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日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―

森下典子/著

737円(税込)

発売日:2008/10/28

  • 文庫
  • 電子書籍あり

人生の挫折のなかで発見した、五感で季節を味わう歓び……。生きる勇気が湧いてくる感動の一冊。

お茶を習い始めて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに「お茶」があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる……季節を五感で味わう歓びとともに、「いま、生きている!」その感動を鮮やかに綴る。

  • 受賞
    第1回 日伊ことばの架け橋賞
  • 映画化
    日日是好日(2018年10月公開)
目次
まえがき
序章 茶人という生きもの
第一章 「自分は何も知らない」ということを知る
第二章 頭で考えようとしないこと
第三章 「今」に気持ちを集中すること
第四章 見て感じること
第五章 たくさんの「本物」を見ること
第六章 季節を味わうこと
第七章 五感で自然とつながること
第八章 今、ここにいること
第九章 自然に身を任せ、時を過ごすこと
第十章 このままでよい、ということ
第十一章 別れは必ずやってくること
第十二章 自分の内側に耳をすますこと
第十三章 雨の日は、雨を聴くこと
第十四章 成長を待つこと
第十五章 長い目で今を生きること
あとがき
文庫版あとがき
解説 柳家小三治

書誌情報

読み仮名 ニチニチコレコウジツオチャガオシエテクレタジュウゴノシアワセ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 平野光良(新潮社写真部)/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 264ページ
ISBN 978-4-10-136351-6
C-CODE 0195
整理番号 も-34-1
ジャンル エッセー・随筆
定価 737円
電子書籍 価格 649円
電子書籍 配信開始日 2020/06/12

インタビュー/対談/エッセイ

授賞式 IN ローマ

森下典子

『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―』が第1回日伊ことばの架け橋賞を受賞!

(前回の「岐阜かローマか ローマか岐阜か」はこちら)

