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名残の花

澤田瞳子/著

737円(税込)

発売日:2022/09/28

  • 文庫
  • 電子書籍あり

慶応から明治へ。世の中に翻弄され裏切られても懸命に生きる人々を描く感涙の時代小説。

ご一新から五年。花見客で賑わう上野の山に、かつて南町奉行を務め、「妖怪」と庶民から嫌われた鳥居耀蔵の姿があった。失脚し、二十三年の幽閉の末に耀蔵が目にしたのは変わり果てた江戸の姿。明治を、「東京」を恨み、孤独の裡に置き去られていた男の人生は、金春座の若役者・滝井豊太郎と出会ったことで動き始める。時代の流れに翻弄されながらも懸命に生きる人々を描く感涙の時代小説。

目次
名残の花
鳥は古巣に
しゃが父に似ず
清経の妻
うつろ舟
当世実盛
解説 末國善己

書誌情報

読み仮名 ナゴリノハナ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 村田涼平/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 368ページ
ISBN 978-4-10-104281-7
C-CODE 0193
整理番号 さ-96-1
ジャンル 文芸作品
定価 737円
電子書籍 価格 737円
電子書籍 配信開始日 2022/09/28

書評

心安らぐ時間

高島礼子

 デビューしたての頃、先輩方に「時間があったら映画を観て、本を読みなさい」とアドバイスをいただき、撮影の合間に本を読むようになりました。当時はアガサ・クリスティなど海外翻訳ミステリを好んでいたのですが、仕事が忙しくなるにつれ、「あの台詞を覚えなきゃ」などと役のことを考えて読書に集中できなくなり、自然と遠のいてしまいました。
 それが数年前、空き時間にスマートフォンばかり触っていた自分にハッとしました。「スマホ依存だ。離れよう」。というわけで再び本を手に取るように。年齢を重ねるにつれて、気持ちの切り替えが上手になったのか、撮影時間になれば「さあ、次のシーンにいくぞ」と挑めるようになりました。
 西條奈加さんの『善人長屋』は昨年、NHKドラマに出演させていただきました。

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 西條さんとは雑誌の対談で初めてお目にかかりました。偶然にも年齢が一緒で話が弾み、ご著書を拝読しようと思っていたところに、ドラマのお話をいただいたのです。
 私が演じたのは、主人公お縫の母親・お俊。原作では大変色っぽい女性と描かれていますが……。実は、色香を芝居で出してと言われても難しいのです。手や目の動きでの表現は色々と教えていただきましたが、やはり内面から滲み出るものですから。後から伺った話ですが、対談をした際に西條さんが、私を「お俊のような人だ」と考えていらして、私が配役されたと聞いて喜んでくださったとのこと。色気は出ていた、と思いましょう。
『善人長屋』は設定が素晴らしいです。長屋の住人が全員悪党で、その裏稼業の腕を活かして人助けをする。悪が善を為す。善も悪も孕んでいるのが人間だということを非常に細やかに描いていらして、気持ちが良い。登場人物は全員悪者ですが、情に篤いので、心が温まります。
 原作のあるドラマの出演依頼がきたときには、まず脚本を読みます。原作を先に拝読すると、役に対して固定観念ができてしまい、現場で齟齬が生じることがあるのです。しかし『精霊の守り人』は原作を先に読みました。

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 監督が尊敬する片岡敬司さんと伺い、「通行人でもいいから出たい」と頼み込むと、「二百歳のお婆さんでもいいですか」。なんだかよくわかりませんでしたが、「とにかく出ます」。それがトロガイだったのです。引き受けたものの、二百歳? 何? と疑問ばかりでしたので、先に原作を拝読しました。
「バルサ、かっこいいなあ」。これが率直な感想でした。上橋菜穂子先生のアクション描写は素晴らしく、光景がありありと目に浮かびました。主人公バルサは恵まれない生い立ちのなか、腕一つで人生を切り開き、王子チャグムもまた背負わされた運命に流されずに自分の足で立つ。心に鎧を着て、ではありませんが、弱さに負けず這い上がる強さに勇気づけられました。
 出生数の多かった私の世代は、集団の中で秀でるには努力あるのみ。指を咥えて待っていてもチャンスは来ないのです。自分の来し方と重ね合わせてバルサに感情移入をし、これからも努力し続ける力を貰いました。
 とはいえ、いつも頑張り続けることはできませんので、心安らぐ時間は必要です。澤田瞳子さんの『名残の花』は心が洗われました。

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 明治維新で時代に取り残された、元南町奉行の鳥居耀蔵は、頑固で皮肉屋でとっつきにくいのですが、若き能役者の豊太郎と出会うことによって変わっていく。今の時代にも通じるものがあると思うのです。時代の移り変わりについていけない方を笑う人間にはなりたくない。古い風習にしがみついて、辛い気持ちを抱えて生きている人に寄り添う人間になりたいと強く感じました。
 タイトルの「名残」が読了後に胸に染み渡る素晴らしい作品でした。この二人の物語の続きが読みたいので、澤田さん、是非お書きになってください。

