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ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ブレイディみかこ/著

737円(税込)

発売日:2021/06/24

  • 文庫
  • 電子書籍あり

60万人が泣いて笑って感動した読んだら誰かと話したくなる「一生モノ」の課題図書。

人種も貧富の差もごちゃまぜの元底辺中学校に通い始めたぼく。人種差別丸出しの移民の子、アフリカからきたばかりの少女やジェンダーに悩むサッカー小僧。まるで世界の縮図のようなこの学校では、いろいろあって当たり前、みんなぼくの大切な友だちなんだ――。ぼくとパンクな母ちゃんは、ともに考え、ともに悩み、毎日を乗り越えていく。最後はホロリと涙のこぼれる感動のリアルストーリー。

  • 受賞
    第7回 君に贈る本大賞
  • 受賞
    第55回 新風賞
  • 受賞
    第13回 神奈川学校図書館員大賞(KO本大賞)
  • 受賞
    第2回 Yahoo!ニュース 本屋大賞 ノンフィクション本大賞
  • 受賞
    第73回 毎日出版文化賞 特別賞
  • 受賞
    第2回 八重洲本大賞
目次
はじめに
1 元底辺中学校への道
2 「glee/グリー」みたいな新学期
3 バッドでラップなクリスマス
4 スクール・ポリティクス
5 誰かの靴を履いてみること
6 プールサイドのあちら側とこちら側
7 ユニフォーム・ブギ
8 クールなのかジャパン
9 地雷だらけの多様性ワールド
10 母ちゃんの国にて
11 未来は君らの手の中
12 フォスター・チルドレンズ・ストーリー
13 いじめと皆勤賞のはざま
14 アイデンティティ熱のゆくえ
15 存在の耐えられない格差
16 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとグリーン
解説 日野剛広

書誌情報

読み仮名 ボクハイエローデホワイトデチョットブルー
シリーズ名 新潮文庫
装幀 中田いくみ/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 336ページ
ISBN 978-4-10-101752-5
C-CODE 0195
整理番号 ふ-57-2
ジャンル 文学・評論
定価 737円
電子書籍 価格 693円
電子書籍 配信開始日 2021/06/24

書評

本の森に分け入る

枝元なほみ

 膨大な新潮文庫の中から3冊を選んで何かを述べるだなんて、うーん、困った。
 たくさんの作品世界の森に迷い込むような感じがしたからだ。読んだことのある本、読みたかった本、知らなかった本の中に分け入ると、次々と新たな景色が見えてくる。そういえば、「本」の字は「木」の中に横棒が一本入るのだな。
 そう思ったら、森の中、木陰のベンチに座って、または木に繋いだハンモックに揺られながら本を読むようなゆったりした気持ちになった。
ドリトル先生航海記』は、森にではなく海へ冒険に出かける話だ。読み直してみて、子供の頃の、物語に夢中になった自分を思い出した。
「ものがたり」の世界に戻ってきたよ私、ワクワクした。

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 たまたま今朝、起きがけに聞いていたのはモーツアルトだった。そうか、ドリトル先生の物語は、モーツアルトみたいだ。楽しんで跳ねて、どこまでも走ったり柔らかに歩いたり踊ったり。華やかに明るく、おおらかに自由に冒険する。
 ドリトル先生は、助手になったトミーのことを丁寧にスタビンズ君と呼ぶその調子で、誰に対してもなんに対しても真っ直ぐな目を向けて進んでいくような人だ。サルやイルカなどだけでなく貝の言葉まで学ぼうとするような、空想世界の扉を次々開けてくれる、子供にとっての〈理想の大人〉だ。そうだった、子供の頃の私は本に導かれて大きな空想の世界を自由に旅していたじゃないか。大人になって子供に還るためにもう一度、福岡伸一さんの訳に先導されて読み直すべきだったんだな、ドリトル先生。
 家庭料理を考えるのが私の仕事だ。料理学校に行ったことはないけれどそれでも、〈食べる〉という、人が生きる根っこにつながる仕事だから、おのずとその根っこである農業や食べ物を生産する現場に関心が向いた。

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 だから、長塚節の『』は、いつか読まなければ、と思っていた本だ。明治期の、茨城の貧しい小作農の暮らしぶりを描いた小説。
 文字を追いながら、音や匂い、空気や水の冷たさをとてもリアルに感じた。なんなら、ひんやりした敷き布団の薄さ硬さまで感じるような気がした。それはこの小説のタイトルである土の、作物を生み出す大きな力を持ちながら、人の情が関与する隙さえ見せない厳しい自然が持つ〈闇さ〉ゆえでもあると思えた。精緻でリアルな描写の絵を見るようだった。
 私はつい最近、「新しいプロジェクトをプレゼンするためのワークショップ」というものに参加しなければならないという困った事態に遭遇した。まるでスティーブ・ジョブズが神であるかのように、立板に水、いっときの退屈も許すまじ、淀みなく自信に満ちて話す、圧倒して説得する、そんな感じのプレゼン方法を教わる。なんとも今風だった。100パーセント私に不釣り合いだと思えた。天を仰いだ。ならば、と私は思い立った。
 澱んでつっかえて、たゆたって、立ち止まってうずくまってやる。
 静かに沈んで、底のリアルを捕まえてやる。
『土』の汚れの強さを身に塗りこんで佇んで、そのことで人と繋がりたい。

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『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の舞台は、時は現代、場所も明確にイギリスの街ブライトンだ。書き手は、モーツアルトではなくセックス・ピストルズの系列に並ぶロックでパンクなスピリットの持ち主、ブレイディみかこさんだ。しかもブレイディさん、この本に登場する時は、かあちゃんとしてなのだ。カッコよすぎる。何度も胸熱になって泣いた。
“「善意は頼りにならないかもしれないけど、でも、あるよね」
 うれしそうに笑っている息子を見ていると、ふとエンパシーという言葉を思い出した。”
“他人の靴を履いてみる努力を人間にさせるもの。そのひとふんばりをさせる原動力。それこそが善意、いや善意に近い何かではないのかな”

 期末試験に出た「エンパシーとは何か」という問題に、「誰かの靴を履いてみること」と書いた息子の話だった。私、エンパシー、という言葉についてその後何度も考えた。
 ロックであることは、実は迷ったり立ち止まったり沈んだりしながら底にある確かなものに触れることでもあるのだと思ったのだ。大事な本になった。

(えだもと・なほみ 料理研究家)
波 2022年9月号より

多様な社会での「親子物語」

池上彰

 先日行きつけの書店の店頭に『タンタンタンゴはパパふたり』を見つけました。おお、ブレイディみかこさんが『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で紹介していた絵本ではないか。
 これはニューヨークのセントラルパーク動物園で恋に落ちた二羽のオスのペンギンの話です。実話なんだそうです。
 この絵本はイギリスの保育業界では「バイブル」のような扱いになっているとか。そうか、さすがイギリス。LGBTの人への差別意識を持たせないように、こういう絵本を読み聞かせているのか……と思っていたら、そうではないのですね。
〈子どもたちには、誰と誰が恋に落ちるのは多数派だが、誰と誰が恋に落ちるのは少数派、みたいな感覚はまったくない。「誰と誰」ではなく、「恋に落ちる」の部分が重要なのだ〉(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』)
 なるほどねえ。誰が誰と恋に落ちたっていいじゃないか。子どもたちは、それを本能的に悟っているのかしらん。
 英国社会を取り上げたノンフィクション作品はいろいろありますが、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、格差社会に生きる子どもたちと、彼らをとりまく大人たちの生活ぶりを同じ視線の高さで描いているところが、ほかとは圧倒的に異なります。「上から目線」ではないのです。それは、著者の息子さんが「元底辺中学校」と作者が称する学校に入学したことによって、もたらされたものでしょう。
 恵まれた上品な家庭の子弟が通う名門のカトリックの小学校を出たのに、そのままカトリックの中学校に進学せず、「元底辺中学校」に入学するとは。日本によくいる教育ママが聞いたら卒倒するような選択を、この親子はヒョイとしてしまったのです。さあ、ここからドラマの始まりです。
 子どもたちが直面する「事件」のひとつひとつは、ぜひ本で読んでいただくとして、ここではその背景を説明しておきましょう。
 イギリス社会は、私が子どもの頃は「ゆりかごから墓場まで」というスローガンに象徴されるように社会保障の充実した国でした。日本にとってお手本のような国として習いました。
 その一方で、「福祉が行き届いていると、人々は働く意欲を失う」とも言われ、経済が停滞し、「英国病」と呼ばれました。
 ここに大ナタを振るったのが、保守党の「鉄の女」サッチャー首相でした。新自由主義の立場から「小さな政府」を目指し、社会福祉を削減しました。その結果、経済は活性化しましたが、格差が拡大しました。
 その後、労働党が政権を奪還しましたが、労働党のブレア首相も新自由主義と大差ない政策を取ったために格差は縮小しませんでした。では、いまはどうか。ブレイディみかこさんは、別の書籍で、次のように語っています。
〈英国では、保守党が緊縮財政をはじめた二〇一〇年から、実は平均寿命の伸びが横ばいになっています。一応、世界で一番リッチな国の一つだし、医療技術は進歩するわけですから、それまでは右肩上がりで伸びていたのに、二〇一〇年から恐ろしいことにパタッと止まっている。医療支出削減で国立病院も人員とインフラが不足して緊急救命室の待ち時間が史上最長になっているし、一日に一二〇人程度の患者を廊下で手当てしているという病院もある〉(『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』)
 こんなイギリス社会で、貧しい家庭の子の様子を見ていられずに手を差し伸べる先生たち。先生の給料も上がっていないのに。人々の助け合いによって、かろうじて維持できている社会の実際が、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』では赤裸々に、活き活きと描かれます。
 社会の底辺にも差別意識が何重にも積み重なっている。この本を読むと、そんな深刻な現状を知って気分が落ち込むのですが、著者の中学生の息子との会話によって、救われる。これが、この本の大きな魅力でしょう。
 中学生の息子はどんどん大きくなる。格差と差別を目の当たりにしながらも精神的に成長する。その傍らには、息子の成長を喜び、息子と共に悩み、考え、成長する母親の姿がある。
 そんな親子の成長記録を読むことで、読者の私たちもまた成長する。
 そしてブレイディみかこさんは、イギリス社会の現実を日本の私たちに報告しながら警告を発しているのです。「これは、近未来の日本の姿かも知れないよ」と。

