最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―
781円(税込)
発売日:2019/03/28
- 文庫
- 電子書籍あり
やはり彼らは、只者ではなかった。各メディアで話題沸騰、抱腹絶倒の東京藝大探訪記。
やはり彼らは、只者ではなかった。入試倍率は東大のなんと約3倍。しかし卒業後は行方不明者多発との噂も流れる東京藝術大学。楽器のせいで体が歪んで一人前という器楽科のある音楽学部、四十時間ぶっ続けで絵を描いて幸せという日本画科のある美術学部。各学部学科生たちへのインタビューから見えてくるのはカオスか、桃源郷か? 天才たちの日常に迫る、前人未到、抱腹絶倒の藝大探訪記。
書誌情報
読み仮名 | サイゴノヒキョウトウキョウゲイダイテンサイタチノカオスナニチジョウ |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 北澤平祐/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 368ページ |
ISBN | 978-4-10-101231-5 |
C-CODE | 0195 |
整理番号 | に-33-1 |
ジャンル | 教育学 |
定価 | 781円 |
電子書籍 価格 | 649円 |
電子書籍 配信開始日 | 2019/09/20 |
書評
東京藝大は日本のアマゾンだ!
書評を頼まれたときは自分で読んでから返事をすることにしている。万に一つも面白くない本を薦めるわけにいかないからだ。でも本書は読まずに受けてしまった。だって、このタイトルだもの。読んでみれば果たして期待通りだった。
著者は小説家で、芸術とは格別縁がない、言わば普通の人。だが奥さんが現役の東京藝大生(彫刻科)。巨大な一本の木に鑿をふるって家中が工事現場のようになったり、半紙を体中に貼り付けて「自分の型」を取っていたりする。台所でツナ缶を見つけたと思いきや、ガスマスクのフィルター部分だった。「樹脂加工」の授業で、有毒ガス防止のために使用するという。しかもどこで買ったのかと訊けば、「生協」。藝大の生協ではガスマスクが販売されているのだ。
あまりに面白いので、妻をコーディネーターとして藝大探検を始めた。美術専攻の「美校」と音楽専攻の「音校」の全学科の学生にインタビューを敢行し、彼らの制作・演奏現場も訪ねる。その全貌はまさに南米のアマゾンをも彷彿させるカオスっぷり。
カオスといっても「デタラメ」なのではない。アマゾンの熱帯雨林に行くと、「こんな植物があるのか!?」「なんだ、この魚は!?」と驚かされるが、藝大も同様。他では見ない「人種」がわんさかいるのである。
例えば、「天才」という人種。ある日本画専攻の学生は、十代の頃からグラフィティ(落書き)を繰り返して警察に何度も逮捕されたあげく少年院送りとなり、出所(出院?)してからは鳶職とホストクラブのホストで稼ぎまくったが、「やっぱり絵が描きたい」と藝大に入ったという。
音楽環境創造科には2014年国際口笛大会のグランドチャンピオンがいる。口笛の世界最高峰なのである。「オーケストラや室内楽に『口笛』というパートを作りたい」と語る。
東大工学部建築学科を卒業しているという猛者もいる。中高一貫校にいたこともあり、流されるまま勉強しているうちに東大に入ったが、「何かをやりたかったのにやらなかった」と後悔するのが嫌で、一念発起して藝大に入り直したとのこと。しかも作曲科! どれだけ才能があるんだ、と言いたい。
天才の他に、当然奇人変人も多い。家の天井にビニールパイプを張り巡らせて水を撒き「雨宿り」を味わうという表現をしている先端芸術表現科の学生、究極の美を表現するためにブラジャーを仮面にハートのニップレス姿でキャンパスを闊歩しているが、なぜか専攻は絵画科油画専攻という女子学生……。
しかし、である。笑っていたのは最初のうちだけだった。やがて、あまりの真剣度に圧倒されてしまった。
