新潮社

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インタビュー

生きること、変わり続けていくこと

ブレイディみかこ

刊行から一年、熱い感想が一向に鳴り止まない「一生モノの課題図書」。著者はいま、何を考えているのでしょうか。

――刊行から一年ですね。

ぼくイエ」を出したときは、ことあるごとにブレグジットについて聞かれたものですが、今では英国のコロナ禍のことばかり。わたしはどちらの専門家でもありませんから戸惑うばかりですが、隔世の感があります。
 そう、この一年のうちに中学生や高校生、ときには小学生から感想をもらうようになりました。連載当初はティーンに向けて書いていたわけではなかったので、この層からの反響には驚きました。生まれた国や環境が自分に合っているとは限らない。別の国にもあなたと同じことで悩んでいる同世代の子もいる。アイデンティティはひとつじゃない。世界は広いんだから、いま置かれている状況にとらわれないでというメッセージが伝わっていたとしたらうれしいですね。

――ご自身がそうだった?

 はい。わたしには英国が合っていたんです。中学時代に音楽を聴いてビビッときて、実際に住んでみて確信しました。顔かたちから肌の色まで、バラバラの人が同じ社会で一緒に暮らしている。だから自分も好きに生きていいんだ、と思えたんです。もちろん、英国だって大変なことはありますけど。

――多様化が進んだ社会だからこそ。

 ええ、多様性のある社会はややこしいんです。文化的な背景によって常識が違うので、そこかしこに地雷が埋まっている。ひとは本能的にアイデンティティを求める生き物だと思うんですが、強い帰属意識や連帯感は、別の集団との分断も生んでしまう。
 では、向こうとこちらの違いをなくせばいいのかといえば、そういう話でもない。違いをなくしたら多様性もなくなってしまうと思いませんか。経済の分断、つまり格差は論外ですが、多様性のある社会というのは違う人たちが一緒に暮らしているわけですから、分断が生まれるのはある意味、当たり前なんです。
 だから、大切なのは分断をどうしたら乗り越えられるか。その有効な手段のひとつが「エンパシー」だと思うんです。

――共感力ですか。

 エンパシーは、たとえ自分が賛成しない人、意見が違う人であっても、その人の立場になって想像する能力のことです。共感と訳されがちですが、「いいね」ではありません。息子は授業で「エンパシーとは何か」という問いに「誰かの靴を履いてみること」と答えました。これは英語の定型表現でもあるんですが、靴といっても汚いものもあれば、ダサいもの、サイズが合わないものもある。でも、それを履いてみる知的な努力がいま必要なんじゃないでしょうか。
 たとえばレイシズム発言をする人がいたとして、「あいつは悪だ」で片付けたら思考停止です。人は環境の動物なのだから、生まれながらのレイシストはいないはず。では、その人にレイシズム発言をさせているのは何だろうと考えてみる。これがエンパシーです。
 英国がEUからの離脱派と残留派で分断されたとき、音楽家のブライアン・イーノは「これからは自分のわからないことを言う人について考えることが大事なんじゃないか」という趣旨の発言をしました。まったく同感です。

――自分が共感できる「いいね」だけを追求していくと、「それ以外」の排除にもつながりそうです。

 ネットでの意見表明は先鋭化しがちですよね。意見が違う相手を“悪魔化”して、お互いに遠くから石を投げ合っているというか。相手に近づけば、共通点とまではいかなくとも、接点くらいは見つかるかもしれないのに。
「正しさ」のぶつかり合いだけでなく、正義感が暴走して“ネットリンチ”を生み出してしまうケースもしばしば目にします。「叩いていい人認定」されたらみんなで容赦なく叩く。よくみると直接関係ない人が先頭に立って叩いている。そういうことって、経験ありませんか。
 息子は親友がいじめられたとき、そういう状況を目の当たりにして悩んでいました。彼が口にした「人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」という言葉が、今も忘れられません。

