立ち読み:新潮 2022年1月号

Neon Angels On The Road To Ruin/阿部和重

 なじみあるあの世界は排ガスとともに彼方へ消えうせた。
 左右いずれも見とおしの悪い昨今、絵空事めいたアクシデントが相つぐばかりの道が果てなくつづく。
 わが身の現実が、異世界の虫魚に食いやぶられる悪夢にでも放りこまれたかのようだ。
 あるいは現に、そういうことが起こってしまったのかもしれない。
 振りかえってみれば、路上に散らばる証拠をいくつも目撃した気がする。
 イーロン・マスクの登場は、その最たるものだろう。

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 そもそもの話、イーロン・マスクの出現はきわめて不自然な現象と言える。
 マーベル映画キャラクターのモデルになったというが、なるほど彼の経歴や人物像はトニー・スタークにもひけをとらぬくらいに虚構じみている。ふたりの名を不意に耳にすれば、実在するほうはどっちだったかと混乱しないでもない。
 仮に両者が入れかわり、小型核融合炉を胸もとに装着し全身パワードスーツをまとったイーロン・マスクマンが上空を飛びまわり、テロとの戦いをくりひろげる日常が訪れてもだれも驚きはしないだろう。スペースXやテスラやハイパーループといった運輸関連製造業にとどまらず、人工知能研究機関OpenAIの設立や電脳化デバイスNeuralinkの開発なども手がける彼の名刺にスターク・インダストリーズCEOと記されてあってもなんの違和感もない世界がすでに築かれているからだ。テクノキング・オブ・テスラなる役職名を正式に冠し、コミックの話かと見まがうハイテク事業の数々を実際に展開させているこの男は、ひと息吸うごとに虚実の境目をあいまいにしてしまう事象の特異点として存在しているのかもしれない。
 気づけばそこに立っていたという具合に、イーロン・マスクはいつしかこの世に君臨していた。突如あらわれ、つかの間のうちに世界を席巻してしまったわけだが、妙なことに彼は登場時からいかにもスーパースター然とふるまい、だれもがそれを当然のごとく受けいれてさえいた――すべては筋書きに沿って進む、舞台上のパフォーマンスであるかのように。
 虚構じみたハイテク事業展開と巨大企業経営を両立させつつ物議をかもす言動をたびたびくりかえす自称テクノキング――イーロン・マスクの非現実性を際だたせたければこの紹介でじゅうぶんだろうが、語るべき事実はまだつきない。
 二〇二〇年代に入るや、スーパースターどころか世界一の富豪の座を日々あらそうまでの巨人と化したイーロン・マスクは、エレクトロポップ・アーティストたる交際相手グライムスとのあいだにもうけた男児に読み方のさだかでないXÆ A-12なる名前をつけてすらいる。なにもかもがおとぎ話みたいに進行し、創作物のキャラクターさながらの人生を彼はなおも継続させているわけだ。
 ならばわれわれにとって、これの意味するところはいったいなんなのか。
 それは要するにこういうことだ。
 虚実の境目をあいまい化する事象の特異点たるイーロン・マスクの登場により、従来の世界は消滅した。テクノキングによる統治を新世紀の民が選択してしまったことから、なじみあるあの世界は用ずみとなり、彼方へ消しとばされる運命となったわけだ。この数十年の出来事をつぶさにかえりみてみれば、そんななりゆきが考えられる。
 境界線が薄れ、異世界の法則に圧されていった旧世界は、虚構の侵食を受けすぎて異形化の一途をたどる羽目となる。そのあげく、もとの姿にもどる方法を見うしない、おのずと過去を葬りさらざるをえなくなってしまったらしい。それがすなわちわれわれの敗因にちがいない。
 その場合、われわれの味わった敗北のいきさつとはこういうものだと言える。
 アイアンマンと戦うテン・リングスの指導者マンダリンの正体は、トヨタをひきいるモリゾウだった――とはいえ、これじたいはサプライズでもなんでもない単なる真相にほかならず、注目すべきはあくまでも、持続可能な物語を国際社会が採用したすえ、この国でひとつの悲劇が生まれていたという結果のほうだ。
 内燃機関の生存を賭け、関連グループのみならず業界ネットワークぜんたいが長年懸命に戦ってきたが、外圧と国策の織りなす伝統的な究極魔法により、抵抗むなしくモリゾウは電気自動車の夢を見てしまう。気候変動問題の抑えがたい高まりを受け、異世界間の覇権あらそいが新たな局面をむかえてしまったためだ。その果てに、彼らメーカー一味は水素燃料の虜となり、われわれガソリン事業者を無情にも切りすてる。
 かくして世界は終わりを告げたのである。

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 世界が終わったのかどうかはさだかでないが、いま目の前にひろがっているのが終末後の景色であるのはたしかだろう。とっくに尻に火がついていたこの国がとどめを刺され、奈落の底へ落ちていった場面もはっきり記録されているからそれだけはまちがいない。
 カルロス・ゴーンの国外逃亡があまたのメディアに報じられ、グローバルに知れわたっている以上、それが意味するところもまた説明不要の既成事実と化している。すなわちあれが介錯の瞬間だったとする解釈がなりたつのだが、その内訳はこういうものだ。
 カルロス・ゴーンがまんまとレバノンへ逃げおおせた瞬間、日の丸は灰燼に帰した。全国地図もろともシンボルが燃えつきてしまったからには、あとに残された風景の実像はただの産業廃棄物でしかない。世界有数のメトロポリスとして知られた都市像はもはや幻影にすぎず、実態は砂漠に廃墟がならぶばかりの惨状を呈している。役人どもはそれを認めまいと視線をそらし、「わが名は東京、都市のなかの都市」とでも言いたげに都庁を見あげつつ、知らんぷりするほかないというみじめなありさまだ。
 どいつもこいつもおつむがアニメやマンガまみれになっているくせに、アニメやマンガのごとき脱走劇が実際に演じられてもなんの手だても打てやせず、みすみす刑事被告人をとり逃がしてしまうという体たらく。そんなぼんくらどもに運営されている国家がまともであるはずがなく、一億総出で衰亡まっしぐらにつき進んでいるのは火を見るよりも明らかではないか。

(続きは本誌でお楽しみください。)