ピアノ専攻の学生は毎日、自主練が九時間。「目が見えなくなっても片腕がもがれても最悪なんとかなるけど、耳は大事。だから耳のケアには気をつかっている」というようなことを平然と語る。美校も負けてはいない。例えば、「鍛金(簡単にいえば鍛冶)」の研究室にはエアープラズマ溶断機、大型高速カッターなど「命取りになる機械しかない」。化繊の服は火がついたとき一気に燃え広がるので綿の服を着るようにするという。危険と隣り合わせだが、制作は超繊細。金槌も用途で使い分け、人によっては何百本も持っている。しかも全部自作……。
芸術と聞くと、私のような素人は「感性の世界」と思ってしまうが、実際には肉体を酷使し、0・1ミリ単位の技術を磨いているのだ。先鋭的なアルピニストや修行僧に近い。しかるに、卒業してプロになれるのはほんの一握りしかいないという恐ろしく厳しい世界である。
にもかかわらず、本書に登場する藝大生に悲壮感はない。誰しも楽しげだ。そして、自分の専攻について情熱をこめて語りに語る。バロック、デザイン、三味線、漆芸……。
東西のあらゆる芸術の魅力が若者たちの言葉で生き生きと語られる。私は正直言って、こんなに芸術が眩しく思えたことがない。ある意味で、高名な芸術家や評論家の言葉を超えている。藝大生たちはまさに今、採れたばかりの野菜のようだ。大したブランドでなくても、鮮度が抜群に高い。
笑って驚いて感動してしまう。秀逸な芸術入門書としてもお勧めである。
(たかの・ひでゆき ノンフィクション作家)
波 2016年10月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
いまも秘境で生きてます――元東京藝大生の妻に夫がインタビュー
僕は二宮敦人。作家です。僕の妻は、結婚したとき、東京藝術大学の彫刻科に在籍していました。彼女の感性や言動への興味から、僕は彼女の通う学校についていろいろと調べ始め、友人たちを質問攻めにして、ついには『最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―』という本を出してしまいました。しかし妻の謎は、依然として深まるばかりなのでございます。少しでも彼女を理解するために、いくつか質問をしてみました。
*
――九歳年上の小説家と、付き合って一年ほどで学生結婚して、在学中に子供まで生んだ大学生。どう思う。
妻 それだけ聞くと、ひょええ〜って思う。
――あなたですよ。
妻 てへへ。
――卒業制作には息子の石膏像を作って、卒業式にも息子と一緒に出たんだよね。
妻 うん。澤(和樹)学長がバイオリン弾いてくれたんだけど、それを聞きながら息子が「うっ、うっ」って目を輝かせてた。やっぱり一流の演奏は一歳児にもわかるんだなあって思った。
――謝恩会にも一緒に出てたよね。いづらくなかった?
妻 全然。みんな、ようきた、ようきた、みたいな。親戚のお兄ちゃんお姉ちゃんみたいな感じだった。いっぱい写真撮ってくれたよ。構図とか光の具合とか、みんな上手なんだよね。やったーって思った。
――懐が深いなあ。藝大、入って良かった?
妻 めっちゃ、ありがとって気持ち。彫刻科の同期は二十人いるんだけど、みんな穏やかで、仲良しだった。ライバルってよりも、仲間。昼ご飯とかだいたい集まって食べて。なんか、小学校の頃に戻ったような感じだったな。
――彫刻作るのって楽しいの。
妻 うん、楽しいよ。
――どういうところが?
妻 何か、凄く……変わるんだよね。平べったい、ふっつうの金属の板が、こんこん木槌で叩いているうちに……柔らかそうな形になったり、冷たそうな形になったり。雀を作ってて、全然似てこなーいって思っても、ちょっと嘴の付け根に手を入れると、うわ、一気に似てきた! ってなったり。見てはっきりわかるから、飽きないよ。
――あなたの作品には、色んな大きさのものがあるよね。浴槽くらいのサイズの巨大な雀の木像もあるし。掌に乗るくらいの、ちんまりとしたハリネズミの粘土細工もある。どれくらいの大きさがいい、とかあるの?
妻 ん。どっちもいいね。
――大きくて良いことって何?
妻 えっと。でっけえ!