 目が覚めたのは、天井の高い、大きな部屋の中だった。ベッドから滑り降り、窓を覆う緞帳のような深紅のカーテンを押し開けた。その途端、眼下に青い水をたたえたプール。そして、ボルゲーゼ公園の緑の彼方に、ヴァチカンのサンピエトロ寺院のドームが霞んで見えた。
 二十年ぶりのローマだ。それが授賞式のためだなんて、夢のような気がする。南周りの直行便で十五時間。ローマは12月とは思えない暖かさだった。伊日財団が用意してくれたこのホテルに着いたのは昨夜遅く。今回の旅は、親友の倉ちゃんが一緒だ。彼女は隣の部屋にいる。起きているらしく、物音が聞こえる。
 ドアをノックし、一緒に朝食を食べに一階へ降りた。壁には肖像画。廊下には大理石の彫刻。猫脚付きの家具に、布張りの寝椅子の並ぶ部屋を、足が沈み込むような絨毯を踏みしめて歩く。まるでイタリア映画の中にいる気分だ。白いクロスの掛かったテーブルで、朝食を食べながらの私たちの会話。
「ところで、ベッド、どうだった?」
「いや~、どうしようかと思ったわよ」
 実は、ベッドが高くて上がれなかったのだ。助走をつけて跳んだり、いろいろやった。
「結局、しがみついてよじ登った」
「私も」
 ベッドに上がろうと必死な自分たちの姿を想像すると、我ながら可笑しかった。
 朝食の後、テラスを散歩していたら、教会の鐘が鳴り始めた。重く湿って余韻の続く日本の梵鐘と違い、乾いた音が鳴り渡る。今日12月8日はカトリックの祝日で、この日から本格的なクリスマスシーズンが始まるという。
 授賞式関係のイベントは明日の夜から始まる。それまで町を歩き、ヴァチカンを見学して過ごす。フォロ・ロマーノもトレヴィの泉も人で溢れ、スペイン階段は、どこが階段なのか見えないほどだ。イタリアにいる友人から「コロナはもう噂にも出ない」と聞いてはいたが、確かにマスクの人を見ない。私たちもこんな密な場所にいるのに、なぜか感染うつる気がしない。
 それにしても、二十年ぶりのヴァチカン美術館は強烈だった。ラファエロの壁画を眺め、ミケランジェロの天井画を振り仰ぐと、隙間も余白もない濃密で濃厚な芸術が息苦しいほどに迫って来る。長年、障子越しの白い光がさす茶室の空間で、床の間の掛け軸や、一輪の椿の美しさを見つめてきた私は、あまりの違いに、なぜこの国で『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―』が受け入れられたのか、不思議な気がする。
 12月9日の夜は、伊日財団のディナーに招かれていた。出席者は、ウンベルト・ヴァッターニ会長ご夫妻を始め、理事ご夫妻、日本大使館の公使ご夫妻、ローマ日本文化会館の館長ご夫妻……。私はこういう正式な場に不慣れである。しかも、ここは言葉の違う国。緊張する。倉ちゃんも同様だ。
 けれど、私には強い味方があった。着物である。着物は力をくれる。どこへ行っても気後れしない。何より、着物をまとうことは相手への敬意を表することである。だから大きなトランクに着物、帯、小物、草履など衣装一式を詰めこみ、倉ちゃんにイタリアまで同行を願った。実は、彼女の仕事は美容師。場所柄を考慮したヘアメイクや着付けをしてくれる心強い味方なのだ。
 この夜、私は亀甲柄の刺繍の淡緑の訪問着。倉ちゃんは白の御召。迎えに来てくれた通訳の中島元子さんに案内され、タクシーでディナー会場の外務省クラブへ向かった。建物の入り口に着いた時、ちょうど、ラウラ・テスタヴェルデさんも到着したところだった。ラウラさんはイタリア語版『日日是好日』(『OGNI GIORNO E UN BUON GIORNO』)の翻訳者で、一ヶ月前に新潮社で顔合わせをしていた。私たちは明日、共に「日伊ことばの架け橋賞」を受賞する。
 ラウラさんは美しい深緑色のベルベットのパンツスーツで、隣にスーツの男性が立っていた。「私の夫です」と、紹介されたその人は「パオロです」と、お辞儀した。ハッとなった。何と見事なお辞儀だろう……。
 玄関に入ると、集まっていた出席者のご夫妻方が近寄ってきてくれて、たちまち好意と親しみで迎えられた。「お会いできて嬉しいです」「楽しみにしていました」と、声をかけてくれる。その中に、暖かく包み込むような笑顔を浮かべる年配の紳士がいた。受賞が決まった時、「ローマでお会いしましょう」とメッセージをくれたヴァッターニ会長だった。大袈裟でも派手でもなく、そっと両手を広げて「Elegante!」(優雅です)と、微笑んだ表情が素敵だった。
