ギリシア人の物語1―民主政のはじまり―
1,210円(税込)
発売日:2023/07/28
- 文庫
- 電子書籍あり
ギリシア人なくしてローマ人なし。偉大な先人の歴史を描く、塩野七生最後の歴史長編!
古代ギリシアで民主政はいかにして生まれ、いかに有効活用され、見事に機能したのか? なぜ現代まで脈々と続く哲学や科学、芸術の起源となることができたのか? そこには数少ない市民で強大な帝国ペルシアと対峙しなければならない、苛酷な状況があった――。ギリシア人なくしてローマ人なし。「ローマ人の物語」以前の世界を描き、現代の民主主義の意義までを問う著者最後の歴史長編全四巻。
書誌情報
読み仮名 | ギリシアジンノモノガタリ01ミンシュセイノハジマリ |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 高橋千裕/カバー装幀、テミストクレスの彫像(ヴァチカン美術館蔵) (C)Rijksdienst voor het Cultureel Erfgoed/カバー写真、シフノス人の宝庫の破風彫刻(デルフォイ考古学博物館蔵) (C)Bridgeman Images/カバー写真 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 580ページ |
ISBN | 978-4-10-118112-7 |
C-CODE | 0122 |
整理番号 | し-12-46 |
ジャンル | 歴史読み物、歴史・地理・旅行記、世界史 |
定価 | 1,210円 |
電子書籍 価格 | 1,210円 |
電子書籍 配信開始日 | 2023/07/28 |
書評
現代政治の源流へ
塩野七生さんの新作が古代ギリシャをめぐる三部作だと知り驚いた。
塩野さんといえば古代ローマ。独特の創作リズムを乱すことなく一五年間かけて完結させた『ローマ人の物語』全一五巻はまさに金字塔だ。並大抵の作家や学者には真似出来ないし、完全に燃え尽きてしまうだろう。私ならもう何もしない。
しかし、この希代の叙述家はそこで止まらない。何と古代ギリシャへと探究心を広げ、このたびの三部作の初巻の刊行と相成った。
塩野さんを駆り立てたのは、まず、ギリシャに対して「失礼」という想いだ。「ギリシア・ローマ時代」と称される割には、『ローマ人の物語』でギリシャを扱ったのは第一巻のごく一部。ローマからギリシャを見るのではなく、ギリシャを内側から捉え直すことにした。古代ローマ、ひいては地中海世界をより真摯に理解しようとする矜持には圧倒的なものを感じる。
もう一つ、塩野さんを誘ったのは、古代ギリシャ、とりわけアテネが世界史における「民主政治の創始者」である点だ。昨今、代議制民主主義の危機が盛んに指摘され、訳知り顔の論客がメディアを賑わせているが、そうした日本の言論状況に対して「拒絶反応」を覚えるようになったという。時局対応型のポジション・トークではなく、ここは一つ腰を据えて、じっくりと古代ギリシャの民主政の実相を探ろうというわけだ。その意味で、本書は、単なる歴史物語とは明らかに一線を画している。
米国研究やソフトパワー研究を専門とする私にとって、今回の三部作は、さらにもう一つの点から、極めて現代的な含蓄に富む。それは、いわゆる「ツキディデスのジレンマ」が、目下、外交・国際関係において改めて注目されているからである。
「ジレンマ」とは、古代ギリシャにおいて、アテネの急速な台頭に恐怖を覚えたスパルタの過剰反応がアテネの恐怖を引き起こし、負のスパイラルへと転じた結果、戦争に至ってしまったという安全保障上のジレンマを指す。
そして、いわばアテネが今日の中国であり、スパルタが米国ではないかというわけである(もっとも、中国の政治体制は民主政とは程遠いが)。米国内の穏健派は過剰反応の罠を戒め、強硬派は宥和主義の愚を難ずる。
新興国の台頭に覇権国家がどう対峙するかは国際秩序の行方を大きく左右する。第一次世界大戦によって米国は一気に頭角を現わしたが、大英帝国が「ジレンマ」に陥ることはなく、国際秩序は概ね維持された。米中関係の今後を読み解くうえでも古代ギリシャを理解することは重要だ。
本巻では、アテネとスパルタの衝突以前、すなわち都市国家(ポリス)の形成・発展、そして度重なるペルシャ帝国との息を飲むような名戦が鮮やかに描かれている。
ローマ人が「長距離走者」なのに対し、ギリシャ人は「短距離走者」であり、かつ「イノヴェーションの塊」だということ。アテネの政体の本質が「リレー競走」なのに対しスパルタは「徒競走」であること等々。人間や社会の本質への鋭い炯眼を交えた塩野さん特有の語り口は健在だ。
都市間の巧妙な駆け引き、戦力や地勢の比較、戦略や戦術分析……どれも抜群に面白いが、私にとってはアテネを中心とする「デロス同盟」とスパルタを盟主とする「ペロポネソス同盟」の話がとりわけ心に響いた。「同盟」という概念そのものを理解するうえで、古代ギリシャの事例はあまりに重要だからである。
例えば、現代米国を代表する国際政治学者であり、日米同盟の理論的支柱の一人であるハーバード大学のジョセフ・ナイ教授の研究の出発点はペロポネソス戦争だった。同教授による新入生向け授業では、同戦争を事例として国際関係におけるリアリズム(現実主義)とリベラリズム(国際協調主義)の優劣が論じられていた。
つまり、古代ギリシャとはまさに現代世界であり、ギリシャ人の苦悩は我々自身のものでもあるのだ。
古代ギリシャという、とてつもなくタイムリーなテーマに切り込んだ塩野さん、あっぱれという他無い。
(わたなべ・やすし 文化人類学者、アメリカ研究)
波 2016年1月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
塩野七生
シオノ・ナナミ
1937年7月7日、東京生れ。学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくむ(2006 年に完結)。1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2007年、文化功労者に選ばれる。2008ー2009年、『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。2011年、「十字軍物語」シリーズ全4冊完結。2013年、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)を刊行。2017年、「ギリシア人の物語」シリーズ全3巻を完結させた。