
川端康成・三島由紀夫 往復書簡
605円(税込)
発売日:2000/10/30
- 文庫
東大在学中の三島由紀夫は、処女小説集『花ざかりの森』を川端康成に送り、昭和20年3月8日付の川端の礼状をもって、二人の親交が始まった。文学的野心を率直に認(したた)めてきた三島は、川端のノーベル賞受賞を機に文面も儀礼的になり、昭和45年、衝撃的な自決の4ヶ月前に出された永訣の手紙で終止符を打つ……「小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です」恐るべき文学者の魂の対話。
恐るべき計画家・三島由紀夫 佐伯彰一 川端香男里
略年譜
書誌情報
読み仮名 | カワバタヤスナリミシマユキオオウフクショカン |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 258ページ |
ISBN | 978-4-10-100126-5 |
C-CODE | 0195 |
整理番号 | か-1-21 |
ジャンル | エッセー・随筆 |
定価 | 605円 |
どういう本?
タイトロジー(タイトルを読む)
昭和二十年三月八日付
鎌倉市二階堂三二五より東京都渋谷区大山町十五平岡公威様方あて
今日野田君より御高著花ざかりの森難有(ありがたく)拝受致しました。文芸文化で一部拝見して御作風にかねて興味を寄せて居りましたのでまとめての拝受を楽しみに致します。
義尚ハ私も書いてみたく少し調べても居ります事とて先日中河君あてに手紙出したい程でした。
花ざかりの森ハ今日北鎌倉の某家で島木君より受け取りましたが、疎開荷造中の物を見に行きましたところで、宗達、光琳、乾山、また高野切石山切、それから天平推古にまでさかのぼり、あるのが嘘のような物沢山見せてもらつて、近頃の空模様すつかり忘れました。紅梅も咲いて居りました。
とりあへず右御礼まで。
三月八日 川端康成
三島由紀夫様
昭和二十三年三月十六日付
東京渋谷大山一五平岡梓内より鎌倉市二階堂三二五あて(はがき)
先日は野田氏を通じ突然拙著を差上げました無躾をお咎めなきのみか、御丁寧な御手紙たまはり、厚く御礼申上げます。
都もやがて修羅の衢(ちまた)、こおり返る寒さに都の梅は咲くかと思へばしぼみながら、春の魁(さきがけ)らしい新鮮さを失つてゆきます。当分の閑暇をたよりに、頼政と菖蒲前の艶話を書いてみたいと思つてをりますが、如何なりますか。ーーきのふ青山の古本屋で「雪国」をみつけもとめてまゐりました。何卒御身御大切に。御礼まで。
三月十六日 平岡公威
川端康成様
(本書11〜12ページ)
メイキング
昭和二十年(三島由紀夫二十歳、川端康成四十六歳)から始まり、昭和四十五年まで交わされた二十五年に渡る九十余通の往復書簡を収録。
著者プロフィール
川端康成
カワバタ・ヤスナリ
(1899-1972)1899(明治32)年、大阪生れ。東京帝国大学国文学科卒業。一高時代の1918(大正7)年の秋に初めて伊豆へ旅行。以降約10年間にわたり、毎年伊豆湯ケ島に長期滞在する。菊池寛の了解を得て1921年、第六次「新思潮」を発刊。新感覚派作家として独自の文学を貫いた。1968(昭和43)年ノーベル文学賞受賞。1972年4月16日、逗子の仕事部屋で自死。著書に『伊豆の踊子』『雪国』『古都』『山の音』『眠れる美女』など多数。
三島由紀夫
ミシマ・ユキオ
(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。