新潮社

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対談

「ささいな言葉」が奇跡を起こす

ブレイディみかこ×坂上香

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紀伊國屋書店スタッフが全力でおすすめするベスト30「キノベス! 2020」、「埼玉県の高校図書館司書が選んだイチオシ本2019」、「読者が選ぶビジネス書グランプリ2020」など受賞が相次ぐ中、2年半にわたって続いた「」連載が完結。最終回を記念して、「究極のエンパシー映画」(ブレイディさん)を撮った坂上香監督との対談が実現しました。

坂上 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は9つも受賞したそうで、おめでとうございます。それにしても息子さん、しっかりしていますよね。

ブレイディ ありがとうございます。どっちが親か、わからなくなるときもあります(笑)。わたしが取材を受けたりするのが得意じゃないのを知っているので、今回の来日前には「こんなに取材してもらえることなんてそうないと思うから、エンジョイしてくるといいよ」と励ましてくれたり、「インタビューっていうのは退屈なくらいがちょうどいい。勢い込んで喋ったら炎上するから」とアドバイスしてくれたり。いま13歳ですが、あの年頃の子どもは本当にぐんぐん成長していきますね。
 そうかと思うと、ヘンリー王子がプライベートジェット使用で批判されているのが念頭にあったのだと思うんですが、「飛行機で何度も日本に来ていることについて何か言われるかもしれないね。でも大丈夫。母ちゃんは車も運転できないし、自転車が好きだからグリーンだよ。それでも批判されたら『ボートで来たら何日かかると思うんですか』って切り返せばいい」なんて言ったりもして、思わず笑ってしまいました。

坂上 やっぱりしっかりしている(笑)。わたしにも17歳の息子がいて、オルタナティブな高校(競争原理や点数序列、不必要な管理を排除し、自由を重んじる校風)に通っているんです。学校行事では必ず合唱があるし、音楽祭の様子もけっこう似ているので、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』はまるで自分たちのことのように読みました。それに、実はわたしもブレイディさんと同じ1965年生まれなんです。

ブレイディ え? そうなんですか?

坂上 中1の終わりに東京の八王子に転校してきたんですが、そこは番長が校長の顔を殴って歯を2本折り逃走中、というような学校でした。

ブレイディ 校舎のガラスが割られていたような時代でしたからねえ。

坂上 いい子とヤンキーが教室の前と後ろに別れて座っていて、後ろのほうの席にはシンナーでラリって授業中に教室から出て行ってしまう生徒もいて。そこで中2のときにいじめの対象になって15人による集団リンチを受けたこともあったんです。それが暴力について考えるようになった根っこのひとつにあります。

ブレイディ そうだったんですか。わたしもヤンキー中学校に通っていました。そこから、どういうわけか進学校に進んだのですが、あまりにいろいろな同級生がいる中学校から来たから、なんだかみんな同じに見えました。あるとき教室の中で振り向いたら、みんな同じリズムでノートを取っていてゾッとしたのを覚えています。
 坂上さんが監督された「プリズン・サークル」を観て、ぜひお会いしたいと思い、ご連絡させていただきました。

坂上 光栄です! 『女たちのテロル』以降、ブレイディさんの作品にはまってしまったので。

ブレイディ 自分の思い込みをガツンと殴られるような、すごいドキュメンタリーでした。これは“闇落ち”しない「ジョーカー」だと思って、観た直後にコメントをお送りしたんです。

――ブレイディさんのコメントを紹介しましょう。
【人の苦しみがすべて他者との関わりから生まれるのなら、それを癒すのもまた他者との関わりでしかあり得ない。他者と関わる手段は「会話」であること、暴力へのカウンターは「言葉」であることに改めて思いを巡らせました。全刑務所でTCが導入されればと思います。】
 TCというのはセラピューティック・コミュニティの略ですよね。

坂上 はい。わたしたちは回復共同体と訳したりもしていますが、「サークル」と呼ばれる車座での対話によって受刑者たちが犯罪の原因を探り、問題の対処法を身につけることを目指す教育プログラムです。それを日本で唯一採用している男子刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」が映画の舞台です。2008年に開設された、官民協働型の先進的な刑務所です。

究極のエンパシー映画

ブレイディ イギリスに住んでいると、グループ・セラピーはわりと身近にあるんです。彼らは、離婚とか依存症とか、幼い頃に受けた虐待や暴力とか、自分の経験や本音をけっこうあけすけに淡々と語る。でも、日本人は自分のことをあまり口にしないでしょう? だから、「プリズン・サークル」を観て、とても驚きました。