 キャンドルを灯した楕円形の大きなテーブルを囲んで全員が着席した。ヴァッターニ会長は、財団の歴史や、賞の創設、そして作品について語ってくれた。
「私は、茶道の細かな所作は、お茶を正確に点てるための練習だと思っていました。でも、この本を読んで、決まりごとの中に深い意味が潜んでいて、人生の浮き沈みを乗り越える道になることがわかりました」
 そして、ラウラさんの翻訳について、
「優れた文体によって、極めて質の高い翻訳作品になっています」と讃えた。ラウラさんは、日本の伝統文化を説明するために、特別な工夫をしていた。たとえばchawan(茶碗)、tsukubai(つくばい)、ro(炉)など、日本語をそのまま生かし、巻末に、それを説明する用語集を作ったのだ。十数ページにわたる用語集には、茶道具から日本の食べ物、風習に至るまで多岐にわたる説明があって、日本文化への知識を深めながら、作品に浸れるよう導いてくれた。
 ディナーのテーブルを囲んで、茶道、昨今の世相、禅など、様々な話をやりとりしながら、席順に入念な心配りがあることにハタと気づいた。イタリア語、日本語のどちらか一方しか話せない人の近くには、両方話せて橋渡しできる人が座っている。私の後ろには、通訳の中島さんが影のように付き添って、イタリア語を日本語へ、まさに立板に水のごとく変換し、私がしゃべれば、それを息もつかずにイタリア語にする。その間、中島さんは、まるで自分を消し「自動翻訳機」と化したかのようで、プロの凄さを間近に感じた。
「日本の伝統文化には、『間と余白』という美意識があります」と、私が話すと、テーブルの向こうから「『間合い』というものもあります」と、パオロさんが言った。合気道をしていると聞いて、あのお辞儀に得心がいった。そして昔、母がある人のお辞儀を見て「あの人は、ただ者じゃない」と言ったことを思い出した。
 それが、私がお茶を習うことになる武田先生だった。
 授賞式当日は、ホテルでのランチの立食パーティーから始まった。前夜のディナーの参加者に加えて、賞の選考委員の大学教授、ジャーナリスト、作家、映画監督などが集まり、あちこちで会話が弾んでいた。私は、青緑の色無地に刺繍の袋帯を締めて会場に入った。こちらを振り返った人が「Ah!」と、花が咲いたような笑顔になった。まるで懐かしい友人を見つけたように人が集まってくる。そうだ、この人たちは、私を知っているのだ。ラウラさんの翻訳を通して、私の若い頃の迷いや、挫折や、心の気づきを……。流暢な日本語を話す人は熱く、片言の人はさらに熱かった。イタリア語で話す人が来ると、いつの間にか中島さんが私の背後に寄り添って、二重音声のように日本語をささやく。何人かが本を持っていて、サインを求められた。縦書きの漢字の名前と、「令和」の元号の日付を書いたら、イタリア人の大学教授が「イイネー、トテモイイ!」と、喜んでくれた。何だろう、この雰囲気は……。なんだか、すごくモテてる。愛されている。私が、というより日本が、日本文化が……。それが誇らしくて、たまらなく嬉しいのだ。
 授賞式は、ラ・ヌーヴォラ・ディ・フクサスという大きな展示場に移動して行われた。「PIU LIBRI PIU LIBERI」(もっと本を読み、もっと自由になろう)と題する出版社の見本市の一画が授賞式会場だった。ラウラさんと私を真ん中にして主催者が壇上に並び、会場の座席には選考委員や関係者が数十人並んでこちらを見ている。倉ちゃんの顔も見える。
 式典の長い長い挨拶が続く間も、私の後ろには中島さんがずっと付き添い、息もつかずにイタリア語に訳してくれる。私とラウラさんは、ヴァッターニ会長からそれぞれ受賞の楯と、青と緑に透けるヴェネチアングラスの花瓶を贈呈された。花瓶の底には「PREMIO TOKYO-ROMA PAROLE IN TRANSITO 2022」(第一回 東京-ローマ 言葉の架け橋賞)と彫られていた。
 日本を出発する前に「授賞式で、短いスピーチを」という連絡を受けていた。スピーチの原稿は用意していたが、私は話を補足した。『日日是好日』を書く時、ある映画がインスピレーションを与えてくれたこと。「フェデリコ・フェリーニ監督の『道』です」と言った時、それまで淡々と通訳に徹していた中島さんが急に「うふっ」と笑った。彼女も「道」に思い入れがあるのだろうか。

