糸井重里ロングインタビュー ぼくと「ほぼ日」の「できること」。|『できることをしよう。―ぼくらが震災後に考えたこと―』糸井重里・ほぼ日刊イトイ新聞/著

1400円(税別)
四六変大型 400ページ ソフトカバー
ISBN978-4-10-363802-5 C0095
2011年12月16日発売

    実はだれでも、貢献できる。

  • 編集部糸井さんが津波の被害を受けた宮城県の山元町に行かれたのは、五月七日でした。そこに行くまでは、どういうことを考えていらしたんですか?
  • 糸井まずね、こういう負の場面に立ち会ったとき、人は、どうしても、なにもしていない自分をうしろめたく感じてしまうんですよ。逆にいうと、なにかしている人に対して、うらやましいとさえ思えてしまう。
  • 編集部うらやましい?
  • 糸井誰かがとても良いことをしているのを見ると、献身的な努力ができる状況を、うらやましく思ってしまうんです。被災地できちんと働いている人々の充足感のようなものを、心のどこかで、うらやんでしまう。決して、いじわるで言っているんじゃないんです。ぼく自身もうらやんでしまうんですから。できることならぼくだって、医療部隊に入って手伝いたいと思う。でも、実際には邪魔なだけですよね。自分にできることをあれこれ探して、うらやましさを解消しようとするんだけど、簡単に見つかるものではないし。だからぼくは、最初にお金を出したんです。うらやましいと思い過ぎない方法としての、募金をしたんです。
  • 編集部なるほど。
  • 糸井でもね、すぐ尽きる。お金だけでは、尽きるんです。
  • 編集部お金を出しても、またうらやましくなってしまう、と。
  • 糸井そうです。どんなにお金を出しても、血だらけになって何もかも失っているような場所の「負の場面の充足ぶり」に対しては、バランスが取れなくなるんです。それは、被災者の方々のなかにおいてさえ、あるということがわかりました。つまり、家や家族を失ってなお、「うちはまだましだから」って思うひともたくさんいる。そういう意味では、仙台の人はほんとうに困っていた、と聞きました。仙台では、身近な友だちや親戚が津波の被害を受けています。けれど町の中心部は、建物の修復が進んだら、逆に特需が起こってしまった。このアンバランスは、ほんとうにつらかったらしい。
  • 編集部はい、はい。
  • 糸井「貧乏なときはよかったね」っていう言い方がありますよね。バランスを欠くことのつらさを言い表した言葉です。今回も、この言い方が当てはまる側面があります。うらやましくなって、考えるのもやめたくなって、それで、「なんでもいいからボランティアに」と言って、飛び込んで行く。でもね、それでいいんです。ボランティアに行った人は、それはもう、呼ばれたんですよ。でも、行くと言ったのに行かなかった人、うまくそこへ行けなかった人は、「わたしは行かなかった」と思い続けることに、疲れてくるんです。
  • 編集部ああ、ああ。
  • 糸井どうしたらうらやまないでいられるかということは、みんな悩んでいたと思うんですよね。九月になっても十月になっても、まだ、みんな考えていますよね。
  • 編集部はい。
  • 糸井うらやんでしまう、バランスがとれなくなる。そういう気持ちに対して、ぼくは何か道筋をつけなくては、と思っていました。そのときにまた「縁」という言葉を思い出したんです。
  • 編集部親鸞ですね。
  • 糸井そうです。つまり、「奇縁があったからこうするんだよ」という流れがないと、単なる一回限りの、継続しない話になってしまう。さっき言った「メンテナンス」の部分が抜け落ちた話になってしまうんです。一日ボランティアで汗を流して、あぁよかった、で終わるわけには、絶対いかないんですよね。「ぼくが役に立つかどうか」ではなくて、呼ばれて行きたい。相思相愛になるのは難しくても、せめて邪魔にならないように。
  • 編集部糸井さんには、どんな「縁」があったんですか?
  • 糸井四月の終わり頃、ツイッターを介して、一人の津波被災者とつながりました。感情を強くツイートでぶつけてくる女の子がいたので、発言をさかのぼって見てみたら、実際に津波から逃げた人だということがわかった。そこで、彼女が東京に来たときに、「嫌じゃなかったら会えますか」と言いました。そうしたら、「じぶんの家族はみんな生きているし、家も半壊だから、わたしは被災者のうちにはいらないですけど、それでもよかったら」と言ってくれて。
