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「阿佐ヶ谷書庫」内覧会[2014年4月13日&15日]参加者の声
  • 極小の寺院ともいうべき書物の塔を螺旋上に昇った先に知の涅槃があり、どこからか風か吹いてくる。歴史に残る素晴らしい建築。

    森山高至(建築エコノミスト)
  • まさに松原氏の脳内に自分の身体を失い入り込んでいるような気持でした。

    畠山博敏(会社員)
  • その「狭さ」はちょうど身の丈にあった衣服を纏ったような感覚。
    衣服的空間。
    自分自身の素の感覚に立ち返ることができる気がしました。

    鞍田崇(哲学者・明治大学准教授)
  • 外観からは、想像もつかない、ひきこまれるような空間でした。
    新潮社のHPでエッセイを拝見し、早稲田通りを通過するたび、まさか、あの狭小の空間に建築されるとは、にわかに信じられませんでした。
    しかし、一歩踏み入れたものを誘う空間と螺旋階段、衝撃でした。
    すごいですね、建築の力って。

    匿名(独立行政法人職員)
  • 外観の小ささからは窺い知れない、内部空間の豊かさは、用途は違いますが、まさに現代の茶室の書庫バージョンだと感じました。
    松原先生と堀部さんが最下階にてあぐらをかいて我々と話されている様子は、まさに秀吉と利休??といったコンビでしょうか…。
    堀部さんがご説明されていたモジュールの組立が、空間に緊張感と抱擁感が合わさっている所以だと思います。
    すべてが完璧!
    すごいです!

    星裕樹(鹿島建設建築設計本部)
  • 「奇抜なものをつくりたい、という気持ちは長続きしない。自分の良心と身体感覚と、記憶をたよりに設計作業を積み重ねる」という堀部さんの言葉に、ズーンときました。
    自分も、分譲住宅ですが建築のカテゴリーとしては住宅に携わっています。そんな自分の立ち位置を分譲住宅と個人住宅を、一般解と特殊解として単純に分けることなく、伝わりづらい「気持ちいいプランをつくる」ためのよりどころは、やはり自分の人生経験と感性なのだ、と改めて考えさせられました。

    八木利典(ゼネコン設計部)
  • 外に出て外装をみたときに、中と外のあり方があまりに違うので、ちょっと前に体験していたことがまるで秘儀の出来事であったかのように思われました。内部においても、書庫と居室空間の空気の濃さ、重さが異なるように感じたり、不思議で貴重な体験でした。

    家村珠代(フリーランスキュレーター)
  • 堀部さんの一番印象的だった言葉は、建築を世に送り出す決断を下すのは、全てに理由がついた時だとおっしゃっていたことでした。私も同感です。堀部さんの建物は数学的に解いていった末に生まれでた建築のようであり、同時に動物的勘によって生まれた居心地の良い巣のような感じと同居しているようでした。

    岡田英樹(岡田英樹建築設計事務所)
  • 生と死が一体となった時間を超越した空間に感動いたしました。

    廣田悟(廣田悟建築設計事務所)
  • 本棚の巡らされた深い螺旋空間。ねじまき鳥クロニクルの井戸の底を思い出す。

    幾留温(乾久美子建築設計事務所)
  • 夥しい蔵書を一望できる壮快さを持ちながら、その書籍がうるさくならずに建築と補完しあうような印象の建築で、抑えた外観と開口部の少なさにより、内部は「何物かの中に入った」ような、開いた建築では得られない感覚も味わうことができました。

    久山敦(kabuhaus・建築家不動産)
  • 圧巻は地階から見上げた天窓と、最上階から見下ろした地階。
    高所恐怖症の私は、深い井戸の底を見下ろしているようで、吸い込まれそうになりました。
    何時間でもいていいですよと言われたら、書棚から本を取り出して、時間を忘れて読んでしまうでしょう。

    松井晴子(編集者・ライター)
  • あらかじめ書籍で、普通部外者は知る事のできないクライアントの建物に対する思いや、建物にまつわる家族の歴史を知ることで、普段とは違う見方をしたように思います。家や近い祖先とどう向き合うか、今の自分にある責任は何かなど考え始めました。
    最初に階段に座っていた時に、どこか懐かしい感じがあったのですが、小学生の頃によく通っていた近所の図書館で、地下書庫へ降りる補助階段に座っての読書が好きだったのを思い出しました。

    鈴木実穂子(建築設計)
  • 建築家・施主の関係性は保ちつつも、それを飛び越えた深いところで信頼関係が築かれている感じがホントに素敵だなと思いました。
    「人と人のつながりを大切に」という奥様が話されていたことが、あの建物を生む出会いの始まりだったんでしょうね。
    僕も、そんな人間関係を築いていきたいと思います。

    宮本隆雄(リブラン事業企画部・不動産デベロッパー)
  • 書庫としてだけではなく、空間として普遍性のあるものだと感じました。
    分厚いコンクリートで固められた建築なので今後100年以上残る可能性もあると思います。
    透明さや軽さで存在を消していく手法とは異なり地面に楔を打ち込むような建築ですが、その存在はボリュームの小さい事があったとしても「軽い建築」より消去されている不思議な建築でした。