筆者、ラウラさんと選考委員の方々
筆者、ラウラさんと選考委員の方々

 授賞式が終わった会場で、私に向かって三人の男女が歩いて来た。グレーのセーター。背広の胸ポケットのペン。黒縁の眼鏡。跳ねた前髪。その目の知的な微笑みには、馴染みがあった。日本でも同じ匂いの人たちを知っている。彼らは編集者だ。イタリア語版『日日是好日』を出版したエイナウディ社の人たちが挨拶に来てくれたのだった。
 ローマの凸凹した石畳の上を、ホテルへと戻るワゴン車は激しくバウンドした。舌を噛みそうなほど揺れる車中で、ヴァッターニ会長は、伊達政宗の命で海を渡り、ローマで法王に謁見した武将、支倉常長について熱く語り、それを中島さんが訳していた。
 翌朝、ホテルの朝食のブッフェで、ラウラさんご夫妻に会った。ご夫妻はこれからヴェネチアの自宅へ帰る。「いつかヴェネチアに来たら寄ってくださいね」とラウラさん。そしてパオロさんは「古い家ですが、それなりの良さがあります」と言った。イタリア人から、こんなゆかしい日本の言葉を聞くなんて!
 私たちが日本に戻ったのは12月半ば。あっという間に年が明け、例年より早く咲いた桜が風に散っていった。日々の忙しさに押し流されるようにローマは遠くなっていく……。
 けれど私は時々、本棚の『OGNI GIORNO E UN BUON GIORNO』を手に取ってページを繰る。イタリア語になった『日日是好日』の紙の手触りに、ローマで出会った人たちの、親しみと愛のこもったまなざしを思い出す。

(もりした・のりこ エッセイスト)
波 2023年5月号より

岐阜かローマか ローマか岐阜か

森下典子

『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―』が第1回日伊ことばの架け橋賞を受賞!

