ルビンの壺が割れた
572円(税込)
発売日:2020/01/29
- 文庫
- 電子書籍あり
すべては、元恋人への一通のメッセージから始まった。衝撃の展開が待ち受ける問題作!
「突然のメッセージで驚かれたことと思います。失礼をお許しください」――送信した相手は、かつての恋人。フェイスブックで偶然発見した女性は、大学の演劇部で出会い、二十八年前、結婚を約束した人だった。やがて二人の間でぎこちないやりとりがはじまるが、それは徐々に変容を見せ始め……。先の読めない展開、待ち受ける驚きのラスト。前代未聞の読書体験で話題を呼んだ、衝撃の問題作!
書誌情報
読み仮名 | ルビンノツボガワレタ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 176ページ |
ISBN | 978-4-10-101761-7 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | や-81-1 |
ジャンル | 文学・評論 |
定価 | 572円 |
電子書籍 価格 | 539円 |
電子書籍 配信開始日 | 2020/06/05 |
書評
刺激に満ちた破格のデビュー作
全部で一六〇ページに満たない小説である。十分に一息で読める分量だ。しかも一息で読んでしまうように書かれている。であるが故に、著者のその技に身を委ね、是非とも一気に読んで戴きたい。そうすることで、本書を最大限に堪能できるだろう。
それにしても、『ルビンの壺が割れた』とは、思わせぶりなタイトルだ。“ルビンの壺”は、本書の表紙をご覧になれば思い出して戴けるだろうが、二人の人物が向き合った横顔にも見えるし一つの壺にも見えるという図形だ。考案者の名をとって“ルビンの壺”と呼ばれるようになった。その壺が割れた、とはどういうことか。壺は割れた瞬間に壺以外の何物でもなくなる。言い換えるならば、“割れた壺”として実在してしまう。これはすなわち、当初の図形から二人の人物を消し去ることになってしまうのだ。
そして――本書には二人の人物が登場するのである。
水谷一馬は、フェイスブックで歌舞伎に関連するページを見ているうちに、未帆子を見つけた。三十年近くも会っていないが、その名前と、写真に写っていたいくつかの情報から、一馬は彼女が自分の知る未帆子に違いないと確信を得たのだ。そして彼は未帆子にメッセージを送った……。
ルビンの壺の一方から一方へ、フェイスブックを介して送られたメッセージで、この物語は始まる。
「あまりの懐かしさについこうして長文のメッセージをお送りした」と書いた一馬は、そのメッセージのなかで「お返事はもちろんないものと承知しています」とも記している。その理由として彼は、未帆子が二十八年前に亡くなっており死者からの返事はあるはずもないと綴った。どういうことだろう。一馬が見つけたという写真は、二十八年以上前のものではなく、近年のもののようだ。未帆子のプロフィールページをフェイスブックで見つけたとも書いている。しかしながら、未帆子は二十八年前に死んだと一馬は明確に記しているのだ。矛盾している。しかもだ。一馬はその相手に対してメッセージを送ったのだ。いったい何がどうなっているのか。
冒頭からグイと読者を惹きつける小説である。惹きつけておいて、手のひらで転がす。その転がす様の一端は、二通目のメッセージで早くも示される。前述の疑問点に対しては、十頁目であっさりと真相が明かされるのだ。読者を作品世界に引き込んでしまえば、釣り針そのものはもう用済み。危なっかしく残しておくよりは、さっさと取り外して捨ててしまう。実に潔い姿勢で、読者としてもありがたい――が、読者はそのありがたみを感じることは、おそらくないだろう。なぜなら、次の衝撃がまたすぐに襲ってくるからだ。
その衝撃は、一馬が未帆子に出した三通目のメッセージに記されている(十六頁目だ)。三通目のなかで、一馬は「二年で三通」というゆったりしたペースでメッセージを送ってきたことを述べているが、この三通目には、ゆるやかな懐旧以上の想いが込められていた。先日の検診でガンが発見されたと前置きしたうえで、一馬は、二十九年前に未帆子と結婚するはずだったこと、そして結婚式の当日に未帆子が式場に来なかったことを、メッセージに書き記す。いったい二人はどういう関係で何があったのか。
これ以上の詳述は避ける。なにしろ一五六頁だ。数々の釣り針が読者を結末へと猛スピードで引きずっていくこのスリリングな読み味を、そしてこのねじ曲がり具合を、さらにこの結末の衝撃を、是非ご自身で堪能して戴きたい。一馬と未帆子の横顔がどんな壺を生み出し、その壺がどう割れたかを、全篇がフェイスブックのメッセージで構成された本書を読み、自分の目で確かめてほしいのだ。
そのうえで、できれば読み返してみてほしい。序盤からあの薄気味悪さが漂っていることが、結末を知っているからこそ、くっきりと見えてくるだろう。慄くしかない。
さて。作中で読者をたっぷり翻弄して――愉しませて――くれた宿野かほるは、覆面作家であり、年齢も性別も経歴も不明だ。覆面の理由も不明なので、そこになにか仕掛けがあってもおかしくない、との期待さえ抱いてしまう。そんな刺激に満ちた破格のデビュー作だ。
(むらかみ・たかし 書評家)
波 2017年9月号より
単行本刊行時掲載
関連コンテンツ
[公開往復書簡]覆面デビュー、なぜですか? 宿野かほる↔担当編集者