――……他には。
妻 んー。乗れる、とか。しがみつける。
――小さくて良いことは?
妻 ちっちぇー。あと、持てる。身につけられる。
――あなたは、大きいのと小さいのとどっちが好きなの。
妻 んー。どっちもいい。
――中くらいのは?
妻 それもいい。ぜんぶいい。彫刻は、いいんだなあ。
――ところで、なんか今日のファッションは凄いね。
妻 え。そうかな。
――いや、そのスウェット、膝のところでハサミで切ったでしょ。切れ目がぼろぼろで、だいぶみすぼらしいよ。
妻 暑いから、切った。
――半ズボン買わないの。
妻 どうせ、外に着ていかんし。新しく買うの面倒だし、お金もったいないし、これで用は足りるし……。
――何か、変なところ節約するよね。学生時代、ティッシュ箱の底にメモ取ってなかった? なんか、この作品で表現しようとしたことはうんぬん、素材と構成の意味はかんぬん……みたいなことを。底だけじゃ書ききれなくて、側面まで書いてたけど。
妻 うんうん。近くにあるものに書いた方が早いし、メモ帳を取りにいく間に忘れないですむでしょ。それにティッシュ箱って、立体だから。
――立体だから何なの。
妻 メモと違って目立つから、なくならない。
――……先生の前でティッシュ箱見ながら発表して、何か言われなかったの。
妻 君は変な人だねえ、って言われた。
――どう思った?
妻 へへっ。
――あなたは何かを身の回りのもので代用したり、手近なもので作ったりするハードルが低いよね。最近も割り箸をカッターで削って、耳かきとか作ってたけど。
妻 そうね。あれは、耳かき探してて……すぐ作れるし、買いに行くより作った方が早いなって思って。
――お皿が割れちゃったとか、ここにハンガーをひっかけたいんだけど、とか相談すると、すぐに直したり、作ったりしてくれる。
妻 うんうん、嬉しいからね。わーい、ちっちぇー仕事がもらえたーって思う。
――でもこの戸棚も、テレビ台も、ラックも一人で組み立てたでしょ。大変じゃないの?
妻 いや……むしろ私だけで楽しんじゃって、あなたに悪いかなあ、って思うくらい。
――僕はできればやりたくないけど……手伝わなくていいのかな、とは思ってる。
妻 全然。一人でやると、難易度が上がって面白いよ。子供の面倒見ながら作ると、さらに難易度が上がる。
――それは楽しいの?
妻 楽しいよ。
――そっか……最近、何か作りたいものは?
妻 色々あるよ。浅瀬のあるビオトープを作りてえ。それから、家族の人数分だけ石のある指輪作ってみたいし……あなたの小説のジオラマとか、あと蝋燭作りたいし、みんなの分の茶碗や皿。あと3Dプリンタ使ってみたい。
――いいね。でも今は子育てで、お互いなかなか時間が取れないよね。
妻 うん。まあ粘土も蝋も腐らんから、いつかやろって感じ。子育てはしんどいけど、死なん程度ではあるから……そのうち賢くなるだろうし、今は頑張る。子育てって、しんどくない人いないよね。みんななかま。おまえともだち、おれともだち。がんばるど。
――でも、何かが作れるってのは、僕は憧れるなあ。あなたは、こういうことができたらいいな、って憧れるものはある?
妻 そうね、言語化が上手な人って憧れる。
――あなたの言語センス、独特だもんね。
妻 あとは、部屋を毎日綺麗に保てる人とか……子供への声かけが上手な人とか。
――声かけってどういうこと。
妻 子供が何かしてると、つい、じっ……て眺めちゃうんだよね。あ、今声出すの忘れてた、ってなる。「そうそう、上手」とか「それは青だね、いい色だね」とか、もっと言いたい。何で忘れちゃうんだろうか?
――知らんよ。子育てで困ってること、何かある?
