作家ハン・ガンがノーベル文学賞を受賞した。アジア人女性初の受賞は世界じゅうで大きな話題になっている。日本では、二〇一一年に『菜食主義者』(きむ ふな訳、クオン)が刊行されたのを皮切りにすでに八冊が出版されており(これは英語版の倍にあたる)、他にアンソロジーに収録された短編作品もある。詩やエッセイも本になっている。翻訳出版は充実しており、実際に読んだ人たちが受賞を心から喜ぶ光景はとても気持ちの良いものだった。
ハン・ガンの作品において、登場人物の多くは人生の危機を横断しており、それぞれの抱えた傷が生々しく描かれる。作品の多くは沈鬱さに縁取られ、その中で光を求める人々の姿が読者を惹きつける。
強烈な痛みの表現が特徴であり、ときには読者自身が身体的な苦痛を覚えるほどであるにもかかわらず、ハン・ガンの小説が人を惹きつけるのには、テーマの真摯さ、巧みなストーリー、戦争と虐殺が終わらない現在に読む意義がある、など人によってさまざまな理由があるだろう。それに加えて私は、登場人物たちの間に通い合う情の深さ、対話の親密さも理由だと思っている。以下、それについて少し整理してみる。
ハン・ガンはもともと特定の歴史的事件を正面から扱うことはなかったが、光州民主化運動(光州事件)を扱った『少年が来る』(井手俊作訳、クオン)と済州島四・三事件を扱った『別れを告げない』(斎藤真理子訳、白水社)では、明白な形で大韓民国の歴史的惨事を作品化した。いずれも、作家自身がこれら事件の悪夢を見て苦しむという特異な経験とともに執筆され、前者はイタリアのマラパルテ賞、後者はフランスのメディシス賞を受賞している。これらの事件を、韓国という枠を越え、人類の経験として描いたことが、今回のノーベル賞受賞理由「歴史的トラウマに立ち向かい、人間の命のはかなさをあらわにした強烈な詩的散文」という評価に結びついたのだろう。
この二作においては、人物どうしの思いの寄せ方の描写が際立っており、それがあるからやっと読了できると断言してもいいほどである。例えば『少年が来る』に出てくる中学生トンホと、トンホの家に、二十歳の姉さんと二人で間借りしている同級生のチョンデ。二人の少年は殺されてしまうが、死んだ後でもお互いのことを思いつづける。また、『別れを告げない』の女性の親友どうし、キョンハとインソン。この二人も生死の境界を越えた物語の中でしっかりと手を取り合っている。
人々のそばに常に木と鳥が存在する
そして私はハン・ガンの作品を翻訳するうちに、こうした親密な人々のそばに存在する「木」と「鳥」という表象に惹かれるようになった。あまりに平凡な存在に思えるかもしれないが、この作家の世界に登場する木と鳥は無意味な小道具であったことがない。ハン・ガンの世界を歩くとき、それは前景に見えていなくても必ずどこかに控えていて、登場人物たちの困難を目撃し、ときにはその行動を決定する。
顕著な例を挙げるなら、『別れを告げない』に登場するインコの「アマ」だ。
二〇二四年三月の刊行以降、たいへん多くの方々が本書に書評を寄せてくださったのだが、そのほとんどの中で、主人公のキョンハとインソンとアマをめぐるあらすじの一部が紹介されていた。
ソウルに住む作家のキョンハと済州島に住む映像作家インソン(今は作品を作らず、木製家具の製作で生計を立てている)は、若いころからの親友である。キョンハは離婚に伴う子供との別れ、インソンは母の介護と看取りという人生の困難を経験し、今も試練の中にある。ある日キョンハのもとへ突然、済州島にいるはずのインソンからメールが届いた。指を切断する大怪我をして、ソウルの病院に入院しているという。駆けつけてみると、インソンはすさまじく痛い治療に耐えている。声を出すだけで患部に痛みが走るほどの苦痛の中でインソンは、自分が飼っているインコの世話をするために今すぐ済州島の家に行ってほしいとキョンハに頼む。「今日じゅうに行けば助かる可能性がある。でも明日には死ぬ、絶対」。
キョンハは非常にとまどうが、結局それを受け入れて済州島行きの飛行機に乗る。折からの大雪で、山の中の一軒家であるインソンの自宅にたどりつくことは困難をきわめる。キョンハは雪道で転落事故に遭ったりしながらようやく家にたどり着くが、アマはすでに死んでいる。だがそこから、キョンハ、インソン、死んだはずのアマという三つの生命体が、生死の境界を取り払った不思議なあり方で共存し、済州島四・三事件の歴史がひもとかれてゆく。
鳥の命を助けるために危険を冒して島へ行く。書評者のほとんどがこの、相当に無理のある設定を漏らさず書いてくださったのを見て、やはり、この鳥を外しては物語の根幹が成り立たないことを痛感した。弱った鳥、死んだ鳥はハン・ガンの作品において並々ならない役割を負っているのである。
(続きは本誌でお楽しみください。)