立ち読み:新潮 2024年1月号

独りの椅子 石垣りんのために/梯 久美子

 序章

 けれどどんなことをしても
 私の波立つ血が私を離れて
 あの陸地、
 と呼ぶ所にあがることは出来なかつた。

 太陽にあたためられる表皮
 つかの間の体温
 内部にひろがる暗い部分は
 冷えた祖先の血の深み。

 もういわない、
 私が何であるか
 食卓でかみ砕いたのは岩
 町で語りかけたのは砂
 森で抱きしめたのは風
 それだけ。

(「海のながめ」より)

 石垣りんはひとりで生き、老いた。
 一九二〇(大正九)年に東京・赤坂で薪炭を商う家に生まれ、高等小学校を出た一四歳から定年まで、丸の内の日本興業銀行で働いた。
 制服のある職場に通い、家族のいる家に帰って眠る。だが生涯、どこにも、誰にも、所属しなかった。職場も家も、彼女の居場所ではなかった。
 りんは四人の母を持った。父が四度結婚したからだ。
 四歳で実母と死別し、後妻として家に来た母の妹も病死した。三人目の母は父との間に三人の子をしたが離婚。それから一年たたないうちに、父は四人目の妻を迎えた。すでに銀行で働いていた一七歳のりんは、そのひとの写真を見せられ、思わず「そんなに欲しいの?」と口にする。父は顔色を変えて怒った。
 太平洋戦争開戦のとき二一歳。終戦の年の五月、空襲で生家が全財産を失い、失意の父はやがて病を得る。一家の稼ぎ手はりんだけになった。
 戦後は品川の路地裏にある一〇坪ほどの家に、祖父、父、義母、同母弟、異母弟と六人で住んだ。五〇歳でひとり暮らしを始めるまで、彼女の生活の場は、二間しかないこの借家だった。
 りんの詩には、家と家族が繰り返し登場する。

 家にひとつのちいさなきんかくし
 その下に匂うものよ
 父と義母があんまり仲が良いので
 鼻をつまみたくなるのだ
 きたなさが身に沁みるのだ

(「きんかくし」より)

 血の熱量に耐えられますように
 と両手のなかで祈るうち。

 私の胴体からは
 タコみたいな足が生えて
 四本も五本も生えて
 八本にもなつて。
 さあこれでどうやら支えられると安堵したら
 その足を食べにくる
 見たような顔をした不思議な人間。

 あなたは?
 と聞けば
 親だという
 誰々だという
 忘れたの?
 という。

(「生えてくる」より)

 りんは自分の家族をつくらなかった。生まれた家のメンバーが、生涯で持った家族のすべてだった。
「ずっと続いてきた血の流れが、最後に私のところで乾こうとしているけど、そこまで行かなきゃならないんです」(六三歳のときの言葉)
 捨てても捨てても捨てきれない、肉親という名の他者。血の絆はくびきにほかならず、外そうともがくほどに息ができなくなる。
 自分で選んだわけではない家族という関係性を、りんは何とか生き切ろうとした。そのためには書くことが必要で、だから自分の体を裏返して内臓をさらすようにして、家と家族をうたいつづけた。

(続きは本誌でお楽しみください。)