坂上 わたしはアメリカの刑務所でのTCの取り組みを「Lifers 終身刑を超えて」(2004年)というドキュメンタリー作品にしたことがあって、島根あさひがTCを取り入れようとしていることも知っていましたが、ブレイディさんと同じように、日本では無理だと思っていたんです。ところが、その取り組みを実際に見て、驚きました。受刑者が受刑者に対して自分の経験を自分の言葉で語り、それによって自分を見つめ直して新しい価値観や生き方を見つけていたからです。日本の刑務所も変わり始めている、これは映画にしなければ、と思ったのですが、日本の刑務所が舞台のドキュメンタリー映画は前例がありませんでした。取材の許可が下りるまで紆余曲折がありましたが粘り続けて6年、さらに撮影に2年が必要でした。

ブレイディ 映画で主に紹介されているのは、窃盗、詐欺、強盗傷人(強盗致傷と比べて傷害の故意があるもの)、傷害致死などで服役している4人の若者たちですね。

坂上 ええ、島根あさひの最大収容人数は2000人ですが、TCに参加できるのは希望者の中から条件を満たした40人程度にすぎません。彼らは半年から2年程度TCユニットに所属し、寝食や作業をともにしながら週12時間ほどのプログラムを受けます。

ブレイディ 特に印象的だったのは第6章で紹介された「健太郎」でした。人の心をつなぎとめるのはお金だけだと信じていた彼は、借金をしてでも親や恋人にお金を渡していた。その挙句、お金に困るようになって親戚の家に押し入り、怪我を負わせてしまう。強盗傷人、住居侵入で5年の実刑を受け、婚約者も、そのお腹にいた赤ちゃんも、友人も仕事仲間もすべてを失いました。
 自分の犯罪と向き合えずにいた彼は、TCのロールプレイで被害者役の受刑者から憤りや恐れを投げつけられるうちに、自分がやったことの影響について初めて実感して、涙しますよね。あのシーンですごいのは、被害者役の受刑者も涙を流していることです。自らも加害者である受刑者が被害者のきもちを想像して、わたしが本の中で書いた言葉を借りれば「他人の靴を履く」ことで、自分の罪と向き合っている。これって究極のエンパシー映画ですよね。

坂上 TCには「二つの椅子」という方法もあります。同じひとが二つの椅子に交互に腰掛け、その都度、自分の中の相反する考えや感情を口にしていって、自分を客観視していくのです。

ブレイディ 大切なのは言葉にすること、そしてその言葉を交わすこと、ですね。言葉というと、わたしが思い出すのは、金子文子の「塩からきめざしあぶるよ女看守のくらしもさして楽にはあらまじ」という歌です。虐待や貧困といった悲惨な環境で育ちながら、獄中から看守の焼いているめざしのにおいを嗅ぎ、あの人の暮らしも楽じゃないんだろうなあ、と想像した。彼女には言葉があった。言葉がエンパシーを働かせるためのツールだったんです。
 しかし、うまく言語化できないひともいますよね。映画ではそういう能力に長けた人を選んだのでしょうか?

坂上 いいえ、言葉は感情を取り戻すこととセットですが、ロールプレイなどのトレーニングで徐々に獲得できるんです。

ブレイディ そうか、イギリスでも演劇を通して感情表現を学んだりします。

安全な場所だから語れる本音

坂上 自分の考えや感情を表現する言葉をもっていないひととは逆に、無意味な言葉を羅列する詐欺犯のようなひともいます。そういうひとがTCプログラムを受けていると、突然喋らなくなることがある。自分の言葉の空虚さ、無意味さに気づくんですね。それからややあって、ぽつりぽつりと語り始める。これも別のルートでの言葉の獲得です。
 いずれにせよ、獲得した言葉で本音を語るには、そこが自分をさらけ出しても安全な場所であることが前提になります。