宿野かほる様
お世話になっております。
発売前に全文を公開してキャッチコピーを募集したキャンペーン、おかげさまで大反響のうちに終了しました。
当初は「誰にも気付いてもらえなかったらどうしよう」と心配していたほどでしたが、蓋を開けてみれば特設サイトは79万PVを突破、キャンペーンには6015件もの応募がありました。この中から5つの優秀作を選ぶという難問に、今は嬉しい悲鳴を上げています。
ところで、読者の方からの反響として、著者への質問を多数いただきました。せっかくですのでそれにお答えいただき、そのやりとりを「波」誌上で公開できたらと思いついたのですが、いかがでしょうか。作中の人物に倣い、電子往復書簡をそのまま載せたいと考えています。
ちなみに一番多かった質問は、「この物語を一体どこから発想したのか」というものです。
担当編集N
N様
宿野かほるです。
「無料全文公開」に多くの反響があったと伺い、大変驚いています。ツイッターなどで、応募されたキャッチコピーを拝読し、読者の皆様の素晴らしい言葉とセンスに感服しています。
わたしに対して多くの質問が寄せられているとのこと。たしかに覆面作家ということで、いろいろと気になることがあるのは理解いたします。
『ルビンの壺が割れた』は、友人たちとの集まりで聞いた話がもとになっています。女友達の一人がフェイスブックでの奇妙な体験談を語ったのですが、それは実に恐ろしい話で、わたしを含めてその場にいる人たちは心をぎゅっと鷲掴みにされました。
わたしはその話をメール形式の小説にして、友人たちの間で回し読みするのはどうだろうと考え、遊び半分で書いたのが、この作品です。もちろん、友人の話を作り変えてはいます。
宿野さま
今更ながらご執筆の経緯を知り、驚きました。まさかご友人の実体験にもとづくお話だったとは! 作品全体に妙にリアルさを感じたのはそのためだったんですね。どこまでが現実で、どこからが創作なのでしょう……。気になりますが、それはさすがにここではお答えいただけないと思いますので、また機会がありましたらこっそりご教示ください。
ところで、「なぜ新人賞に応募しなかったのか」という質問も多数寄せられました。こちらは以前お尋ねしましたが、もう一度ご説明いただくことは可能でしょうか。
N
N様
原稿を読んだ友人たちは面白がってくれ、「新人賞に応募してみたら」と勧めてくれましたが、わたし自身は、そんなレベルの原稿ではないと思っていました。
それに応募しようにも、この作品がどういう小説のジャンルに入るのかわかりませんでした。ミステリー風ですが、ミステリーではないし、ホラーの要素はあるものの、ホラー小説でもありません。一般的なエンタメ小説の枠からも大きく外れています。それで、応募する新人賞を見つけられなかったのです。そもそも新人賞などという厳しいレースを勝ち抜ける作品とは微塵も思っていませんでした。
どうやって御社に原稿が渡ったのか、ということについて細かく言うと、わたしや友人たちのことを詳しくご説明しなければいけなくなってしまうので、それについてはここでは差し控えさせてください。申し訳ありません。
「本にしたい」と言っていただいた時も、最初はお断りしました。ですが、何度も作品を褒められるうち、「ブタもおだてりゃ木に登る」という言葉がありますように、愚かにもわたしもまたブタのようにその気になってしまいました(Nさんの上手な誉め言葉のせいということにしたいです)。
宿野さま
いえいえ。読者の方からたくさんの反響をいただき、改めてこの作品を世に出すことができてよかったと思っています。
「著者はどんな人物か」ということに言及しているコメントもたくさんありました。ただ、これは質問というより、予想が多かったです(女性か男性か、有名人か素人か、はたまた作家か業界人か、等々……)。もしよろしければ、可能な範囲で非公開の理由をお答えいただければと思います。
また、発売前にも拘らず、2作目を望む声も届いています。こちらはいかがですか。私もぜひ次作を拝読したいと思っている1人です。
N
N様
その件に関しては新潮社の皆様にご迷惑をおかけしています。
わたしが働いているところは特殊な業界で、本名が知れると、仕事に差し障りが出る可能性があります。また『ルビンの壺が割れた』はあくまでフィクションではありますが、どことは言えないものの、着想を得た中には事実に基づく部分もあります。わたしが本名をさらすことによって、友人や関係者に迷惑をかけるわけにはいきません。
それで本名、性別、年齢、職業を伏せていただきました。わがままを申し上げて本当にすみません。
次作についてですが、正直に申し上げると、わたしはこの作品一作でお終いにしたいと考えていました。
ただ、もしこの作品を読まれた方の多くが、「宿野かほる」の作品を読んでみたいとおっしゃるなら、再びブタになって二本目の木登りに挑戦してみようかとも考えています。
(やどの・かほる 作家)
波 2017年9月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
宿野かほる
ヤドノ・カホル
2017(平成29)年、書き下ろし長編『ルビンの壺が割れた』でデビュー、世に驚きをもって迎えられる。翌年、AIをテーマとした二作目の小説『はるか』を出版。2021年9月現在に至るまでプロフィールを一切非公表とし、覆面作家として活動する。