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死海のほとり

遠藤周作/著

880円(税込)

発売日:1983/06/28

  • 文庫
  • 電子書籍あり

打ちのめされた魂を真に救うものは何か。混迷と不安の時代にあらためて「神」の意味を問う名作。

戦時下の弾圧の中で信仰につまずき、キリストを棄てようとした小説家の「私」。エルサレムを訪れた「私」は大学時代の友人戸田に会う。聖書学者の戸田は妻と別れ、イスラエルに渡り、いまは国連の仕事で食いつないでいる。戸田に案内された「私」は、真実のイエスを求め、死海のほとりにその足跡を追う。そこで「私」が見出し得たイエスの姿は? 愛と信仰の原点を探る長編。

目次
I エルサレム 〈巡礼 一〉
II 奇蹟を待つ男 〈群像の一人 一〉
III ユダヤ人虐殺記念館 〈巡礼 二〉
IV アルパヨ 〈群像の一人 二〉
V 死海のほとり 〈巡礼 三〉
VI 大祭司アナス 〈群像の一人 三〉
VII カナの町にて 〈巡礼 四〉
VIII 知事 〈群像の一人 四〉
IX ガリラヤの湖 〈巡礼 五〉
X 蓬売りの男 〈群像の一人 五〉
XI テル・デデッシュのキブツ 〈巡礼 六〉
XII 百卒長 〈群像の一人 六〉
XIII ふたたびエルサレム 〈巡礼 七〉
 「あとがき」にかえて
解説 井上洋治

書誌情報

読み仮名 シカイノホトリ
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 432ページ
ISBN 978-4-10-112318-9
C-CODE 0193
整理番号 え-1-18
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 880円
電子書籍 価格 737円
電子書籍 配信開始日 2013/03/01

書評

遠藤周作は到達している

窪塚洋介

 汚くて醜くて狡猾。マーティン・スコセッシ監督作品「沈黙―Silence―」(2017年公開)で俺が演じたキチジローは、原作では弱さの権化のような男だった。でも圧倒的に面白い人間で、俳優なら誰もがやりたい役だと思う。キチジロー役に決まったときは感無量。ドッキリかなって思ったくらい。
 マーティンとの初めての食事会で「キチジローは裏の主役」って言われたんですよ。俺、マーティン・スコセッシの映画で主役なんだ。しかも超重要な。喜びを感じる一方で強烈なプレッシャーに押し潰されそうになった時、救ってくれたのが「キチジローは私です」っていう遠藤先生の言葉だった。自分の中から何を引き出したらキチジローを生きられるか不安な中、この言葉を支えにキチジローを全うできた。
 踏んで生きるか、拒んで死ぬかの世界で、キチジローはめっちゃ軽く踏む。しかも何度もね。最初は躊躇して踏むけど、アイツ、段々踏み慣れてくるんですよ。現場ではStep on Jesus danceなんて冗談が飛び交うくらいだったけど、俺は奴が強くなったと思った。成長といってもいい。踏んでも心は侵されないことに気付いたんですよ。言葉には出来ないけど誰よりも「神は自分の中にいる」と信じて体現しているのがキチジロー。言葉は持っているけど体現できないのがロドリゴ。これがマーティンの言う表と裏の存在だと思う。

 役作りの最中、自分の中に埋まっている汚らしく情けない、蓋をしていた出来事を引きずり出して追体験したんです。20年前マンションの9階(高さ29メートル)から落っこちました。朝スーツケースを玄関に置き、わかめの味噌汁を飲んでいる側で、息子がハイハイをしている。それが最後の記憶で目を覚ましたのは3日後。なんで落ちたのか全く記憶にない。自分の人生の一番の七不思議。当時は苦しみましたよ。仕事で迷惑はかけたし、俳優人生終わったと思ったし。あの時の嫌な自分を引きずり出すと、心の居場所がなくなって落ち着かなくなり、手がソワソワ動くようになった。このとき、キチジローの精神と同調できたと思った。
 俺が転落事故によって仕事で迷惑をかけたことが罪ならば、罪を償うとはどういうことかを突きつけられたのが『海と毒薬』。生体解剖に参加した戸田医師の手記〈他人の眼や社会の罰だけにしか恐れを感ぜず、それが除かれれば恐れも消える自分が不気味〉には痺れた。こんなことを言ってしまっていいんだろうか? 言葉にすることさえ憚られる。善悪を超越した「生きる」を表現した言葉だと思う。もう遠藤周作は「到達している」という感じがする。人間の心の恥部にライトを当てて、オブラートに包まず作品に昇華させて、登場人物の台詞として生々しい響きを持たせることができるほど自分を掘り下げることができていたのかと思うと、遠藤周作には驚愕しかない。

 キリストの生涯を辿った『死海のほとり』も大事な作品だと思う。俺の家は仏教徒、本人は窪塚教徒の多神教だからキリスト教の世界もすんなり入っていける。神という言葉に抵抗があるなら、『深いディープ・リバー』に出てきたように玉ねぎでもいい。一神教でも多神教でも結局は同じ場所に行き着くんじゃないかな。良いものは良い。好きなものは好き。ありがとう、と言い合える。そういう者同士が手を取り、肩を抱き、尊重し合って生きられる時代を遠藤先生は作品で表現していると思う。

 家に遠藤周作日めくりカレンダーがあって、特にお気に入りなのが8日。〈今こそ生活のために生きるのをやめて、人生のために生きよう。〉この言葉がいつも見えるようにしています。
 俺は生活のために役を引き受けることはない。一回もなかったといっても過言ではない。だけど、それに付随する副業は食べていくためにもやっている。生活なのか人生なのか、境界線を曖昧にしてバランスを取るようにしています。バランスって大事。俺と先生はバランス感覚が似ている気がする。
 この日めくりカレンダーで違うと思った言葉はひとつもない。9日〈悪いことはいいこと、いいことは悪いこと、となることがあるんです。〉その通り。No rain, No rainbow。当時は苦しんだけど、今はマンションから落ちて良かったと思えている。自分をめっちゃ強くしてくれたから。
 遠藤先生は強烈に厳しいようでいて、「まだ大丈夫だよ」といつも言ってくれるんだよね。マンションから落ちる前に読んでいたら、俺の人生どうなっていたかな。

(くぼづか・ようすけ 俳優)

波 2024年12月号より

著者プロフィール

遠藤周作

エンドウ・シュウサク

(1923-1996)東京生れ。幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。主な作品は『海と毒薬』『沈黙』『イエスの生涯』『侍』『スキャンダル』等。1995(平成7)年、文化勲章受章。

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