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からくり写楽―蔦屋重三郎、最後の賭け―

野口卓/著

880円(税込)

発売日:2021/03/27

  • 文庫
  • 電子書籍あり

お上に一泡吹かせてやるッ! それは前代未聞の密談から始まった! 江戸っ子の意地を描く痛快時代小説。

謎の絵師を、さらなる謎で包んでしまえ――。前代未聞の密談から、「写楽」売出しの大仕掛けは始まった……。一つ、正体は決して知られてはならない。二つ、噂を流し影武者を作れ。三つ、御公儀に一泡吹かせるべし。江戸っ子の意地をかけ、蔦屋重三郎が動く。かくして「写楽」はデビューした。だが感づいた者がいた。危機一髪の尾行、想定外の事態。どうなる写楽。『大名絵師写楽』改題。

目次
第一章 踊り狂う男
第二章 蔦重の思惑
第三章 無口な隠居
第四章 混迷曾我祭
第五章 謎の絵師
第六章 独り歩き
第七章 味方か敵か
第八章 わが写楽
第九章 写楽抹消
終章 瑕なき玉
主な参考文献
解説 細谷正充

書誌情報

読み仮名 カラクリシャラクツタヤジュウザブロウサイゴノカケ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 安里英晴/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 496ページ
ISBN 978-4-10-125663-4
C-CODE 0193
整理番号 の-16-3
ジャンル 文学・評論
定価 880円
電子書籍 価格 880円
電子書籍 配信開始日 2021/03/27

書評

写楽の謎に対する最適解

吉野仁

 写楽とは何者か。
 その正体をめぐり、これまで多くの人がその謎に取り組んできた。すでに日本美術の専門家の間では「阿波の能役者、斎藤十郎兵衛」として写楽問題は解決しているらしいが、それでもなお疑問は残る。
 とくに問題とされるのは活動期が寛政六年五月から翌年の新春まで、たったの十ヶ月という点だ。わずかな期間で百四十作をこえる浮世絵を発表しながら、あっさり消えてしまった。まったくもって奇妙である。加えて、江戸一といわれた板元の蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろうが、なぜ無名の絵師の作をいきなり二十八枚も出したのか。しかも大判の黒雲母摺という大物並の扱いである。また、写楽の作品は発表時期で作風が変わるどころか、後期になると明らかに力量の劣る作品となったのはどうしてか。
 こうした謎に対し、写楽はもともと写楽ではなく、有名な絵師が短期間だけ写楽を名乗ったという「写楽別人説」が次々に唱えられていった。円山応挙葛飾北斎、歌川豊国といった絵師から戯作者の山東京伝や十返舎一九まで、錚々たる名前があがってきたのだ。その推理をめぐる論考ばかりか、小説の題材としても多く扱われている。探偵小説ファンであれば、第二十九回江戸川乱歩賞を受賞した高橋克彦『写楽殺人事件』をごぞんじだろう。浮世絵研究者が殺された事件を主軸として、写楽の正体探しがおこなわれていく物語だ。近年では島田荘司写楽 閉じた国の幻』もまた主人公が写楽の謎に迫る長編ミステリーだった。
 だが、本書『大名絵師写楽』はまったくちがう。「写楽とは何者か」という問いの話ではない。いかにして写楽が生まれ、そしてふいにいなくなってしまったか、その経緯や活動の舞台裏を鮮やかに物語っているのである。これまでにない謎解き小説。いわば、芝居を舞台の裏側から見るごとき斬新な趣向による時代小説なのだ。
 本作の主人公は、蔦屋重三郎である。江戸時代、黄表紙、洒落本、浮世絵などの板元「耕書堂こうしょどう」の主人として有名な人物。斬新な企画を打ち出して大きく売りあげたり、才気ある新人を発掘し育て売り出したりするなど、華々しい活躍を続けた。江戸文化の一時代を創り出した男である。
 物語は、ある武家に対して蔦屋重三郎が頼み込む場面からはじまる。武家とは久保田藩江戸留守居役筆頭平沢常富ひらさわつねまさ。平沢は朋誠堂喜三二ほうせいどうきさんじの筆名で人気の戯作者だ。ふたりは古くからの知り合いだった。
 あるとき平沢が重三郎に贈答品のための摺物すりものを依頼した。重三郎に渡された絵はいずれも見事なものだったが、そのなかの一枚、祭りで踊り狂う男の絵に、重三郎の目は釘付けとなった。これまでにない迫力をもった作品だったのだ。興奮した重三郎は、その絵師に会わせてくれるよう頼んだものの、平沢は曖昧にはぐらかすばかりだった。
 そうこうしているうち、二人に災厄が降りかかった。喜三二は刊行した本が発売禁止となり、黄表紙から足を洗った。その三年後の寛政三年、山東京伝の作品が発売禁止、板木は没収、京伝は五十日の手鎖てさぐり刑となり、重三郎は重過料おもきかりょうの罰をうける事態となった。
 ところが重三郎は転んでもただでは起きない男だった。「踊り狂う男」の絵師に役者の大首絵を描かせようと思い立つ。寛政三年は、喜多川歌麿が美人大首絵で大人気を博しており、そこからの着想だった。さっそく喜三二へ絵師の紹介を頼み込んだものの、以前と同様に断られてしまった。あきらめずに重三郎はその絵師をつきとめようとする。
 ここから写楽が生まれた。
 蔦屋はその腕前を発揮し、世間を欺かんとばかりに謎の絵師を実在化させていくのだ。ここに記されているのは、写楽が消えた理由をはじめ、すべての謎に対するつじつまが合った最適解といえよう。そのほか、蔦屋重三郎の多彩な人脈をめぐる逸話の数々を読んでいくだけでも興味深く、読みどころは尽きない。
 野口卓は、〈軍鶏侍シリーズ〉など書き下ろしの時代小説作家として人気を博しているが、まさかこれほど大胆奇抜な小説を書き上げるとは思いもしなかった。写楽に興味をもつ方であれば、まちがいなく必読と言える一冊だ。