(いけがみ・あきら ジャーナリスト)
ノンフィクション本大賞受賞記念
単行本刊行時掲載

未来は彼らの手の中に

高橋源一郎

 90年代の10年間、4月から10月までほぼ毎月、ぼくはイギリスに通っていた。競馬を見るためにだ。この本の著者、ブレイディみかこさんが住むブライトンにも行った。海がきれいな街だった。そして、映画「さらば青春の光」の舞台だってことは知っていたけれど、その街で、こんな素晴らしい物語が生れたことを、ぼくは知らなかった。それは、ブレイディみかこさんの10歳の息子が中学生になってからの1年半を描いた素敵な(でも、深く考えさせられる)お話だ。
 日本人で保育士で(その他もろもろの)「わたし」とアイルランド人で元銀行員で現大型ダンプの運転手である配偶者との間に生まれた「息子」は、幼児の頃は「底辺託児所」に、小学校の頃は公立で名門のカトリックの小学校に通い「バブルに包まれたような平和な」学校生活をおくる。やがて中学へ。「息子」が選んだのは「緑に包まれたピーター・ラビットが出てきそうな上品なミドルクラスの学校ではなく、殺伐とした英国社会を反映するリアルな学校」、「元底辺中学校」だった。そこは、どんな学校、いや、どんな世界だったんだろうか。
 ぼくはこの本を読んでいる間ずっと、自分の子どもたちのことを考えずにはいられなかった。1学年違いの兄弟である彼らは、幼児の頃からいろんな託児所に預けられた。中には連れて来る親はぼく以外全員風俗嬢(みんな、いいママ友だった)という無認可で24時間保育してくれるところもあった。「底辺託児所」だったんだ。小学校は最初、公立で豊かな家庭の子が多い「名門」に通った。けれども、ぼくは悩んだ。いろいろな理由で。そして、彼らが2・3年生になった時、ちょっと変わった学校に転校させた。試験も成績表もクラスもない、規則は全部自分たちで決める、ついでにいうと「先生」も「生徒」もいない学校だ(そこは全員、名前もしくはニックネームで呼び合うので)。いま中学2年・3年になった彼らは、この前、自分たちで育てた豚で作ったソーセージを食べさせてくれた。美味しかったな、すごく。
 子どもたちが「ふつう」の学校に行かなかったので、逆に、ぼくは、「ふつう」よりもずっと、子どもたちと社会の関わりについて考えなきゃならなかった。きっと彼らもそうだったろう。この本の中の「息子」や「わたし」のようにだ。
 ぼくたちは、「息子」や「わたし」の前に次々と現れる、強烈で印象的なエピソードたちにびっくりさせられる。そして、思わず考えこむ。あるいは、胸をうたれる。そして、最後に、自分たちの子どもや社会について考えざるをえなくなる。入学前の見学会で制服の中学生たちが演奏してくれるノリノリの音楽。廊下に飾ってあるセックス・ピストルズのアルバムジャケット。入学翌日にはもうミュージカルのオーディション。なんだか楽しそう? 表面はね。でも、学校の中にあったのは、過酷なイギリス社会の現実を反映した世界だった。自分だって移民なのに人種差別をし、他の移民にヘイトをぶつける子がいる。貧しくていつも腹を空かしている子がいる。クリスマス・コンサートでハードな現実をそのままラップにして歌う子(「万国の万引きたちよ、団結せよ」だぜ。最高だね)がいる。目の前にある、貧困。差別。格差。分断。憎しみ。「息子」と「わたし」は目を背けず、ユーモアを失わず、その中に入りこむ。それこそが、最高の教育なのかもしれないのだった。
 ぼくの好きなエピソードの一つが、「12歳のセクシュアリティ」と題されたところ。「息子」と、つい差別的な言動をしてしまう移民の友人は、「託児所」時代の知人である、子どもが2人いるレズビアンのカップルと出会い、その友人は驚く。いや、驚くのはまだ早い。学校では、セクシュアリティについてLGBTQに関する授業も行われているのだ。そして、「わたし」は、息子たちが「親のセクシュアリティがどうとか家族の形がどうとかいうより、自分自身のセクシュアリティについて考える年ごろになっていたのだと気づ」くのである。そして、「わたし」はこう考える。いや、ぼくも、また。
「さんざん手垢のついた言葉かもしれないが、未来は彼らの手の中にある。世の中が退行しているとか、世界はひどい方向にむかっているとか言うのは、たぶん彼らを見くびりすぎている」

(たかはし・げんいちろう 小説家)
波 2019年7月号より
単行本刊行時掲載

普遍へと開かれた窓

三浦しをん

 何度も笑い、何度もこみあげる涙をこらえつつ読み進めた。
 ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、英国の「元底辺中学校」に通う息子さんの日々を記したエッセイだ。「じゃあ、子育てエッセイなのかな」と思われるかもしれないが、まったくちがう。
 元底辺中学校に通っているのは、白人の労働者階級の子たちが大半だ。そのなかには貧困層の子もいる。移民の子も少数ながらいるが、やはり大半は白人だ。「白人」と一言で言っても、家庭環境や生活レベルには当然ながらグラデーションがあるし、そこへさらに「移民か否か」「白人か非白人か」といった分類項も加わってくるから、校内はものすごく複雑かつ繊細な様相を呈している。
 著者の息子さんは英国で生まれ育ったが、お父さんはアイルランド人、お母さんである著者は日本人なので、この学校では「少数派」と言える。もちろん、こういった「分類」はすべてアホらしいものなのだが、実際にその街で暮らし、学校に通っていれば、さまざまな軋轢や差別に直面することもあるし、相手の立場やルーツを慮らねばならない局面も多い。
 現に息子さんは、実によく考え、感じ、相手を思いやった行動を選び取るひとなのである。友人たちとのかかわりや、周囲の大人たちの振る舞いを通し、息子さんは思考と感情を豊かに育んでいる。著者もまた、そういう息子さんと楽しく真摯に会話したり、次々に起きる騒動にさりげなく一緒に向きあったりすることで、英国のみならず、日本も含めた世界中が直面している複雑さについて、誠実に考察を深めていく。
 本書は個人的な「子育てエッセイ」ではない。学校や地域といった、一見すると狭いように感じられる「地べた」から、確実に「普遍」を見晴るかす眼差しを宿している。世界と時代と人間を活写した本書を読めば、これが「異国に暮らすひとたちの話」ではなく、「私たち一人一人の話」だとおわかりいただけるはずだ。私は自身の来し方を振り返り、「なぜあのとき、息子さんのような言動を取れなかったのか」と自らの思考と良心の強度を問わずにはいられなかった。
 とはいえ、決して四角四面ではなく、読者になにか(たとえば善行)を強いてくることがないのがまた、本書のすごいところだ。むしろ、キャラ立ちが濃くて、いい意味でいいかげんなひとばかりが登場する。
 いじめられっこのティム(息子さんのお友だち)の危機に駆けつけた上級生が、呼吸するたびに「ファッキン」を連発するジェイソン・ステイサム(似の少年)だった瞬間、「漫画か!」と私は爆笑した。著者のお父さん(福岡県在住・幼児だった孫に泳ぎを教えるため、いきなり玄界灘に投げこむ)は「ベスト・キッド」のミヤギさん似らしいし、著者の配偶者は重要な場面で「知らね」とケツをまくって新聞読んでるし。肝心の息子さんも相当おもしろくて、オアシス風の曲を作ったものの、まだ恋を知らぬお年ごろゆえ、やむをえず「祖父の盆栽」への思いをつづった詞を載せて切々とギターをかき鳴らす。どんな歌だよ! むっちゃ聴きたいよ!
 とにかく、出てくるひとみんなに会ってみたくてたまらなくなる。実際に会ったら問答無用でボコられるのでは、という荒くれものもなかにはいるのだが(なにしろジェイソン・ステイサムだ)、著者のユーモアたっぷりかつ冷静な筆致を味わううちに、かれらの事情や思いが垣間見えてきて、「私はなぜ、ジェイソン・ステイサム(似の少年)を猛獣のように思ってしまっていたんだろう」とハッとする。
 無知による勝手な先入観や偏見や差別意識から完全に自由になるのはむずかしいのかもしれない。けれど本書を読み終えたいま、私の胸のうちに息子さんの言葉がこだましている。
「友だちだから。君は僕の友だちだからだよ」
 ほんとにほんとに、そのとおりだ。ちがいやわかりあえない部分があってもなお、相手を知ろうとし、思いを馳せることはできる。どうして人間に知性と想像力が備わっているのかといえば、自分とは異なるひとと「友だち」になるためではないのか。閉めきっていた部屋の窓が開き、思わずあふれた涙のうえを新鮮な風が吹き抜けていったような、そんな気持ちになった。

(みうら・しをん 小説家)
波 2019年7月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

人生相談『道行きや』篇

伊藤比呂美ブレイディみかこ

」の同時期連載が共に大好評を博したお2人から〈人生の知恵〉をお借りします! オンラインでの公開対談を誌上再現。

伊藤 今日はみなさんの前で対談をする予定だったのですが、コロナのせいで密で集まれないし、みかこさんもイギリスから日本へ来られないということで、オンラインで行うことにしました。二人で喋るだけではなくて、ご覧になってるみなさんからの質問にも答えようと思います。でも、実は私がやりたいのは〈人生相談〉なんです。私は人生相談をされるプロみたいになっていまして――。

ブレイディ あちこちの雑誌や新聞でやってらっしゃいますものね。去年、私が比呂美さんと対談で――それが初対面だったんですが――お会いした時も、私の実家の親の話なんかをご相談しました。人生相談をしたくなるキャラ(笑)。

伊藤 せっかくオンラインなんだから、ライブで人生相談も募集しましょう。他の人には見えない形にしますから、チャットじゃなくてQ&Aで送ってください。でも、まず二人で雑談しましょう。

ブレイディ はい。

伊藤 そうだ、雑談じゃなくて、今日は本の宣伝をしなくちゃいけないんだね。

ブレイディ 私が『ぼくイエ』(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』)を連載していたのと同時期に、やはり「波」で比呂美さんが「URASHIMA」を連載されていて、それが『道行きや』と改題されて単行本になったんですよね。

伊藤 そして、みかこさんの『THIS IS JAPAN―英国保育士が見た日本―』は新潮文庫になりました。

「ミスする」を日本語にすると

ブレイディ 私から先に感想を言わせてください。「波」の連載を毎月読ませて頂いていたんです。最終回を読んだ時、唐突に終わった感じがして、私の担当の編集者に「あれで終っちゃうんですか?」みたいなことを訊いた覚えがあります。でも「波」の書評(五月号)を書くためにゲラで読み直すと、散らばっていた小石がいきなりクリスタルの数珠になって現れた、みたいな気がしました。