妻 だいたい困ってる。夜寝ないとか。次男が泣いて、長男もつられて起きて、みんなパニック、の流れとか。
――あれは困るよね。
妻 でも、そのうち寝るのは上手になるだろうし、時間が解決するかな。あ、あれだ! あれに困ってる! 公園行くとき。長男と次男が、別々の方向に走り出すと、ああ……ってなる。だから手が四本になれば。あ、手じゃだめか。分身したい。分身できるようになりたい。
――できるといいね。そんな子供たちとの生活は、この雑誌(「波」)で「ぼくらは人間修行中」という連載にさせていただいて。東京藝大であなたや、あなたの友達に取材させてもらった話は『最後の秘境 東京藝大』という本になったわけだけど。自分が本の登場人物になるってどんな感じなんだろう。
妻 よい。
――もうちょっと詳しく。
妻 うーん。嬉しい。自分が経験した出来事でも、違う視点から見られるから、へーって思う。でも、いいのかな? ただ暮らしてるだけだし。私じゃ役不足じゃないのかな。あれ、役不足って逆か。力不足?
――作家の妻になってどうだった?
妻 よい。
――……もうちょっと詳しく。
妻 最初はもっと、大変かと思ってた。お金がなくて常に一家心中とのせめぎ合いで、畳食ってるとかを想像してた。あとは作家の浮気とか、精神病んじゃうのを支えるとか、消息不明になったのを探したりするとか思ってた。
――畳って美味いのかな。
妻 まずいと思う、でも食べられると思う。たぶん煮るんじゃないかな……めんつゆとかで。めんつゆ買うお金あったら、畳食べなくていいのかな。
――しかし、そんなのを想像してたのに、よく結婚したね。
妻 そうね。最初に会った時にたぶん、大丈夫かなと思った。
――だって友達の紹介で会ってすぐに、あなたは僕にプロポーズしたでしょう。付き合うより前に。
妻 うん。付き合うのが先かなとは思ってたけど、とりあえず言っておこうと思って。
――で、結婚したいと思った理由が……。
妻 前から小説を読んでいて、この作家さん、ずっと追いかけたいなあと思ってたんだよね。でも、私はものぐさだから、たぶんそのうち新刊情報とかチェックしなくなって、忘れちゃう。それは嫌だったの。だったら、結婚しちゃえばいいかなって。絶対、新刊が出るの忘れない。
――光栄だけど、別に結婚しなくても、追いかけられると思うんだけど。
妻 ううん、むり。これが最善。自分でわかる。
――そう、なのかな……? 学生結婚への不安とかはなかったの。
妻 特にないよ。どうせいつかは結婚するつもりだったから、早く済ませちゃいたかった。あなたと結婚できなかったら、婚活サイトに登録しようと思ってたもん。宿題とかも、早く終わらせた方が得でしょ。
――うーん、そのたとえでいいのか……? ご両親の反応はどうだったの。
妻 結婚を考えています、って言ったら「ええやん、ええやん」って。あっさりしてた。妹は、「へー」って言ってた。
――子供できた、って報告した時は?
妻 「おー、やったね」って言ってた。だから、「いえい!」って言った。へへっ。
――凄いバイタリティに思えるんだけど。自信がなくなることはないの?
妻 あるよ。藝大に合格したときも、結婚したときも、親になったときも、本になったときも、自分でいいのかな、自分なんかで大丈夫なのかな、っていうのは心のどこかでいつも思ってた。でも、ダメだったら退学させられたり、何かしらするだろうし。そうならないってことは、どうやらいいらしい……と。悪いことは、それが起きたときに考えようって思ってる。
――なるほど。
妻 へへっ。
――わかったような、わからないような。あなたは底知れない人だなあ……。
*付き合って七年。未だに僕は、彼女のことがよくわかりません。とはいえ、そんな彼女が気になりつつ、いつも支えられているのも、また事実なのです。
(にのみや・あつと 作家)
波 2021年9月号より
[漫画]シリーズ40万部突破記念マンガ! ちらり…『最後の秘境 東京藝大』
著者プロフィール
二宮敦人
ニノミヤ・アツト
1985(昭和60)年、東京都生れ。2009(平成21)年『!』でデビュー。『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』『最後の医者は桜を見上げて君を想う』などフィクション、ノンフィクション問わず著書多数。