(よしの・じん ミステリー評論家)
波 2018年10月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

これが我らの写楽道

野口卓渡辺保

これが我らの写楽道

●「写楽」ができるまで

──最初に、渡辺さんから『大名絵師写楽』のご感想をいただけますでしょうか。

渡辺 とても面白かったですよ。小説としてよくできているなと思いました。ことに、徳島の殿様、重喜しげよし侯という老人が非常によく書けていて、蔦屋やその他の人たちより群を抜いて人物像が良かったと思いますね。だから彼が写楽だというのは、非常に納得できました。野口さんは、写楽にどうして興味をお持ちになったんですか。

野口 一つには、私が徳島の生まれということがあり、阿波の斎藤十郎兵衛という能役者が写楽だと言われてますので気になっていました。それと写楽のいろいろな小説や論文を読んだときに、どなたも絵と絵師から人物像に入って行き、自分の考えている写楽の正体に近づけよう、都合の悪いことは見ないようにしようという内容ばかりなんですね。だから、渡辺さんが『東洲斎写楽』を出されたとき、芝居と役者の面から写楽絵を追って行っているのがとても新鮮でした。

渡辺 そうですか。

野口 やはりこういう形で考えないと、見えない部分があるんじゃないかなと思ったんです。私は絵や絵師、芝居と役者のことはよく分かりませんので、写楽絵を出しながら、絵師にはまるで触れていない板元の蔦重つたじゅうに着目しました。

渡辺 プロデューサーですね。

野口 蔦重に出版する意思がなければ、当然写楽は出てきません。そこから、写楽が突然現れたのと突然消えたことには、正体が明らかになれば大騒動となるような大身の方が関わっているのではないか、また寛政三年(1791)に重過料おもきかりょうを科された蔦重が、その三年後に二十八枚の役者の大首絵、しかも雲母摺きらずりをどうして出せたのか、ということを考えました。そこには当然ですが金主がいたはずです。

渡辺 その謎を解こうとお思いになった?

