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(霊媒の話より)題未定―安部公房初期短編集―

安部公房/著

825円(税込)

発売日:2024/03/28

  • 文庫
  • 電子書籍あり

やがて世界に名を馳せる作家の飛翔はここから始まった。安部文学の息吹を体感する11編。

太平洋戦争末期、満州で激動の日日を過ごした青年は、その時何を思い、何を未来に残したのか――。漂泊民の少年が定住を切望する19歳の処女作「(霊媒の話より)題未定」、2012年新たに原稿が発見された、精神病棟から抜け出した男を描く「天使」、「壁―S・カルマ氏の犯罪」に繋がる「キンドル氏とねこ」。やがて世界に名を馳せる安部文学、その揺籃にふさわしい清新な思想を示す初期短編11編。

目次
(霊媒の話より)題未定
老村長の死(オカチ村物語(一))
天使
第一の手紙~第四の手紙
白い蛾
悪魔ドゥベモオ
憎悪
タブー
虚妄
鴉沼
キンドル氏とねこ
解題 加藤弘一
解説 ヤマザキマリ

書誌情報

読み仮名 レイバイノハナシヨリダイミテイアベコウボウショキタンペンシュウ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 安部公房/写真、近藤一弥/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 368ページ
ISBN 978-4-10-112126-0
C-CODE 0193
整理番号 あ-4-26
ジャンル 文芸作品
定価 825円
電子書籍 価格 825円
電子書籍 配信開始日 2024/03/28

書評

世界を震撼させた作家 その終わりと始まり

新潮文庫編集部

 安部公房は1924(大正13)年3月7日に東京に生まれ、少年期を満州で過し、二四歳で文壇デビューしました。以来、六八歳で逝去するまで、独創性あふれる創造力で、『壁』、『燃えつきた地図』、『砂の女』、『箱男』をはじめ、今なお読み継がれる数々の傑作を生みだしてきました。
 今年は、安部公房の生誕から一〇〇年の節目に当たります。これを機に、新潮文庫より二ヶ月連続で新刊を発売いたします。一点目は未完の絶筆『飛ぶ男』。二点目は生前未発表作や全集未収録の短編「天使」を収録した『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』。新潮文庫から新刊が発売されるのは約三〇年ぶりのことです。
 2月末に刊行される『飛ぶ男』は、安部公房が1993年に急性心不全で急逝した後、愛用していたワープロ(ワープロで執筆した最初の作家の一人でした)のフロッピーディスクの中から発見されました。ディスクには独特の筆跡で「飛ぶ男」と書かれており、その下にひし形で囲った23という番号が振られています(下の写真)。遺作が電子データとして残されていたというのは、日本文学史上初めてのことだと言われています。

『飛ぶ男』フロッピーディスク

 翌年に新潮社より刊行された単行本『飛ぶ男』は、死後、長年連れ添った真知夫人が原稿に手を入れたバージョンでした。今回は、元原稿を底本として全集に収録されている完全オリジナル版を文庫化いたします。
 安部公房は生前、本作について「ぼくの小説で繰り返し必ず出てくるものに、空中遊泳とか空中飛翔がある。こんどは冒頭から空を飛んでる男のシーンだ。それも携帯電話を持って話してるところから始まる。ものすごく空想的だけど猛烈にリアル」と話しています。壮大な長編になるはずであった本作は、四〇〇字詰め換算で一六二枚分が書かれた状態で発見されました。

「ある夏の朝、たぶん四時五分ごろ、氷雨本町二丁目四番地の上空を人間そっくりの物体が南西方向に滑走していった。(中略)何かを左手に持ち、耳に当てがっている。唇の動きも、誰かに喋りかけている感じ。携帯電話だ。
 どうやら《飛ぶ男》の出現に立ち会ってしまったようである。」

 完成していれば新たな代表作になったことを予感させる、知的で不条理でアヴァンギャルドな安部文学そのもののオープニングです。この物語は一体どこに向かっていくはずだったのか。世界文学の最先端であり続けた作家が遺した最後の物語の行方を、是非想像してみてください。
『飛ぶ男』が遺作である一方で、3月末に刊行される『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』は、その名の通り、世界的な作家への第一歩ともいえる、一九歳から二五歳までの初期作品を集めた短編集です。
 一九歳で執筆した「(霊媒の話より)題未定」は、遺品整理の際に見つかり、原稿用紙に書いてある日付から処女作であると判断されました。田舎町や村を巡って歩く曲馬団の少年が、土地に縛られる定住を切望し始める様を描いた本作には、幽霊や偽物の家族などが登場し、後の作風の要素をすでに見ることが出来ます。
 全集未収録の「天使」は、2012年、実弟の井村春光氏宅で発見されました。精神病棟から抜け出した、外の世界を天国、人間を天使だと信じこむ男。1946年11月の書簡に「船の中から、「天使の国」と言ふ短編を書き始めてゐる」とあり、要約されたストーリーがほとんど一致することから、本作はコレラ患者の多発で、一ヶ月の船中生活を余儀なくされた引き揚げ船の中で書かれたものと推測されています。
 ほかにも「キンドル氏とねこ」には「壁―S・カルマ氏の犯罪」へと繋がる問題意識が潜在しており、“カルマさん”という人物への言及も。のちに芥川賞を受賞した「壁」はこの断章の半年後に着手され、一年後に完成しました。やがて世界に名を馳せることとなる安部公房。その思想の萌芽を鮮烈に伝える初期短編一一編です。
 新潮社は「安部公房生誕一〇〇年」として、2月末から書店店頭でフェアを開催しています。文庫新刊二点に加え、既刊文庫には多くの方々より推薦コメントをお寄せいただきました。是非書店に足をお運びください。他にも「新潮」と「芸術新潮」の3月号で特集を掲載、「波」本誌でも次頁より、ジャンルの壁を越え、様々な表現者の方がその愛を語ります。3月7日より待望の電子書籍も発売。今まで読んだことのなかった方、有名作品のみ読んだことのある方、かつて愛読されていた方、この機会に是非、改めて安部公房に出会ってみてはいかがでしょうか。

