立ち読み:新潮 2022年2月号

海辺のキャンプ/黒川 創

 三浦半島の先端近く、相模湾に面する初声はっせ漁港のあたりに三戸みとという集落がある。娘のマキと連れだって、そこまで短い旅をしたのは、二〇一九年の四月下旬に差しかかるころだった。
 その春、彼女は地元・鎌倉の高校を卒業し、都内の大学に通いはじめていた。ところが、朝食のテーブルで、
「一人でキャンプに行きたい。ハハの軽自動車、二泊三日、貸してくれないかな」
 と、いきなり言いだしたのがきっかけだった。
 普段は、インドア一辺倒の娘である。小学生のころから、近所を散歩しようと誘っても、タブレットでアニメを見るのに夢中で、応じなかった。中学・高校と進んでからも、友人たちと由比ケ浜あたりに泳ぎに出ることさえ、ほとんどなかったのではないか。
「なんだよ、急に。マキがキャンプとは。いっしょに行ってくれる友だちがいないなら、おれが付きあおうか? 母も行きたいかな? いっそ、親子三人で行ってみてもいい」
 冷やかし半分に提案すると、トーストを頬張ったまま、マキは斥けた。
「そうじゃない。一人で行きたい」
 食べるのが好きで、小学生のうちから台所に立ち、料理や菓子を作りたがった。それからも、もりもり食べて、いまは身長一七〇センチに近く、背丈は私とほとんど違わない。多めの髪を肩の下まで伸ばして束ね、眉や睫毛は濃い。まだ四月だが、タンクトップに短パンで朝食のテーブルについている。
 だからといって、いまどき、一八、九の娘が単独で野宿をして、安全だとは言えないだろう。
「だいたい、おまえ、テントなんか張ったことあるの?」
 と訊いてみた。
「ない」
 と答える。
「食べものは、どうする?」
「初めてだから、最小限で。お湯沸かして、レトルトのカレーとご飯とかでいいかなと」
 要するに、自分ひとりでテントを張って、寝袋で眠り、景色を眺め、お茶でも淹れて深呼吸をしてきたい、ということだろうか。
「だめ」母親は、エプロンを投げ捨て、椅子に腰を下ろして、にべもない。「強姦殺人された自分の娘のニュースなんか見るのは、わたし、いやだからね。クルマだって、免許取りたてなんだから、危ない。事故るよ。それに、わたしも使うし」
「それならさ……」
 チチとしては、つい、妥協案を求めてしまう。
「――今週末、おれは出版社の保養施設『砂浜荘』で二泊ばかりお世話になって、原稿を片づけてくることになっている。三浦半島、駅でいえば三崎口のあたりだ。ほら、マキも小学生の夏休みのとき、母と一緒に来たことがあったろう。覚えていないか?」
「ああ……、海べりで、トイレが和式の?」
「うん。あれは、いまだに、そうなんだ」
 思いだすと、頬が緩んだ。
「――古い施設で、おんぼろになっているから、利用する社員は少ない。でも、そのぶん、落ちついて仕事はしやすい。いつも使わせてもらってる二階の部屋は、窓の外にすぐ海も見えて、おれは好きなんだ。
 おまえもいっしょに来て、近くの浜でテントを張ったら、どうだ? おれは『砂浜荘』でメシも宿泊も世話になるけど、お前はキャンプ。不安なことがあったら、電話してきたらいい。ときどきは、こっちからもテントまで出向いて、安否確認をしてやるよ。
 あのあたりは、釣り客たちも使う公衆トイレが、何カ所かある。キャンプするにも、便利じゃないかな」
「だめよ」
 妻のキミコはただちに断言。
「――ぐさっと、ナイフで刺されでもしたら、おしまいなんだからね」
 たしかに。だが、娘にもやりたいことがある。だったら、相対的な安全策を模索するしかないのでは?
 一方、マキ当人は、
「父の案、それならいいかな」
 と、あっさり受け入れそうな素振りを見せる。
「まだ寒いよ。海辺でなんかキャンプするのは」
 と、母。
「今週後半から、いい天気が続いて、気温も一気に上がるって。だいじょうぶだよ。寒くない格好をして、カイロも持ってく」
 と、マキ。
「マキが近い場所でキャンプするなら、『砂浜荘』の窓からだって見えるかもしれないな……」
 私は助け舟も出しながら、母と娘のあいだに、なんとか妥協を取り付ける。それにしても、大学入学から半月ほどで、もう授業をそっちのけにして、一人でキャンプとは? 私にだって、釈然としない気持ちは残る。
 話が決まると、マキは駅前のアウトドアグッズの店に出かけ、……テント、寝袋、バーナーと燃料缶、ランタン、焚き火台……といった、最低限のキャンプ用品をできるだけ安上がりに初めて買いそろえた。