野口 写楽が誰かということもそうですが、急な出現と消滅が遥かに大きな謎ですから。小説の中で蔦重が追った手順とおなじ方法で、私は蜂須賀はちすか重喜に辿りついたのです。

渡辺 蔦重が、二十八枚摺りあがったらお送りしますと重喜侯に言った時に、重喜侯が自分の作品は筆をいたら要らないと言うところに、私は本当に共鳴しましたね。作っちゃったものはどうしようもないんだし、それが人前に出た以上は、誤植や何かは訂正できるけど、それ以外のことはあんまり訂正できない。創作する人間の言葉だと思いました。

野口 私も作るまでの段階が全てだと思います。

渡辺 重喜侯は徳島藩に養子で入って、藩政改革をしようとしたら急すぎて、若いうちに隠居させられたんですよね。

野口 重喜には性急な部分とか芸術家肌的な理想主義があって、そのために失敗しましたが、それが彼を屈折させたのだと思います。

渡辺 そこが面白いところですよね。

野口 あらかじめ内部工作をし、藩の中で根回しをしてから改革をしたら、成功していたと思います。「重喜は早すぎた上杉鷹山」とも言われていますが、鷹山は重喜の失敗を見ていたから藩政改革を成功させられたのではないでしょうか。だからわずかな差で重喜も、鷹山のようにいいお殿様になっていた可能性はあります。

渡辺 なるほどね。たとえばどんな改革をしたんですか。

野口 財政の立て直しですね。

渡辺 立て直しの目玉は何だったんですか。小説の中にも重喜侯の江戸での滞在先として藍玉問屋が出てきますが、徳島藩は藍玉でもうかっている藩ではないんですか。

野口 もうかってはいるんですけれども、藩内を流れている吉野川が暴れ川でして、それによって収穫に良い悪いが出てしまう、非常に不安定なところがあったようです。

渡辺 藍玉も川の流れに左右されるものなのですか。

野口 藍の作柄が影響されますね。藍玉は栽培した藍の葉を、水を掛けたり絶えずかき混ぜたりして発酵させながら、ものすごく手間を掛けて作らなきゃいけないそうです。

渡辺 藍玉は特殊な専売特許なんでしょ。

野口 に、したんですよね。商人たちが持っていた権利を藩の専売にしたという形ですね。

渡辺 他にも経済立て直しの目玉があったんですか。

野口 いや、目玉はなくて、多くの藩がやっているような質素倹約ですね。二百石以上の全藩士から五十石を召し上げ、重喜自身の歳費は千両のところを二百両に下げてしまい、妻の伝姫つてひめの分も十分の一に下げました。自分たちも下げているんだからみんなも納得してくれ、というような形で始めたんですけれども、それが急すぎたんですね。

渡辺 でも、政策としては非常に平凡ですよね。

野口 そうなんです。重喜にいいブレーンがいなかったのと、元々は久保田新田藩という二万石の小さな藩の四男坊だったので、藩を差配する帝王学的なことを教えられていなかったのが改革の失敗の原因だと思います。

渡辺 養子に入る前、江戸藩邸にいる間に遊びは覚えたけどね。

野口 ええ。「宝暦の色男」を自称した戯作者の朋誠堂喜三二ほうせいどうきさんじこと、本家の久保田藩江戸留守居役の平沢常富ひらさわつねまさから、遊びを仕込まれたようですね。重喜の父親がかなり野心的な人で、重喜を徳島藩の養子にしました。改革に失敗した後は国許の大谷別邸で文人らを招いて派手な暮らしをしていたのですが、幕府に咎められて逼塞してしまったんです。私はこの大谷別邸時代に重喜は好きな絵をたくさん描いて、喜三二のツテで蔦重に摺らせ、息子の治昭侯の名で親しい大名家へ贈っていたと考えました。

渡辺 なるほど。それも重喜侯のキャラクター的な面白さにつながったと思います。こういう人なら「写楽」を生み出すことができるんだろうなと思いました。

●血の雨が降る!?