伊藤 ありがとうございます。

ブレイディ 私もイギリスに住んで、普段は英語で生活しているせいか、日本へ帰った時に、喋っている拍子にルー大柴みたいなというか、英語と日本語が混ざることがあるんです。イギリスにいても、いきなり日本語の単語が混ざる時があります。これはやはり翻訳しきれない言葉、置き換えると微妙に違うなという言葉があるからだと思うんですよ。
『道行きや』にも、英語を訳さずにカタカナで記されている言葉が幾つかあります。これは、比呂美さんにも〈翻訳することで生じる違和感〉を覚える言葉があるからじゃないか? 例えばカリフォルニアのお友達からもらったメールに、「私はあなたをミスする」と出てきました。英語のmissという動詞を日本語にしたら、「あなたがいなくなって寂しくなる」とか「恋しくなる」ですが――あるいは「必要な物がなくて困る」時にも使いますが――、何かが違うんですよね。
 会社勤めを辞める時なんかも、“We’re gonna miss you.” と言われます。これは「あなたがいなくなって、あなたを恋しく思い出すでしょう」とか「いなくなって寂しくなるよ」とまではいかない、感情を表わすけれど、同時に現象を指すというか、〈何かが存在しないことを認識する〉言葉だと私は理解してきました。
 それを比呂美さんは「ミスする」とあえてカタカナで書かれていた。これは絶対に意味があるなと思って読み進めていたら、今度は最後の――つまり私が急に終わった感じを受けた連載最終回の――「犬の幸せ」の章で、女友達から「私はあなたをミスする」「ああ、とてもミスする」と言われ、「わたし」もそう言った、とありました。また「ミスする」だと思って、さらに読んでいくと、比呂美さんの愛犬のホーボー君は賢くはないけれど、「無い」ことがわかるんだと。彼がすごく好きな犬、すごく好きな人を失ったことを「無い」「い無い」と認識できるんだ――そう書かれています。そうか、missを日本語で書くと「い無い」になるんだ、そしてこの本は「何かをミスする」ことについて書かれた本だと気づいて、この最終章で終るべくして終っていた、と私は思い直しました。
『道行きや』という題もぴったりですね。生きることは、別に海外に移住したりしなくても、会っていた人と会わなくなったり、亡くしたり、物を失くしたり、いろんなものが無くなっていくことですよね。何かや誰かの不在を認識し続けることが、きっと生きるということかもしれません。長く生きれば生きるほど「ミスする」ものは増えていく。

伊藤 実は、みかこさんの書評を読むまでは気がついてなかったんです。言われて、「そうか、この本は『ミスする』をめぐる本だ」と自分でも納得しました。
 すごく正直なことを言うと私の欠点は、最初の言葉から最後の言葉まで全てをコントロールしたいことなんです。言葉を完全に自分のコントロール下に置きたい。ところが『道行きや』の場合は、書き始めた時にちょうど早稲田大学で教え始めていたんです。早稲田の仕事が忙しくて、落ち着いて書いてられないのね。週に七日あったら、早稲田に四日使うんです。で、熊本に四日いるんですよ。計算が合わないなと思うでしょ? 合わないんですよ(笑)。熊本で書くんですが、授業の予習もしなくちゃいけない。こんなに時間に追われて突っ走って書いたことはありませんでした。だから、『道行きや』が「ミスする」をめぐる本だと意識できていなかったのかもしれません。
 熊本の郊外にラブホテルがあって、その名前が看板に大きく書いてあるんだけど、「アイミスユー」っていうのよ。

ブレイディ ありそうだ(笑)。

伊藤 熊本空港へ行く時、いつもその前を通るわけね。そしたらある日、父がすごく真面目な顔して、「ちょっとあんたに訊きたいことがあるんだけど。英語得意だろ?」「うん。何?」「アイミスユーってどういう意味だ?」「どうしたの、お父さん」「空港の近くのラブホテルにアイミスユーって」(笑)。それで教えてあげたんだけど、あの時、彼は何を考えていたのか、亡くなった今では永遠の謎(笑)。
 みかこさんの本について話すと、一番新しい本は『ワイルドサイドをほっつき歩け』(筑摩書房)ですね。これも素晴らしかった。この本でも『THIS IS JAPAN』でも『ぼくイエ』でも、みかこさんの書いている本はどれも、ノンフィクションとかエッセイにしては人が生き生きと動き過ぎませんか?

ブレイディ そうなんですよね。

伊藤 登場する人がみんな、ちゃんとキャラを持って動いてる。例えばブライトンのワーキングクラスの、パブでくだ巻いてるようなおっさんたちって、日本の読者にすれば全然遠い存在じゃない? それなのに、みんなすごく生き生きと、そこら辺にいるようなおっさんたちとして描かれている。これってある意味、みかこという目を通した小説じゃん、と思う。私はどうしても詩の人間で、小説という言葉を使うと、なんかいけないことみたいに感じるから(笑)、小説じゃなくて、「みかこ文学」と呼びたいの。きわめて独特のものですよね。

ブレイディ どうもありがとうございます。私は小説とか詩とかノンフィクションとか、カテゴリーは「どうでもいいじゃん」と思っている部分があるんです。それに小説や詩は、私にとっては会席料理とかフランス料理ってイメージなんですよ。私が書いているのは屋台のラーメンではないか(笑)。でもラーメン大好きだし、私はラーメンでやっていくよって感じでいます。

それぞれの差別体験

伊藤 では、みなさんからの質問や相談が集まってきているようなので、そちらへ移っていきましょう。最初の質問、「海外生活の長いお二人が、日本人として現地で受けた差別的な体験って、どのようなものがありますか。以前より減ってますか、むしろ増えてますか?」。

ブレイディ これはいろいろあります。ChinkとかChinkyと結構呼ばれましたし。一番怖かったのは、息子がまだちっちゃい時、バギーに乗せて公園を突っ切ろうとしたら、本当に悪い感じのティーンエージャーがチェーンを振り回しながら「ニーハオ、ニーハオ」って近づいてきたんで、これはやばいと。私も独身の時だったら「くそガキ、何言ってんだ」ぐらいの勢いだったけど、やっぱり守るものができると人間は弱いですね。すぐ背中を向けて帰ったこともあります。

伊藤 差別されるってどんな感じ?

ブレイディ 差別をされるのはムカつきますけど、だんだんと慣れてくるところがあるんですよね。

伊藤 本当にそうですね。

ブレイディ これは一度エッセイに書いたけど、バスの中で差別的な目に遭ったんです。こちらがイエローだから、何か言われて、足を引っかけられた。そしたら、そのバスの運転手さんが一部始終を見ていて、その人に向って毅然として言ったんです。「俺のバスから降りろ。おまえが降りるまで、このバスを俺は発車しない」って。他の乗客たちも、みんな急いでたりすることもあって、差別した人をじっと睨んでいて、結局、その人は悪態をつきながら降りていった。あのときは心の中に花火が打ちあがったような気になった。差別に慣れるべきではないんだと思いました。

伊藤 学生たちに差別の話をすると、「日本には差別がないから」って言うのね。「差別されたことがない」とも言うの。だから私は彼らに「差別されるのって、こんな気持ちよ」とできるだけ伝えようとしています。みかこさんは差別された時、どんな気持ちでしたか?

ブレイディ それこそhumiliatedされた気持ちでした。humiliated、humiliatingは『道行きや』ではカタカナでもなく、英語のまま記されていますね。なかなか日本語になりにくいからだと思いますが、つまり〈尊厳を踏みにじられた〉気持ちではないでしょうかね。

伊藤 みかこさんとの大きな違いは、私が住んでたのはカリフォルニアの詩人やアーティストの多いコミュニティーだったんです。生粋のアメリカ人はあまりいなくて、比較的インターナショナルで、私の連れ合いもイギリス人でした。だから私の環境の方が生ぬるかったな。Chinkなんて一回も聞いたことがない。

ブレイディ そうなんだ。

伊藤 じゃあ、差別はないのかって言えば、そうでもなかったけど。

ブレイディ 表面から隠されているからこそ、いやらしいものがあったりするんですか?

伊藤 別にいやらしくもないのよ。みんなリベラルで、トランプなんてダメだって言ってて、差別なんて絶対にしないと思っている人たちなの。白人の多い地域で、黒人やアジア人はあまり多くなくて、半分以上メキシコ系。で、私が荒れ地みたいな、自然をそのままにしてトレイルだけあるような、そんなところを、犬を放して歩いていたら、すれ違う人たちによく怒られるのよね。でも友人は、イギリス人で、シュッとした威厳のある女なんだけど、犬を放して歩いてるのに怒られたことがないって言うの。それで私、そこで人に聞いてまわったのよ。犬を放してる人に「叱られたことがありますか?」(笑)。あそこでヘンなこと聞く日本人女が出るって噂になってたかもしれないけど、結論としては誰も叱られてなかった。とがめられるのは私だけだった。

ブレイディ そういうことはありますね。

伊藤 でもその程度ですよ。今のBlack Lives Matterにしても、黒人だけでなく、ヒスパニックの人たちだって、警察に対して緊張感を持ってるでしょう。私たちはそこまでのことはないから甘かったわね。コロナ以降、けっこうアジア人が「国に帰れ」とか言われて問題になるケースが増えてきましたけどね。

もしも海外に出ていなかったら

伊藤 ひとつだけ、私が絶対に答えたい質問が来てるけど、いいですか?

ブレイディ 何でしょう?

伊藤 「『道行きや』の装幀が凝っていて、美しくて、素晴らしくて、持っている本の中でも一、二を争うぐらいです。伊藤さんの意見も反映されてるんですか?」。全く反映されていません。

ブレイディ え、そうなんですか。

伊藤 はい。この本の装幀は菊地信義さんという装幀家です。
 私は三十五くらいから四十歳あたりまで、本当に鬱で死ぬかと思ってたんですよ。アメリカに行ったのも自殺する代わりに行ったような気がします。それで子どもを産んだら、なんだか毒が出た――みたいなところがあるんですけどね。そんな鬱の時期に〈自分を消してしまいたい〉という欲望があって、ある詩を菊地さんにデザインしてもらった時、「私の言葉はただのマテリアルとして扱ってもらいたいんです。どんな形にしてくださっても構いません」と言ったら、菊地さんはピクセルを大きくして、詩を読めなくしちゃった。

ブレイディ えーっ。

伊藤 普通、詩人の詩にそんなことやりませんよね。私はその時、自分が持っていた、自分を粉々にしちゃいたい的な被虐的な欲望を菊地さんがちゃんと掬い取ってくれたと感じたんです。それで私が詩を長い間やめて、また詩へ戻ってきた時に、なんだかすがるみたいな気持ちで菊地さんに装幀をお願いした。それが『河原荒草』という詩集だったんですけどね。人生のポイントポイントで、菊地さんに装幀してもらっている。『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』も『読み解き「般若心経」』も『新訳 説経節』も『切腹考』も。『道行きや』も表紙も本文のデザインもすっかり菊地さんに委ねました。
 次の質問、「海外に出ずに日本でずっと住んでいたら、今ごろ自分はどうなってたと思いますか?」。

ブレイディ こういうifは意味があるのかな。今の私があるのはイギリスに来たからで、日本にいたら「日本にいた私」になってただろうから、今の私はいないわけですよね。全然違う私が存在したんじゃないですかね。

伊藤 私はそう思わない。人間って、帰着するところは結局同じじゃないかな? 仮に海外にみかこさんが出なかったとするわよ。でも、みかこさんはみかこさんだから、「何くそ」って思いでモノを書き始めるでしょ。

ブレイディ そうかな。そう思います?

伊藤 私はそう思うよ。日本にいて、ばったり出会った変な人と恋愛するでしょ。で、結婚するの。それから離婚するわね。

ブレイディ それは間違いなさそう。

伊藤 離婚の傷心で、いろいろと旅行していたら、ばったり出会ったのが、ちょっと年上のイギリスのワーキングクラスの男で、ふっと恋愛して、そのうちに日本へ帰ってくる。そしたら向こうが「どうしてもみかこへの愛が忘れられない」とか言って日本に来て、二人して燃え上がって、しばらく日本で住んでるんだけど、向こうがどうしても適応できなくて、「しょうがないな、じゃあイギリス行くか」ってイギリスへ渡って、今のブレイディみかこになる。そんなこともあり得るよ。

ブレイディ なるほど(笑)。比呂美さんが海外に出なかったら?

