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1922(大正11)年
5月15日、徳島市に指物職人三谷豊吉、コハルの次女として生れる。長女艶と二人姉妹。

1929(昭和4)年 7歳
新町尋常小学校に入学。5月、父が大伯母瀬戸内いとと養子縁組し、瀬戸内家を継ぐ。

1935(昭和10)年 13歳
徳島県立徳島高等女学校に入学。

1940(昭和15)年 18歳
東京女子大学国語専攻部に入学。

1943(昭和18)年 21歳
2月、見合結婚、入籍。9月、戦時繰上げで卒業。10月、夫の赴任地、北京に渡る。

1944昭和19)年 22歳
8月、長女誕生。

1945(昭和20)年 23歳
8月、終戦。親子三人で非合法に北京に留まる。

1946(昭和21)年 24歳
6月、強制送還になり、徳島に引揚げる。

1948(昭和23)年 26歳
2月、京都へ出奔。大翠書院、京大付属病院小児科研究室に勤務。

1950(昭和25)年 28歳
2月、協議離婚。12月、『少女世界』に三谷晴美のペンネームで投稿した「青い花」が掲載され、初めての原稿料を得る。

1951(昭和26)年 29歳
5月、上京。童話や少女小説で生計を立てる。丹羽文雄主宰の『文学者』同人となる。その後、小田仁二郎主宰の同人雑誌『Z』に入る。

1957(昭和32)年 35歳
1月、「女子大生・曲愛玲」で第3回新潮社同人雑誌賞を受賞。10月、「花芯」を『新潮』に発表。

1959(昭和34)年 37歳
7月、『無名誌』に「田村俊子」冒頭の章を発表。翌年1月、「田村俊子」を『文学者』に連載開始。

1961(昭和36)年 39歳
4月、『田村俊子』で第1回田村俊子賞を受賞。

1962(昭和37)年 40歳
7月、「かの子撩乱」を『婦人画報』に連載開始。
10月、「夏の終り」を『新潮』に発表、「女徳」を『週刊新潮』に連載開始。

1963(昭和38)年 41歳
4月、『夏の終り』で第2回女流文学賞を受賞。

1965(昭和40)年 43歳
4月、「美は乱調にあり」を『文藝春秋』に、9月、「鬼の栖」を『文藝』に連載開始。

1966(昭和41)年 44歳
6月、「死せる湖」を『別冊文藝春秋』に発表。このころより、新聞、週刊誌、各雑誌に精力的に書く。

1967(昭和42)年 45歳
1月、自伝小説「いずこより」を『主婦の友』に連載開始。

1968(昭和43)年 46歳
4月、「遠い声」を『思想の科学』に連載開始。

1969(昭和44)年 47歳
68年からこの年にかけて発表した意欲的な短篇作品群が『蘭を焼く』(9月、講談社刊)に結実する。

1970(昭和45)年 48歳
9月、「おだやかな部屋」を『文藝』に発表。

1971(昭和46)年 49歳
1月、「余白の春」を『婦人公論』に、8月、「京まんだら」を『日本経済新聞』に、10月、「中世炎上」を『週刊朝日』に連載開始。

1972(昭和47)年 50歳
3月、『瀬戸内晴美作品集』(全8巻)を筑摩書房より刊行開始(73年5月完結)。

1973(昭和48)年 51歳
10月、『瀬戸内晴美長編選集』(全13巻)を講談社より刊行開始(74年12月完結)。11月14日、奥州平泉中尊寺で得度・受戒。法名、寂聴。

1974(昭和49)年 52歳
4月26日より60日間、比叡山横川行院にて四度加行を受く。12月、京都市嵯峨野鳥居本に寂庵を結ぶ。

1979昭和54)年 57歳
9月、書下ろし長篇『比叡』を新潮社より刊行。

1981(昭和56)年 59歳
1月、「ここ過ぎて――白秋と三人の妻」を『新潮』に、「諧調は偽りなり」を『文藝春秋』に連載開始。

1982(昭和57)年 60歳
1月、「青鞜」を『婦人公論』に連載開始。81年に始めた二つの連載と合せ、大正時代を書き続ける。

1983(昭和58)年 61歳
2月、「私小説」を『すばる』に連載開始。

1985(昭和60)年 63歳
5月、寂庵内に修行道場、嵯峨野僧伽落慶。

1987(昭和62)年 65歳
2月、個人新聞『寂庵だより』(月刊)を創刊。5月、岩手県二戸郡浄法寺町の天台寺に住職として晋山。

1988(昭和63)年 66歳
4月、敦賀女子短期大学学長に就任(92年3月まで)。

1989(昭和64・平成元)年 67歳
6月、「花に問え」を『中央公論文芸特集』に連載開始。『瀬戸内寂聴伝記小説集成』(全5巻)を文藝春秋より刊行開始(90年3月完結)。

1990(平成2)年 68歳
1月、「手毬」を『新潮』に、2月、「白道」を『群像』に連載開始。

1992(平成4)年 70歳
10月、『花に問え』で第28回谷崎潤一郎賞を受賞。

1993(平成5)年 71歳
7月、「草筏」を『中央公論』に連載開始。

1996(平成8)年 74歳
3月、『白道』で第46回芸術選奨文部大臣賞を受賞。11月、『わたしの樋口一葉』を小学館より刊行。12月、現代語訳『源氏物語』(全10巻)を講談社より刊行開始(98年4月完結)。

1997(平成9)年 75歳
4月、『つれなかりせばなかなかに――妻をめぐる文豪と詩人の恋の葛藤』を中央公論社より刊行。11月、文化功労者に選ばれる。

2000(平成12)年 78歳
1月、「場所」を『新潮』に連載開始。3月、新作能「夢浮橋」の台本を書き、国立能楽堂で上演される。




    


昭和32年、新潮社同人雑誌賞
受賞の日、控え室にて
 


昭和33年ごろ、小田仁二郎氏と
 


昭和38年、「夏の終り」など
連作短篇のころ
 


昭和40年ごろ、左端は円地文子氏
 


昭和42年ごろ、岡本太郎氏と
 


昭和50年ごろ、宇野千代氏と
 


平成元年ごろ、横尾忠則氏と
“山寺風雅の国”にて