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灼熱

葉真中顕/著

1,265円(税込)

発売日:2025/02/28

  • 文庫
  • 電子書籍あり

「日本は戦争に大勝利した!」そのフェイクニュースが憎悪と流血を巻き起こす──。

日本からはるばる海を渡ってきた比嘉勇と現地で育った移民二世の南雲トキオ。ブラジルの入植地で彼らは出会い、親友となった。そして迎えた終戦。祖国大勝利を信じる「勝ち組」と敗北を知る「負け組」の間で巻き起こった抗争が、二人を引き裂いた。分断、憎悪。遠き異国で日本人が同胞に向ける銃口。ふたりの青年の運命が交わったとき。絶賛を浴び、渡辺淳一文学賞に輝いた、圧巻の群像劇。

  • 受賞
    第7回 渡辺淳一文学賞
目次

第I部 殖民地
序章 呪術師マクンベイラの老婆は歌う
1章 赤と黒
2章 コンデ街から来た男
3章 呪術師マクンベイラの老婆は語る I
4章 敵性産業

第II部 分断
5章 玉音放送
6章 呪術師マクンベイラの老婆は語る II
7章 怒り
8章 トキオと勇
9章 呪術師マクンベイラの老婆に歌う
終章 異郷のイービス

主要参考文献
謝辞

解説 杉江松恋

書誌情報

読み仮名 シャクネツ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 andrew peters/カバー写真、500px/カバー写真、Getty Images/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 832ページ
ISBN 978-4-10-105681-4
C-CODE 0193
整理番号 は-82-1
ジャンル 文学・評論
定価 1,265円
電子書籍 価格 1,265円
電子書籍 配信開始日 2025/02/28

書評

なんという熱情

池上彰

「あの人はプライベートでも仕事でも充実していて、まさに勝ち組よねえ」
 こんな言い方をよくしますね。でも、本来の「勝ち組」「負け組」は、そういう意味ではなかったのです。日本から遠く離れたブラジルで、太平洋戦争は日本が勝ったと思い込んだ人たちが「勝ち組」と呼ばれ、負けたという正しい認識を持った人たちは「負け組」と呼ばれ、どちらが正しいかをめぐって争ったという歴史があるのです。
 両者の対立は、次第にエスカレートし、遂には死者が出る事件にまで発展します。葉真中顕氏の小説『灼熱』は、この歴史的事件を元にしています。
 本書によれば、「勝ち組」「負け組」という呼称は、後年定着したもので、当時は「戦勝派」ないし「信念派」対「敗戦派」ないし「認識派」と呼ばれたそうです。
 太平洋戦争で日本が負けた事実を認めた人のことを、「戦勝派」は「敗希派」と罵りました。日本が敗北することを希望していた売国奴だ、というわけです。
 一方、「敗戦派」は、日本が負けたことを認めようとしない人を「狂信派」と呼びました。これでは両者の対立はエスカレートするばかりです。
 明治から昭和にかけ、貧しかった日本は、過剰人口を輸出します。当初はアメリカに移民を送り出すのですが、「黄禍論」が台頭。日本人の移民が不可能になります。そこで次に狙ったのが、南米とりわけブラジルでした。
 農家の長男は家を継ぎますが、次男や三男は故郷を出なければならない。どうせなら異国で一旗揚げたい。こうした人たちが、日本政府の国策に乗ってブラジルに渡りました。ブラジルのコーヒー農園で働けば、すぐに故郷に錦を飾れると聞かされていたのですが、そこに待っていたのは、奴隷同然の苛酷な労働でした。夢を抱いて移住した人たちは、苛酷な現実を前にして、「日本に裏切られた」「日本に捨てられた」と恨むようになります。
 しかし、現地のブラジルでも日本人に対する排斥意識が高まり、「ジャポネース」(ポルトガル語で日本人)と呼ばれて差別されるようになると、次第に自分たちが日本人であるという意識が強まります。
 さらに日本が連合国を相手に戦争を始めると、人々は見事に帝国臣民になっていきます。日本国内の人々にまして、精神の上で大日本帝国の臣民になり、日の丸を掲げ、教育勅語を暗唱。天皇の御真影を飾るようになるのです。
 こういう人々の心の動きは、「遠隔地ナショナリズム」と呼ばれます。誰しも生まれ故郷に対する愛情を持っているものですが、故郷を離れて暮らすようになると、故郷への思いが募ります。たとえば長野県出身者が東京で集まっては「信濃の国」を合唱する。広島県出身者は、広島カープの応援歌で盛り上がる、というように。とりわけ海外移民となると、その思いは一段と強くなります。
 ブラジルでは、排日運動の高まりから、邦字新聞が発行できなくなります。多くの日本移民は、ポルトガル語が不自由でしたから、国際情勢を客観的に知ることが困難になっていきます。すると人々は「信じたいことを信じる」ようになる。つまり帝国日本が戦争に勝ってほしいという思いが募ると、「戦争が終わった」と聞いて、「日本が勝った」と思ってしまうのです。
 こうして悲劇が生まれます。戦争に勝った日本の円の価値がこれから上がると言って、敗戦で紙くず同然になった旧円を売りつけるなどの詐欺が相次いだのです。被害者は、もちろん「勝ち組」でした。
 人々は、信じたいことを信じる。フェイク情報が氾濫する現在、ブラジルでの事態は、決して過去の遠い地のことではないのです。
 そんなブラジルで、日本人たちは、どのように懸命に生きたのか。物語は、沖縄で生まれ父の従弟夫婦とともに移住した勇と、祖父の代に移住しブラジルで生まれ育ったトキオ、二人の人生を軸に進みます。日本へ共に帰ることを誓った親友同士の道は、しかしやがて大きく分かれていくことになります。
 まさに灼熱の地で、人々は熱情を込めて生きたことを、著者も熱情を込めて語ります。思わぬどんでん返しもあり、読む者もまた熱くなってくるのです。

(いけがみ・あきら 東京工業大学特命教授/ジャーナリスト)

波 2021年10月号より
単行本刊行時掲載

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著者プロフィール

葉真中顕

ハマナカ・アキ

1976(昭和51)年、東京都生れ。2013(平成25)年『ロスト・ケア』で日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、作家デビュー。2019年『凍てつく太陽』で大藪春彦賞および日本推理作家協会賞を受賞。2022(令和4)年、『灼熱』で渡辺淳一文学賞を受賞する。他の著書に『絶叫』『コクーン』『Blue』『そして、海の泡になる』『ロング・アフタヌーン』『鼓動』などがある。

判型違い(単行本)

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