 思いがけない出来事の始まりは、昨年8月末。蒸し暑い夜更けに、メールが一通着信した。新潮文庫編集部のK氏からだ。一時間前にもメールが来たばかりだったので、何か追加の連絡だろうと、文面に目を走らせた。
「イタリア語版『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―』が、『第一回 日伊ことばの架け橋賞』の最終候補に選ばれました。9月半ばの最終選考で受賞作が決まります。授賞式は12月4日、ローマで行われるそうです」
 尾っぽの付け根から背骨沿いに、電流が駆け抜けた。物書きになって四十数年。私は賞というものをいただいたことがない。どうせ、縁がないのだと思っていた。このメールは、行ったことのない場所へのとば口だろうか?
『日日是好日』は、ヨーロッパ圏を中心に、現在八か国語に翻訳されている。茶道の稽古を続けることによって感じた内的な気づきを描いたエッセイなので、果たして、文化の違う外国の読者にどのように受け止められるだろうかと思っていたが、ある翻訳版が出版から一か月で増刷になった。
 イタリア語版の『OGNI GIORNO E UN BUON GIORNO』。その表紙はアニメ風で、茶室に続く廊下に、着物姿の高齢の先生と、若い女性が並んで座り、庭の満開の桜を眺めている後ろ姿を描いたものだ。出版されたのは2020年。当時、イタリアはコロナ禍のまっ只中だった。
 メールを読み返した。胸が高鳴った。それは、賞の候補に挙げてくれたのが、他のどの国でもない、イタリアだったからだ。
 イタリアは私にとって特別な国だ。ヴィットリオ・デ・シーカ、フェデリコ・フェリーニ、ジュゼッペ・トルナトーレ。愛する映画は、みんなイタリア人監督の映画だ。イタリア映画は抑えようもないほど心の琴線をかき鳴らす。そこに人生のすべてがあるような気がするのだ。そして、ニーノ・ロータやエンニオ・モリコーネの美しく切ない音楽は、いつも心をかっさらった。
 ある時、夏のイタリアへ行った。石畳の道にも、教会の鐘の乾いた音色にも、旅人が行きかう駅のホームにも、デ・シーカやフェリーニの映画そのままの空気が漂っていた。その空間に入ると、まるで自分が映画の中で生きているような気持ちになる。イタリアへ行きたくて行きたくて、イタリア語を習い、原稿料を貯めては、何度かイタリアへ旅した。
 取材で出会った人から不思議なことを言われたことがあった。
「あなたは十五世紀のフィレンツェにいたわ。デジデリオという彫刻家だった」
 そんなこと、作り話に決まっている。そう言いながらも胸騒ぎに似た興奮を感じた。図書館へ通って資料を調べ、イタリアルネッサンス美術に関連する本を買い集めた。ついには仕事を休んでフィレンツェに行き、取材してルポを一冊書いた。前世があるかどうかは無論わからない。けれど、今の私の何分の一かは、イタリアでできている気がする。そのイタリアが、私の本を賞の候補にしているのだ……。
「授賞式は12月4日、ローマで」
 スケジュール帳を開き、12月4日のページをめくって、アッと手が止まった。
「岐阜、講演」
 そうだった! 12月4日は、岐阜で講演をする約束になっていたのだ。
『日日是好日』が映画化されて以後、私の仕事には大きな変化があった。それまで人前に立ってお話しした経験のない私に、突如、講演の依頼がたくさん来るようになった。中でも全国に支部のある茶道関係の会からの依頼が圧倒的に多かった。会場は何百人ものお客様でぎっしり埋まり、舞台に上がると、ワーッという声と拍手で迎えてくださった。お茶席が用意され、サイン会にはお客様が長い列を作って待っていてくださった。
 しかし、2020年に入ってコロナ禍が始まると、講演は次々に中止や延期になった。当初の予定が半年後に延び、さらに「来年こそは」というお約束も流れて、ようやく実現するのが、12月4日の岐阜の講演なのだ。写真入りのポスターも刷りあがり、会の担当の方からは、「みんな、とっても楽しみにしています」と、何度もお電話があった。