渡辺 都伝内みやこでんないという人物もよく書けていましたね。僕は一番面白いのは重喜侯だったけれど、二番目は都伝内だと思って読んでいました。

野口 都伝内について渡辺さんに教えていただきたいと思っていたことがあるんですけれど、何代にもわたって都伝内という人がいたようなんです。これは襲名制という形なのでしょうか?

渡辺 それもありますが、歌舞伎の座元である本櫓が破産して控櫓が代わりに出てくるときには公募だった訳です。公募の際、管轄の町奉行所で由緒書きをあらためたときに、その由緒書きもやはりいいかげんなものなんだけど、とにかく中村勘三郎、市村羽左衛門、森田勘弥の本櫓三座よりも前に活躍していた人の名前が控櫓は欲しかったんですよ。箔付けです。だから、都伝内にしても桐大内蔵にしても河原崎権之助にしても、本櫓の三人よりひょっとすると古いんじゃないかっていう名家を拾ってきたんです。だから襲名は無論していると思いますが、正確にしているかどうか分かりませんね。もともと都伝内という名前は、阿国歌舞伎と前後するぐらいには出てくるんじゃないでしょうか。

野口 そんなに早く。

渡辺 そうなんですよ。だから、中村、市村、森田という三座、あるいは取りつぶしになってしまった山村長太夫よりも古くまで辿れる人を立てたというだけのことですね。

野口 なるほど。火事が何度かあって資料が燃え、詳しい事情が分からないところがありまして。

渡辺 そうなんです。あんなのいいかげんなんですよ。

野口 ええ。それで口上読みの絵(「都座楽屋頭取口上図」)を調べ出すと、幾つかおかしいな、と思う部分が出てきました。全身像だから学者たちは第二期(寛政六年七、八月の舞台絵)と考証しているんですけれども、口上読みは菱の中に「寿」という文字を図案化した裃を着ています。この裃は寿興行のための特別誂えで、紋は都座の紋なんですね。都座は四月に寿興行を行った記録があるので、第二期に持って来るには無理がある。私はこの人物は一般に言われている篠塚浦右衛門ではなく、都伝内だと思うんです。

渡辺 でも、口上を読むのは頭取ですから、座元の都伝内は口上は言わないんですね。ただ、『大名絵師写楽』はフィクションだから、僕はそこは説得力があってとてもよくできていて面白いと思います。

野口 通常の舞台ではともかく、寿興行は特別なので座元の伝内が読んだに違いないと、私はそう思い込んでいました。

渡辺 話はそれるけど、僕が『東洲斎写楽』を書いたときに、学習院の先輩が「ちょっとこの写楽研究会っていうのに出ないか」と言うから、恐る恐る出たんですよ。周りにそうそうたる写楽の研究家が並んでいる所でいろんな話を聞いていたら、その中の一人が、「写楽をこの人だあの人だって言うと、血の雨が降るんだよな」と言うんです。写楽の正体を巡って昔は殴り合いになったんだって。だから血の雨が降るって言ったの、その人はね。ぞっとしましたね。私はそんなこと全然考えないでこの本(『東洲斎写楽』)を書いたのに。それで、「おまえの言っている、写楽が篠田金治であるというのはおかしい」とか言われて。でも、もともと僕は、写楽が誰であるかというのは興味がない。僕はとにかく、絵描きが役者の肖像画を描いているんだから、やっぱり写楽と歌舞伎役者を関連付けなきゃいけないということを考えていただけで、そういう論争に参加する気はないと、まず、白旗を上げたんです。ところで、写楽は値段が高いでしょ。

野口 と思います。

渡辺 それほど高くなければ問題にならないと思うんだけど、金が絡んでるからね。だから血の雨が降るんでしょ。

野口 なるほどね。

渡辺 でも『大名絵師写楽』はフィクションだからいいんですが、話題を呼ぶと思いますよ、都伝内についても。慣習から言えば、座元が口上を言うってことはあるかもしれないけれど、この巻紙は口上触れですから座元がこれを読むということはあり得ない。でも口上読みの絵の人物が都伝内だというのはとても面白いところですよ。僕、感心して読みましたよ。