――ハッとする人は多いと思います。

「ぼくイエ」で描きたかったのは社会なんです。社会の矛盾や不条理、あるいは病理のようなものは、子どもたちの世界に露骨にあらわれる。息子の日常を一緒に見つめていくことで、データや引用では語れない、生身の人間とリアルな社会を描きたかった。
 子どもたちは日々、事件にぶち当たりますが、彼らは柔軟です。だって、差別する人と差別される人の間に友情が成立したりするんですから。その姿を見て、そういえば、と思い出すんです。小さい頃は、自分と違う人とでも一緒に遊んでいたなって。何でも敵と味方に陣営を分けるんじゃなく、「ここは嫌いだけど、ここは気が合う」というふうに付き合っていませんでしたか。

――たしかに。それと比べて、今の大人の世界はピュアすぎるというか、ひとつダメなら全部ダメというきらいがあるかもしれません。

 あるいは、親友が困っているとき、どうしたら相手を傷つけずに手を差し伸べられるか。大人になると、過剰に言葉を重ねたり、自然さを演出しようとしたり、考えすぎてしまいそうですが、子どもたちは「友だちだから」の一言ですっと手を取り合ったりする。そういうやり取りを見ていて、いつしか忘れていたとても大切なことを思い出させてもらったような感動を覚えました。
 もちろん、簡単には解決できない問題もたくさんあります。でも、子どもたちの世界は“事件”に満ちているので、ひとつところでとどまってはいられない。「とりあえずこういうことにしておこう」という感じでいなして、先に進む。その場では忘れたとしても、嫌な思いをしたことって記憶に残りますから、きっと将来エンパシーを働かせるための糧になると思うんですよね。

――息子さんは授業でエンパシーを学んだんですよね。

 ええ。英国の中学校にはライフスキル教育という科目があって、それがシティズンシップ・エデュケーション(市民教育)とか、セクシャル・エデュケーション(性教育)などに分かれています。
 シティズンシップ・エデュケーションは、社会に出るための知識やスキルを子どもたちに身につけさせることを目的にしています。日本で言うと公民に近いと思いますが、大きな違いがあります。
 今のシステムはこうなっている。でも、それはおかしいと反対する人もいる。それを教えたうえで、自分がどう思うかを考えさせるんです。
 たとえば、「ある教授が『今イギリスの学校ではレイシズムについて教え過ぎだ』と言っている。君はこの説についてどう思うか。この教授は正しいか、間違っているかを最初に書いて、その理由を述べなさい」という問題が出たりする。これを12歳でやるんです。
 正しさはうつろうものであって、いま決まっていることがすべてじゃない。子どもたちはこうして様々な論があるという思考法を学び、現状への異の唱え方も学ぶ。未来を担う子供たちに自分の頭で考える習慣をつけることで、社会が行き詰ったとき前に進めていく力を社会全体で養っているんです。
 シティズンシップ・エデュケーションの授業には、お金の管理に関する教育も含まれます。たとえば、ボランティア活動をするとき、自分たちで計画を立てて実行するのですが、どうやって資金を調達するかというところから計画するんです。これも、困った事態が突発した時の英国の草の根の機動力につながっている気がします。

――日本とはかなり違いますね。

 ええ。でも、シティズンシップ・エデュケーションはいきなり始まるわけじゃなくて、その前には幼児教育という礎があるんです。
 トニー・ブレアが首相だったとき、「多様性社会に対応できる子どもをつくるのは幼児のケアではなく、教育だ」ということで、保育の大改革をしました。
 英国では、親の収入や地域による貧富の差が子どもの発育の差につながってしまっていました。具体的には、就学前の4歳児の時点で裕福な家庭と貧しい家庭の子どものあいだに、大きな発育の差があったんです。
 そこでブレア政権はまず1998年にシュア・スタート・プログラムをつくりました。幼児教育とケアを与えることですべての子どもが人生の最高のスタートに立つことができるように保障するというプログラムです。
 ここから始まった保育の大改革は、2006年のEYFS(Early Years Foundation Stage)へとつながっていきます。幼児教育のバイブルとされるこのカリキュラムは、ゼロ歳児の時点から年齢ごとに到達すべき発育の目標が細かく定められていて、保育士はひとりひとりを細かく観察・記録し、個別の計画をたてて発育を促していきます。

