立ち読み:新潮 2022年2月号

ブロッコリー・レボリューション/岡田利規

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 ぼくはいまだにそのことを知らないでいるしこの先も知ることは決してないけれども、きみはバンコクの日々、ルンピニ公園にもほど近い、サトーン通りを折れたところの道路に面したアパートメントタイプのホテルの部屋を日本から手配してあった、そこで過ごした。きみはまんまとぼくから逃げてぼくに知られることなく、そこはダイニングキッチンと寝室の二部屋からなる、ぼくたちが暮らしているこの部屋よりもほんの少し広いくらいだった、きみ一人で暮らすには申し分ない大きさだった、そこで無為をむさぼることを満喫していた。部屋の床は全面タイル張りだった、その上を素足で歩くと足の裏に冷たさと、そしてそれはきっと床の清掃に用いられている洗剤かもしくは定期的にかけているワックスの性質だったのだろう、ぺっとりとした感触がするのが伝わってきた。はじめのうちきみはそれを少し不快に感じていた、けれどもやがて慣れていき、それどころか次第にそれをなんとなく好きだとさえ思うようになっていった。内装はごく簡素で、殺風景とさえ言えるかもしれなかった、工夫が凝らされている点はこれと言ってなかったけれども、なによりそこにはぼくが存在していなかった、そこはきみにとってこの上なく快適だった、五日から七日に一度の間隔でハウス・キーピングが入って床のタイルに濡れたモップをかけてくれたのを除けば部屋には入って来る者はいなかった。
 きみにとってバンコクは、ぼくから遠ざからなければ決して得られはしない安らぎを享受する日々だった、その日々をきみは動物みたいに単純な原理だけで行動していた。朝部屋に差してくる陽光でいったん半強制的に目覚めさせられた時にはたいてい喉が渇いていた、するときみは冷蔵庫へと歩み寄って中で冷やされていたミネラルウォーターや、場合によっては炭酸水だった、グラスになみなみ注いで一息に飲み干した。炭酸水はシンハービールの会社が出している赤いラベルのずんぐりしたガラス瓶が六つ、二かける三に寄せ集められ透明で強力なシートでぴったりとひとまとまりのセットに束ねられているのがホテルのすぐ脇のセブンイレブンにも売っていた、きみはそれを冷蔵庫の中に常備させていた。渇きが癒えるとベッドに戻ることもあったけれどもベランダに出ることも多かった。冷房の効いた室内から一歩外に出ると途端にぬるい大気がまるでスウェットスーツが瞬時に装着されたみたいな感じ、あるいは気が付くと入浴していたといった感じだった、きみの全身を包んだ。その湿度と温度とがきみは少しも厭ではなかった。そのくせきみは東京の夏の温度や湿度のことは心底毛嫌いしていて、きみにとってバンコクの大気とそれとは、決定的に何かが違うのだったが、それにしてもいったい何が違うというんだろう? 違いなんて何もありはしない、単にきみの心の持ちようが違うだけのことでしかない、つまりその時のきみは、それはぼくに対しての復讐という意味合いも大きく持つものだった、ぼくはいまだにそのことを知らないでいるしこの先も知ることは決してないけれども、バンコクで陳腐なエキゾティシズムに浸って悦に入っていたのだ。ベランダには鋳型にプラスティックを流し込んだだけの、ピンク色をしたいかにも大量生産品の椅子があった。椅子の脚は、そこに腰掛けて体重を乗せるときだけはいささか頼りなかった、わずかにたわんで数センチばかし後方にズリッ、と動いた、それに座って、きみは喫煙の習慣なんて全然なかった、それなのに羽田空港の免税店で買ってきていた煙草を吸った。きみは起きがけの静けさに満ちたこの時間帯に、それから夕方過ぎの空気の火照りが鎮まり始めた時間帯にもだった、ベランダで煙草を吸いながら過ごして屋外の空気や喧噪の中に身体や意識が溶け込んでいくような心持ちを味わっていた、そのことは掛け替えのない記憶となっていた。きみの部屋はそのアパートメントタイプのホテルの建物の五階だった、そこからは、ホテルの建物の前は車止め用の、しかしそれにしては広すぎるくらいの敷地があった、そののっぺりしたアスファルトの地面が見下ろせた。敷地の出入り口の脇には小さくて簡易なブースが建てられていた、その中に常駐している係員の人が聴いているラジオの音声がきみのところまで小さく届いてきた。敷地の向こうに垣間見える通りからは、車とオートバイが絶えず往来していた、その音が聞こえてきた。

 ぼくはいまだにそのことを知らないでいるしこの先も知ることは決してないけれども、きみはバンコクではじめのうちはこれといった予定をなんにも立てないで過ごした、一日の大半を部屋の中で過ごしていた。室内には常時、冷房が強めにかかっていた。自分のいる室内が外界と隔絶されたシェルターのように感じられているその状態が、きみには好ましかった。ぼくはいまだにそのことを知らないでいるしこの先も知ることは決してないけれども、今でもきみは、そのホテルの部屋で室内を暗くしたままベッドに横たわり、エアコンの発し続ける低い唸り声が室内に小さくこだましているのとそれよりもずっと遠くから俄雨の土砂降りが地面や屋根にボタボタ打ちつける大きくて爽快な音がしているのとの重なり合いを、窓のほうに身体の前面を向けた姿勢をとったり寝返りを打ってその反対の向きになったりしながら聞いていた、あの時のことを折に触れては思い出す。きみは人と会う約束も入れなかった。かつて関係を持っていた、いや、もしかしたらその関係は今もまだ続いているのかもしれないレオテーにさえ、バンコクに来たことを告げないでいた。レオテーに一度連絡したらきみのバンコクでの時間の質や意味はこうした贅沢な無為というのとは明らかに別物の何かへときっと変じてしまうだろう、きみはまだそうなってほしくなかった。
 あの時のきみは、手持ちぶさたに感じられる時間があると、ぼくと暮らしている日々の中ではきみに読書の習慣なんてなかったはずだった、それなのにバンコクに一冊の分厚い小説を持ってきていたのを読んで過ごしていた。きみは、自由自在に曲がるアームのついたステンレス製の、すっきりしたとても現代的なデザインの読書灯がベッドには取り付けられていた、そのそばに横たわりながら小説を読み進めていくことが多かった。小説を読むのはその内容自体を追いたいからというよりも、それがどういうメカニズムゆえのことなのかはわからなかった、けれどもその営みがきみにきみの属している時間の手触りをより濃密に経験できる感じを与えてくれるからだった。その時のきみにとって本を読むという営みはこの掛け替えのない時間の中にいるという実感をより確かなものとしてくれる装置のようなものだった、その手応えがしっかりとしたものになってくるときみは読むのを中断し、ただその本の硬いボール紙の感触、表面のざらざらした手触りを味わっていることも多かった。

(続きは本誌でお楽しみください。)