ブレイディ 安全基地ですね。

坂上 はい、わたしたちはサンクチュアリとも呼んでいます。今回の映画の中で紹介した「拓也」は、詐欺と詐欺未遂の罪で2年4ヶ月の実刑判決を受けていますが、生まれてから心休まる安全な場所をもったことなど一度もないと言います。
 親の暴力から逃れるために、2週間に1、2回は家出していたそうです。裸足で逃げ出すこともたびたびで、それを繰り返しているうちに感じるのは寒さや痛みだけという状態になり、感情が動かなくなっていった。それでも彼は生き延び、施設に預けられ、そこで育ちました。幼少期の記憶はあまりなく、唯一覚えているのは、ほんの短い間母親と暮らしていたときに使っていたシャンプーの匂いだけ。18歳頃から複数の女性の家を転々としながら、自分には帰る場所がないと感じていたそうです。

ブレイディ 拓也にとって、TCは心休まる安全な場所になった。

坂上 自分の話をちゃんと聞いてもらえるという体験が他者への信頼につながり、幼い頃のつらい記憶を聞いてもらうことで少しずつ感情がよみがえって、やがて生きたいという欲求を自覚できるようになりました。皮肉にも刑務所という場で。

ブレイディ 言葉を使って自分を認識し直し、言葉を交わして他者と関わる。言葉は奇跡を起こせるんですね。

坂上 ほんとうにそう思います。TCで参加者が一生懸命語っていると、最後の最後で「なんでこのグループはネガティブな話だと盛り上がるんでしょうね」なんて冷や水を浴びせて場を壊そうとする冷笑系のひとがいるんです。でも、そういうひとを追いかけていくと、1年後には涙を流しながら自分の生い立ちを語っていたりする。安全な場所が言葉の力を引き出すんです。

ブレイディ 人は変われるんですよね。傷害致死で実刑判決を受けた「翔」もそうでした。

坂上 暴力を受け、自分も暴力をふるってきた彼の人生のなかで、暴力はあたりまえのものだった。彼は自分に殺されたひとにも非があると考えており、その一方で、人を殺した自分が生きてちゃいけないという思いにもとらわれていました。ところが、TCのロールプレイや「二つの椅子」によって考えることを許されたと感じるようになり、とらわれから逃れて前に進むきっかけを得ます。別のユニットに移ってからも学んだことを実践していて、「翔に勧められたから」「翔みたいになりたくて」という理由でTCを希望する受刑者は多いんです。

劇的な変化の瞬間に立ち会う

ブレイディ 人が変わる瞬間に立ち会うというのは簡単ではないと思います。ましてや刑務所の中に初めてカメラを入れ、映画を撮るわけですからいろいろ苦労されたでしょう。

坂上 まずTCの参加者全員に、カメラなしでインタビューさせてもらい、その中から「成長の過程を経て言語化できているひと」「大きな葛藤を抱えているひと」「入ってきたばかりのひと」といった具合に、さまざまな段階のひとを選びました。顔が出せないので、罪状や刑期、生い立ちなどになるべくバリエーションが出るように気をつけながら、定期的に10人くらい撮影を続けさせてもらいました。
 撮影できるのはTCプログラムとインタビューで、両方とも刑務官が必ず立ち会います。インタビューの依頼も彼らを通して行うので、そのスケジューリングがけっこう大変でした。プログラムとインタビューの時間がバッティングして選択を迫られることもよくありましたね。刑務所側の判断で許可が下りなかったり、撮影が中断される可能性もあるとも言われており、実際、撮り続けていたひとが突然懲罰房に入れられ、主人公がいなくなってしまうこともありました。その一方、インタビューを愉しみにしてくれているような印象も。
 もどかしいこともありました。プログラムの中では言えなかったこと、話しきれなかったことは夕食後から就寝までの休憩時間に喋りあうのですが、それが大きな変化を呼び込むこともある。なのに、その現場の撮影には許可がおりなかった。

ブレイディ 人間の変化は予定調和ではありえないですもんね。

坂上 お金しか信じられないと言っていた健太郎にインタビューを申し込んだのは、実は撮影の後半でした。この人には感情というものがあるのだろうか、ロボットではなかろうかと思うほど能面のような顔をしていて、TCで他の受刑者が離婚や暴力の話をしたときも「うらやましい。僕の家庭にはありませんでしたから」と言ってギョッとさせた彼が、TCに参加して1年くらい経ってから驚くほど変わっていったのです。この先にもっと大きな変化が起こると確信してあわてて撮影を申請、その2ヵ月後から撮影を開始してなんとか変化の軌跡をカメラに収めることができました。

ブレイディ そうでしたか!

