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理性的なはずの欧州になぜ骸骨で飾りつけた納骨堂や日本にない変な墓があるのか?

骸骨巡礼―イタリア・ポルトガル・フランス編―

養老孟司/著

781円(税込)

本の仕様

発売日:2019/07/01

読み仮名 ガイコツジュンレイイタリアポルトガルフランスヘン
装幀 青木登(新潮社写真部)カンポ・マヨールの納骨堂。火薬庫爆発事故の死者たちを背景に。/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 考える人から生まれた本
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-130843-2
C-CODE 0195
整理番号 よ-24-13
ジャンル 人文・思想・宗教
定価 781円

ローマの教会やリスボンの墓地、パリの大聖堂。南欧の明るい日差しの下、理性的なはずの欧州に、骸骨で部屋を飾りつけた納骨堂や日本では見かけないような奇妙な墓がある。日本人とヨーロッパ人との身体感の相違に着目し、自然と社会における森羅万象に思いを馳せる。意識と感覚の関係を考察し、無言の死体と格闘する「修行」を通じて辿りついた悟りともいえる新境地! 『骸骨考』改題。

著者プロフィール

養老孟司 ヨウロウ・タケシ

1937(昭和12)年、鎌倉生れ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。心の問題や社会現象を、脳科学や解剖学などの知識を交えながら解説し、多くの読者を得た。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。新潮新書『バカの壁』は大ヒットし2003年のベストセラー第1位、また新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞した。大の虫好きとして知られ、昆虫採集・標本作成を続けている。『唯脳論』『身体の文学史』『手入れという思想』『遺言。』『半分生きて、半分死んでいる』など著書多数。

書評

身も蓋もありません

高橋秀実

 前作『身体巡礼―ドイツ・オーストリア・チェコ編―』と、その続編である『骸骨考―イタリア・ポルトガル・フランスを歩く―』を一気に読み、私はヘンな夢を見たような心地に包まれた。
 ヨーロッパに出かけたはずなのに、出てくるのは骸骨ばかりという夢。そこに養老孟司先生が現われ、ぶつぶつ何かをつぶやいている。その一つひとつに私は感銘を受けるのだが、何を言われたのかよく覚えていない。しまった、きちんとメモを取っておけばよかったと後悔するのだが、幸いこれは夢ではなく本なので再読できる。そこで冒頭からまた読み直してみるのだが、夢の中で夢を見るようで、どうやらこれは旅行記というより、読者の意識を非意識の世界に組み替えていく、一種のだまし絵のようなのである。
 両書ともヨーロッパのお墓への巡礼の記録なのだが、そもそもなぜヨソ様の墓を巡るのかというと、ご本人曰く「どうしてこんなこと、始めちゃったのかなあ。自分でもよくわからない」。目的は無視。目的とは物事を意識化することで、先生が追究するのは意識ではなく身体性なのだ。意識を排除しているのか、先生はパリのサン・ドニ大聖堂(フランス歴代の国王の墓所)でも、内部を一巡したものの、「驚くべきことに、ほとんどなにも覚えていない」。ミラノの納骨堂で骸骨の山を見ても「なにもいうことがない」と言い切ったりする。室内装飾のすべてが人骨でできているローマの骸骨寺では「私が訪問するのはたしか三度目だが、だからどうしたというようなもので、何度行っても、変なところだなあ、で終わる」とつぶやく。終わっちゃうの? と意識的な私は驚いてしまうのだが、確かに私も旅で何かを発見することなど滅多になく、意識的に「あった」フリをするだけなのである。
 大体、意識っていうヤツは、という具合に先生の意識批判は四方八方に炸裂する。イエズス会、忠臣蔵、ノーベル賞、数学、ホテルのサービス、「愛してます」のウソ……。STAP細胞騒動についても、論文のタイトルの中にあった「記憶を消去し初期化する」という一節をコンピュータ用語だと指摘する。「実体より、解釈や比喩が明らかに先行」しており、生物をコンピュータと似たようなものとして扱う「意識」の思い上がりだと糾弾するのである。「現代人の悪癖」は「なにごとも理解でき、説明可能」だと思うこと。そもそも世界に筋など通っておらず、筋が通っているように思うのも「意識」の勘違い。「世界は意識的にコントロールできる」などという発想こそ「最悪の癖」なのだ。先生ご自身も論理性が高い学問などは「脳の中でしか成立しないはず」なので信用できず、だから虫捕りに励み、一万頭ものゾウムシの標本をつくったりしているらしい。
 それで骸骨? と私は思った。骸骨は人なのに意識がなく身体そのものかと思いきや、そうではない。骸骨は「情報を象徴している」という。意識が扱えるのは情報のみだが、先生の定義によると「情報」とは「時間とともに変化しない」もの。いうなれば固定化された過去であり、骸骨も過去だとするなら、そこから離れることが「すなわち生きることである」と気がつくのである。「いまごろ『生きる』ことに気が付いても遅いわ」と自嘲しつつ。
 ちなみに養老先生によると、自分が死んだとは意識できないから一人称には死がない。私たちは生きている限りずっと生きているわけで、その「生きている」というのも意識である。身体があって意識がある。意識が身体を意識する。ということは私たちが考える「身体」も情報のひとつではないかと私は思ってしまうのだが、それを言うと身も蓋もない。しかし「身も蓋もない」とは器がないということで、それで骨壺もなく露出した骸骨だったのかもしれない。
 ともあれ、身体や意識について考えることは生身の人間には本当に面倒くさいですね。養老先生も早く虫捕りに行きたいようだし、さしたる目的もなく生きている私は「それでいいに決まってる」と太鼓判を押してもらったようで、だから先生の本を読むとハッピーな夢見心地になるのだろう。

(たかはし・ひでみね ノンフィクション作家)
波 2017年1月号より
単行本刊行時掲載

目次

【第1章】
死者は時間を超越する
ひたすら現場を歩く
遊びをせんとや生まれけん
「時間とともに変化しない」もの
【第2章】
イタリア式納骨堂
だれだっていずれは骨になる
生者と死者のあいだ
【第3章】
ウソ学入門
二重底の菓子折
ロヨラの天井画
【第4章】
フィレンツェと人体標本
用もないのに行くところ
歴史とはなにか
アルファベットの世界
ムラージュとゾウムシ
美しいものを求めるのは
【第5章】
ポルトガルの納骨堂
『リスボンに誘われて』
欧州の辺境
納骨堂の新しさ
【第6章】
王の最後の姿
崩れゆく肉体を
三つの王墓
死の舞踏
死は失敗か
【第7章】
墓とはなにか 
「使った地図が古かった」
ソルフェリーノの納骨堂
骨はなにも語らない
【第8章】
感覚の優位 
感じる自由
遍在する心
世界を感覚でとらえる
あとがき
写真の場所について
身も蓋もありません 高橋秀実

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