 賞をとれなければ、もちろん予定通り岐阜へ行く。でも、もし、受賞が決まったら……。
 楽しみにしてくださっているずっと以前からのお約束を、直前になって、後から来た話のためにキャンセルすることはできない。この約束は守りたかった。……けれど、人生初の賞だ。イタリアでは、受賞者本人に直接、賞を手渡したいと言っているという。
 受賞できるかどうかまだ決まっていないのに、私は12月4日をどうしようかと、オロオロした。ともあれ今は、9月半ばの最終審査の結果を待つしかなかった。
 悩ましい日々だった。一日に何度も、頭の中を同じ言葉がエンドレスで巡った。
「岐阜かローマか、ローマか岐阜か」
 9月に入っても、まだ油蝉が鳴いていた。蒸し暑さがようやく凪いで、秋めいて来た9月16日の午後、仕事机のパソコンに、メールが一通届いた。開くなり、
「おめでとうございます。受賞が決まりました!」
 という文字が目に飛び込んだ。添付されていた海外出版室からのメールもはしゃいでいて、
「グラッチェ!! ビバ!!」
 とカタカナが躍っていた。関係者が一緒に喜んでくれていることが嬉しかった。
 ああ、賞をもらうってこういうものなのか……。胸がじーんとした。
 そして、次のメールに目をやった私は、驚いて椅子から跳びあがった。主催する伊日財団からのメールにこう書いてあったからだ。
「授賞式は12月10日に行われます。ローマでお待ちしています!」
 なんと、授賞式の日程が変わっている! これは奇跡ではあるまいか。「岐阜かローマか」ではなく、「岐阜もローマも」になったのだ。
 それから連日、たくさんのメールが来て、授賞式に行く準備が始まった。
 翌週の水曜日、いつものようにお茶の稽古に行った。九十歳の武田先生は、このごろ少しお耳が遠くなった。
「センセー!」
 と、大きな声で話しかけた。
「ん?」
「実は、『日日是好日』が、イタリアで賞をいただくことになりました!」
 そう報告すると、先生はしばし、きょとんとした表情だったが、やがてパーッと花が咲くように満面に笑みが広がった。そして、はっきりした声で「森下さん……」と言うと、私に向けて「おめでとう!」と、手のひらを広げた。私も同時に、手のひらを広げ、空中でハイタッチした。久しぶりに昔のような、先生の晴れ晴れとした笑顔を見て、鼻の奥がツンとした。
「日伊ことばの架け橋賞」は、今回が一回目である。この賞には、日本の現代文学をイタリアの読者に広める目的があるが、もう一つ、大きな特徴がある。それは「ことばの架け橋」という名前が示す通り、優れた翻訳者を讃える賞だということ。つまり、原作者と翻訳者の二人に授与されるのだ。
 私たちが海外の作家の本を読む時、翻訳者が誰であるかに注目することはあまりない。原作者が注目されても、翻訳者は脚光を浴びることがほとんどない。いわば黒子のようなものだ。けれど、私たちは翻訳者がいなければ日本語で海外の本を読むことができないし、原作のきめ細やかな表現に心ゆくまで浸り、主人公の感情をわがことのように味わうには、どうしても優れた翻訳者が必要なのだ。
 そして、原作者の私から見ても、殊に『日日是好日』のような本を翻訳するには、厄介で、想像を絶する困難があったに違いなかった。……実は、『日日是好日』を書いた時、私自身、日本語で書いているにもかかわらず、ある種、翻訳をしているかのようなハードルを感じた。一つは、茶道を知らない読者に向けて、特別な世界という高い垣根を感じさせないように書くにはどうしたらいいのか。そして、もう一つは、広大無辺の宇宙のような内的世界の発見を、文章という一本の線で表現する難しさだ。
 ましてや、この本を、茶道など見たことも聞いたこともない国の読者に異なる言語で伝えた人は、一体どれほどの忍耐と努力を重ねに重ね、言葉と格闘したことだろう。

