立ち読み:新潮 2021年4月号

柳美里ロングインタヴュー
時の目盛りが壊れた後で
聞き手・構成 小松理虔

「震災10年」といわれても

小松 震災10年になります。時期的に柳さんのところにも「取材させて欲しい」「10年の区切りで語って欲しい」と、いろいろな依頼がくるかと思いますが、10年目のコメントを求められて、どんなお話をされているんですか?

 そもそも、この10年間、3月11日前後の取材依頼というのは全部断っていたんです。今回は『JR上野駅公園口』が全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞したタイミングなので、作品の話を含めて、という依頼に関しては受けています。でも、「震災から10年目の原発周辺地域の現状を語る」ということは、わたしにはできません。5年目の時のインタヴュー依頼もお断りしていました。理虔さんはどうですか? けっこう依頼が来てますか?

小松 ぼくのところにも来ますね。でも、今年は特に難しく感じます。そもそも3月11日近辺は静かに過ごしたいですし。特に今年は難しくて何を話していいか、節目というものを意識すると、余計に言葉にするのが難しいです。記憶が薄まったってことではないんですけどね。柳さんは、なぜこれまで節目の取材を断ってきたんですか?

 時間の目盛りに違和感があるんです。カレンダーやスケジュールの日付のマス目って同じ大きさですよね。時計の秒針の目盛りの間隔も一定です。3月11日、そして12日から始まる原発事故による避難の日々というのは、その時間の目盛りが壊れたというか、その目盛りで測っていた人というのはいないんじゃないかな、と感じていて。

小松 目盛りが壊れてしまった。それは柳さんの『JR上野駅公園口』の主人公も同じですね。目盛りではない時間を抱えざるを得ない、目盛りが壊れてしまった人たちの物語として読めました。でもどうしても、マスメディアの取材だと正しい目盛りで書かれてしまう。

 わたしへの依頼として多いのは、こういう内容です。東日本大震災と原発事故から10年目になるが、行政主導の復興計画は失敗している、あるいは著しく遅延している。その観点から、柳美里さんに現場を歩いてもらい、写真撮影をしてグラビアを構成し、原稿も書いてください、みたいな。復興が進んで、希望の芽が膨らんでますバージョンの依頼もありますけどね。どちらにせよ、編集部の方で、結論を既に用意してるんですよね。
 わたしは毎年2度、中間貯蔵施設予定地の地権者の鎌田清衛きよえさんと、双葉郡大熊町の沿岸部を歩いています。中間貯蔵施設というのは、福島県内で除染により発生した土壌等を最終処分するまでの間、安全かつ集中的に貯蔵するための施設です。鎌田さんは今年79歳なんですが、50年ものあいだ有機で梨を作ってたんですよ。50年というと、原発の誘致から事故までの歳月と重なります。最初に大熊町小入野こいりのにある鎌田果樹園を訪れたのは4月の終わりで、ちょうど梨の花が満開でした。雪のように真っ白な梨の花の下を、大きなイノシシがのそのそ歩いてきて、わたしたちが近寄っても全く動じないで、木の根元を鼻で掘り返して、ミミズだかなんだかを食べてました。しばらく黙って見ていた鎌田さんは、「見る影もないです」と言って車に戻りました。次の年には梨の木が一本残らず伐られ、切り株だけが残っていました。その次の年には除染土壌が入ったフレコンバッグの仮置場になっていました。いったん仮置場として使用された後に、中間貯蔵施設になるわけですが、訪れるたびに風景が激変してるんですよ。
 鎌田さんご夫妻には、7歳で亡くなられた娘さんがあるんです。火葬して小さな骨壺に納めるのは可愛そうだ、御先祖が土葬してある墓所で土に返してやろう、という親心からそのままの姿で土葬したということです。骨壺ならばお墓の納骨室から運び出せても、娘さんやご先祖の体をそのまま埋葬した土を掘り返すことはできない。鎌田さんは、墓地と神社の保全を中間貯蔵施設への土地売却の合意条件にしていたはずです。
 昨年10月に訪れた時、車で墓地の前を通り過ぎると、墓地は潰されて仮置場になっていました。わたしは、墓地のことを尋ねることはできませんでした。鎌田さん、いつもは墓地の前で車を停めるんですけど、その時はそのまま通り過ぎたから。鎌田さんにとって、この10年は、東日本大震災と原発事故で喪失したものを取り戻し、原発事故で棄損されたものを回復する日々ではなかった。現在も、奪われ、傷つけられ続けています。

(続きは本誌でお楽しみください。)