坂上 そうやってなんとか撮影を終えて編集に入っても、最後の最後まで「これ、劇場公開できるのかな」という思いが付きまといました。映画は観てもらえなければ意味がない。1.5倍の尺で中間試写を20回以上やって、学生や専門家などさまざまなひとから感想をもらって編集を進めていったんです。
 刑務所が舞台ではあるけれど、刑務所の新しい取り組みを紹介するだけの映像にはしたくありませんでした。また、犯罪者と呼ばれるひとが主人公ですが、彼らだけの話でもありません。なにもTCという形を取らなくても、他人と関わって、誰かにとっての自分になることはできる。あるいは自分にとっての誰かを見つけることもできる。この映画を自分事として観てもらえたら、と願っています。

ブレイディ 坂上さんが今、ツイッターでエンパシーの連鎖を広げようとしていることも知っています。

坂上 暴力の一歩手前にいたひとが、誰かの言葉に触れて踏みとどまることがあると思うんです。ささいな言葉が大事。これからもそういう作品を作っていきたいですし、この映画をつくれたのだから不可能なことはないと思っています。

ブレイディ わたしもエンパシーを深掘りしてみようと思っています。いま書いている中で見つけたものが次の本に続いていくので、すこし先のこともわかりませんが、いろんな書き方でわたしもエンパシーの連鎖を広げていきたいです。

(さかがみ・かおり ドキュメンタリー映画監督)
(ぶれいでぃ・みかこ コラムニスト)
波 2020年3月号より
単行本刊行時掲載

【特別試し読み】『THIS IS JAPAN―英国保育士が見た日本―』ブレイディみかこ

著者プロフィール

ブレイディみかこ

ブレイディみかこブレイディ・ミカコ

1965(昭和40)年福岡生れ。県立修猷館高校卒。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996(平成8)年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年『子どもたちの階級闘争』で新潮ドキュメント賞を、2019(令和元)年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞を受賞。他の著書に『花の命はノー・フューチャー』『アナキズム・イン・ザ・UK』『ザ・レフト』『ヨーロッパ・コーリング』『いまモリッシーを聴くということ』『労働者階級の反乱』『ブレグジット狂騒曲』『女たちのテロル』『ワイルドサイドをほっつき歩け』『ブロークン・ブリテンに聞け』『女たちのポリティクス』などがある。

著者プロフィール

ブレイディみかこブレイディ・ミカコ

1965(昭和40)年福岡生れ。県立修猷館高校卒。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996(平成8)年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年『子どもたちの階級闘争』で新潮ドキュメント賞を、2019(令和元)年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞を受賞。他の著書に『花の命はノー・フューチャー』『アナキズム・イン・ザ・UK』『ザ・レフト』『ヨーロッパ・コーリング』『いまモリッシーを聴くということ』『労働者階級の反乱』『ブレグジット狂騒曲』『女たちのテロル』『ワイルドサイドをほっつき歩け』『ブロークン・ブリテンに聞け』『女たちのポリティクス』などがある。

ブレイディみかこ
単著
『花の命はノー・フューチャー』(碧天舎、2005年7月刊/増補してちくま文庫へ、2017年6月刊)
『アナキズム・イン・ザ・UK』(Pヴァイン、2013年10月刊)
『ザ・レフト──UK左翼セレブ列伝』(Pヴァイン、2014年12月刊)
『ヨーロッパ・コーリング──地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店、2016年6月刊)
『THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本』(太田出版、2016年8月刊)
『子どもたちの階級闘争──ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房、2017年4月刊)
『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン、2017年4月刊)
『労働者階級の反乱──地べたから見た英国EU離脱』(光文社新書、2017年10月刊)
『ブレグジット狂騒曲──英国在住保育士が見た「EU離脱」』(弦書房、2018年6月刊)
『女たちのテロル』(岩波書店、2019年5月刊)
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年6月刊)
共著
『保育園を呼ぶ声が聞こえる』(國分功一郎氏、猪熊弘子氏との共著/太田出版、2017年6月刊)
『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(松尾匡氏、北田暁大氏との共著、亜紀書房、2018年4月刊)
『人口減少社会の未来学』(内田樹氏によるアンソロジーに寄稿、文藝春秋、2018年4月刊)
『平成遺産』(武田砂鉄氏によるアンソロジーに寄稿、淡交社、2019年2月刊)
『街場の平成論』(内田樹氏によるアンソロジーに寄稿、晶文社、2019年3月刊)
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