伊藤 比呂美は行かなかったとしたら、自殺してますね。だから今ここにいない。

ブレイディ さっき、自殺する代わりにアメリカへ行ったみたいなことをおっしゃいましたよね。それを聞いた時、「私は生きるためにイギリスへ来た」とすごく感じたんです。

伊藤 それは日本の文化の中では生きられなかったということ?

ブレイディ 私、本当にろくなことなかったんですよ。つきがなかったとも言えるけど、よく考えてみたら、私のいろんなことへの対処の仕方が、日本では受け入れられなかったなと思うんです。だから合わないんでしょうね。そうすると、合うように自分を変えていくか、合わない中ですごく傷ついて生きていくかで――今みたいに、こんなにゲラゲラ笑う人にはなっていなかったかもしれません。

保険というセイフティ・ネット

伊藤 「日本に帰ってきて、どう思いますか?」という質問も来ています。ごめんなさい、日本のみなさん。みんな怒るから、なるだけ言わないようにしているんですけど、アメリカに二十数年住んで日本へ帰ってくると、少なくとも「人はどう生きるか、女はどう生きるか」みたいな点だけで言えば、タイムトリップしている感じなんですよ。まだこんなことやってんだみたいな……つい言っちゃったけど、でも本当そうなの。ごめんなさい。ただ、日本は保険が楽!

ブレイディ そうか、アメリカは大変ですもんね。

伊藤 アメリカは本当に弱肉強食で、「強きを助け、弱きをくじく」みたいなところがある。私、保険のお金をものすごく払ってたんですよ、月八百ドルとか。

ブレイディ そんなの、お金持ちじゃないと生きられないじゃないですか。

伊藤 稼ぎは保険代と日本と行き来する飛行機代で全部なくなっちゃうくらい。そんなに払ってるのに歯科はカバーされないの。眼科もカバーされない。歯医者で歯をチェックしたら百ドル、ちょっと削ったら千ドル取られる。

ブレイディ イギリスはNHS(国民保険サービス)という国の医療制度があって、本当に機能してないし、予約入れるのもすごく大変ですけど、でも一応、治療費タダなんです。うちの連れは十年ぐらい前にがんに罹ったんですが、治療費はまるでタダだったし、私の出産も、その前のIVF(体外受精)もワンサイクルはタダでした。

伊藤 うわ、タダなの?

ブレイディ 地方自治体によって違うんですけど、ブライトンはワンサイクルだけタダでやってくれました。年齢制限は四十歳で、それ以上はやってもらえないんですが、私が申し込んだのは三十九歳の時なんです。それでNHSの人たちのほうが気を回してくれて、「みんな待っているけど、あなたは本当に年齢制限ぎりぎりで、今やっとかないとダメだから、あなたを先にやってあげる」ってIVFの順番を早めてくれて、無料でやってもらった。それで生まれたのがうちの息子です。
 NHSがなければ、うちなんか本当にお金がなかったから、がんの治療費も払えずに、連れ合いも亡くなってたかもしれないし、IVFもすごいお金がかかるので、やれずにいただろうから、息子もいなかった。NHSがなかったら、今の家族はいなかったでしょうね。

伊藤 そのへんアメリカは酷薄というか冷酷というか。本当にお金がかかる。

大切な家族との間にも線を引く

伊藤 次は私宛の相談です。「中学生の息子がHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)で学校に不適応を起こしました。無理に通学させることはせず、家で一緒に勉強したり、出掛けたりしています。息子を支えていかねばと思いつつ、元来自己中心型の私は、たまに全てを置いて、どこかへ行ってしまいたい気持ちにもなります。比較するのも気が引けますが、お父さまとご主人の介護や看取りを長い間なさった伊藤さんは、どのように自分を保っていたのでしょうか」。
 線を引くんです。太いマジックでビーッと引くように、「ここからこっちには入ってこないでね」とハッキリ伝えるんです。父と夫は大人だったから、私の意見を尊重してくれましたけどね。子どもってやっぱり自分中心ですからね。細いボールペンみたいな線でいいから、きゅっと引いて、「ごめんね、ちょっと今やることがあるから」って短期間逃げちゃえばいい。あなたがいないと、子どもは何もかもがうまくいかなくなるでしょう。でも放っとくんです。二時間でも外に出て、自分の時間を過ごしてから、「ごめんね」と思いながら帰るでしょ? その「ごめんね」と思う後ろめたさが、あなたと息子さんの間の関係をちゃんとしたものに保ってくれるような気がします。
 私の場合は〈後悔〉が助けてくれました。お父さん、ごめんなさい。私、なかなか日本に帰ってこれなくて。ごめんなさい、捨てたみたいで。日本に帰ってきても、本当にやれることがなくて、大体ヘルパーさんたちがやってくださって、私は隣に座って時代劇見るだけでした。「お父さん、ごめんなさい」という思いは最後まで続いて、だから父のそばにずっといられたんだと思いますね。
 次も、お子さんについての相談。お母さんからです。「二十八歳の娘がいる五十八歳です。最近、娘とそりが合いません。こうした方がいいのにと思うことを娘に言うと、『私が駄目な人間だって思われてる気がする』と返ってきます。これって私の価値観の押し付けなのかな。人生の先輩として、ちょっとしたアドバイスしてるだけなんですけど、なんでそんなに嫌がるんだろうと、時々落ち込みます。七十代の友人には『母と娘はライバルだから、娘が四十になるまでは黙って見てなさい』と言われましたが」。
 母と娘の関係を自分でそこまで意識できているのなら、一歩下がって、「こうした方がいいのにな」と思っても何も言わないで、なるったけいいところを褒めたらいい。娘って不思議なもので、いくら褒めても、昔一回「ここダメね」と言ったことを覚えているんですけどね。

ブレイディ 私はアドバイスとかしないんです。私は私のことしかわからないから、まず人にアドバイスしないの。
 自分の子どもにもそうなんですね。うちはどちらかと言うと、私の方が助言されている感じですから、ほとんど「こうした方がいいよ」とか言ったこともないし、言えない。私は見てるだけというか、向こうが「こんなことがあったんだよね」と言ってきた時に、「私はこう思うよ」って答えるだけです。「私はこういうのが好きだし、ああいうのは嫌いだ」とは言うけど、「こうしなさいよ、ああしなさいよ」は口に出さないですね。

伊藤 私もあんまり言わない母親だと思っていたけど、「結構うるさい母親だった」と言われてます。やっぱり言っちゃってたのね。だから今、学生と付き合ってるのは本当に楽。だって、自分の子どもじゃないんだもん。あんまり言わなくて済むし、心配しないし。

ブレイディ 『道行きや』にもよく出て来ましたが、学生相手に教えてらっしゃるのは楽しそうですよね。
 既に『道行きや』で、こう記されています。「わたしは、家族を失って、ここにたどり着いたのだった。家族の世話をしていた。人とか犬とか植物とか。死んだり家を離れたりしていなくなった。自然の摂理だった。そしたら今、いきなりこんなに、家族みたいに、世話をしなくちゃならない人たちができて、失ったものが戻って来たような気さえする」。そして、ちゃんと「もちろん家族じゃさらさらない。その証拠に、家族とは違って、いなくなっても気にならない。どこかでちゃんと生きてるといいなと思うだけだ」とも書かれてました。

伊藤 教えるのは楽しいんだけど、三年契約なので早稲田で教えるのも来年の春までなんですよ。

ブレイディ そうなんですか。またひとつ、「ミスする」わけですね。

伊藤 そうなの。ただのひとりの詩人に戻るんです。

これで万事OK!

伊藤 じゃあ、最後の相談です。「『歳取ったな』などと気持ちが下向きになる時、元気を取り戻すおまじないがあれば教えてください」。みかこさん、馬鹿馬鹿しい相談だなと思ってるでしょ。でも結構こういうのが大切なの。だってね、私やみかこさんの本を読む人って、知的な好奇心があって、八十五パーセントくらいは神経質な人ですよ。

ブレイディ そうかな(笑)。

伊藤 で、九十三パーセントぐらいは、日本に居づらいなと思ってる。

ブレイディ それはあるかもしれない。

伊藤 そして下手すると七十一パーセントぐらいは何かのキッカケで鬱になりかねないぐらい真面目できっちりしている。今どき本なんか買って読むんだから、好奇心があって、きちんとしてて、神経質で、居心地が悪い人たちなのよ。私がまさにそういう人間で、とりわけ子どもを産んで育てる時、ものすごい神経質だったんです。みかこさんはどう?

ブレイディ 私、全然神経質じゃない。めっちゃ大ざっぱですもん。

伊藤 えー、私は大ざっぱになりたいから、「ずぼら、がさつ、ぐうたら」っておまじないを必死で唱えてたのに。

ブレイディ それ、私そのものだから必要ない(笑)。

伊藤 すごいね、それは。介護をしている時も「このおまじないは効きますよ」って人生相談で言ってたんだけど、この頃ちょっと思い返したの。ずぼら、がさつはいいけど、ぐうたらだと、やっぱり介護はできないんですよ。マメでないと。それで新しいおまじないを考えました。それを披露したいんですけどね。

ブレイディ はい、何でしょう。

伊藤 「ずぼら、がさつ、どんかん」。鈍感になることで、相手の気持ちに気づかないでいられるわけ。父が私に「会いたいな」と思っている気持ちにも気づかない。夫が年取って、何もできなくなっているのにも気づかない。自分の白髪にも気づかない。本当は見えてるんだけどね。「ずぼら、がさつ、どんかん」って唱えていれば万事OKですよ。

ブレイディ 私は鈍感も既に持ってるんじゃないかな(笑)。

伊藤 ははは、最強。だからこんなに自由なんだな。うらやましいですよ。というところで、時間となりました。いっぱい相談や質問をもらいましたが、ごめんなさい、全部はできませんでした。みかこさん、すごい楽しかったよ。いつ直接、会えるでしょうねえ。

ブレイディ ねえ。

伊藤 いつか、またね。みなさん、本当にどうもありがとうございました。

(了)

(いとう・ひろみ)
(ぶれいでぃ・みかこ)
波 2020年8月号より

生きること、変わり続けていくこと

ブレイディみかこ

刊行から一年、熱い感想が一向に鳴り止まない「一生モノの課題図書」。著者はいま、何を考えているのでしょうか。

――刊行から一年ですね。

ぼくイエ」を出したときは、ことあるごとにブレグジットについて聞かれたものですが、今では英国のコロナ禍のことばかり。わたしはどちらの専門家でもありませんから戸惑うばかりですが、隔世の感があります。
 そう、この一年のうちに中学生や高校生、ときには小学生から感想をもらうようになりました。連載当初はティーンに向けて書いていたわけではなかったので、この層からの反響には驚きました。生まれた国や環境が自分に合っているとは限らない。別の国にもあなたと同じことで悩んでいる同世代の子もいる。アイデンティティはひとつじゃない。世界は広いんだから、いま置かれている状況にとらわれないでというメッセージが伝わっていたとしたらうれしいですね。

――ご自身がそうだった?

