PAY DAY!!!【ペイ・デイ!!!】
649円(税込)
発売日:2005/07/28
- 文庫
恋に戸惑い、人間関係に傷つく。そんな君たちすべての必読書。
ペイ・デイ、給料日。それは、何があろうと、ほんのちょっとだけ、みんなが幸せになれる日――。双子の兄と妹は高校生。ちょっと不器用、でも誠実に生きている二人に訪れる、新しい出会い。別れ。恋。家族の問題。そして、大切な人の死……。新たな青春小説の古典の誕生! ゆったりと美しいアメリカ南部を舞台に、たくさんの生といくつかの死が織り成されていく、堂々たる長編小説。
書誌情報
読み仮名 | ペイデイ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 416ページ |
ISBN | 978-4-10-103622-9 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | や-34-12 |
ジャンル | 文芸作品、文学賞受賞作家 |
定価 | 649円 |
インタビュー/対談/エッセイ
ペイ・デイのある人生
「人生」と「ライフ」
村上 今度の詠美ちゃんの小説では、タイトルの「PAY DAY!!!」(給料日)が、シンボリックにシーンの終わりに繰り返されるんだけど、アメリカでペイ・デイって、ワーキングクラスの人が、即ハッピーな気分になれる日だと思うんです。日常の生活でどんな嫌なことが起こっても、ペイ・デイは来るんだよ。そういうハッピーなことを肯定してもいいんじゃないかという著者のメッセージを、僕は感じたんですよ。
山田 私は実際に、昔バイトで生活していたときにはお金がなくて、お店のおつまみつまんで生き延びていたようなのが、給料日だけは手取りでもらうでしょう。そうすると、もうとっておきのおしゃれをしてクラブに行くじゃない。それが人生そのもの、みたいな時期がありましたからね。
村上 で、著者としては、そういった人生の……、僕は、昔は人生という言葉は嫌いで使わなかったんだけど、なんか最近は使わざるを得なくなった。それは日本社会の変化が原因だと思うのだけれど。
山田 でも日本語で言う人生という使い方と、英語で言うライフという使い方は、違うような気がするのね。ライフのほうがもっと日常的で、ちゃんとみんな引き受けているもののような気がして。日本語で言うと、どうしても大げさになっちゃって。
村上 現実の日本の社会も、もうどっかの会社に潜り込んだって一生の安定はないわけだし、日本語の「人生」という意味に、今、詠美ちゃんが言った「ライフ」という意味合いを、文脈の中でもっときちんと際立つように、込めていかざるを得ないと思うんだよね。
山田 そう、龍さんも「人生」を使うようになりましたか(笑)。
村上 言葉を新しくつくるわけにいかないんで、手垢にまみれた言葉でもいいから、新しい文脈の中でその意味を変えていこうと。「いいじゃないか、人生で」というような感じになってきたんです。
山田 どうにでもコーディネートできる、一番最小限なものとしてライフをとらえると、なんか人って変わってくるような気がするのね。
村上 うん。だから、人生でもライフでも、あるいは家族や恋人でも、自分が最小限コーディネートできるようなものっていうのは、例えば終身雇用制が崩壊したときに、それしかなくなってくると僕は思うんですよ、人間にとって。会社人間でなくなると、この作品に描かれているような家族の間のコミュニケーションとか、パートナーとか、夫婦っていうのがすごく大事になってくると思うんだよね。でも、そういうことを言う文脈が日本ではなかなか整備されてないから、難しいんだけど。だから、僕は舞台をアメリカにしたのかなと思ったんだ。
南部の魅力
山田 うん。そういうのもありますけど。
でもね、昔から私、なんでいつも異人種を書いたり、アメリカを舞台にするのか、とよくきかれるんだけど、それって別に特別なことじゃなくて、やっぱり私の周りにある身近なものだから。それが一番書きやすいもので、一番リアルなものだから。
昔、『トラッシュ』という作品を書いたんです。その時はニューヨークが私にとって一番近しい町だった。今度はもう一回、アメリカを正攻法で書いてみようと思って、変なテクニックを使わないで、真正面からストレートに書こうと思ったんです。
それで、七年ぐらい前に、夫の両親が、もうニューヨークは嫌だといって、南部に家を買って移ったのね。それで、私も、里帰りで南部に帰らなくちゃいけなくなって。
村上 それがサウス・キャロライナ?