野口 ありがとうございます。あと、この絵についておかしいと思ったのは、この巻紙の口上が裏側から透けて見えるという趣向になっていると言われていることです。でも、メトロポリタン美術館に所蔵されているものは真っ白なんですよ。芝居の舞台は南面していますよね。

渡辺 そうです。

野口 それは芝居を明るいうちだけ上演する、照明を使わずにやるということです。こういう口上を読むための紙というのは、奉書紙のいいものを使っていますよね。だから書いたものが裏に透けて出る訳がないし、照明を後ろから当てて、それで透けて見えるということもないと思うんです。

渡辺 それはそうですね。

野口 だから、メトロポリタンにあるものが本来の姿で、口上の文字は写楽が有名になってから、明治の頃にでも刷り足したんじゃないかなという気が私はしてたんです。

渡辺 血の雨が降りますよ、そんなこと言ったら。怖いんだから(笑)。

野口 血の雨は勘弁して……(笑)。

渡辺 明治のときに足したんじゃないかって言ったら、値段が百万とか二百万とかではなくて、一千万単位で下がるから。でもその説はいいんですよ、これで。野口さんのお書きになったのはフィクションです。あれで、とても面白くなったしね。

野口 何か魅力を感じたんですよ、伝内に。

渡辺 野口さんが乗って書いていらっしゃるのが読んでいて分かるからね。だからいいんですよ、これはフィクションだからって、仰ってりゃいいんだから。だけど、問題が出てくる可能性もあるからね。

野口 渡辺さんのお話を先に聞いていたら書けなかったかも(笑)。

渡辺 そう。あんまり余計なことは聞かないほうがいい(笑)。

●写楽と芝居と蔦重

渡辺 僕は写楽絵は、芝居にどっぷり漬かって、芝居に体をすり寄せている人間が描いた絵ではないと思ったんですね。しかし根本のところでは、芝居の持っている狂熱というかパッションといいますか、そういうものを写楽はうまく捉えてるなということは感じました。それだから私は、血の雨が降ってもおかしくない絵師だと思うんです。

野口 そうですね。それから、今回書くときの大きな土台にあったのが、写楽絵には二種類あるということです。浮世絵研究家のロジャー・キーズさんが、同じ絵なのに、雲母摺りの地が厚くて光沢があって銀色を帯びているものと、地が平板で薄っぺらで明らかに黒っぽいものがある。また、重くてなめらかで吸水性のよい紙に刷られているものと、薄くて不安定でざらざらした紙に刷られているものがあるということを書いているんですね。美術史家の瀬木慎一さんもちらっと書いていらっしゃいます。それで私は、写楽絵は大名が親しい大名家に贈った配り物としての絵だと思うんです、本来は。

渡辺 それは十分考えられる。

野口 その贈答品である配り物の絵を、紙の質も絵の具も雲母もいいものを使って作った後で、蔦重が安い紙、安い絵の具と雲母で刷ったものを市販した、それが二種類の絵ができた理由だと思います。

渡辺 それは面白いですね。野口さんの推理は。

野口 そこで、この二種類の絵があるということから推測すると、蔦重はこのように動くだろうというのがありましたので、それも書く上で大きなヒントになりましたね。

渡辺 あと、第三期の写楽絵(寛政六年十一月の顔見世興行とそれに続く閏十一月の舞台絵)以降、ダミーの作者が三人いるというのが野口さんの非常に面白いアイデアだと思います。だけど、僕は写楽は一人だと思うんですよ。描き始めた皐月狂言から翌年の正月の狂言までの間に、ある人生を駆け抜けた男だっていうふうに写楽を捉えているんですね。

野口 『東洲斎写楽』のその部分、すごく説得力がありました。

渡辺 それはきっと、野口さんとも世の浮世絵研究家とも、僕が違うところだと思うんですが、芝居の側から見ると、第一期(寛政六年五月の舞台絵)、第二期の絵は面白くないんですよ。