 はい。わたしには英国が合っていたんです。中学時代に音楽を聴いてビビッときて、実際に住んでみて確信しました。顔かたちから肌の色まで、バラバラの人が同じ社会で一緒に暮らしている。だから自分も好きに生きていいんだ、と思えたんです。もちろん、英国だって大変なことはありますけど。

――多様化が進んだ社会だからこそ。

 ええ、多様性のある社会はややこしいんです。文化的な背景によって常識が違うので、そこかしこに地雷が埋まっている。ひとは本能的にアイデンティティを求める生き物だと思うんですが、強い帰属意識や連帯感は、別の集団との分断も生んでしまう。
 では、向こうとこちらの違いをなくせばいいのかといえば、そういう話でもない。違いをなくしたら多様性もなくなってしまうと思いませんか。経済の分断、つまり格差は論外ですが、多様性のある社会というのは違う人たちが一緒に暮らしているわけですから、分断が生まれるのはある意味、当たり前なんです。
 だから、大切なのは分断をどうしたら乗り越えられるか。その有効な手段のひとつが「エンパシー」だと思うんです。

――共感力ですか。

 エンパシーは、たとえ自分が賛成しない人、意見が違う人であっても、その人の立場になって想像する能力のことです。共感と訳されがちですが、「いいね」ではありません。息子は授業で「エンパシーとは何か」という問いに「誰かの靴を履いてみること」と答えました。これは英語の定型表現でもあるんですが、靴といっても汚いものもあれば、ダサいもの、サイズが合わないものもある。でも、それを履いてみる知的な努力がいま必要なんじゃないでしょうか。
 たとえばレイシズム発言をする人がいたとして、「あいつは悪だ」で片付けたら思考停止です。人は環境の動物なのだから、生まれながらのレイシストはいないはず。では、その人にレイシズム発言をさせているのは何だろうと考えてみる。これがエンパシーです。
 英国がEUからの離脱派と残留派で分断されたとき、音楽家のブライアン・イーノは「これからは自分のわからないことを言う人について考えることが大事なんじゃないか」という趣旨の発言をしました。まったく同感です。

――自分が共感できる「いいね」だけを追求していくと、「それ以外」の排除にもつながりそうです。

 ネットでの意見表明は先鋭化しがちですよね。意見が違う相手を“悪魔化”して、お互いに遠くから石を投げ合っているというか。相手に近づけば、共通点とまではいかなくとも、接点くらいは見つかるかもしれないのに。
「正しさ」のぶつかり合いだけでなく、正義感が暴走して“ネットリンチ”を生み出してしまうケースもしばしば目にします。「叩いていい人認定」されたらみんなで容赦なく叩く。よくみると直接関係ない人が先頭に立って叩いている。そういうことって、経験ありませんか。
 息子は親友がいじめられたとき、そういう状況を目の当たりにして悩んでいました。彼が口にした「人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」という言葉が、今も忘れられません。

――ハッとする人は多いと思います。

「ぼくイエ」で描きたかったのは社会なんです。社会の矛盾や不条理、あるいは病理のようなものは、子どもたちの世界に露骨にあらわれる。息子の日常を一緒に見つめていくことで、データや引用では語れない、生身の人間とリアルな社会を描きたかった。
 子どもたちは日々、事件にぶち当たりますが、彼らは柔軟です。だって、差別する人と差別される人の間に友情が成立したりするんですから。その姿を見て、そういえば、と思い出すんです。小さい頃は、自分と違う人とでも一緒に遊んでいたなって。何でも敵と味方に陣営を分けるんじゃなく、「ここは嫌いだけど、ここは気が合う」というふうに付き合っていませんでしたか。

――たしかに。それと比べて、今の大人の世界はピュアすぎるというか、ひとつダメなら全部ダメというきらいがあるかもしれません。

 あるいは、親友が困っているとき、どうしたら相手を傷つけずに手を差し伸べられるか。大人になると、過剰に言葉を重ねたり、自然さを演出しようとしたり、考えすぎてしまいそうですが、子どもたちは「友だちだから」の一言ですっと手を取り合ったりする。そういうやり取りを見ていて、いつしか忘れていたとても大切なことを思い出させてもらったような感動を覚えました。
 もちろん、簡単には解決できない問題もたくさんあります。でも、子どもたちの世界は“事件”に満ちているので、ひとつところでとどまってはいられない。「とりあえずこういうことにしておこう」という感じでいなして、先に進む。その場では忘れたとしても、嫌な思いをしたことって記憶に残りますから、きっと将来エンパシーを働かせるための糧になると思うんですよね。

――息子さんは授業でエンパシーを学んだんですよね。

 ええ。英国の中学校にはライフスキル教育という科目があって、それがシティズンシップ・エデュケーション(市民教育)とか、セクシャル・エデュケーション(性教育)などに分かれています。
 シティズンシップ・エデュケーションは、社会に出るための知識やスキルを子どもたちに身につけさせることを目的にしています。日本で言うと公民に近いと思いますが、大きな違いがあります。
 今のシステムはこうなっている。でも、それはおかしいと反対する人もいる。それを教えたうえで、自分がどう思うかを考えさせるんです。
 たとえば、「ある教授が『今イギリスの学校ではレイシズムについて教え過ぎだ』と言っている。君はこの説についてどう思うか。この教授は正しいか、間違っているかを最初に書いて、その理由を述べなさい」という問題が出たりする。これを12歳でやるんです。
 正しさはうつろうものであって、いま決まっていることがすべてじゃない。子どもたちはこうして様々な論があるという思考法を学び、現状への異の唱え方も学ぶ。未来を担う子供たちに自分の頭で考える習慣をつけることで、社会が行き詰ったとき前に進めていく力を社会全体で養っているんです。
 シティズンシップ・エデュケーションの授業には、お金の管理に関する教育も含まれます。たとえば、ボランティア活動をするとき、自分たちで計画を立てて実行するのですが、どうやって資金を調達するかというところから計画するんです。これも、困った事態が突発した時の英国の草の根の機動力につながっている気がします。

――日本とはかなり違いますね。

 ええ。でも、シティズンシップ・エデュケーションはいきなり始まるわけじゃなくて、その前には幼児教育という礎があるんです。
 トニー・ブレアが首相だったとき、「多様性社会に対応できる子どもをつくるのは幼児のケアではなく、教育だ」ということで、保育の大改革をしました。
 英国では、親の収入や地域による貧富の差が子どもの発育の差につながってしまっていました。具体的には、就学前の4歳児の時点で裕福な家庭と貧しい家庭の子どものあいだに、大きな発育の差があったんです。
 そこでブレア政権はまず1998年にシュア・スタート・プログラムをつくりました。幼児教育とケアを与えることですべての子どもが人生の最高のスタートに立つことができるように保障するというプログラムです。
 ここから始まった保育の大改革は、2006年のEYFS(Early Years Foundation Stage)へとつながっていきます。幼児教育のバイブルとされるこのカリキュラムは、ゼロ歳児の時点から年齢ごとに到達すべき発育の目標が細かく定められていて、保育士はひとりひとりを細かく観察・記録し、個別の計画をたてて発育を促していきます。

――ゼロ歳児からですか。

 はい。当時も「おむつをしているうちからカリキュラムなんて」と批判もされましたが、カリキュラムの主眼は、人間としての器の礎となるエモーショナル・インテリジェンス(EQ/感情的知能)を育てることでした。まずそこを形作ってから知識を、という道筋をつけたのです。この幼児教育を受けた第一世代に、うちの息子もいました。

――なるほど。多様なものごとを柔軟に、ポジティブに考えるという姿勢の根っこはそこにあったのですね。

 社会は革命でいきなり変わるわけではない、何十年後を見据えた教育で漸進的に変わるものだと思います。教育のありかたは、社会の未来像と密接に結びついているんです。
 いまは不確実性がとても高まっている時代ですよね。変わりうるものを知識として教えるだけでは意味はない。それよりむしろ、自分で調べ、情報を見極めて、考える習慣をつけることが大事なんじゃないかと思います。
 まずやってみるという姿勢も大切だと思います。雑多なものを経験すると、思考の幅が広がるし、他者への想像力も豊かになる。だから、いろいろな人と出会って、いろいろな経験をしていけばいい。経験は力になるんです。逆に、無知な人間と社会は弱いんじゃないでしょうか。

――最後に、ブレイディさんの未来を教えてください。

「ぼくイエ」は、それまで書いてきたことのすべてが詰まっている作品だと思っています。でも、わたしは自分を「こういうひと」と整理分類されたくないタイプでもある。それこそアイデンティティはひとつじゃないんですから、書き手としても「自分はこう」と決めつけず、変わり続けていきたい。いろいろなことに挑戦していきたいと思っています。

(ぶれいでぃ・みかこ)
波 2020年7月号より
単行本刊行一年後掲載

「ささいな言葉」が奇跡を起こす

ブレイディみかこ坂上香

紀伊國屋書店スタッフが全力でおすすめするベスト30「キノベス! 2020」、「埼玉県の高校図書館司書が選んだイチオシ本2019」、「読者が選ぶビジネス書グランプリ2020」など受賞が相次ぐ中、2年半にわたって続いた「」連載が完結。最終回を記念して、「究極のエンパシー映画」(ブレイディさん)を撮った坂上香監督との対談が実現しました。

坂上 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は9つも受賞したそうで、おめでとうございます。それにしても息子さん、しっかりしていますよね。

ブレイディ ありがとうございます。どっちが親か、わからなくなるときもあります(笑)。わたしが取材を受けたりするのが得意じゃないのを知っているので、今回の来日前には「こんなに取材してもらえることなんてそうないと思うから、エンジョイしてくるといいよ」と励ましてくれたり、「インタビューっていうのは退屈なくらいがちょうどいい。勢い込んで喋ったら炎上するから」とアドバイスしてくれたり。いま13歳ですが、あの年頃の子どもは本当にぐんぐん成長していきますね。
 そうかと思うと、ヘンリー王子がプライベートジェット使用で批判されているのが念頭にあったのだと思うんですが、「飛行機で何度も日本に来ていることについて何か言われるかもしれないね。でも大丈夫。母ちゃんは車も運転できないし、自転車が好きだからグリーンだよ。それでも批判されたら『ボートで来たら何日かかると思うんですか』って切り返せばいい」なんて言ったりもして、思わず笑ってしまいました。

坂上 やっぱりしっかりしている(笑)。わたしにも17歳の息子がいて、オルタナティブな高校(競争原理や点数序列、不必要な管理を排除し、自由を重んじる校風)に通っているんです。学校行事では必ず合唱があるし、音楽祭の様子もけっこう似ているので、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』はまるで自分たちのことのように読みました。それに、実はわたしもブレイディさんと同じ1965年生まれなんです。

ブレイディ え? そうなんですか?