山田 そう、小説の舞台の町のモデルになっているビューフォートという町。最初行った時はすごくもの珍しかったの。もう全然ニューヨークと違うところなんだ、アメリカってこんなに広いんだというのがわかって、目からうろこ、みたいだった。
村上 ニューヨークから行くと、なんか外国みたいだよね。
山田 外国みたいなの。住んでいる人たちもそうだし、考え方もそうだし、すべてがそうで。それは私が日本人だからなのかなと思ったら、違うんですよ。ニューヨークで育った人たちは、東京のほうが近い町なんですよね、どちらかと言うと。
で、絶対ここを書きたいと思ったのだけれど、新鮮でショックを受けている段階では書かないほうがいいと考えた。そのうちだんだん、「また、帰んなきゃいけないのか」と思いながら、里帰りするような生活が始まったときに初めて、あっ、書けるかもしれないって思ったんですよね。
村上 南部って、アメリカ映画でも、まだミステリアスで、すごくエロティックで、ワイルドなものがあるという感じ。普通日本人だと、アメリカやニューヨークが異文化なんだけど、詠美ちゃんにとっては、南部というのがショックだったわけね。
山田 うん、都会って、ある種全部同じようなところがあるんだけど、同じアメリカで、こんな場所があるのかっていう……。何しろ自然に圧倒されちゃってね。アメリカ南部の自然って、本当に空気が動かない感じの、なんかフォークナーの世界がそのまま残っているような、そういう場所がいっぱいあるんです。
英語の考え方、日本語の考え方
山田 アメリカ人の男の子と付き合っていて、けんかのときに必ず出るのが、「あなたの責任なの? 私の責任なの?」という言葉。日本人と付き合うと、それがないんですよね。
村上 映画でも、必ず“My fault?”とかって言うもんね。
山田 書いていて、アメリカ人を主人公にすると、例えば「龍さんは、あしたどうするの?」という会話は成り立たないんですよ。「龍さん、あなたは、あしたどうするの」って必ず言うでしょう? 「あなた」と「わたし」というのを、最初に主語として持ってこなくちゃいけない言語を使っていると、やはりそういうふうになるんじゃないかなと思った。
村上 ただ、そういう人間関係がベースにあるから、そういう言葉ができたということも言えると思うんだよね。僕、言葉っていうのは、やっぱり社会の需要に応じてできていくと思う。
たとえば、「やらせていただきます」という言葉が、すごく気になるのね、僕は。
山田 本当だよね。
村上 それは、ものすごく便利だから、流通して定着するんだけど、「きょうのパーティーの司会をさせていただきます村上です」と言うと、何か、誰かに許可を得たというイメージがあるのね。
山田 そう。私もおかしいと思うのは、よくテレビで芸能人が「誰々と付き合っているんですか?」と言われて、「はい、お付き合いさせていただいています」って(笑)。誰もさせてないよって思うじゃない(笑)。
村上 でもね、それを使う人が悪いというよりも、便利だから流通するんだよね。 「今回、法案を通させていただいたわけで」って、いや、おまえが通したんだって。
山田 そう(笑)。
村上 でも、それは自分の責任じゃないのね。それを許可した人がどっかにいるの。で、それは誰にも見えないの。そういったことが、この二十年ぐらいの間に流通して定着してしまった。それは、閉塞化が進んで、その中で責任の所在がどんどんあいまいになっていくということなんですよ。
山田 そうなんだよねえ。
村上 やらせていただきますというのは、たぶん英語に翻訳できないんですよ。
山田 私もそう思う。
村上 それは日本語の問題じゃなくて、社会の問題なんだよね。
山田 そうですね。でも、これってずっと続いていくんじゃないですかね、日本って。言葉に便乗して、自分の考えや責任をあいまいにしていくというのが。
「受け入れる」ということ
山田 龍さん、青春って何だと思います? 青春時代って?
村上 青春というのは、自分の時間や、ポリシーとかエネルギーを最大限、経済原則を無視して消費できる時期だと思う。
山田 じゃ、今、思ってるんじゃない、青春って? 現役(笑)?
村上 現役というか、まあ。
山田 私は、青春時代を定義するとしたらね、人生の中で最初の後悔をする、後悔することを醸造する時期だと思うんですよ。恥ずかしいと自覚しながら……。
村上 詠美ちゃんだって、卒業したわけじゃないでしょう。
山田 私? 私は老いてますます盛んがモットーだからね、後悔しないことにしていますから、もう。
村上 あ、後悔しなくなったから、青春は終わったということ?
山田 うん、終わったの(笑)。
村上 でも、年をとっていくというのは、それでいいんじゃないの。
よくアメリカ人にしても、ヨーロッパでもそうかもしれないけど、「受け入れる」っていうよね。この現実を受け入れるとか、その悲劇を受け入れようとか、あなたを好きだから受け入れる……。今、ものすごくそれが大事だと思うの。みんな、受け入れられなくて自殺しちゃったり、別れたり、人を憎んだりしているわけだから。受け入れるっていうことは、大人になるという感じだよ。この小説の主人公たちも、受け入れていくじゃないですか、現実とか、他人とかを。
山田 ある意味ではあきらめていくということでもあるんですけどねぇ。
村上 昔は、例えばということで言うと、女の子と付き合う時、その女の子をどうしてもコントロールしたいという気持があったんだけど、最近は、そういうことはまあいいのかと思う、そういう感じかな。
山田 えーっ! どうして?
村上 自分と一緒の時に充実していると思ってくれればいいか、と。会っていないときのことまで、自分はコントロールできない。そんなことにジェラシーを持ったりするよりは、その人と一緒にいる時間をもっと充実させたほうがいいのかなって。
山田 へえ、いつそんな境地に(笑)?
村上 五年ぐらい前だよ。
山田 じゃ、私もあと数年経ったらそうなるの(笑)?
