立ち読み:新潮 2022年10月号

息/小池水音

1

 わたしは暗い天井を見上げ、そこからなにかを読み取ろうとする。
 ちょうど棺桶ほどの大きさの長方形を縦に横に組み合わせたような継ぎ目が、コンクリートの天井には走っている。読み取るというよりもむしろ、天井のほうから投げかけてくるものをきちんと受け止めなければならないのだとも感じて、継ぎ目の端から端まで、わたしは慎重に視線をたどらせる。
 大学生のころ以来、十五年ぶりに起きた発作だった。けれど夜明けにふと目覚めて、自分の気管支がほんとうにひさびさに狭まっていると気がついたときすでに、わたしは無意識のうちに、幼いころの習慣を再現していた。仰向けになり、手のひらをそっと腹のうえに重ねる。鼻からゆっくりと息を吸い、胸ではなく腹へと空気を送るように意識する。吸うことよりも、より多くの空気を吐くことを心がける。そうして目線のさきにある天井の模様を、ひたすら見つめている。
 たとえ手足のどこかが痒くても、わたしは掻くことを辛抱した。すこしの身動きで症状に変化があるわけではないのだけれど、それもまたずっと幼いころからの習慣で、そしてあどけない祈りのようなものだった。血液にのって巡っている酸素を、わたしは大切にしなければならない。このからだをわずかでも多くの酸素で満たさなければならない。
 そうしてただ臥せていることしかできない時間を、物心のつくまえから何十時間も、何百時間も積み重ねてきた。学校を休まなければならないことも多かった。授業に遅れてはいけないと教科書を手にとってみても、酸素の足りない頭では、うまく理解できなかった。そうしてわたしは本でも、漫画でもなく、天井を眺めつづけた。天井はいつも変わらぬ模様をそこに広げていた。
 目にできる唯一のものである天井になんの意味もこめられていないことを、認めたくなかったのかもしれない。そこにはなにかがあるはずだとおもった。いまひとりで暮らすアパートのコンクリートの天井にも、かつて家族で暮らしていた家の白い壁紙の天井にも。
 幼いころとはちがい、いつまで臥せていたところで、母親が薬やポカリスエットを持ってきてくれることはない。どこかで身を起こして、からだを運んでゆかなければならなかった。あと三度呼吸をしたら。いや、もうあと三度呼吸をしたら。身を起こせばそのぶんだけ苦しくなることがわかっているために、わたしは起きるべきときを先送りする。
 瞼を閉じる。天井を見上げることをわたしはやめる。しんと静まった部屋には、気管支の立てるがさついた風音だけが響いている。その言葉を知るまえの幼いころから、自分というのは単にひとつの吹きだまりでしかないと感じていたことを思い出す。目に見えない空気がわたしのからだに入りこみ、なにがしかを置いて、そしてなにがしかを持ち出して、またそとへと去ってゆく。
 息をひとつ吸い、またひとつ吐くたびに、自分の命は静かにすり減っていっている。そんなこともよく考えた。うまく呼吸できない自分は、ほかのひとよりもずっと早く、すり減りかすとなって散るときが来るにちがいないとおもっていた。
 瞼をひらく。かたく息を止めたまま、わたしは身を起こす。すこしのあいだベッドに腰掛けてじっとして、乱れた心拍がおさまるのを待つ。口をすぼめて、糸のように細い息を吐く。すっかり吐き切ると、今度は鼻からゆっくりと息を吸う。喉、気道、肺へと冷えた空気をくぐらせてゆく。そうしてわたしは立ち上がる。
 からだはあくまで重い。しかし全身の感覚が乏しいために、容易に転倒してしまいそうな頼りない軽さも、同時に覚える。キッチンの洗い場に置いたままにしていたグラスを手に取る。蛇口から水道水を注ぐ。グラスのふちに口をつけて、慎重に水を飲む。とにかく水分を摂るようにと、これも幼いころ大人たちから言い聞かされてきたことだった。
 水を飲んだことで眠気が払いのけられると、呼吸の苦しさもまた輪郭がはっきりとする。喉の奥、鎖骨の下あたりで、わたしのからだは不具合をきたしている。この苦しさを十五年のあいだ、ほとんど忘れていられたことが、自分でもふしぎだった。呼吸の苦しさなしに幼いころの自分はなかった。わたしはいま長い夢から覚め、ようやくまた現実に立たされたのだと、そんなふうにもおもえた。
 キッチンのカウンターに手をつき、体重を預ける。十六畳あるワンルームの部屋を見渡す。部屋の奥では、左右の壁に大きなガラス戸が向かい合わせになっている。右側のガラス戸のブラインドの隙間から、明け方の光がわずかに分け入ってきている。ほんのすこし眺めているあいだにも、光は微妙に角度を変え、その色あいを濃くしてゆく。
 わたしは一縷の期待を抱いて、洗面所へと向かう。収納を開き、雑多に薬をしまっている箱から、錠剤を探す。しかしそこには風邪薬や頭痛薬といった、通り一遍の常備薬しか見つからなかった。あきらめて部屋に戻り、左側のガラス戸のまえに置いてあるベッドに向かう。起き上がったときよりも乱暴な動作で腰を下ろす。背中をベッドへと投げ出し、足を上げてまっすぐに直る。立ち歩いたことで乱れた呼吸を、時間をかけてゆっくりと静めてゆく。
 日がすっかり昇ったら近所の内科へ行くことにしよう。そうおもいながら、わたしはまた瞼を閉じてみる。そのときふと、目を覚ますまで見ていた夢の体感がよみがえった。それはこの十年のあいだ、くりかえし見てきた夢だった。夢にはいつも必ず、弟がいた。わたしはその夢のなかで、一歩、一歩と、弟のいるほうへと歩み寄ってゆく。その足取りを思い出す。
 この苦しさを、弟は知っていた。おなじぜんそくに長く苦しんで、もしかすると、わたしが天井に視線を注ぐときの気持ちも、弟ならば理解してくれたかもしれなかった。胸のうちのどこかが熱くなる。しかし、ほんの一瞬ののちにはもう、その場所は冬場の窓ガラスのように、かたく冷えきってしまっている。
 ふたたび天井に目を向ける。さきほどからなにひとつ変化のない粗い継ぎ目が、コンクリートの天井には走っている。意味のあるなにかがそこには示されている。

(続きは本誌でお楽しみください。)