坂上 中1の終わりに東京の八王子に転校してきたんですが、そこは番長が校長の顔を殴って歯を2本折り逃走中、というような学校でした。

ブレイディ 校舎のガラスが割られていたような時代でしたからねえ。

坂上 いい子とヤンキーが教室の前と後ろに別れて座っていて、後ろのほうの席にはシンナーでラリって授業中に教室から出て行ってしまう生徒もいて。そこで中2のときにいじめの対象になって15人による集団リンチを受けたこともあったんです。それが暴力について考えるようになった根っこのひとつにあります。

ブレイディ そうだったんですか。わたしもヤンキー中学校に通っていました。そこから、どういうわけか進学校に進んだのですが、あまりにいろいろな同級生がいる中学校から来たから、なんだかみんな同じに見えました。あるとき教室の中で振り向いたら、みんな同じリズムでノートを取っていてゾッとしたのを覚えています。
 坂上さんが監督された「プリズン・サークル」を観て、ぜひお会いしたいと思い、ご連絡させていただきました。

坂上 光栄です! 『女たちのテロル』以降、ブレイディさんの作品にはまってしまったので。

ブレイディ 自分の思い込みをガツンと殴られるような、すごいドキュメンタリーでした。これは“闇落ち”しない「ジョーカー」だと思って、観た直後にコメントをお送りしたんです。

――ブレイディさんのコメントを紹介しましょう。
【人の苦しみがすべて他者との関わりから生まれるのなら、それを癒すのもまた他者との関わりでしかあり得ない。他者と関わる手段は「会話」であること、暴力へのカウンターは「言葉」であることに改めて思いを巡らせました。全刑務所でTCが導入されればと思います。】
 TCというのはセラピューティック・コミュニティの略ですよね。

坂上 はい。わたしたちは回復共同体と訳したりもしていますが、「サークル」と呼ばれる車座での対話によって受刑者たちが犯罪の原因を探り、問題の対処法を身につけることを目指す教育プログラムです。それを日本で唯一採用している男子刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」が映画の舞台です。2008年に開設された、官民協働型の先進的な刑務所です。

究極のエンパシー映画

ブレイディ イギリスに住んでいると、グループ・セラピーはわりと身近にあるんです。彼らは、離婚とか依存症とか、幼い頃に受けた虐待や暴力とか、自分の経験や本音をけっこうあけすけに淡々と語る。でも、日本人は自分のことをあまり口にしないでしょう? だから、「プリズン・サークル」を観て、とても驚きました。

坂上 わたしはアメリカの刑務所でのTCの取り組みを「Lifers 終身刑を超えて」(2004年)というドキュメンタリー作品にしたことがあって、島根あさひがTCを取り入れようとしていることも知っていましたが、ブレイディさんと同じように、日本では無理だと思っていたんです。ところが、その取り組みを実際に見て、驚きました。受刑者が受刑者に対して自分の経験を自分の言葉で語り、それによって自分を見つめ直して新しい価値観や生き方を見つけていたからです。日本の刑務所も変わり始めている、これは映画にしなければ、と思ったのですが、日本の刑務所が舞台のドキュメンタリー映画は前例がありませんでした。取材の許可が下りるまで紆余曲折がありましたが粘り続けて6年、さらに撮影に2年が必要でした。

ブレイディ 映画で主に紹介されているのは、窃盗、詐欺、強盗傷人(強盗致傷と比べて傷害の故意があるもの)、傷害致死などで服役している4人の若者たちですね。

坂上 ええ、島根あさひの最大収容人数は2000人ですが、TCに参加できるのは希望者の中から条件を満たした40人程度にすぎません。彼らは半年から2年程度TCユニットに所属し、寝食や作業をともにしながら週12時間ほどのプログラムを受けます。

ブレイディ 特に印象的だったのは第6章で紹介された「健太郎」でした。人の心をつなぎとめるのはお金だけだと信じていた彼は、借金をしてでも親や恋人にお金を渡していた。その挙句、お金に困るようになって親戚の家に押し入り、怪我を負わせてしまう。強盗傷人、住居侵入で5年の実刑を受け、婚約者も、そのお腹にいた赤ちゃんも、友人も仕事仲間もすべてを失いました。
 自分の犯罪と向き合えずにいた彼は、TCのロールプレイで被害者役の受刑者から憤りや恐れを投げつけられるうちに、自分がやったことの影響について初めて実感して、涙しますよね。あのシーンですごいのは、被害者役の受刑者も涙を流していることです。自らも加害者である受刑者が被害者のきもちを想像して、わたしが本の中で書いた言葉を借りれば「他人の靴を履く」ことで、自分の罪と向き合っている。これって究極のエンパシー映画ですよね。

坂上 TCには「二つの椅子」という方法もあります。同じひとが二つの椅子に交互に腰掛け、その都度、自分の中の相反する考えや感情を口にしていって、自分を客観視していくのです。

ブレイディ 大切なのは言葉にすること、そしてその言葉を交わすこと、ですね。言葉というと、わたしが思い出すのは、金子文子の「塩からきめざしあぶるよ女看守のくらしもさして楽にはあらまじ」という歌です。虐待や貧困といった悲惨な環境で育ちながら、獄中から看守の焼いているめざしのにおいを嗅ぎ、あの人の暮らしも楽じゃないんだろうなあ、と想像した。彼女には言葉があった。言葉がエンパシーを働かせるためのツールだったんです。
 しかし、うまく言語化できないひともいますよね。映画ではそういう能力に長けた人を選んだのでしょうか?

坂上 いいえ、言葉は感情を取り戻すこととセットですが、ロールプレイなどのトレーニングで徐々に獲得できるんです。

ブレイディ そうか、イギリスでも演劇を通して感情表現を学んだりします。

安全な場所だから語れる本音

坂上 自分の考えや感情を表現する言葉をもっていないひととは逆に、無意味な言葉を羅列する詐欺犯のようなひともいます。そういうひとがTCプログラムを受けていると、突然喋らなくなることがある。自分の言葉の空虚さ、無意味さに気づくんですね。それからややあって、ぽつりぽつりと語り始める。これも別のルートでの言葉の獲得です。
 いずれにせよ、獲得した言葉で本音を語るには、そこが自分をさらけ出しても安全な場所であることが前提になります。

ブレイディ 安全基地ですね。

坂上 はい、わたしたちはサンクチュアリとも呼んでいます。今回の映画の中で紹介した「拓也」は、詐欺と詐欺未遂の罪で2年4ヶ月の実刑判決を受けていますが、生まれてから心休まる安全な場所をもったことなど一度もないと言います。
 親の暴力から逃れるために、2週間に1、2回は家出していたそうです。裸足で逃げ出すこともたびたびで、それを繰り返しているうちに感じるのは寒さや痛みだけという状態になり、感情が動かなくなっていった。それでも彼は生き延び、施設に預けられ、そこで育ちました。幼少期の記憶はあまりなく、唯一覚えているのは、ほんの短い間母親と暮らしていたときに使っていたシャンプーの匂いだけ。18歳頃から複数の女性の家を転々としながら、自分には帰る場所がないと感じていたそうです。

ブレイディ 拓也にとって、TCは心休まる安全な場所になった。

坂上 自分の話をちゃんと聞いてもらえるという体験が他者への信頼につながり、幼い頃のつらい記憶を聞いてもらうことで少しずつ感情がよみがえって、やがて生きたいという欲求を自覚できるようになりました。皮肉にも刑務所という場で。

ブレイディ 言葉を使って自分を認識し直し、言葉を交わして他者と関わる。言葉は奇跡を起こせるんですね。

坂上 ほんとうにそう思います。TCで参加者が一生懸命語っていると、最後の最後で「なんでこのグループはネガティブな話だと盛り上がるんでしょうね」なんて冷や水を浴びせて場を壊そうとする冷笑系のひとがいるんです。でも、そういうひとを追いかけていくと、1年後には涙を流しながら自分の生い立ちを語っていたりする。安全な場所が言葉の力を引き出すんです。

ブレイディ 人は変われるんですよね。傷害致死で実刑判決を受けた「翔」もそうでした。

坂上 暴力を受け、自分も暴力をふるってきた彼の人生のなかで、暴力はあたりまえのものだった。彼は自分に殺されたひとにも非があると考えており、その一方で、人を殺した自分が生きてちゃいけないという思いにもとらわれていました。ところが、TCのロールプレイや「二つの椅子」によって考えることを許されたと感じるようになり、とらわれから逃れて前に進むきっかけを得ます。別のユニットに移ってからも学んだことを実践していて、「翔に勧められたから」「翔みたいになりたくて」という理由でTCを希望する受刑者は多いんです。

劇的な変化の瞬間に立ち会う

ブレイディ 人が変わる瞬間に立ち会うというのは簡単ではないと思います。ましてや刑務所の中に初めてカメラを入れ、映画を撮るわけですからいろいろ苦労されたでしょう。

坂上 まずTCの参加者全員に、カメラなしでインタビューさせてもらい、その中から「成長の過程を経て言語化できているひと」「大きな葛藤を抱えているひと」「入ってきたばかりのひと」といった具合に、さまざまな段階のひとを選びました。顔が出せないので、罪状や刑期、生い立ちなどになるべくバリエーションが出るように気をつけながら、定期的に10人くらい撮影を続けさせてもらいました。
 撮影できるのはTCプログラムとインタビューで、両方とも刑務官が必ず立ち会います。インタビューの依頼も彼らを通して行うので、そのスケジューリングがけっこう大変でした。プログラムとインタビューの時間がバッティングして選択を迫られることもよくありましたね。刑務所側の判断で許可が下りなかったり、撮影が中断される可能性もあるとも言われており、実際、撮り続けていたひとが突然懲罰房に入れられ、主人公がいなくなってしまうこともありました。その一方、インタビューを愉しみにしてくれているような印象も。
 もどかしいこともありました。プログラムの中では言えなかったこと、話しきれなかったことは夕食後から就寝までの休憩時間に喋りあうのですが、それが大きな変化を呼び込むこともある。なのに、その現場の撮影には許可がおりなかった。

ブレイディ 人間の変化は予定調和ではありえないですもんね。

坂上 お金しか信じられないと言っていた健太郎にインタビューを申し込んだのは、実は撮影の後半でした。この人には感情というものがあるのだろうか、ロボットではなかろうかと思うほど能面のような顔をしていて、TCで他の受刑者が離婚や暴力の話をしたときも「うらやましい。僕の家庭にはありませんでしたから」と言ってギョッとさせた彼が、TCに参加して1年くらい経ってから驚くほど変わっていったのです。この先にもっと大きな変化が起こると確信してあわてて撮影を申請、その2ヵ月後から撮影を開始してなんとか変化の軌跡をカメラに収めることができました。

ブレイディ そうでしたか!