村上 あと、アメリカの家族がね、日本とは距離感が違うというか。日本って自己犠牲が愛情だって勘違いすることが多いと思うんですよ。そういうことじゃなくて、今の相手の状態を受け入れる、ということ。この物語には、その、人を受け入れるということが、とてもよく書かれていると思う。
都会と田舎、日本は?
村上 この小説の主人公は、イタリア系とアフリカ系のハーフだよね。
山田 あれはニューヨークの象徴ね。ああいうことは、田舎の州ではあり得ない。
きょうテレビを見ていて、ニューヨークの議会が反戦の決議を選択したじゃないですか。やっぱり都会っていいなと思いましたよ。あれは田舎の人たちじゃできない発想だなと思って。
私ね、都会と田舎っていうのを考えたときに、人種に関係なく、好きだから結ばれるという感覚が多ければ多いほど、都会度高いと思ってるのね(笑)。よそ者っていう感覚が、都会になればなるほど薄れていくというか。
村上 田舎では多分、他者を受け入れた経験がやっぱり少ないんだよね。さっきも言ったけど、何かを受け入れる感覚というのが、僕、今一番必要だと思うんだよね、日本社会に。
山田 男と女に関してだと、その受け入れがたい、知らなかったものが、セックスアピールにつながるから、それは、個人的な世界だからいいと思うの。でも、社会って、他者を受け入れないとやっぱり、大人になれないと確かに思いますね。
村上 何でこんなに閉塞化が進んでいるのかなあと思う。オウムの子供の就学問題なんかにしてもね。
山田 恐ろしいと思う、誰々は誰々の子供だから、みたいな。日本は狭い国だからね、国全体がそれって恐ろしいことだよ。
村上 ただね、バブルが終わって、その後の非常にシビアな経済状況が続いてるっていうのはすごく大きいと思う。そうすると、どうしてもナショナリズムが台頭するんだよね。帰属意識を求めるから。その傾向は絶対に弱まらないからね。
山田 そうね。でも私ははっきり言わせてます、登場人物に、「ナショナリズムなんか大っ嫌い」って。ナショナリズムって、その国にリスペクトを持つことと混同しがちだから。でも混同するのって田舎の人なんだよね。あ、これは、実際に田舎出身者であるとか、田舎に住んでいる人という意味ではないですよ。最近、嫌だな、田舎もんは、って思うことがすごくあって(笑)。
村上 要するに、受け入れることができない人たちでしょう?
山田 そうそう。こういう考え方もあって、自分はそれを受け入れないけれども、でもこういうのもあるということは認める、それができないって、嫌だなあと思って。
村上 結局、マジョリティーに入りさえすれば人生は安定だというアナウンスメントが強すぎるから、今の日本は。
山田 でも本当は安定なんかない、あしたは生きてないかもしれないというふうに悟った人が一番。だって三島由紀夫の『憂国』って、エロティックな小説じゃない? やっぱりあした命ないかもしれないと思っている人はセクシーだよ。
村上 個人的なクライシスに遭遇した時に、詠美ちゃんみたいに考えられないと思うんだよね、多くの人は、日本の社会では。それが一番の問題で。だって将来のことがわかるわけがないんだからさ。
山田 この小説の主人公、ロビンとハーモニーは、そういうことを図らずも学んでしまうの。でも私、若いころそれを学んだ人はね、ラッキーだと思うよ。すごく不幸なことだけど、自分の大切な、例えば親を十代で亡くした人たちって、それを負と思うことが多いと思う。でも実はそれって、長い目で見ると、その人たちを大人にする要素だったという気がするんだけど。
村上 だから、すごく感覚が敏感な人、正当な危機感や不安感を持っている人に読んでほしい小説だよね、『PAY DAY!!!』は。そうしたらちょっと勇気が出ると思う。
山田 そう。私、死ぬことに関して考えるって、すごく品のいい事だと思うんです。いつかだれかが死ぬし、自分もそうだし、そういうことを常に考えている人は品格が出てくると思う。それは、経験しなければわからないことでもあるんだけれども、賢い人だったら、それを想像力で経験することができると思うの。
村上 小説を読むって、そういうことだよね。
山田 うん。実際に経験しなくても、想像力が及ぶ範囲をいかに広げられるかということが、小説の小説たる所以だと思いますし。
(むらかみ・りゅう 作家)
(やまだ・えいみ 作家)
波 2003年4月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
山田詠美
ヤマダ・エイミ
1959(昭和34)年、東京生れ。明治大学文学部中退。1985年『ベッドタイムアイズ』で文藝賞を受賞しデビュー。1987年に『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞、1989(平成元)年『風葬の教室』で平林たい子文学賞、1991年『トラッシュ』で女流文学賞、1996年『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞、2000年『A2Z』で読売文学賞、2005年『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞、2012年『ジェントルマン』で野間文芸賞、2016年「生鮮てるてる坊主」で川端康成文学賞を受賞。他の著書に『ぼくは勉強ができない』『学問』『血も涙もある』『私のことだま漂流記』などがある。