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万葉恋づくし

梓澤要/著

737円(税込)

発売日:2019/12/25

  • 文庫
  • 電子書籍あり

万葉女子はびっくりするほど恋愛下手! 歌人たちの切なくもおかしい恋模様を描き出す傑作。

万葉歌人は、じつは恋愛下手でした――。若い大伴家持から恋歌を贈られた年上女性の、理性と情熱の揺らぎを描く「年下の男」。夫に愛想を尽かした妻が出した結論「しゑやさらさら」。恋の歌が苦手な女の前に現れた庭を愛する男との、不意の出来事が胸を焦がす「恋の奴」。その他、下級役人の滑稽な同棲「紅はかくこそ」など全七編。歌人たちのおおらかで不器用な恋の一瞬を、みずみずしく描く傑作。

目次
紅はかくこそ

年下の男
おその風流男
醜の丈夫
しゑやさらさら
恋の奴
解説 上野誠

書誌情報

読み仮名 マンヨウコイヅクシ 
シリーズ名 新潮文庫
装幀 丹下京子/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 368ページ
ISBN 978-4-10-121183-1
C-CODE 0193
整理番号 あ-91-3
ジャンル 文学・評論
定価 737円
電子書籍 価格 737円
電子書籍 配信開始日 2020/05/22

書評

解かれた万葉恋歌の“謎”

上野誠

 歴史小説の書き手としていえば、いわば「手だれ」の著者が、『万葉集』に取材した短編小説集を出した。万葉学徒の私は、鵜の目鷹の目でアラ探しをしたのだが、残念なことに見つからなかった。小説家に「いんねん」を見つけたかったのであるが、見つけることはできなかった。気を取り直して、読み直してみると、その味わいは、時に淡く、時に濃く、やはり著者ならではの世界だ。あぁ、やられたぁ、という感じだ。
 万葉歌から、有名歌、無名歌を問わず、著者の眼力で選ばれた歌から、次々に紡ぎ出される物語。その万葉歌の作者たちが自由にしゃべり出す。なんとも不思議な短編集だ。じつは、古代社会において「うた」と物語は、密接に結びついていた。物語が、いわば事を書く文体であるのに対して、「うた」は情を書く文体であった。だから、物語を書く場合においても、情の部分はどうしても「うた」を通して書かざるを得なかったのである。そういう事情を知っている私からすると、著者はどんな方法で、「うた」から物語を紡ぎ出すのか、興味津々になった。
 では、具体的にはどういう方法で、著者は短編を書いているのだろうか。それは、「うた」の中に書き込まれている謎を、文学的想像力で埋めるという方法で書かれているのである。
『万葉集』の巻十八に、

  里人さとびとの 見る目づかし 左夫流児さぶるこ
   さどはす君が 宮出後姿みやでしりぶり

  くれないは うつろふものそ つるはみ
   なれにしきぬに なほ及かめやも
          (巻十八の四一〇八、四一〇九)
 という「うた」があるが、これは家持の部下が、妻子がいるにもかかわらず、遊女に溺れ、末は官舎に女を連れ込むありさま。見かねた家持が、「うた」をもって本人を諭した。家持は長歌において縷々本人を諭した後に、反歌では、次のように述べているのである。前述の「うた」の訳文を示しておこう。

  里人の見る眼も恥ずかしいではないか、遊女に溺れた君が
  官舎から宮に出勤している後姿は――

  紅色というものは、移ろいやすいものだぞ。地味な色ではあるが、
  橡の着なれた衣には及ばないぞ。古女房を大切にしたまえ。

 ところが、である。長歌を見ても、反歌を見ても、
 (1)遊女と家持の部下は、どこでどんな出逢いがあったのか。
 (2)その遊女はどんな気持ちで、家持の部下と付き合っていたのか。
 という点については書かれていない。そして、何よりも、家持が部下をたしなめた結果、部下と遊女はどうなったかは書かれていないのである。書かれていないのは、当たり前といえば当たり前で、それは、部下を諭すために作った「うた」だからである。そんな時に、二人の馴れ初めを語る必要などないのだ。ところが、「うた」を読んだ人なら誰でも、(1)(2)とその後の二人のことが知りたいはずである。その知りたいところが、この短編集では書かれているのである。確かに、以上のことは「うた」に書き込まれていないのだが、私はこれを逆に「書き込まれている謎」と呼びたい。なぜ、そう呼んだかといえば、「うた」の詠み手である家持にとってみれば、詳細を記す必要などないかもしれないが、この歌を読んだ読者は、ことの顛末を知りたくなってしまうからである。
 じつは、この問題こそが、「うた」という文芸の持つ本質にして、宿命なのである。前述したように、「うた」とは、「事」を書く文芸ではなく、「情」を書く文芸なのだ。「この薔薇の花は、なんと美しいのだろう」と歌われていたとする。ところが、その薔薇の色も、薔薇の種類も歌われていないことがある。多くの場合、それは謎として永遠に残ってしまう。そういう永遠に残る謎は……想像するしかないのだ。そして、不思議なことに、多くの名歌は、謎のある歌なのである。
 それは、どこか恋と似ている。恋というものは、秘められるものだ。秘められてこそ恋なのだ。しかるに、名歌にも必ず秘められたところがある。万葉恋歌の謎を解く、みずみずしい筆致が、今も私の脳裏から離れない。

(うえの・まこと 万葉研究者)
波 2017年2月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

梓澤要

アズサワ・カナメ

1953(昭和28)年静岡県生れ。明治大学文学部卒業。1993(平成5)年、『喜娘』で歴史文学賞を受賞しデビュー。歴史に対する知的な洞察とドラマ性で、本格派の歴史作家として評価されてきた。執筆の傍ら、東洋大学大学院で仏教史を学ぶ。2017年、『荒仏師 運慶』で中山義秀文学賞を受賞。著書に、『捨ててこそ 空也』『方丈の孤月』『万葉恋づくし』『あかあかや明恵』『光の王国』『越前宰相秀康』『阿修羅』『百枚の定家』『夏草ヶ原』『遊部』『橘三千代』『画狂其一』『井伊直虎』等がある。

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