはり増大したに違いない。達観の表情(いろ)を顔に浮かべていなければ、そうであったに違いない。また、彼らのうちの何人かは、そうだ今は一九七二年の二月上旬で、だから地上のどこかでは冬季オリンピックが行なわれているのだとも思い至っただろう。そして、むかしむかしのその三十年以上も前、具体的には一九四〇年、ここ札幌で冬季オリンピックが開催されるはずだった事実をも想い起こしていただろう。その五輪は、しかし中止になった。だから彼らは、「俺は、やっぱり」と思ったのに違いなかった。「この札幌でアジア初のオリンピックが開かれていたら大きな達成だったと、そう考える。それこそタゴールが、アジア初のノーベル賞受賞者だったように」と。それから彼らは――冬季オリンピックの開催を心に過(よ)ぎらせたのがただ一人ならば、彼は――こうも思ったろう。オリンピックが行なわれることが確定した都市は、どんどん開発される、たとえば地下鉄網が整備されて、発展する、地中、地中、そうだ……二十七年抵抗組織の拠点が、しばしば地中に設けられているように、……まさに北海道における地下活動……。
 だが一九七二年時点のこの札幌に地下鉄はない。札幌は、国際的につねに注目されているが、しかもその注目度は一九六〇年代の後半から劇的に高まったが、モスクワが一九三五年にはもう地下鉄を開通させていたようには開通させていない。そもそも開通の計画もない。一九七二年のむかしむかしのこの時点では。
 刑場に立つ詩人たちの列はとうとう十人以下に縮まった。そして九人が八人になり、七人になり、六人、それから五人になる……。
 そこから約三十秒が五回経過して、すると、もはや身を起こしている詩人はいない。みな、斃れた。どこかで猛禽が鳴いた。魂への銃声の残響音に関しては、確認する術(すべ)がない。執行隊ほか数人が、軍用車輛に乗る。この一行には報告の義務がある。もちろん、そこには「魂にどれだけ残響が刻まれたか、同志(タヴァーリシチ)たちよ、見たか?」との詩的な問いに対する、返答の義務もある。




古川日出男 フルカワ・ヒデオ

1966年福島県郡山市生れ。1998年に『13』で小説家デビュー。2001年、『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞、日本SF大賞をダブル受賞。2006年『LOVE』で三島由紀夫賞を受賞する。2008年にはメガノベル『聖家族』を刊行。2015年『女たち三百人の裏切りの書』で野間文芸新人賞、2016年には読売文学賞を受賞した。文学の音声化にも取り組み、朗読劇「銀河鉄道の夜」で脚本・演出を務める。著作はアメリカ、フランスなど各国で翻訳され、現代日本を担う書き手として、世界が熱い視線を注いでいる。他の作品に『ベルカ、吠えないのか?』『馬たちよ、それでも光は無垢で』『MUSIC』『ドッグマザー』『南無ロックンロール二十一部経』など。


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