    池上壽孝(京都造形芸術大学通信制大学院堀部スタジオ)
  • この空間体験に何かデジャブを感じました。最上段に辿り着き、今度はゆっくりと階段を降りながらその「何か」に思い当りました。15年ほど前にイタリアの山岳都市オリヴィエトでみた「パトリツィオの井戸」です。水を求めるように知を渇望する人の在り様が「本と水」の共通性かなと。

    黒川哲志(黒川哲志建築設計事務所)

人様の本棚をじろじろながめちゃダメ、と思ってきましたが、あ、同世代だ、と思う本が何冊もあって嬉しかった。スタロバンスキーの「透明と障害」とか。
第二に、これだけの本を集め読んだのかと思ったらくらくらしました。
第三に、お仏壇(もちろん手を合わせました)の存在感と静謐さ、でも抹香臭くない感じが良かったです。
第四に、天井からの光が明るくて照明と違うやわらかな光なのに驚きました。
第五に、本棚にアールを付けた職人技に感服しました。たくさんあるのに威圧感ないです。
アールのせいかな。

前川国男の東京文化会館の小ホールにある赤い螺旋階段を思い出しました。子供の頃駆け回った大好きな空間でした。

森まゆみ(作家・谷根千工房主宰)

天空からの光をそのまま浴びるああして高いところがいちばん気持ちのいいところ。
そこに仏壇を置いてあげることに、ああ、ご先祖さまを大事にされているのだな、と思いました。

15度(かな?)という角度のユニットで全面を統一していることの律儀さと、その結果として現れるたたずまいとしての律儀さ。
そして一方では、やっぱりそういう律儀さから生まれているものでありながら、手摺の、途中折れ曲がりを見せながら蛇のように登って行く、一見フリーハンドで決めたような「線」の自由。
律儀さを貫くことによるこの自由な立体的な線が、全体をいいバランスに持って行くあたりに、堀部さんの才能を改めて感じさせられました。

そうそう、ボルヘスの短い文章(『伝奇集』「バベルの図書館」)に、たしかこの空間(むしろ堀部さんの図書館案)を彷彿させるのがあったなあ、と思い、家で確かめてみれば、円形か六角形かの違いなど、当然いろいろな違いがあるものの、空間の「細胞性」という雰囲気においては、やはり共通点もあり、今、堀部さんとの約束どおり、そのコピーをメールしたところです。ページにぼくの落書きがありますが、この本を買ったのはたしか学生の頃だったと思うので、その頃(ということは30年前以上!)のものでしょう。なんとなく、堀部さんの図書館案みたいなスケッチもあって、不思議な気持ちになりました。
 
青木淳(建築家)

ボルヘスの短篇「バベルの図書館」に描きこまれた青木さんのスケッチ。
ボルヘスの短篇「バベルの図書館」に描きこまれた青木さんのスケッチ。

〈阿佐ヶ谷書庫〉のプランを発展させた堀部さんの図書館プラン(図面+模型)。『書庫を建てる』より
〈阿佐ヶ谷書庫〉のプランを発展させた堀部さんの図書館プラン(図面+模型)。『書庫を建てる』より


松原隆一郎
私はいつもあの場所に一人でいるので、260名もの方に来ていただいたというのは不思議な感じです。
みなさん、趣旨をよくお分かりいただいて、仏壇に敬意を払っていただき、嬉しく思いました。

私は日頃、読者と話すことはほとんどありません。とくに今回はプライベートなことを、しかも反発が起きてもおかしくない書き方で書きましたので、読者との対面には怖いところもありました。

しかし私事を連ねなければ、どうして私がこの建物の設計を堀部さんに託したのか理解されないと考えました。大方が堀部ファンであろう人々が前半部の文章をも暖かく迎えて下さり、ほっとしています。

当面は室内はあのままですが、ゆくゆくは少し家具を増やします。
現在の崇高な感触がなくならないようにしたいと願っています。

堀部安嗣
今回の内覧会により、建物の意味と本の意味が何倍にも膨らみ、奥行きと深さが生まれたように思います。
いらっしゃった方も気持ちのいい方ばかりで、人と会うのが苦手な自分ですが、今回はとても楽しむことができました。
心より感謝申し上げます。

なかでも印象的だったのが、生後6か月の赤ちゃんが、地階よりずっとドームの天井を見上げていたことです。
抱っこしてるお母さんも不思議がってるぐらい、ずっとずっと天空の光を静かに見つめていました。
光が赤ちゃんの顔を照らし、赤ちゃんがとても崇高な表情をしていました。ゾクゾクするくらい。
少し前までいたお腹の中を懐かしがっていたのかもしれません。
沖縄の墓は子宮の形をしています。死んだ人が生まれ変わる場所でもあるわけですね。
今まで松原さんの書庫は故人を偲ぶ記憶の場所と考えてきましたが、それは同時に新たな生命を生み出す場所でもあることを改めて感じました。松原幸子さんが書庫の中で”人と人との出会い”を強く語られたのも、死から生に繋がる場所として書庫を感じていただいたからなのでは、、と思ってしまいました。
また感想の中でも“小さな寺院のようだ”や“崇高”という言葉を聞きました。自分は意図してそのようなものを生み出そうとしたわけではなかったのでその感想の言葉に興味深く、有り難く感じ入りました。

本の後書きで登山の下山中、とのことを書きましたが、今回の内覧会によって上りでは気付かなかった多くのことを気付くことができたように思います。
また新たに建築を考え、生み出してゆけそうです。そんな力をいただきました。


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