序 生き残った者たちが言い遺した話
これは神話ではない。伝説でもない。
森のずっと奥。
一つの集落が語り継いできた、別れの記憶だ。
事の発端は百年以上前に遡る。南米アマゾンの深い森に、まだ無数のゴム農園があった頃の話だ。
当時、ゴムは「黒い黄金」と呼ばれ、採れば採るだけ莫大な儲けが出る魔法の樹液だった。
多くの男たちが富を求めて密林に殺到した。征服者の末裔もいたし、スペインやポルトガルで食いっぱぐれて大西洋を渡って来た輩もいた。貴族のような恰好をしていた者もいたようだが、ならず者の山師と実体は何ら変わらなかった。
森に入り込んできた者たちはゴムの木がありそうな川辺に小屋を建て、一帯を自分の「農園」だとした。
誰かの許しを得る必要などなかった。法の支配が及んでいるわけでもなければ、先住者に借地料を払う必要もなかった。昔も今も、アマゾンの奥地とはそういう場所だ。
もっとも、農園という立派な名こそ付いてはいたが、彼らのゴム園は、後にイギリス人が東南アジアでやったようなプランテーション方式ではない。森の中で闇雲にゴムの木を探すという、素人の博打のようなものだった。
だから、ぼろ儲けをするためには、多くの人手が必要だった。
目を付けたのが、先住民だ。彼らは何十キロでも歩くことができたし、ゴムの木が群生する場所を見つけるのも白人たちよりずっと上手かった。
初めは物々交換で誘った。嫌がられると、銃で脅して連れてくるようになった。抵抗でもしようものなら、妻や娘を人質に取った。遠くへ逃げた場合は、遠征隊を組織して彼らを「狩った」。
侵入者は、そうやって連れてきた裸の先住民を並べ、こう言った。
今後、俺たちのことを〈
百年以上にわたり、森の奥の小さな集落で語り継がれてきた伝承は、そんなゴム農園の一つから始まる。アマゾンの森の、ずっと奥のゴム農園だ。
そこには、様々な場所から連れて来られた先住民がいた。多くはイネ族という森と川に生きる部族だった。〈イネ〉とは、彼らの言葉で「人間」という意味だ。
農園では、重労働と伝染病で多くの先住民が死んでいった。しかし、誰かが死ねば、誰かが代わりに連れてこられるだけ。そしてまた、働かされるだけ働かされて、死んでいくのだ。
耐え難いことだった。
ついに、五人の男が決断した。
一九〇二年のことだ。
五人のイネ族の男がパトロンを殺した。木の棒でめった打ちにしたのだ。
五人の男は仲間を奴隷小屋から救い出し、共に森へ逃げた。
向かったのは、南だった。南には、彼らの故郷があった。
だが、すぐに用心棒たちが後を追ってきた。
用心棒は馬と銃を持っていた。敵う相手ではなかった。弓矢は取り上げられていたし、身を軽くするために、パトロンを殺した棒切れも農園に捨ててきていた。追いつかれて皆殺しにされるのは、時間の問題かもしれなかった。
生き延びるためには、逃げるしかなかった。
何度も追いつかれそうになった。だが、誰も諦めなかった。森に隠れ、森の生き物を食べ、森で眠り、森を歩き続けた。どこまでも、何日も、歩き続けた。昼も夜も歩き続けた。
そしてついに、五百キロもの距離を歩いて逃げ切った。
パトロンを殺し農園を脱走してから、半年以上が経っていた。
逃げ切った者たちにとって、それは語り継がれるべき記憶だったに違いない。悪魔のような農園主を殺し、森を逃げ、ついに故郷に戻ることができたのだから。
だが、生き残った者たちが伝えたかったのは、そんな武勇伝や逃避行の物語ではなかった。農園での辛い毎日のことでもなかった。ましてや、パトロンへの恨み辛みでもなかった。
彼らがどうしても忘れることができず、後世に伝えたかったこと。それは、
故郷まで逃げる途中のことだ。
追手が近くまで迫って来た。
もう、だめだ。誰もが諦めかけた。
誰かが言った。
全滅だけは避けよう。二手に分かれて逃げよう。
悩んでいたり、議論をしている余裕はなかった。
故郷での再会を誓って、彼らは森で別れた。一方はこちら側の森へ逃げ、もう一方はあちら側の森へ逃げた。
それきりとなった。
森で別れた者たちが、二度と会うことはなかった。
森を右に行った者たちは故郷に戻ることができたが、左に行った者たちは、そのまま森のどこかに消えたのだ。
何十年かが過ぎた。
故郷に戻って来ることができた者たちに、この世を去る日がやってきた。
去りゆく者は、子孫を集めて、こう言った。
――森で別れた
息子たちよ、
ノモレに会いたい。ノモレを探してくれ。
森のずっと奥の小さな先住民の村。人知れぬ密林の中で、別れの記憶と再会の願いが静かに語り継がれていった。
そして、百年が過ぎた。
(続きは本誌でお楽しみください。)