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ことのほか粗悪で薄っぺらな紙切れにかろうじて読みとれる片仮名の活字がつらなり、「イサイ フミ」という一語で結ばれている一通の電報を不意に受けとりながら、こちらはもう廿歳をすぎているのだから、その「お坊ちゃま」だけは頼むから慎むようにと、幼い楓子を器用に脇に抱えた女中にいいきかせはしたものの、その戦後ならではの紙質の悪い電報の署名者であるマギーという歐米人めいた名前には何の心当たりもなかったので、ぽっと頬を膨らませているあの子も数えではもう二歳になるのだから、その母親の急死からも足かけ二年の歳月が過ぎようとしているのだと時の流れの残酷な素早さに呆気にとられ、口にすべき言葉も見いだせぬまま書斎のベッドに寝そべると、こんな電報など何かの間違いに違いあるまいと決めこみ、その「フミ」とやらの到着を待つともなく待つことにする。とはいえ、麻布の一本松の本家は空襲で跡かたもなく焼け落ちたし、龍土町の祖父の別宅とやらも疎開で無残に取り壊されてしまったので、従姉の薊子の知りあいだという歐洲系の老紳士とやらを頼りに、井之頭線の代田二丁目駅の近くに戰前から建てられていてかろうじて空襲を免れたという古ぼけた和風洋館を借りうけ、そこでの仮住まいを余儀なくされているこの俺さまは、確かに復学したばかりの法学部の事務窓口にその新居の住所を登録はしたものの、親しい濱尾にさえまだそれを伝えていないのだから、誰も知らないはずの區名と町名と番地までがごく几帳面に粗悪なタイプライターで打ち込まれているその電報の到着が何とも不気味でもあり、ことによると、敗戦という苛酷な現実がもたらす不穏さとやらがこれなのかと呟いているうちに、ついうつらうつらと眠りに落ちこみそうになる。
そこにさきほどの女中がまた姿を見せ、「お坊ちゃま」とはにかむように口にしながら、たったいま届いたものでございますと口にするなり、真新しい薄青色の横長の手紙をさしだす。受けとった封筒の表面には帝国ホテルの住所と電話番号とがローマ字で几帳面に印刷されており、その裏側にマーガレット・Kという手書きの署名も読みとれるので、これはいったい誰なのかと訝りながら思わず開封してみると、廣島でお目にかかり、尾道の港が見える粗末な旅籠でそれはそれは親密ないっときを過ごさせていただきました真菊子でございますと書き始められている。とは申せ、あのあとであなたのお子さまを身籠もってしまったなどというはしたないことがらをお知らせする目的の書簡ではありませんので、どうか安心してお読み遊ばせ、と達筆の横書き文字で書き始められている。何しろ、あの日のわたくしのからだは、そんなこともあろうかとの心遣いから独逸製のその種の最新器具でしっかりと防禦されておりましたので、ご心配はご無用。もっとも、その日のことをのどかに懐かしむのとはいささか異なる目的で、平和が甦ったといわれてもおりますこの思いきり荒れ寂れたお国の首都で改めてお目にかかるのも一興かと存じますので、例えば来たる二月の二十七日の夕刻のご予定はいかがかしらと相手は問うている。二二六事件の翌日に当たりますので、ことによると昭和十一年のように、数日前から季節はずれの大雪に見舞われることなどあるやもしれませぬが、よろしければ、当日の天候にはかかわりなく、アニー・パイル劇場の楽屋口で一度目のショーが始まります18時の少し前頃を見はからってお待ち申しております。そこであなたもお嫌いではなさそうなジャズの演奏やヴォーカルをじっくりと楽しんでから、ホテルに戻ってお食事をご一緒するというのはいかがかしら。もっとも、ジャズといっても、それを歌ったり弾いたり踊ったりするのはいずれも日本国民ですから、その質のほどはあまり保証できませんけれど、ね。ただし、振付はかなりのものでございます。
二朗は、何の逡巡もなく、指定された当日、指定された場所に行くつもりだと返事を書く。だがそれにしても、なぜ二月の二十七日という日付なのか。またどうして正面入り口ではなく、「楽屋口」なのか。それをフランス語で《Entree des Artistes》というぐらいのことは高校時代の仏語の授業で習っていたが、英語でははたして何というのか。さらに「ホテルに戻って」とあえて書いているのだから、どうやら真菊子は、いま、封書に印刷された住所の通り、あの帝国ホテルを住居としているものと思われる。しかし、進駐軍の関係者でないかぎり、そんな特権を享受することなどいまの日本では到底ありえないはずである。だとするなら、戦時中のこの女は、米軍の利益のための情報蒐集を請け負っていたとでもいうのだろうか。思わず、「女スパイ」という禍々しい語彙が二朗の口から洩れそうになる。その真偽を確かめるには、本人に会って直接問い詰めるしかあるまい。
(続きは本誌でお楽しみください。)