野口 そうですか。

渡辺 僕の視点――つまり美術品としてではなく、役者の肖像画として見ると、第三期が最高に面白い。物語の中では重喜侯がこう言ってますね。一期を描き終わったところで二期に差し掛かったら、「全身を描いてると、型にはまってみんな同じになる」って。

野口 だから重喜はそれがつまらなくて描くことに飽きてしまい、写楽絵を止めたとしました。私はぎりぎり第二期までが写楽の作だと考えています。

渡辺 それはそれで面白いんだけれども、実は歌舞伎っていうのは、同じ型で同じような体つきをして同じようなポーズを取るものなんです。

野口 そこを見せるんですね。

渡辺 でも同じに見えて、実はそこが違うところ。例えば菊五郎がこうやるのと、吉右衛門がこうやるのとでは違って見えるから面白い。型があって、その型を破るところで初めて個性が出る。だから逆に、「踊る男」を描いた重喜侯ほどの人だったら、型の向こうに人間の別な体の躍動があるというのを見抜いてほしかったなと私は思いますよ。

野口 「踊る男」はかつて喜三二が蔦重に作らせた錦絵の一枚で、「津田の盆踊り」のことですね。これまでの絵にないダイナミックさに驚嘆した蔦重は、この絵師に役者の大首絵を描かせようと思い立ち、写楽を作り上げる訳です。盆興行(第二期)では蔦重が重喜に全身像を無理に描かせるという設定にしましたが、重喜が自分から進んで描いていたら、まったく別の絵になっていたかもしれません。

渡辺 例えば四代目岩井半四郎って女形がいるでしょう。一期、二期、三期と比べたときに、どれを見れば半四郎が一番よく分かるかというと、絶対三期。一期の大首絵は美術品としては優れた立派なものかもしれない。でも、顔だけでは人間は捉えられない。ことに歌舞伎はね。歌舞伎というのは仮面劇なんですよ。顔の表情は問題じゃない。隈取りやってる人もいりゃ、白粉おしろいをこんなに厚く塗ってる人もいるでしょ。厚く塗らなきゃ、女形は男だとばれちゃうから塗っている訳です。そこで型が問題になってくる。その型を壊す力が役者にあると、その人の個性も出るし、そこで初めて我々は陶酔するんです。重喜侯に今度お会いになったら、そこを描いてくれなきゃ困るっておっしゃって下さい(笑)。

野口 なるほどね。私は蔦重の立場から写楽絵を見ていたので、第三期から代役を立てるように進めていったんです。

渡辺 でも蔦重のこと、本当言うと、野口さん、好きじゃないでしょ。

野口 いえ、そんなことはありません。好きでなかったらこの本は書けなかったはずです。ともかくすごい人物だと思っているのです。冷静沈着で観察力と判断力にもすぐれ、先の見通しも利きます。私に欠けてるものばかりなので圧倒されているくらいです。だからどうしても距離ができてしまい、嫌いはともかく、あまり好きでないと感じられたのかもしれませんが。

渡辺 蔦重を中心としたチームが写楽を生み出すという設定が、野口さんが非常に上手におやりになったところです。でもそこに芝居の中の人間は入っていません。芝居の中の人間が入っていたら、第一期のような大首絵はやめて下さいって言いますよ。

野口 できないですよね。役者をデフォルメし過ぎてますから。でも、錦絵を作る側の人間、板元というのは、それに関係がない。徳島藩留守居役の菊地貞兼や同心の角倉すみくらもそうですが、芝居と全然違う位置にいる人間と、芝居の中の人たちとの考えの違いみたいなものも、やっぱり大きく出したかったんですよね。

渡辺 そうですね。角倉もよく書けていますよね、あの嫌な同心ね。

野口 蔦重が重過料を科せられたあとで、北町奉行所でただ一人親切にしてくれ、内部の事情を洩らしてくれたりします。角倉を出すたびに台詞や行動、考え方に味が出て来るので、次第に彼の場面が多くなりました。ところが進むにつれて、ひどく屈折した人物だとわかります。重喜も伝内も、そして角倉も屈折しています。彼らに共感できるのは、私が屈折しているからかもしれません。

