立ち読み:新潮 2017年12月号

神がかり/佐藤友哉

1

「むかしむかしあるところに、ステラーカイギュウという動物がいました。ステラーカイギュウは海でくらしていて、大きさはクジラくらいで、ジュゴンみたいな姿でした」
「ジュゴンってなあに?」
「ふうせんオバケみたいな生き物だよ。絵本のやつ」
「わかった」
「ステラーカイギュウを見つけた人間たちは、船に乗って冒険のとちゅうだったので、食べるものがなくてこまっていました。なので、ステラーカイギュウをつかまえて食べてしまいました。ステラーカイギュウは今まで人間を見たことがなかったので、人間が近づいても逃げず、そのためにどんどん食べられてしまいました」
「おすし?」
「いや、外国の人だから、焼いて食べたと思うよ」
「ふーん」
「ステラーカイギュウはけなげにも、仲間たちを助けようとするので、人間たちはそれもまとめてつかまえました。なのでステラーカイギュウはみんな食べられて、発見されてから、たったの二十七年で絶滅してしまいました」
「二十七年ってどれくらい?」
「パパが二十八歳だから、パパが生まれてから今日くらいまでの時間だよ」
「僕は六歳」
「そうだね」
「ねえパパ、問題。なんで絶滅って言うんでしょーか?」
「みんな死んじゃうから?」
「ブブー。正解は、進化できなくて死ぬからでした」
「おやすみ」
「おやすみ」

2

 目が覚めると六年がたっていた。
 六年と聞くと、たいしたことではないように思える。実際、六年前の僕と今の僕をくらべても、大きな変化はない。住んでいる町。好きな食べもの。愛用しているはみがき粉。髪の生えぎわ。視力……どれも六年前といっしょだ。だけど赤ん坊にとってはそうではないらしく、六年という時間を経て、みごとな六歳児に姿を変えた。僕はその日の朝、いつものように子供を保育園にあずけると、しかし家にもどらず、町を歩きはじめた。

3

「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは家でおそうじをしていました。おじいさんが山に行くと、タヌキが罠にかかっていました。タヌキは、『じいさんや、たすけておくれ。オレを食べないでおくれ』とたのみましたが、おじいさんは、『これはこれは、大きなタヌキだ。今日の晩ごはんは、タヌキ汁にしよう』と言ってよろこびました」
「パパ、タヌキって大きい?」
「大きいよ。動物園で見ただろ」
「猫より大きい?」
「お話するね」
「わかった」
「おじいさんはタヌキを家につれて帰ると、木にしばりつけて、また柴刈りに行きました。しばられたタヌキは、おばあさんにむかって、『おばあさんや、助けてください。オレを食べないでください』と言うと、おばあさんはきのどくに思って、『おやまあ、かわいそうだねえ。じゃあ、逃してあげようねえ』と言って、タヌキをほどいてあげました。すると、自由になったタヌキはぷりぷり怒って、『よくもオレを食べようとしたな。おまえなんか、ばばあ汁にしてやる』と言って、おばあさんを殺してしまいました」
「ばばあ汁!」
「タヌキはおばあさんに化けました。そして、おじいさんが家に帰ってくると、おばあさんに化けたタヌキが、『さあさあ、おじいさんや、おいしいタヌキ汁ができましたよ』と言って、お鍋をもってきました。おじいさんはそれをおいしそうにもぐもぐ食べました。おじいさんがお鍋を食べ終えると、タヌキが本当の姿にもどって、『ばかめ! おまえが食べていたのは、ばばあ汁だよ!』と言いました」
「ばばあ汁! あはははは!」

4

 時刻はまだ朝の九時で、行くあてはなかった。夜の九時だったとしても、行くあてはなかった。急に思い立ったことだったし、そもそもずっと育児をしている僕には、自宅のほかに必要とされるところはない。
 ここでいう育児とは、本物の育児だ。ミルクをあたえ、風呂に入れ、絵本を読み聞かせ、子守唄を歌い、離乳食を作り、抱っこひもに入れて散歩し、歩けるようになれば手を引き、熱が出れば病院にはこび、保育園の送迎をするという作業を、六年間欠かさずつづける僕は、世のママさんたちからも、『ちゃんと育児をしている』と判断してもらえるだろう。出産と授乳をのぞくすべてを僕はやった。だれにも自慢しなかったし、自慢することでもなかったし、自慢する相手もいなかった。そして今日、目が覚めた。まぶたが開かれ、目の前にあるものが見えるようになった。するとそこには六歳になった子供と、六年間ひたすら育児をつづけてきた僕がいた。

(続きは本誌でお楽しみください。)