翻訳者ラウラさんとイタリア語訳の本
翻訳者ラウラさんとイタリア語訳の本

 その人と初めて会ったのは二か月後。来日したラウラ・テスタヴェルデさんは、新潮社の会議室に現れると、「あー! どうも」と、まるで旧知の人と再会したような親しげな笑顔を見せた。白銀の豊かな髪に、大きな黒い瞳。
 挨拶して、互いの受賞を喜び合い、日本式に名刺を交換した。日本に留学し、結婚後はイタリア文化会館に勤める夫と日本で四年暮らしていたというラウラさんの日本語は、水の流れのように自然だった。話を聞く時も、こちらの目を見て、静かに相槌を打つ。日本人と話しているような気がした。
「この本を書きながら、いつも思っていました。私の言葉は読者の心に届くだろうかって」
 と、話すと、ラウラさんは即座に、
「届きましたよ!」
 と、応えた。その声に、響くような確かな自信と手応えがあった。東洋と西洋、たとえ国が違い文化が違っても、普遍のものは変わらない。人間同士、伝わるのだと……。
「では、12月にローマで会いましょう」
 と、言い合って別れた。
 そして、12月4日。私は岐阜で無事に、数年越しの約束を果たすことができた。会場で受賞したことを報告すると、大きな拍手が起こった。会の担当者は、こう言った。
「森下さん、岐阜市もイタリアなんですよ」
「え?」
「岐阜市とフィレンツェは姉妹都市なんです」
 戦国武将を輩出した岐阜は繊維産業の町で、同時代にルネッサンスの都として栄えた毛織物の都市フィレンツェと姉妹都市だったのだ。
 数日後、私は羽田から直行便でローマへ向かった。そこで私は「ことば」に関わる、たくさんの人と出会うことになったのである。

