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養老孟司

1937(昭和12)年神奈川県鎌倉市生まれ。1962年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1995年東京大学医学部教授を退官し、現在北里大学教授、東京大学名誉教授。著書に『唯脳論』『人間科学』『バカの壁』など、専門の解剖学、科学哲学から社会時評まで多数。

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── 本のあとがきで、「死について考えると安心して生きられる」と書いているのもそういうことなんでしょうか。
 
 そうです。生物科学とかそういうことではなく、非常に具体的な日常生活のレベルで考えた場合には、そういう意味があるということです。

── これまでにも随分いろいろなところで「死」については書いてこられました。今回は、「殺人」「安楽死」「脳死」「自殺」等々、「死」に関するあらゆるテーマについて語られています。この本は、総集編のようなものだと考えればいいのでしょうか。

 本のなかで語っていることは、「死」というキーワードでは一貫していても、一見、バラバラに見えるかもしれません。話が飛んでしまって、何の関係も無い話が出てくると思われるかもしれません。
 しかし、単にバラバラでとりとめがないわけではないのです。ベクトルでいえば一つの話が垂直にタテに伸びていて、もう一つが水平にヨコに伸びている。直角に交わっているベクトル同士みたいなものです。
 ひとつの章がタテで、次の章がヨコだと、バラバラじゃないか、と思われるかもしれません。
 でもそのタテとヨコとが関係ないかというと、そんなことはないのです。このタテとヨコが合成されてナナメ45度のベクトルになる。
 それが議論、思考としては健全な方向なのではないかと思うのです。何かの議論を進めるにあたっては、繋がっていることを進めていったほうが良いのだと思われがちです。
 垂直90度のタテの次は、80度のナナメのほうが、自然な流れのように見えるかもしれません。
 しかしそうではありません。合成することで、自然にナナメ45度の方向が出てくる。それが私の考えていくうえでのやり方なのです。
 これについては古武術の甲野善紀さんに、まったく同じ話を聞いたことがあります。彼の考えでは、何かの運動をするときに、いきなりその運動そのものをやろうとしてもダメだというのです。それとは別の基本的な運動を練習することで、最終的に目標とする動きが完成する。
 つまり、いきなりナナメ45度の運動をしようとしてもダメだというのです。そうしようとしても、ついついそのときのコンディションやその人の個性で、ナナメ30度になったり、60度になったりする。
 それよりは最初に基本となるヨコの運動、タテの運動を別々にきちんとやる。それをマスターした後に、両方を同時にやるようにすると、きれいにナナメ45度の運動ができるようになる。そういうものだそうです。それは私の思考法とまったく同じなのです。
 だからこの本でも、「死」にかんする様々なテーマを語っています。一見、関連がないように見えるかもしれません。しかし、その全体を合成するとひとつのベクトルがあるはずなのです。何かを考えたり、言うときには、そういうやり方の方が結局は正確なナナメ45度を作れるのではないかと思うのです。