虫生さんから、一月の終わりにアートスペースでたえちゃんを展示する、と連絡があったのは、元旦のことでした。お正月、私は久しぶりに実家に帰って大晦日を過ごし、新しい年を迎えていました。
離婚してから年末年始は一人暮らしのマンションで過ごすことが多かったので、久しぶりの実家でのお正月でした。広島に住んでいる弟と、義妹と姪も顔を見せに来ていて、下の弟も同棲中の彼女を連れて年越し蕎麦を持って現れ、いつもよりさらに賑やかでした。
私が実家にいたころの部屋はほとんど物置きになっていましたが、父の本を少し片付けてそこに布団を敷いて寝ました。狭いせいかなかなか寝付けず、明け方にやっと眠りに落ち、目を覚ましたときにはお昼近くになっていました。
急いで身支度を整え下へ降りてゆくと、昼ごはんのお雑煮が並べられた食卓の上に、年賀状の束が置かれていました。
「今年もこっちにあんた宛のが何枚か届いてたわよ」
忙しく動き回る母に言われ、「ありがとう」と手に取ると、地元の友達や高校の同級生など、何人かからの年賀状が確かに届いていました。
今年は実家で過ごすと連絡したからでしょうか。高校の美術部の後輩の雪ちゃんの年賀状も律儀に実家の住所の方に届けられています。
雪ちゃんの年賀状は、真っ白なうさぎが雪が積もった森の中にいる美しい色鉛筆の絵を印刷したもので、大人になっても雪ちゃんが絵を続けていることが伝わってくる、あたたかさと雪ちゃんの生真面目な人柄が感じられるものでした。
年賀状に添えられた、手書きの「幸おおき一年になりますよう心よりお祈り申し上げます。」という雪ちゃんらしい整ったボールペンの字を眺め、次の年賀状に視線を移し、思わず息を止めました。
「青木梢様
虫生瑠璃子」
葉書を裏返すと、プリントされた初日の出の写真の下に、黒いボールペンの字がびっしりと並んでいました。
「青木梢様
あけましておめでとうございます。ご無沙汰しております。高校の美術部で一緒だった虫生瑠璃子です。
春になる前に、久しぶりに展覧会を開いて、たえを展示する予定です。
共同制作者として、できれば青木さんのお名前を提示したいと考えています。ご連絡お待ちしています。」
余白にはメールアドレスやメッセージアプリのIDなどが幾つも書き込まれており、「絶対に連絡しろ」という無言の圧力を強く感じました。
私は急いで年賀状を着ていた半纏のポケットに捩じ込みました。
「お義姉さん、あけましておめでとうございます」
母の手伝いをしていた義理の妹が私に気がついて声をかけ、私は「おめでとうございます、私もこれ置いてきたら手伝います」と半纏の上からポケットを押さえながら笑いかけました。
ポケットの中でスマートフォンが何度も震え、死にかけの鼠がのたうち回っているような感触でした。必死に呼吸を整えている私は歯茎を出している自分の唇がちゃんと微笑みになっているかわからないまま、急いで二階の自分の部屋へ向かいました。
(続きは本誌でお楽しみください。)