立ち読み:新潮 2017年8月号

ポスト・トゥルース時代の現代思想/浅田彰+東浩紀+千葉雅也

一九五七年に何が起こったか

 今日は、一九五七年に生まれた浅田彰さんの還暦を記念して、千葉雅也さんとともに、この公開鼎談を企画しました。浅田さん、おめでとうございます。
千葉 おめでとうございます。
浅田 ありがとうございます。ぼくはアニヴァーサリーの類が嫌いで、他人の祝賀会にも出たことがない。東さんから還暦記念イヴェントの話をもちかけられたときも、当然「ノー」という答が自動的に口をついて出そうになった。しかし、言うまでもなく、「還暦を祝う」というのは「老醜をネタにからかう」ということ。あくまでそれを固辞するのは、自分の老醜を認めまいとする、それ自体醜いナルシシズムの発露ではないか。まな板の上の鯉となって屈辱を楽しむのも、老熟のための訓練として悪くないのではないか。どこからか湧いてきたそんな気持ちに押されて、衝動的に「イエス」と答えてしまったんですね。当然、すべての企画は東さんと、千葉さんに一任し、料理される側のぼくはいっさい口を出さないことにした。刺激的なイヴェントを企画・開催してくださったお二人には感謝するばかりです。
 そもそも還暦というのは干支が六〇年で一巡して元に戻ることですね。振り出しに戻って、生まれ直す。この考え方は悪くない……。
千葉 もう一度、子どもに戻るということですね。
浅田 昔だと人生がだいたい二〇年周期で捉えられていたわけですね。二〇歳で大人になり、六〇歳まで頑張って、そこからは引退生活に入る。でも、いまはむしろ三〇年周期のような気がします。三〇歳くらいで一人前になり、六〇歳くらいでギア・チェンジし、九〇歳近く、あるいはもっと先まで生きる。いずれにせよ六〇歳あたりにひとつの転換点があるわけです。
 ぼくが子どもの頃は、二〇歳から六〇歳までの成年男性というのがいちばん嫌だった。社会的責任を担うと称して頑張っているようではあるが、女子どもや老人などを抑圧することでそのストレスを解消している、実に嫌な奴らだ、と。そのような「おっさん」にだけは絶対なりたくない、むしろ、子どもからそのまま老人になりたいと思っていた。高野文子のマンガで、少女がそのまま老婆になる、ああいう感じですね。これは要するに責任からの逃避なんですが、そのように責任から逃走しつつ、子どもから老人に直接ジャンプするというプロジェクトがある程度うまくいったのだとすれば、そのことには満足すべきでしょう。
 今日の本題は「ポスト・トゥルース時代の現代思想」です。どうしてこのようなテーマを選んだのかというと、ここ数ヶ月、浅田さんと何度かお会いするなかで、トランプについてお話しされていることが多かったからなんですね。ボリス・グロイスとされた対談(「ポスト・ミュージアム時代? ――メディアの変容はアート界をどのように変えるのか」二〇一七年一月二十一日、東京国立近代美術館)でもそうでした。
浅田 いやいや、トランプ問題をそれほど気にしているわけではないですよ。ただ、あまりにも愚劣なので、悪い食べ物にハマるような感じで目が離せなくなっていることは事実ですけれど。
 ポスト・トゥルースというのは、実はすごくポストモダン的なネーミングです。真実などない、ということがポストモダンではよく言われていて、そのあと九〇年代、二〇〇〇年代にはむしろポストモダンに対する反動として、「真実」や「エヴィデンス」を人々が求めるようになった。ある種の理性主義と実証主義に戻ったわけですよね。ところが、現実にはポスト・トゥルースの時代が来た。いまこそポストモダン的な問題意識が重要だと見ることもできると思うのですが、そのあたりはどうですか。
浅田 その前に長期的に見ておくと、ぼくが生まれた一九五七年、あるいはその少し前の五五年がやはり大きな節目ですよね。戦後十年経って敗戦後の焼け野原から一応は復活し、国民総生産が戦前の水準を超えた。五六年の経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言する。保守合同で自由民主党が生まれ、社会党も再統一して、五五年体制が成立する。さらには五六年に国際連合にも加盟する。そうやって敗戦から一応立ち直ったというのが五五、六年のことです。五五年にはすでに神武景気が始まっていますが、五〇年代は復興特需があり、朝鮮戦争特需があって、景気も上向いていく。そして五七年頃から、本当の意味での科学技術の進歩と高度成長の時代に入る。そして、実はそれと相関しながら、左翼運動も盛り上がっていく。
千葉 まさにそのような年、一九五七年に浅田さんは生まれたわけですね。
浅田 五七年にはソ連が世界初の人工衛星スプートニクを飛ばす。それに衝撃を受けたアメリカは、宇宙開発に奔走し、六九年の月着陸まで前進してゆく。日本でも、五七年に東海村の原子炉設置が決定し、六五年に初めて臨界に達した。科学技術の爆発的な進歩と経済の高度成長がリンクして続いていく時代の始まりですね。
 五七年はあと欧州経済共同体(EEC)が設立されました。
浅田 その前の欧州石炭鉄鋼共同体がEECに拡大され、さらにEC、EUへと発展していく。
 つまり五七年というのは、EUのもとになる組織ができた年でもある。
浅田 日本国内で言うと、石橋湛山首相が病気になったこともあり、五七年に岸信介が首相に就任、六〇年には日米安全保障条約改定を強行したけれども、それと引き換えに自分は首相を辞める。その孫の安倍晋三首相がいまリヴェンジを図り、祖父の目指した憲法改正を実現しようとしているわけですね。つまり五五年ないし五七年からの時代が一巡して終わろうとしているのかもしれません。
 そういえば、『ゲンロン4』(二〇一六)で東さんにインタヴューをしてもらったときに語った自分史のなかで、伯父の浅田孝が丹下健三の右腕として活躍していたという話をした。彼の仕事のひとつが南極の昭和基地のためのプレファブ建築で、それを持っていった第一次南極観測隊が五七年に現地で実際に基地を建てるわけですね。そういう個人的な記憶も含めて、確かにそこでひとつのサイクルが始まり、いま終わろうとしているのかもしれないという感じがします。

(続きは本誌でお楽しみください。)