坂上 そうやってなんとか撮影を終えて編集に入っても、最後の最後まで「これ、劇場公開できるのかな」という思いが付きまといました。映画は観てもらえなければ意味がない。1.5倍の尺で中間試写を20回以上やって、学生や専門家などさまざまなひとから感想をもらって編集を進めていったんです。
 刑務所が舞台ではあるけれど、刑務所の新しい取り組みを紹介するだけの映像にはしたくありませんでした。また、犯罪者と呼ばれるひとが主人公ですが、彼らだけの話でもありません。なにもTCという形を取らなくても、他人と関わって、誰かにとっての自分になることはできる。あるいは自分にとっての誰かを見つけることもできる。この映画を自分事として観てもらえたら、と願っています。

ブレイディ 坂上さんが今、ツイッターでエンパシーの連鎖を広げようとしていることも知っています。

坂上 暴力の一歩手前にいたひとが、誰かの言葉に触れて踏みとどまることがあると思うんです。ささいな言葉が大事。これからもそういう作品を作っていきたいですし、この映画をつくれたのだから不可能なことはないと思っています。

ブレイディ わたしもエンパシーを深掘りしてみようと思っています。いま書いている中で見つけたものが次の本に続いていくので、すこし先のこともわかりませんが、いろんな書き方でわたしもエンパシーの連鎖を広げていきたいです。

(さかがみ・かおり ドキュメンタリー映画監督)
(ぶれいでぃ・みかこ コラムニスト)
波 2020年3月号より
単行本刊行時掲載

100万光年先の日常から、子どもと社会を描く

ブレイディみかこ瀧波ユカリ劔樹人

ブレイディみかこさんが一人息子の日常を描く現在進行形のノンフィクション『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が大きな反響を呼んでいます。八重洲本大賞を皮切りに、毎日出版文化賞(特別賞)、Yahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞、ブクログ大賞(エッセイ・ノンフィクション部門)と4冠を達成した記念として、愛読者で、やはりご自身の子どもを描くおふたりとの鼎談が実現しました。

瀧波・劔 受賞おめでとうございます。

ブレイディ ありがとうございます。賞とかいうガラじゃないんですけど……いただけるものは、ありがたくいただきます(笑)。

瀧波 この本、最初はタイトルに惹かれて手に取ったんです。読んでみると、自分が関係していない別の国で起きている、でも自分とすごく関係のある出来事だと感じました。書かれている出来事も強烈なんですけど、それと同じくらいブレイディさんの個性が強烈で(笑)。

ブレイディ あ、出てます?(笑)

瀧波 ええ、それに文章も、ものの取り上げ方も、読んだことのない本だったんです。すぐに夫に勧めたんですが、娘も「わたしも読みたい」って。娘は9歳なんですけど。

ブレイディ え? 9歳?

瀧波 はい。夫が「わからないところには線を引いて、あとで調べなさい」って言ったら、こんなふうに赤線だらけに。家族で楽しんでます。

ブレイディ いやあ、うれしいですね。

瀧波 9歳になると、もう共通の本の話ができるんですよ。劔さんのところも、あと7年くらいですよ。

 9歳になれば、もう漢字も読めるんですもんね。

瀧波 うちの娘は世界情勢に興味があるみたいで、NHKが子供向けにやっている世界情勢についての番組を毎週見ているんです。ブレグジットとか、香港のデモとか。最近、親の立つ瀬がどんどんなくなっている(笑)。
 でも、この本も最初はブレイディさんが息子さんに「世の中ってこうなんだよ」って伝えているのが、後半にいくにしたがって息子さんの見方になっていて。息子さん、11歳から12歳になる頃ですよね。本に書かれている1年半の間にものすごい勢いで成長している。

ブレイディ 子どもの成長ぶりを見ていると、いきものってすごいな、と思ったりします。

 子どもってすごいという意味では、最終章にグレタさんのことがでてくるじゃないですか。あの章を読んで改めて、子どもたちが見ているものと彼らの意思をちゃんと理解したいと思いました。
 とはいうものの、実はまだ、本全体を通しての感想は言語化しきれていないんです。日本の中にいても差別や分断を感じるようになっていて、自分の中に潜んでいるものを考えていかなければいけないなと思うと同時に、イギリスと日本の教育ってここまで違うのか、自分の子どもが中学生になるまでの間に親として何ができるのか、この子をこの国で育てていっていいのかな、みたいなことまで考えさせられたり……話がまとまらなくてすみません、いつもこうなんです(笑)。

瀧波 たまに「移住」とかで検索している自分がいるという(笑)。

 そうそう。日本人の中でも、日本はヤバいと思っている人が多い気がします。まあ、海外は海外で日本より激しい場合もあって、ヤバいわけですが。

ブレイディ そうですよ。

社会を信じられる子どもに

瀧波 ブレイディさんが地雷を踏んだ話が出てきますよね。

ブレイディ FGM(女性器の切除)の話ですね。アフリカや中東やアジアの一部で行われている慣習ですが、イギリスでは残酷な児童虐待として80年代から厳しく禁止されて、中学生も授業で教わるんです。で、わたしが移民の保護者の一人と日常会話の中で「お休みはどこか行かれるんですか」と聞いたら「アフリカには帰らないから安心しな」と睨まれて、地雷を踏んだことに気づきました。

瀧波 あの回を読んで、「えっ、こんなの難題すぎる!」と思いました。日本のママ友社会にも地雷はあるんですが、それはみんなが同じでいるための地雷というか。でも、みんなが違う背景を持つ社会で、それを踏まえて注意深くふるまっても、踏んでしまう地雷があるんですね。

ブレイディ 踏むまいといくら気をつけても踏んでしまうものなんだと割り切らないと暮らしていけないところはありますよね。悪気がないのなら、それで悩みすぎてポリコレ嫌いになっちゃうのもどうかと思いますし。

瀧波 タフにならざるを得ない。

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劔樹人

 子どもたちは余計そうですよね。息子さんが通う元・底辺中学校では、お互いに地雷を踏み合っているわけで。
 ぼくがいま、自分が通う中学校を選ぶなら、息子さんと同じようなところを選ぶだろうなと思うんです。入学説明会のときの校長先生のふるまいからして魅力的で。でも、スパッと選べるかな……。

ブレイディ 取材してくださる方々からも「なんで、あの学校に入れたんですか」ってよく聞かれるんですけど、わたしは「ここに行けば」なんて一言も言ってないんです。息子が決めることですから。まあ、息子と一緒に入学説明会のライブを観ているときもノリノリだったし、わたしがこの学校を気に入っているのはみえみえだったと思うんですけど(笑)。
 息子の同級生のほとんどは別の中学を選んだんです。そこは進学校で、わたしたちも見学には行きました。でも、前の方の席の生徒は真面目に授業を聞いているけれど、後ろの方の生徒は雑誌を読んだりして、なんだか“捨てられている”感じを受けてしまって。
 息子が選んだ中学校は、廊下に丸テーブルが置いてあって、授業についていけない生徒を先生がマンツーマンに近い形で教えていました。それって、後ろの方の席に座っている子どもを押し上げようとする行為じゃないですか。たとえ効果がないとしても、大人がそういう姿勢を見せることが大事だと思うんです。それによって、社会を信じられる子どもになると思うから。どうなるか誰もわからない未来を幸せに生きていけるかどうかは、成績の良し悪しじゃなくてそういうところのような気がします。

 本の中で「クラスルームの前後格差」と書かれているところですよね。ぼくも、とても身につまされました。
 うちの母は新潟で高校の教員をしていたんですけど、リベラルで自分なりの教育の理想をはっきりもっているひとで、不良ばっかりいる「底辺校」を渡り歩いていたんですよ。

ブレイディ イギリスでは、公営住宅地にあるような貧しい学校ほど優秀な教員が集まる傾向はありますね。

 ぼくは県内で一番の進学校に行ったんですけど、そこではできるやつはできるけど、全然できない落ちこぼれがわりといて。底力はあるから最後はつじつまを合わせるんですけど、教室での前後格差は確かにあった。

瀧波 わたしは後ろ側でしたね、高校のとき。

 ぼくもです! 中学のときはテストやったら上から5番以内に必ずいたんですよ。でも高校に入ったら後ろから16番目でした。

子どもには「遊ぶ権利」がある

瀧波 この本には、常識をガーンと破られるみたいな面白さがありますよね。優秀な学校は白人ばっかりだと思っていたら逆じゃん! みたいな。日本もだんだんそうなっていくんだろうなあ、ってなんとなく悲観的に思っていたんですけど、この本を読むと、なんだかそれも面白いじゃんって思えるから不思議です。

ブレイディ そうそう。なにもなくてまったりしているところより、いろいろあるけどダイナミックなところの方が面白いですよね。

瀧波 私が育ったのは釧路の新興住宅地だったから、親の収入くらいしか違うところがなかったような気がするんですけど、これからは……。

ブレイディ 収入とかの縦の違いも、人種とか文化といった横の違いも、ぐちゃぐちゃになってくる。

瀧波 そうなったときに、自分の子どもにも面白いと感じてほしいです。
 本の中には、ブレイディさんが子どものときの話も出てきますよね。

ブレイディ 自分の子どものころの記憶なんて普段はまったく忘れているのに、子どものやってることを見て、フラッシュバックのように甦ることないですか?

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瀧波ユカリ

瀧波 あります。本の中に、ブレイディさんの中学時代の先生が、生徒を喧嘩両成敗にしたエピソードが出てくるじゃないですか。「人を傷つけることはどんなことでもよくない」って言って。あれとは違う雑さというか、波風を立てないための雑さを、子どもを見ていて思いだすことがあります。
――小学生や中学生でいえば「水筒問題」っていうのもありますよね。猛暑で熱中症になるのを防ぐために、子どもに水筒を持たせようとしても校則で禁止。期間限定で持参が許されても、登下校中は飲んではいけないとか。

ブレイディ え? イギリスは夏でも冬でも子どもにウォーター・ボトルを持たせることが法律で決まってますよ。子どもの健康とか、人権をどう考えているんだろう?

 もともと部活でも水を飲むなというような土壌もありましたし、熱中症の理解が最近ようやく進んできたということはあるにせよ、現場のルールはもっと変わってしかるべきなんですけどね。

瀧波 そういうおかしなルールはほかにもあって、女子生徒の下着の色は決まっているとか、生まれつきの髪の色が違っても黒く染めなければいけないとか。昔より酷くなっている気がします。先生も余裕がなくて一件一件に対応できないから、もうこれを守ってください、というのもあるんでしょうけど。

 それはわからんでもないんですよね。保育園とかで先生を見てても、たいへんそうだし。

瀧波 まあ、だから、理不尽があるのはよくないんだけど学びの糧にするしかないんですかね。ブレイディさんの息子さんも理不尽がデフォルトみたいな世界を生きているわけですし。

ブレイディ しかし、子どもが学校と家の板ばさみになると、つらいですよね。イギリスが子どもの人権を考えるようになったのは、ヴィクトリア朝の時代まで遡りますけど、子どもに労働させていたことへの反省があるからなんです。だから今でも小学校の授業でヴィクトリア朝時代の子どもの一日を体験してみるみたいなカリキュラムがあって、メイドとか煙突掃除の少年とか当時の格好をして行うんです。
 で、その格好でいちにち労働させて、体験を語り合って、「じゃあ、どうして君たちは今、こうして働かずに学校に行けるんだろうね」「国連憲章には、子どもには学ぶ権利だとか、守られる権利だとか、危険な目に合わされない権利が記してあって、それが国の法律になって、君たちは守られているんだよ」と教えるらしいんです。

瀧波 すごい。

ブレイディ 哲学者の國分功一郎さんから聞いた話なんですが、彼が子どもをイギリスの小学校に通わせていたとき、学校を見に行ったら、「遊ぶ権利」っていうポスターが貼ってあって衝撃を受けたそうで。

瀧波 まぶしい!