渡辺 でも、蔦重も愛してやってほしい。

野口 愛情よりも尊敬の念が強いのだと思います。重喜の徳島での世話係の可内べくないには愛がないかもしれませんが。

渡辺 いや、可内にはありますよ。重喜侯にいろいろ言われているけど、それはそれなりにあるんですよ、愛嬌が。だから面白く書けてるのね。

野口 彼のエピソードには、少し落語的な要素を入れたかったというのがあったんです。

渡辺 成功してますよ。でも、やっぱり重喜侯や都伝内のほうが面白いもんね。蔦重よりずっと面白いです。あんまり蔦重が好きじゃないんだなっていうことはよく分かりました。

野口 だから、違いますってば!(笑)

写真

●僕らの好きな写楽絵


──写楽の中で一番お好きな絵を教えていただけますか。

渡辺 僕は「松貞婦女楠まつのみさおんなくすのき」の五枚続き(第三期)ですね。背景が描いてあるから芝居の雰囲気が分かるとかそんなことではなく、一人の娘に何人かの婿という設定の芝居なんですが、そのなかみを知ると、あの場面の瞬間に写楽は感動してるなっていうのがわかるの。

野口 なるほど。

渡辺 みんな個性が出てるんですよ。それから五人のこの後の人生も、みんな要約されているんです。これは他の人には描けない。特徴の捕まえ方が第二期よりも洗練されてるからね。この人間が今、役者として何を表現してどういう芸をやっているかというプロセスは、半身、大首じゃ出ない。しかし背景や全身を描けばいいというものでもない。その証拠に、第四期(寛永七年正月以降の絵)は死んだ絵になってるでしょ。

野口 そうですね。皐月興行に比べると目を覆いたくなるほど魅力に欠けますものね。だから私は写楽が描いたのではないと結論して三人のダミーを出したのですが、もし同一人とすれば、写楽のほうで役者絵がどういうものなのか理解した気持ちが出たということでしょうか?

渡辺 と思いますよ。写楽はある意味で言うと、一期、二期、三期を通じて成長したんです、人間的に。だんだん芝居が分かってきた。ちょっと出した手の先にも、人間の魂が宿るというのはこういうことだなっていうふうに分かってきたからこそ、これを描いた。でもそれは私の個人的な意見ですからね、芝居を考えたらこれですよっていう。

野口 では、あらためて見直さなきゃ、絵のほうを。私は一期、二期までを重喜の写楽としましたから。極端に言うと、写楽は一期だけ、二期以降は別人という方もいるし。

渡辺 私は最初はみんな写楽の大首絵を歓迎しなかったと思う。今だって例えば玉三郎のブロマイドや海老蔵のブロマイドを買うファンは、やっぱりその舞台で彼らがきらめいたときの姿がよく写ってるものを買うでしょ。写楽なら、役者がよく写っているのは三期だけしかないからね。だからそういう意味では、一期、二期の写楽絵は配り物だったというアイデアは非常にいいと思いますよ。写楽は男性である女形自身と、劇中の女性自身を観客が同じ瞬間に同じように見ていて、それでなおかつ感動しているという演劇の構造に批評的だった。それは写楽の批評が正しいと思うけど、ファンにとったらそんなこと、やってもらいたくないんだからね。

野口 そうですね。夢を買いたいですから。

渡辺 そう。だったらやっぱり、豊国の大首絵を買いますよ。もう一つ大事なのは、物語を知らないと第三期の絵も分からない。ところが首だけのほうは物語が関係ないから、誰でも何となく分かるでしょ。でも芝居は物語でやっている訳だからね。

野口 その通りです。ところで、私は『大名絵師写楽』の中では、重喜に目から描き始めさせ、目が決まればすぐ絵は決まるんだという言い方をさせました。第一期の大首絵を見ていると、そういう印象を受けますか?

渡辺 受けますね。それはおっしゃるとおりだし、新しいんじゃない?

野口 特に口上読みの。

渡辺 都伝内?