――ゼロ歳児からですか。

 はい。当時も「おむつをしているうちからカリキュラムなんて」と批判もされましたが、カリキュラムの主眼は、人間としての器の礎となるエモーショナル・インテリジェンス(EQ/感情的知能)を育てることでした。まずそこを形作ってから知識を、という道筋をつけたのです。この幼児教育を受けた第一世代に、うちの息子もいました。

――なるほど。多様なものごとを柔軟に、ポジティブに考えるという姿勢の根っこはそこにあったのですね。

 社会は革命でいきなり変わるわけではない、何十年後を見据えた教育で漸進的に変わるものだと思います。教育のありかたは、社会の未来像と密接に結びついているんです。
 いまは不確実性がとても高まっている時代ですよね。変わりうるものを知識として教えるだけでは意味はない。それよりむしろ、自分で調べ、情報を見極めて、考える習慣をつけることが大事なんじゃないかと思います。
 まずやってみるという姿勢も大切だと思います。雑多なものを経験すると、思考の幅が広がるし、他者への想像力も豊かになる。だから、いろいろな人と出会って、いろいろな経験をしていけばいい。経験は力になるんです。逆に、無知な人間と社会は弱いんじゃないでしょうか。

――最後に、ブレイディさんの未来を教えてください。

「ぼくイエ」は、それまで書いてきたことのすべてが詰まっている作品だと思っています。でも、わたしは自分を「こういうひと」と整理分類されたくないタイプでもある。それこそアイデンティティはひとつじゃないんですから、書き手としても「自分はこう」と決めつけず、変わり続けていきたい。いろいろなことに挑戦していきたいと思っています。

(ぶれいでぃ・みかこ)
波 2020年7月号より
単行本刊行一年後掲載

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【特別試し読み】『THIS IS JAPAN―英国保育士が見た日本―』ブレイディみかこ

著者プロフィール

ブレイディみかこ

ブレイディみかこブレイディ・ミカコ

ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。2017年、『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で新潮ドキュメント賞を受賞。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞、Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞などを受賞。他に、『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』(筑摩書房)、『THIS IS JAPAN―英国保育士が見た日本―』(新潮文庫)、『女たちのテロル』(岩波書店)、『女たちのポリティクス――台頭する世界の女性政治家たち』(幻冬舎新書)、『他者の靴を履く――アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)など著書多数。

著者プロフィール

ブレイディみかこブレイディ・ミカコ

ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。2017年、『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で新潮ドキュメント賞を受賞。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞、Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞などを受賞。他に、『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』(筑摩書房)、『THIS IS JAPAN―英国保育士が見た日本―』(新潮文庫)、『女たちのテロル』(岩波書店)、『女たちのポリティクス――台頭する世界の女性政治家たち』(幻冬舎新書)、『他者の靴を履く――アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)など著書多数。

ブレイディみかこ
単著
『花の命はノー・フューチャー』(碧天舎、2005年7月刊/増補してちくま文庫へ、2017年6月刊)
『アナキズム・イン・ザ・UK』(Pヴァイン、2013年10月刊)
『ザ・レフト──UK左翼セレブ列伝』(Pヴァイン、2014年12月刊)
『ヨーロッパ・コーリング──地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店、2016年6月刊)
『THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本』(太田出版、2016年8月刊)
『子どもたちの階級闘争──ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房、2017年4月刊)
『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン、2017年4月刊)
『労働者階級の反乱──地べたから見た英国EU離脱』(光文社新書、2017年10月刊)
『ブレグジット狂騒曲──英国在住保育士が見た「EU離脱」』(弦書房、2018年6月刊)
『女たちのテロル』(岩波書店、2019年5月刊)
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年6月刊)
共著
『保育園を呼ぶ声が聞こえる』(國分功一郎氏、猪熊弘子氏との共著/太田出版、2017年6月刊)
『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(松尾匡氏、北田暁大氏との共著、亜紀書房、2018年4月刊)
『人口減少社会の未来学』(内田樹氏によるアンソロジーに寄稿、文藝春秋、2018年4月刊)
『平成遺産』(武田砂鉄氏によるアンソロジーに寄稿、淡交社、2019年2月刊)
『街場の平成論』(内田樹氏によるアンソロジーに寄稿、晶文社、2019年3月刊)