ブレイディ イギリスの子どもはいろいろ教えられるんですよ。声を上げる権利とか、声を聞いてもらう権利とか、搾取されない権利とか。

瀧波 日本の道徳の授業から100万光年くらいの距離を感じます。日本はどうしても自己犠牲とかまわりに迷惑をかけないという話になりがちで。遊ぶ権利とか言ったら、そのための義務を果たせとか言われそう。

 ぼくはけっこうそういうのを素直に吸収しちゃうタイプかも(笑)。

「エンパシー」で分断を超えろ

 授業といえば、息子さんは学校でエンパシーについて教わっていますが、あれ、いいですよね。

ブレイディ エンパシーは、自分が必ずしも賛同できない、共感できない相手の頭の中、胸の内を想像してみる能力のことですね。イギリスはいまEU離脱で離脱派と残留派がやりあったり、そのほかにもいろいろな分断があります。だから、分断を乗り越えるために知的な作業を身につけさせなければ、ということで教えているみたいです。
 多様であるということは違いがたくさんあるということですから、ものごとを進めるにも一筋縄ではいきません。一例を挙げれば、イギリスではLGBTQについて小学校から教えるようになっていますけど、たとえばムスリムのご家庭では教義上、教えてほしくないわけじゃないですか。だからムスリムの家庭の多い都市では、親がLGBTQの授業のある日は子どもを学校に行かせないという運動を起こして、学校が授業を止めたと報じられたりしています。
 難しい問題ですよね。宗教を信じる自由はある。もう一方で、小さいうちからLGBTQについて教えておいたほうがいいという考えがある。さらに、ムスリムはイギリス社会ではマイノリティなのでLGBTQの教育を同化主義だと批判するひとも出てきたりして、政治も簡単には動けない。多様性のある社会というのは、そういうことばっかりですよね。
 でも、多様性のある社会に違い=分断があるのは当たり前じゃないですか。分断を目の当たりにしたときに、自分と違う立場の人がなぜそういうことを言うのかを想像できなければ解決策は見つからない。お互いのことが分からないと、前に進めない。でも、ツイッターとかを見ていると、自分の言い分で誰かを攻撃するという状況がありますよね。

 本の中で、万引きした子へのいじめについて、息子さんが語るシーンがあるじゃないですか。

ブレイディ 「人間はいじめるのが好きなんじゃないと思う。罰するのが好きなんだ」という言葉ですね。正義の名の下に誰かを罰するという行為は根深い。

瀧波 でも、そういう状況も過渡期かもしれないとも思うんです。正論をぶつけるのが勝ちじゃないということに気づくまでの過渡期。まだみんな勝ち負けにこだわるじゃないですか。3、4年したらそれが変わってくるんじゃないかなあ、というか、そこまでは醜悪さが増していくかもしれないんですけど、それをみんなが見ることができるので、そこに学びはあるんじゃないかなと。

 それはぼくも同感です。息子さんの無知の話がありましたけど、自分も含めて日本人の大部分はまだ無知の状態だったと思うんです。

瀧波 見ないで済む問題がすごくいっぱいあった。

 それが見えるようになってきた。

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ブレイディみかこ

ブレイディ となると教育が大事ですね。

 ブレイディさんが紹介しているイギリスの言葉「It takes a village」は、子どもはコミュニティ全体で育てるもの、という意味ですよね。素敵な言葉だと思いました。学校や家庭だけでなく、地域も含めた日常での教育が大事ですよね。
 ぼくも娘を育てる中で、女の子だからピンクの服というふうには教えたくなかったので、娘にマニキュアを塗られても、「パパは男だからダメだよ」とか言わないようにしてます。

瀧波 子どもはけっこう外からガチガチの価値観をもって帰ってきたりするんで、その都度わたしも言います。男が女の格好しても、女が男の格好してもいいじゃん、とか。

ブレイディ うちの息子もそう育てようとして小さい頃はピンクの服を着せたりしていたんですが、成長すると「そんなのガーリーだ」「黒がいい」とか嫌がられて。

瀧波 娘は女性が未だ就けない職業があることを知っていろいろ思うところがあるようで、ちょっと前になりたい職業を夫が聞いたら「ファッションデザイナーか、誰かを助けている人を応援する仕事か、大統領か皇后か関取」って後半3つがすごいことに(笑)。

 いいですねえ(笑)。

瀧波 志は良いけど、最後のやつ、身体的な素質はあなたゼロだよ、って(笑)。

 いいですねえ(笑)。子どもって面白いし、親の視野を広げてくれますよね。

瀧波 わたしも子どもを生んだらこれまでわからなかったことがたくさんわかるようになった。

 ブレイディさんのこの本は、先人の知恵というか、こんなに多様性のある環境で子どもたちが力強く育っていけるんだという安心感も覚えます。

ブレイディ なんとかなる、ということですよね(笑)。連載はまだ続いているんです。この先どう変わっていくのかわかりませんが、楽しんで書ける間は続けてみたいと思っています。

(たきなみ・ゆかり 漫画家)
(つるぎ・みきと ミュージシャン・漫画家)
(ぶれいでぃ・みかこ コラムニスト)
波 2019年12月号より
単行本刊行時掲載

元・底辺中学校で出会うリアルな「世界」

ブレイディみかこ

「これは全書店員がどうやったら多くの人に読んでもらえるか考えるべき1冊だ」全国の書店員さんが心を揺さぶられた等身大ノンフィクションの舞台裏。

――書店員さんの感想、すごいです。

ブレイディ ほんとうにありがたいです。全国の書店員さんたちが「ゲラを読んでください」の呼びかけに手を挙げてくださり、忙しい業務の合間に熱い感想を書き送ってくださったからこそ、著者を含む関係者がその気になった本ですので(笑)。
 書店員さんたちからいただいた感想を綴じ込んだファイルと、新潮社の宣伝部の方がそれぞれの感想をその人が働く書店用にカスタマイズしてくれた狂気のPOP(笑)の分厚い束が、わたしの仕事部屋にあります。これを見ていると、不覚にもまた視界が滲んで……。
 この本は、12歳の息子と彼が通っている中学校、個性豊かな彼の友だちや先生たちとの日常について書いたものです。わたしの住む英国では、ありふれた日常を描いた作品のことを「キッチン・シンク」と呼びます。日本語にすれば「台所の流し」で、人目を引くものや珍しいものを探して描くのではなく、そこらへんに転がっているものを題材にして作品を作るという意味でもあります。
 あまりに自分に近いところにある出来事を書いているので手探りでしたが、感想にとても励まされました。

――ユニークなタイトルです。

ブレイディ これ、息子の落書きの言葉なんです。ある日、彼の部屋を掃除していたら、国語のノートが開かれたままになっていました。「ブルー」という単語はどういう感情を意味するかという問いに「怒り」と答えて、赤ペンで直されていました。と、右上にこの落書きが目にはいったんです。青い色のペンで、ノートの端に小さく体をすぼめて息を潜めているような筆跡でした。
 わたしは日本人で、配偶者は白人のアイルランド人です。息子は何かこんなことを書きたくなるような経験をしたんだろうか。この落書きを書いたとき、彼はブルーの正しい意味を知っていたのか。それとも知る前だったのか。そう思うと、そのことを無性に知りたくなりました。そして、落書きの言葉をそのままタイトルに使ってしまったんです。

――どんな中学校なんですか。

ブレイディ 荒れていたことで有名だった「元・底辺中学校」です。公立ですが、音楽や演劇、ストリートダンスといった授業に力を入れてから子どもたちの素行も成績も良くなった。なんだかドラマの「glee/グリー」みたいだな、と思いました。落ちこぼれそうな生徒がいたら教室のすぐ外で“個別授業”をやるところとかも、日本の高校で落ちこぼれたわたしには好感度が高かった。

――次から次に事件が起こります。

ブレイディ なにしろ、自分が固まりきらないプレ思春期ですからね。息子が学校であったことを話してくれるので、わたしはそれを書き留めているだけです。息子とはいえ、自分ではない人のことは案外わからないもの。だから、わたしの解釈はなるべく書きません。あとは読者が考えてくれればいいと思っているんです。

――子どもたちの解決方法がすごい。

ブレイディ そうなんです! たとえば、こんなことがありました。わたしはボランティアで制服の古着を繕うリサイクル活動をしているんですが、息子から「一着買って友だちにあげたいんだけど……」と相談を受けました。彼の家は本当に貧しくて制服はお兄ちゃんのおさがり。いや、制服どころではなく食費にも事欠いていて、学食の万引きの常習犯です。
 わたし自身も貧しくて定期代もアルバイトで稼ぐような子どもでした。だから、彼に制服をあげたい。でも、切り出し方が難しい。どう言えば相手が傷つかないか、考えを巡らせたんですが、なかなか考えつきません。すると、わたしに構わず、息子は友だちに制服を渡してしまいました。
「どうして僕にくれるの?」
 案の定というべきか、大きな緑色の目で見つめながらそう聞く彼に、息子は言いました。
「君は僕の友だちだからだよ」
 こんなシンプルなことが大人のわたしには言えなかった。毎日、子どもたちに教えてもらうことばかりです。

――続きが楽しみです。

ブレイディ これからどうなるのか……息子にもわからないでしょう(笑)。
 彼はいま、iPhoneでの作曲に夢中です。ダンスミュージック風の曲をつくって、それを流しながら踊ったりしていますね。カントリーとラップを融合させたLil Nas Xの「Old Town Road」が今のお気に入りみたいです。わたしもふりだしは音楽ライターでしたから、血は争えないというか。でも、彼の興味も、アイデンティティーも、これからどんどん変わっていくはず。できるかぎり、書き留めていきたいと思っています。

(ぶれいでぃ・みかこ 小説家)
波 2019年8月号より
単行本刊行時掲載

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著者プロフィール

ブレイディみかこ

ブレイディ・ミカコ

1965(昭和40)年福岡生れ。県立修猷館高校卒。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996(平成8)年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年『子どもたちの階級闘争』で新潮ドキュメント賞を、2019(令和元)年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞を受賞。他の著書に『花の命はノー・フューチャー』『アナキズム・イン・ザ・UK』『ザ・レフト』『ヨーロッパ・コーリング』『いまモリッシーを聴くということ』『労働者階級の反乱』『ブレグジット狂騒曲』『女たちのテロル』『ワイルドサイドをほっつき歩け』『ブロークン・ブリテンに聞け』『女たちのポリティクス』などがある。

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判型違い(単行本)

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