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夫・吉村昭との懐かしき日々、そして、今もふと甦る夫の面影――珠玉のエッセイ53篇。

時の名残り

津村節子/著

605円(税込)

本の仕様

発売日:2020/01/01

読み仮名 トキノナゴリ
装幀 野地美樹子/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 から生まれた本
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-134110-1
C-CODE 0195
整理番号 つ-10-10
ジャンル 文学賞受賞作家
定価 605円

作家として立つために夫・吉村昭とともに必死で小説を書き続けた若い頃。戦時中の青春。長崎、三陸、北海道、湯沢、日暮里、吉祥寺など、仕事以外には旅をしない夫の取材に連れ立った思い出の地と、移り住んだ土地。「戦艦武蔵」「星への旅」「海鳴」「流星雨」など、それぞれが生み出した作品の創作秘話。そして、故郷・福井への思い。昭和三年生れの著者が人生の軌跡を綴った珠玉の随筆五十三篇。

著者プロフィール

津村節子 ツムラ・セツコ

1928(昭和3)年、福井市生れ。学習院短期大学国文科卒。在学中より小説を発表し、1964年「さい果て」で新潮社同人雑誌賞、1965年「玩具」で芥川賞、1990(平成 2 )年『流星雨』で女流文学賞、1998年『智恵子飛ぶ』で芸術選奨文部大臣賞、2003年恩賜賞・日本芸術院賞、 2011年「異郷」で川端康成文学賞、『紅梅』で菊池寛賞を受賞。日本芸術院会員。主な作品に『重い歳月』『冬の虹』『海鳴』『炎の舞い』『黒い潮』『星祭りの町』『土恋』『三陸の海』等。2005年『津村節子自選作品集』(全6巻)刊行。

書評

「夫」と「かれ」と「吉村」と

松田哲夫

 今年、八十九歳になる津村さんの新しいエッセイ集が出た。
 津村さんと言えば、五十年以上連れ添った夫の吉村昭さんとともに歩んだ人生が語られることが多い。津村さん自身、吉村さんの没後に執筆した小説、エッセイなどは、ほとんど吉村さんに関わるものだと言っても過言ではない。
 最新エッセイ集は「夫の面影」から始まっているが、その後は「小説を生んだもの」「故郷からの風」など津村さんの歩みや思い出を綴ったものも多い。ところが、それらの文章にも、吉村さんは控えめな脇役のように、さりげなく登場している。全五十三篇のうち四十七篇に出てくるのだ。
 たしかにお二人は、学習院の文芸部での出会いから吉村さんの逝去までの五十五年間、ある時は夫と妻として、またある時は父親と母親として、そして何よりも文学を、小説をこよなく愛する者同士として、固い絆で結ばれていたのだった。そして、この本には、「吉村が亡くなって」「吉村が亡くなったあと」という表現があわせて九回も登場する。津村さんは、それだけ深い喪失感を感じていたことがわかる。
 ところで、このエッセイ集を読みながら、著者である津村さんが吉村さんのことをどう呼んでいるのかが気になった。まず、圧倒的に多いのが「吉村(吉村昭)」である。吉村昭の妻、吉村家の人間という立場で、本人に成り代わって語る。だから、自らの感情や判断を差し控えて、事実をきちんと伝えなければという気構えが痛いほど伝わってくる。
 次に目につくのが「かれ」である。おおむね、「吉村」という名前の連発を避けるために使われていることが多い。しかし、読み進んでいくと、不思議なことに気がついた。実は、津村さんが「かれ」と書くのは吉村さんだけなのだ。他の人の場合には「かれ」ではなく「彼」と書いている。こういうデリケートな気配りは、いかにも津村さんらしい。
 それとともに、「かれ」を使うときには、連れ合いとしての情のようなものがにじみ出ているようでもある。さらに言えば、そんなに多くはないが、「夫」という呼び方をしているところもある。これは「かれ」よりももっと身近で親しみが込められているようだ。
 たとえば、こういう文章を読むと「吉村」「かれ」「夫」の微妙なニュアンスの差がわかるだろう。津村さんが、朝起きて自分の目の異常に気づいた場面である。

   私は二階に駈け上り、
  「眼が見えない」
   とをゆすぶり起した。急に起されたかれは、
  「どうした。夢でも見たのか」
   と言った。
   ……
   吉村の開成中学時代の友人に医者が多くて……
  (傍点引用者)

 そう言えば、津村さんの文章に、さりげなく登場してくる吉村さんは、要所要所で名セリフを聞かせてくれる。その中で、僕が思わず笑ってしまった言葉がある。
 芸術院では、各部の部長が、その年の受賞者を伴って御所に参上する。津村さんが受賞したとき、文芸の部長だった吉村さんはどう紹介したらいいのか困って、「この者は五十年わが家に住みついておりまして、本日も一緒に出てまいりました」と話すと、皇后さまが大変お笑いになったという。
 この時の吉村さんと津村さんの表情が目に浮かぶようだ。

 本書にも書かれているが、この三月二十六日に、吉村さんのふるさと荒川区の「ゆいの森あらかわ」内に「吉村昭記念文学館」が開館する。津村さんはもちろん、お二人にお世話になった僕たち編集者も、その日を楽しみにしている。

(まつだ・てつお 編集者)
波 2017年4月号より
単行本刊行時掲載

目次

I 夫の面影
号外/雪国の町/ひぐらしの里/ゆかりの街/真珠と蝋燭/この地に眠る/二人の出発点/私の土地勘/緊張の日/返ってきた原稿/桜 さくら/兎追いし/転転流転/黒部ダム(その一)/黒部ダム(その二)/自然との壮絶な闘い/万年筆/不思議な夜/幻の戦艦(その一)/幻の戦艦(その二)
II 小説を生んだもの
佐渡慕情/やきものを求めて/雨の如く降る星/夢のかずかず/若狭の余光/狭山の青春/花の下の戦場/作家の産声をきく/芥川賞の季節
III 故郷からの風
四日間の奮闘/ある町の盛衰/古窯の村/不思議な旅/ふるさと文学館/三十人のジュリエット/カメラマニアの父
IV 移ろう日々の中で
箱根一人旅/二十八組の洗濯挟み/仲間たち/三百六十四段/原稿用紙/二つの雑誌/台風の温泉地/遺された手紙/倒れても止まん/一人、二人――/震災から三年/片眼の執筆/たつのおとしご会/戦時中の青春/今頃になって同窓会/玉川上水/事故の顛末
あとがき
「彼」と「かれ」 松田哲夫

判型違い(書籍)

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