 週末、マキと私は、鎌倉駅からJR、京急電鉄、さらに三崎口駅からタクシーに乗り継ぎ、およそ一時間半の道のりで、三戸の浜辺までやってきた。彼女は、山吹色のニットキャップに、深緑で厚手のパーカー、トレッキングパンツという出立ちで、キャンプ用品一式を詰め込んだリュックサックを背負う。それとはべつに、小型で折り畳み式の焚き火台と椅子は、ビニール製のバッグに入れ、手で提げている。私のほうは、シャツ、ジャケット、チノパンで、ボストンバッグ一つ、という出立ちである。
「砂浜荘」から道ひとつをはさんだ浜に出て、二人で海岸線を見渡した。テント設営に適する場所に、見当をつけておこうとしたのである。海は、西に向かって開けている。青空が広がり、ヨットの白いマストが海面に散らしたように浮いていた。手のひらをかざし、陽射しをよけながら、マキは目を凝らす。
 右手に取ると、浜は北に向かって、遠く“黒崎の鼻”へと続いている。笹に覆われた高台が、だんだんに高さを減じながら岩場へと移り、さらに、黒っぽい岩礁の磯に変わって、海のほうへと突き出ていく。そこに、白く波が打ちつけている様子が望まれる。
 左手に取ると、浜は南に向かって、初声漁港の入り江に続いていく。船溜まりを取りまく入り江の対岸側から、白いコンクリートの防波堤が張り出している。堤の上には、ほぼ等間隔に一〇人ばかりの人影が見える。皆、外海の側に向かって、釣り竿をかざしているようだ。
 防波堤が陸と接する付け根のあたりは、広葉樹の雑木に覆われた小山をなしており、外海のほうに向かって、さらに、せり出していく。
「四年前だったな」
 私は言った。
「――盆明けの八月一六日の早朝、この港の手前の浜で、地元の人たちが藁で精霊舟を編み上げて、笹や短冊で飾りつけ、海に送り出すのを見たことがある。若者たちが七、八人、海に入って、ロープで舟を引っぱりながら泳いでいった」
「どこに?」
「あそこを回り込んでいく」
 入り江の向こう側、小山が海に没する、岬のあたりを私は指さした。波が陽光を映し、精霊舟の航跡を示すように、縞模様をなしながら寄せている。
「そして、若者たちだけが、また泳いで戻ってきた」
 くすんと、マキは笑った。
「舟はどうするの?」
「海で放して、むかしは、そのまま流れるに任せたんだろう。藁の舟を笹や紙で飾っただけのものだから。焼き払ったり、重しを付けて海に沈めてしまう地方もある。でも、いまは、海洋汚染の問題をやかましく言うからね、あとで漁船が回収に行ったんじゃないかな」
「何のために、そういうことをするの? 精霊舟って」
「お盆のあいだは、ご先祖さまの魂が、この世に戻ってきて子孫と過ごす。お盆がすんだら、この精霊をあの世に送り返す。そのための舟っていうことなんだろう」
 マキは、その航跡を追うように目を凝らす。
 この行事を浜辺で見たとき、私には、胸を打たれるところがあった。つい先ごろにも、年少の身近な友人を亡くしていたからかもしれない。以前に増して、そうしたことが心に応える年齢に差しかかっていた。
 だから、その翌年も、私は、お盆の時期に仕事の都合を合わせ、また「砂浜荘」で世話になることにした。到着したのは、精霊舟の行事の前日、八月一五日の昼過ぎだった。
「あしたの精霊舟は、何時ごろから準備が始まるのでしょうか?」
 前年の精霊舟は、当日の八月一六日朝六時ごろに港近くの浜に出向くと、すでに舟のしつらえはあらかた終わっていた。だから、今年は、藁束で舟をつくるところから見ておきたい。――そう思って、「砂浜荘」の管理人・五十嵐さんに尋ねたのだ。
「え、精霊舟を目当てに、おいでになったんですか? だったら、残念ですけど……」白い厨房着に痩身、白髪の五十嵐さんは、少し片目をしかめ、答えた。「地元じゃ、もう、若い人手が集まらないんだそうです。だから、今年は精霊舟を中止にする、と。一回あきらめちゃうと、もう再開は難しいんじゃないでしょうか。……もったいないですよね」

(続きは本誌でお楽しみください。)