(たかしま・れいこ 女優)
波 2023年3月号より

明治に息づく鳥居耀蔵、もつれた糸を解く

内藤麻里子

 時は明治5年。因業な隠居が、時代の転換期だからこそ起きる人々のもつれあった心の凝りを解きほぐす。相方に配したのは、十六歳の能役者の見習いという異色の取り合わせだ。
 いや、異色といえばまずは隠居である。鳥居胖庵はんあん。当年とって七十七のこの老人、幕藩体制下では南町奉行まで務めた鳥居甲斐守忠耀ただてるその人。鳥居耀蔵といったほうがわかりやすい。蛮社の獄で渡辺崋山、高野長英ら蘭学者を弾圧し、奢侈を禁じる厳しい取り締まりなどで庶民から「妖怪」と呼ばれ嫌われた。歴史小説でいえば、堂々たる悪役である。明治まで生きていたことを今回初めて知った。
 そういう人物を主役に据えた娯楽時代小説が『名残の花』だ。
 胖庵は水野忠邦によって改易され二十余年の牢獄暮らしの末、久しぶりの江戸というか東京、上野の桜を見にやってきた。酔漢に絡まれた能役者の卵、滝井豊太郎を助けたのだが、二人とも掏摸の被害に遭ってしまう。
 こうして始まる掏摸の女との因縁を描いた表題作「名残の花」、勧進能に犬の死骸が投げ込まれた騒動の真相を解く「鳥は古巣に」、士分を捨てた子と父の間を取り持つ「しゃが父に似ず」など六編を収録。事件というほどではない日常のもめごとやささいな謎が多彩に並ぶ。
「能吏」を超えた「酷吏」にして、苛烈な処断を次々に下した過去を持つ男を明治の世でどう生かしたか。その手際は鮮やかだ。
 例えば表題作では花見で浮かれ騒ぐ人々を苦々しい思いで眺める姿を、「元々、遊び心が全くない」と断じて笑いを誘ったりする。世の中から二十余年隔絶され、鬱屈して当たりまえの人間をむやみに重く書くことをよしとしない。胖庵は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、もめごとを捨て置けず、つい手を出してしまう。嫡男の家と四女の嫁ぎ先を行ったり来たりする居場所のない情けなさも加わって、いつの間にか因業ながらかわいさすら感じる。
 そうかと思えば、幕僚時代に政策遂行のため流言飛語を流した経験から、騒動のもとを喝破するなど、汚い手を使うことも辞さなかった姿もちらりと見せる。それやこれやが明瞭な筆致で描かれ、胖庵が確かに息づいてくる。
 豊太郎らとこうした日々を過ごしながら折々にふり返る過去の所業や、彼の一徹の目から眺めた新しい世への違和感が披瀝される。やがて胖庵自身、幕僚だったときの熱い思いをかみしめ、失策をしたからこその民への信頼までもがその身中に育っていくのだった。そのことに気づいた胖庵の心情が明かされる場面は本書の白眉だ。
「失われた江戸の町を再びこの目で見たいだけなのだ。自分や老中たちをあれほど苦労させ、奢侈と放埒の限りを尽くした芝居町の役者たち。粋と張りを心の糧に、武士を相手にしてなお一歩も引かなかった江戸の人々」
 そう、胖庵は獄にいて、幕府瓦解時に居合わせていない。それゆえの渇望は悲しく哀れで、しかし尊く響く。
 そして、忘れてはならないのが能楽の存在である。豊太郎の登場で知る能の当時の状況にも驚かされた。かつては公儀の庇護下にあり、役者は武士身分に取り立てられていた。しかし御一新後は後ろ盾を失い困窮していたという。
 豊太郎は金春座の地謡方・中村平蔵を師として、細々と修業を続ける身。胖庵と同様、時代に取り残された口である。そんな彼が胖庵と平蔵師匠に鍛えられ、世の中を知り、芸道に改めて向かい合う成長物語でもある。
 いずれの短編も、物語の核に謡の詞章が重なる巧みな構成。表題作では「田村」の一節「誘ふ花とつれて、散るや心なるらん」に、胖庵は己の行いを顧みた。「この国を救わんとした己の至誠は、まさに誘う花の如く散った。……そしてどんな転変の中にあろうとも、人はその営みを止めるわけにはいかぬのだ」と。
 ストーリーが進むごとに、詞章は深みを帯びていく。最終話に配されるのは、「実盛」からの「鬢髭を墨に染め、若やぎ討ち死にすべきよし」だ。これをどう胖庵は受け止めるのか。必ずや深い余韻が味わえるはずだ。
 娯楽時代小説の形をとりながら、鳥居胖庵こと耀蔵の生きる姿にも迫った充実の作品といいたい。

(ないとう・まりこ 文芸ジャーナリスト)
波 2019年10月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

澤田瞳子

サワダ・トウコ

1977年、京都府生まれ。同志社大学文学部卒業、同大学院博士前期課程修了。奈良仏教史を専門に研究したのち、2010年に長編作品『孤鷹の天』でデビュー。同作で中山義秀文学賞を受賞。その後、2013年『満つる月の如し 仏師・定朝』で新田次郎文学賞、2016年『若冲』で親鸞賞、2020年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞、2021年『星落ちて、なお』で直木賞をそれぞれ受賞している。他の著書に『日輪の賦』『腐れ梅』『火定』『落花』『名残の花』『輝山』『漆花ひとつ』『恋ふらむ鳥は』『月ぞ流るる』などがあり、古代から近代まで幅広い時代の人間模様を精力的に描き続けている。

判型違い(単行本)

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