  • 編集部ああ。
  • 糸井実際は、彼女の父親が働いていた店は全壊している。先生も亡くなっている。津波に追いかけられてもいる。けれど本人からすると「なまじ生き残った」という思いがあって、自分は被災者とはいえないという。ものすごく複雑な気持ちになっていました。その彼女に会ったら、「東京の街のあちこちで、『東北』という文字や『震災』や『支援』などの言葉を目にするだけで、嬉しい」って言ったんです。「いまでも東京の人たちが自分たちのことを忘れていないってことがわかるから」って。ぼく自身は、「夜に節電してもあまり意味はないよね」、というちょっとプラグマチックな立場だから、夜の暗い東京は、おためごかしな喪服を着ているみたいで嫌だな、と思っていたところでした。それを、「とっても嬉しい」って言われたんですよ。ぼくは「ああ、そうか」と思いました。さまざまな張り紙や行動が、「忘れていないよ」という無言の励ましになっていたんだと気づいたんです。だとしたら、実はだれでも、貢献できるし、被災地とつながることができるんだなと思ったんです。
  • 編集部誰でも貢献できるというのは……。
  • 糸井ぼくらのような人のできることは、「忘れないこと」だけなんだけど、これは実はかなり大きなことなんです。彼女はさらに、「もし、来てくださるんだったら何でも嬉しいです」って言ってくれた。「忘れないってことと、来てくれるっていうことはイコールなんですよ。だから何でも嬉しいです」って。これは、ぼくにとってインパクトがあったんですよね。
  • 編集部なるほど。
  • 糸井「でもね」とぼくは訊ねました。「スポーツ選手が子供に絵本を読み聞かせてるシーンをテレビで見たけど、ぼくはそんなことできないし。いや、やってもいいよ、でもそういうことじゃない気がする。何すればいいんだろう。何を見ればいいの、話せばいいの?」。そうしたら答えは、「まずは、話を聞いてくれるだけでもいい」というものだった。「みんなが同じ経験をしたから、話をする相手がいないんです」と。
  • 編集部相手がいない?
  • 糸井ここから逃げたんだよ、って自分の町で話しても、その場にいるのはみんな逃げた人たちだから、会話にならないんだって。だから、外から来た人は、あ、そうですかって言って聞いてくれるだけでいい。
  • 編集部ああ、だから来てくれるだけでいい、ということなんですね。何かしようと思わなくていい、と。
  • 糸井そう、思わなくていい。それではどこに行けばいいのか聞いたら、「避難所よりもお墓でしょうかね」って。「わたしの町は、被災地のなかでも二カ所だけ土葬が行われた場所なんですよ。亡くなった方があまりに多くて、お墓が間に合わなかったから」と。「あまりに悲しいので、お墓と安置所に来て下さい、身元不明の遺体がまだあります」って。ぼくたちが行くのは失礼に当たるんじゃないかと聞いたら、「確認してみますけど、でも、ぜひ来てほしい」と言われて。こうやって、道ができたんですよ。「縁」がつながったんです。
  • 編集部そうして、現地に行かれたわけですね。
  • 糸井はい。彼女が生まれた町、山元町に行きました。お墓に手をあわせて、避難所にも案内されて。安置所は家族しか入れないきまりだったから、お邪魔しなかったけれど……。
  • 編集部はい。
  • 糸井そこで、「死んでいる人のことを考えているのは現地だけだ」ってことに気づいたんです。
  • 編集部というと?
  • 糸井ぼくたちは生きている人のためだけに語っていたけれど、復興は死者も生者も含めてのものなんです。「死者はここにいる」というのは、ずいぶん観念的な言い方なんですが、現地にいる人たちにとっては実感なんですよね。それは、その場所に立ったからわかったことです。山元町では、役場にもお邪魔して、いろいろな方とお話ししました。これから先何ができるかわからないと思いながらも、「忘れません」ということだけは約束できるなと思いました。せめてできることが、「忘れないこと」だったんですよね。そして「忘れちゃいけない」ということの重要さは、いまも変わっていないですよね。

  • (2011年10月14日収録)

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