(新潮文庫編集部)

波 2024年3月号より

言葉を物として描くこと

三浦雅士

 誰でも思春期のある時期に外界のすべては夢ではないかという思いに襲われる。それからおもむろに、書くことが始まる。つまり、「僕は唯書きたかったのです。あえて言えば、理由も無く書きたかったのです」(「第一の手紙」)という世界が始まる。夢も現実も言語現象にほかならない。書くことへの執着はその発見を意味している。世界はたやすく反転する。裏返しになった顔の世界、左右が逆転した世界がこうして始まる。
 これを抽象空間と言っても、夜の世界と言っても同じことだ。人は外界を光によってのみならず言葉によって見る。事物の輪郭は言葉なのだ。言葉が失われた世界は光が失われた世界、すなわち夜だ。「夜 宇宙をいっぱいに孕んだ風が 私たちの顔を削りとるとき」とリルケが囁くとき、光と言葉は同じ響きを帯びる。顔すなわち言葉。言葉のない世界、すなわち夜の世界こそが、若き安部公房の世界であったことは、『無名詩集』すなわち名(言葉)のない世界という処女詩集の表題にも明らかである。
 思春期のこの覚醒はデカルトからカントを経てフッサールにいたる現代思想の領域に重なっている。たとえば数学も言語現象なのだ。「憎悪」の一節を引く。
「先ず場所は抽象空間、時は時計の針の中、人物は究極概念……いくら君でもこのリアリズムを拒否する訳には行かぬだろう。文学的教養中に一切を含ませる君のことだから、定めし数学的教養も高いことだろうと思うのだが、まさか君が生れそして死ぬまで育った所が抽象空間以外の空間だった等とは言えまい。」
「君」は安部公房の分身、抽象存在の別名。
「僕は君がまさか公理主義者だとは思わなかったのだ。その扉の構造をよくしらべる内に、その本質が公理主義に他ならぬことをつき止めると、僕は忽ち扉が音をたてて自然に開くのに気付いた訳だ。」
「公理主義」は数学者ヒルベルトの公理主義。これがゲーデルの一撃によって震撼させられたことは言うまでもない。その後の台詞「喋っても何んにもならぬと喋べること」は「私は嘘をついている」という自己言及のパラドクスの変容である。リルケからゲーデルにいたる領域、現象学から構造主義にいたる領域を、若き安部公房は先取りするように問題にしていたわけである。
『(霊媒の話より)題未定―安部公房初期短編集―』は安部公房が十九歳から二十五歳にかけて書いた短篇十一篇から成る。表題作のほか、「老村長の死」「第一の手紙~第四の手紙」「白い蛾」「悪魔ドゥベモオ」「憎悪」「タブー」「虚妄」「鴉沼」「キンドル氏とねこ」の十篇は全集に収録されているが、三番目に置かれた「天使」だけは新発見の短篇で、本書が単行本初出。執筆順に並べて読み直してみると、思考が深められ、表現が高められてゆくさまが手に取るように分かる。
「(霊媒の話より)題未定」から叙情――「日本浪曼派」から批判的に摂取したと思われる逆説的つまり後期ロマン派的叙情――を拭い去って、論理の骨格をそのまま現実的な物語へと転ずれば、「天使」になる。人は世界をまったく別様に見ることができる。解釈することができる。この世の現実は仮構にすぎない。そういう論理が鋭利になっているだけではなく、表現が新たな次元に突入しているのだ。「一瞬更に一瞬、点滅するその音、殊にその沈黙の間が、私を夢中にさせて了った。耐え切れぬ期待の為に、全神経は火の様に赤熱し、口の中で歯がキリキリと鳴った。それが合図で激しい痙れんが指先から始まり、全身を覆った。」ここでは精神的な事象がすべて身体的な事象に置き換えられている。
 鋭い一線が「鴉沼」と「キンドル氏とねこ」の間に引かれる。この短編集では最後に置かれた「キンドル氏とねこ」が、「デンドロカカリヤ」や「赤い繭」「壁―S・カルマ氏の犯罪」など、いわゆる安部公房ふう作品の端緒となる短篇であるとすれば、「鴉沼」は、「(霊媒の話より)題未定」から始まって「終りし道の標べに」を通ってきたひとつの道筋の最終到達点を示している。安部公房二十四歳。異様な出来栄えである。いわゆるラテン・アメリカ文学の魔術的リアリズムをはるかに先取りしている。植民地で迎えた敗戦と暴動を背景にしているが、作品の主眼は政治社会にはない。ひたすら限界状況に置かれた人間にある。ここでは身体の描写がそのまま精神の描写になっている。天才的な達成と言っていい。
「鴉沼」にいたる最初期・安部公房の世界が綿密に論じられる日が待たれる。

(みうら・まさし 文芸評論家)

波 2013年2月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

安部公房

アベ・コウボウ

(1924-1993)東京生れ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。2012年、読売新聞の取材により、ノーベル文学賞受賞寸前だったことが明らかにされた。

判型違い(単行本)

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