野口 はい。あの絵の伝内の目の力の強さは、圧倒的だと思います。第三期の絵について教えていただいて見方が変わりましたが、それでもあれが一番いい絵だと私は思います。

渡辺 それは、野口さんは都伝内に惚れているからね。実際に都伝内であるかどうかは知らないけれど、こういう老人がいたことは間違いないし、ここに写楽が全身を通してこの老人の人生を描いてるってことは間違いないから、とてもいいことだと思いますよ。

野口 書いている途中であらためて見直して、やっぱりこれが一番だなという思いになってしまったんですよ。これの他は全部スターのブロマイドですよね。相撲絵というのはありますけれども、あれを別にすれば全部役者絵です。そういう中に、なんでこの老人が出てくるかというのを考えたら、絶対に売り物ではなく、配り物だからこそ描けたのかなというのがあります。

渡辺 そこら辺も僕と違うかもしれない。僕はやっぱりスターが好きだからね。芝居だから。口上読みの絵には物語がないしね。それを描いているところが、僕は写楽は芝居の素人だと思う。

野口 完全に芝居の外部の人間ということですね。写楽の正体云々もそうですが、その絵の描かれた背景を読むのもとても面白いですね。物語を楽しんでいただくというのが、やっぱり、小説の場合一番ですから。

渡辺 第一ですもんね。登場人物が生き生きしてるっていうのは、それだけで楽しめるんだからいいんですよ。

野口 写楽は謎でしか言い表せない部分が多過ぎるので、その謎自体がやっぱり魅力だと思います。私も写楽に関心を持って少しずつ調べるようになってから、タイトルが写楽というだけで小説にしろ資料にしろ買うようになりました。そういう人は結構いるみたいなんですよね。

渡辺 芝居同様、狂熱的なところがこの人にはありますね。官能っていうか、グロテスクっていうか、それはやっぱり時代の感性でしょうね。あと、役者の個性が実にうまく捉えられている。舞台の風が感じられるっていうかな。豊国とか国貞とか、あるいは勝川春章とかの役者絵と比べたって、やはり一頭地を抜いてますよ。

野口 わしづかみにされるような迫力がありますものね。

渡辺 そう。だから血の雨が降るんです(笑)。


野口 卓(のぐち・たく) 1944年徳島県生まれ。立命館大学文学部中退。1993年、一人芝居「風の民」で第三回菊池寛ドラマ賞受賞。2011年『軍鶏侍』で時代小説デビュー。同作で歴史時代作家クラブ新人賞を受賞。著書に『ご隠居さん』『手蹟指南所「薫風堂」』『一九戯作旅』『なんてやつだ よろず相談屋繁盛記』などがある。

渡辺 保(わたなべ・たもつ) 1936年東京都生まれ。演劇評論家。慶応義塾大学経済学部卒業後、東宝入社。企画室長を経て退社後、多数の大学にて教鞭をとる。1965年『歌舞伎に女優を』で評論デビュー。『四代目市川団十郎』(芸術選奨文部大臣賞)、『黙阿弥の明治維新』(読売文学賞)他、著書多数。2000年紫綬褒章受章、2009年旭日小綬章受章。

小説新潮 2018年10月号より
単行本刊行時掲載
※単行本『大名絵師写楽』は『からくり写楽―蔦屋重三郎、最後の賭け―』(新潮文庫)に改題されました

著者プロフィール

野口卓

ノグチ・タク

1944(昭和19)年、徳島県生れ。さまざまな職業を経て、編集者・ライターとなる。その傍ら、ラジオドラマの脚本や戯曲を執筆。1993(平成5)年、一人芝居「風の民」で第3回菊池寛ドラマ賞を受賞。2011年、『軍鶏侍(しゃもざむらい)』で小説家として鮮烈なデビューを果たし、評論家、メディアから絶賛を浴びる。2012年、同作で歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞。『闇の黒猫 北町奉行所朽木組』をはじめ、「軍鶏侍」シリーズ、「ご隠居さん」シリーズ、「手蹟指南所『薫風堂』」シリーズなどが好評を博している。著書多数。

判型違い(単行本)

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