立ち読み:新潮 2024年12月号

あなたの名/小池水音

1

《おはよう》とわたしが言う。
 老女らしいくたびれた声。しかし不機嫌や不安といった感情はきっぱりと取り払われた、清々しい声。温室のように明るく、清潔な部屋のまんなかで、黒い革張りのソファに浅く腰掛けている。これまでみてきたどんな空間にも似ていないその部屋で、わたしはとてもリラックスした表情でいる。
「おかあさんそのもの」
 ワンピースのお腹を膨らませた娘がそう感嘆の声をあげる。
「おもったよりもすごい」
 彼女はわたしの顔色を窺うようにして言う。画面のなかのじぶんを真似て、わたしは穏やかな笑みを浮かべてみせる。
「あなたの名前は?」
 わたしはそう尋ねてみる――沈黙。画面のなかのわたしはソファに座りなおすみたいにしてみじろぎする。豊かな髪。七十四歳の実際のわたしよりも十歳は若くみえる顔つき。ほんのすこし息を吐いて、かすかに微笑む。退屈も焦りもみせず、そんなことをいつまでもくりかえしている。野に茂るすすきのようだとおもう。
「これはサンプルだから、まだ会話はできないの」
 娘が言う。本当はそうとわかっていた。わたしはたぶん、じぶんの記録がまだ植物みたいに揺れることしかできないのをたしかめておきたかった。
「二時にまたあのおにいさんが来るからね」
 そう言って娘はノートパソコンのなにかのボタンを押す。画面が暗くなり、温室のような部屋も、そこにいるわたしの姿も消える。壁に貼られたカレンダーをみると、いつのまにか来週までの医師やカウンセラーの訪問予定が丁寧に書きこまれている。娘はわたしがすこし居眠りしているうちにも洗濯や、掃除や、料理や、実に多くの用を済ませる。
「それじゃあ、行ってきます。ほら」
 お腹をこちらに差し出して言う。死のすぐそばにいるじぶんが、これから生まれようという赤ん坊に触れることにためらいを覚える。おそらく娘はそれを感じ取ったうえで、わざわざ触らせている。わたしが顔を知ることのないその子を、手のひらの向こうに感じる。

 短い昼寝から目覚め、ぼうっとした視界を天井に向けたままにする。なにかの夢をみていた。それは死んだ母の夢だったと、しばらくののちにおもいいたった。最期にはとてもちいさく、とても歪んでしまった母。夢のなかのわたしはその母に、おそるおそる触れようとしていた。わたしとおなじ腎臓からはじまるがんだった。母は投薬で弱りきったすえに六十七歳でこの世を去った。あんなふうになりたくない。じぶんは娘にあのような姿をみせたくない。そう強くおもい、一クールだけ試みた抗がん剤の結果をみたあとで、娘にはっきりと意志を伝えた。延命治療を施さないならば。医師はそう前置きをして、五ヶ月という余命をわたしに告げた。
 衰弱した母を思い出すたび、埋めあわせするみたいに元気なころの姿を頭に浮かべることにしていた。歌が上手なひとだった。町内や親戚の集いでは決してマイクを持つことはなかったけれど、父や祖父母のいない家のなかでは、ちいさな鼻歌をよくうたった。メロディも歌詞も判然としないその歌声はでも、テレビやラジオから聞こえるスターみたいだと幼心に感じた。らら、ららら、ら。じぶんの喉でたどってみようといくら試みてもおなじようには決して出てこない音の連なりが、いまでもわたしの頭のなかにあった。
 おかあさんを《記録》したい。延命治療をやめることの交換条件みたいにして、あるとき娘が言った。説明がうまく理解できず、何度もくりかえしてもらわなくてはならなかった。生きているひとが話す様子を録画して、ソフトに取りこむ。それらの情報をもとにAIが人物を再現して、自由に動かしたり、会話もできるようになる。外国でそのようなサービスが増えているというニュースを目にしたことはたしかにあった。著名人の遺族が驚くほど儲けている。臓器提供みたく生前の意思表示を必須とすることを検討している国がある。わたしがそれをやるの? 半分笑いながらそうかえして、すぐさま後悔した。娘の表情は真剣そのものだった。
 娘は夫の連れ子だった。半ば見合いのようにして進んだ縁談で、わたしが顔をあわせたのは彼女が四歳のときだった。はじめは頑なだった。まともに話をできるようになるまでに、ほとんど一年がかかった。家を出てべつに家庭をもった実母とはいっさい交流を持たず、実父は十年もまえにすでに他界していて、だからわたしは娘にとっての最後の親だった。その親が、長い不妊治療のすえようやく子が生まれるその直前になって、治る見込みのない病を得ていた。そのことの衝撃は想像していたよりも大きなものだったのだと、《記録》を頼む娘の顔をみておもった。
「その、記録というのは」
 そう口を開くと、娘はまっすぐにわたしをみた。
「赤ん坊をあやすのには使えないのかしら」
 すこしの間ののちに娘は笑い、きちんと冗談として受け取ってくれた。いないいないばあ、できるかな。そう呟く娘の表情に安堵した。
 おかあさんは昔、わたしによくいろんな話をしてくれたでしょう。そのとき彼女が言った。いろんな話? そう、いろんな話。おばあちゃんのこと、熊本の家のこと、小学校や中学校の話、大人になってからのこと。たしかにかつてのわたしは娘にたくさんの話をした。短い話もあれば長い話もあった。脈絡などなく、そのとき目にしたものに引っ掛けて思いつくままに話すだけのことだった。わたしはどこかでじぶんについて知ってもらわなければとおもっていた。そばにいなかった四年を、血縁のないことを埋めようとして、わたしをかたちづくる思い出をなるべく多く彼女に差し出そうとした。
 わたしはたぶん、おかあさんのいろんな話が聞きたくなる。娘のその言葉に、わたしはもう笑うことなく頷いた。

(続きは本誌でお楽しみください。)