授賞式 IN ローマ」へつづく

(もりした・のりこ エッセイスト)
波 2023年3月号より

奇跡の四十年 『日日是好日』(新潮文庫)その後

森下典子

 五年前の冬だった。銀座で打ち合わせした帰り、数寄屋橋交差点で青信号を待ちながら通りの向こうにそびえる有楽町マリオンを見た。ふと、あの日を思い出した……。
 1978年。私は就職活動中だった。未曾有の不景気でどこへ行っても履歴書を突き返され、打ちのめされて数寄屋橋交差点にやってきた。有楽町方面を見ると、軍艦みたいな大きなビルが建っている。なんだか「お前はいらない」と拒絶されている気がした。
 内定なし、就職浪人決定……。そんな私にアルバイトの話が舞い込んだのは、その年の暮れだった。週刊誌のコラムに巷のこぼれ話を書く仕事だという。その週刊誌の編集部は、なんと、数寄屋橋交差点の向こうに見えた軍艦みたいな新聞社の本社ビルにあった。
 それが書く仕事のきっかけだった。数十行の無署名のコラムを十年書き、私はフリーライターになった。
「身分の保証もないなんて。華やかなのはほんの一握りの人だけだよ」と、親は反対した。それもわかっていた。けれど、その危うい道に賭けてみたい自分がいた。体験記、インタビュー記事、ルポ。本も何冊か書き、三十代はあっという間に過ぎた。たまにまとまったお金が入っても、長くは続かない。仕事がないこともある。いつも不安と葛藤がつきまとう人生になった。
 毎週土曜日の午後、私はお茶の稽古に行った。二十歳の時、母に勧められて、軽い気持ちで習い始めたお稽古事だった。……茶室に座ると、静けさの中でしか聞こえない音が聞こえてくる。木々の葉を打つ雨の音。お湯と水の音の違い。そして、釜の底で静かに鳴り続ける「松風」。釜に水を一杓足すと、松風は止み、しばし沈黙が続く。やがて断続的に「し、し、し、し」と鳴り始め、「し―――」と一つにつながる。私はその音に、心を預けた。すると、静けさが心の奥にしみ渡って、呼吸が深くなる……。お茶の帰り道は、空が高く、遠くまで見渡せた。
 軽い気持ちで始めたお茶が、いつの間にか人生に寄り添い、仕事と対をなす両輪となって、私を支えてくれていた。
 茶室の中で、心の中に起こることを、私は誰かに話してみたかった。だけど、それを言葉にすることは、夜見た夢をつかまえるのに似ていた。確かに感じたのに、言葉にすると違うものになってしまう。私は薄い膜に隔てられているようなもどかしさを感じた。
 それを本に書こうと思ったのは四十代の初めだった。私と同じように日々悩みながら生きている人に、一緒に茶室に座り、私が聴いた雨の音や、松風の音を聴いて欲しい。そして、心に起こることを共に感じて欲しい。このもどかしさを突き破り、誰かに胸の思いを伝えたかった。
『日日是好日―お茶が教えてくれた15のしあわせ―』が出版されたのは2002年、四十六歳の時だった。
 反響がひたひたと返ってきた。読者からのはがきが、小さな文字でびっしり埋まっていた。「駅のベンチから立てなくなり、一気に最後まで読みました」「涙が真っすぐ、ストン、ストンと落ちました」
 伝わった……。背中に何かがサワッと走った。初めて本がベストセラーになった。そして、2008年、『日日是好日』は文庫化され、毎年、版が重なった。
 それでもまだ経済的安定は遠い。友だちが皆、定年後の人生を考える年代になっても、私は陸の影も見えない海原を泳ぎ続けなければならなかった。そんなある日、数寄屋橋交差点で、就職活動の頃を思い出したのだ。
「あれから、四十年……」
 その時、何かが反転した。
 考えてみれば、私はまがりなりにも筆一本でここまで食べてきたのだ。
(よく生きてこられたなぁ〜!)
 突然、空の上から、自分の人生が見えた。門前払いばかりの就職活動、週刊誌のアルバイト、お茶の稽古。すべてがつながってここにいた。実はすべてが必要だったのだよと、「答え」を見せられた気がした。
 人は歳月を重ねることでしか、自分の人生を見ることができない。生きてみなければわからないのだ。一つ一つの出来事は不運や不幸に見えたとしても、年月を重ね、振り返ってみると、起こったことは必要だったことに変わる。不安と葛藤の自分の四十年を、私はその時「奇跡だ!」と心から思った。
 翌年、六十歳になった私に、本当に奇跡が起こった。映画化の話が舞い込んだのだ。映画プロデューサーの吉村さんは、松田龍平に似た四十代のイケメンだった。彼は、地元の図書館でたまたま『日日是好日』の背表紙を目にし、何気なくページをめくったという。
「号泣しました。映画化させてください」
 繰り返し読んだ彼の『日日是好日』は、ほぼ原形をとどめないほど、ぼろぼろになったという。その言葉に胸が熱くなった。
 製作費は一億円。俳優への出演依頼、さまざまな交渉。吉村さんは数々の難関を乗り越え、一年後、映画化が正式決定した。監督は大森立嗣。主なキャストも決まっていた。
「えっ! 黒木華と樹木希林!?」
 その知らせを聞いた時、私はあまりの僥倖に耳を疑った。
 映画作りが動き始めた。横浜市内の一軒家に、稽古場のロケセットが作られた。私は「茶道指導」として、先生役の樹木希林さんのお点前を指導することになり、撮影期間中はスタッフとして現場に立ち会うことになった。
 撮影、照明、録音、大道具、小道具……連日、数十人のスタッフが集まり、大森監督の「スタート!」「カーット!」という号令が現場に響いた。
 撮影が終わると、私は新たな本を書き始めた。『日日是好日』は、お茶を始めた二十歳から二十六年間の成長記だったけれど、それには続きがある。私は六十を過ぎた今も稽古に通い続け、四十代だった先生は八十代の今も稽古を見てくださっている。そこに集う仲間も年を重ねた。
 私はもう『日日』の頃のように、目に見える成長をすることはないが、障子に映る庭木の影や、夏の夕立の匂い、ふとした人の言葉を味わいながら、季節と共に内へ内へと熟している……。五十代の頃、稽古の後につけていた日記を基に、稽古場のある一年の二十四節気を書いた。『好日記 季節のように生きる』は、映画公開の直前、書店に並んだ。
 樹木希林さんの訃報が飛び込んできたのは、映画公開の一カ月前だった。衝撃が日本中に広がった。「日日是好日」は、その年カンヌ映画祭で賞を獲った「万引き家族」と共に、樹木さんの最期を飾る作品になった。
「映画は作っただけじゃダメ。知ってもらわないと。物作りって、そういうものよ。興行収入の目標はいくら? 十億? あ、そう」

写真

 最後に会った完成披露試写会の日、樹木さんはそう言って、体調のすぐれない中、率先して宣伝活動の先頭に立った。……まるで、見えない樹木さんが差配したかのように、映画「日日是好日」は、公開二カ月で観客動員数百万人を突破した。原作も増刷を重ね、六十万部になった。単行本の出版から十六年、文庫化から十年がたっていた。
「こんなこと、あるんですねぇ……」
 私は驚き、
「こんなこと、あるんですねぇ……」
 編集者も驚いた。
 全国から講演依頼がやってきた。京都、盛岡、札幌、岐阜、富山、新潟……トランクをゴロゴロ引っ張って旅する日々が始まった。茶道への思い、映画の撮影現場の裏話、樹木さんとの思い出……。私は、見えない読者に向かって書いてきたが、講演会では、目の前に、会場を埋め尽くす聴衆の顔が見えた。サイン会で、若いお弟子さんに両側から支えられた高齢のお茶の先生に、「私が長年言いたかったことを、あなたは代わりに書いてくれた。ありがとう!」と、力強く手を握られた。盛岡の講演で、東京から飛んできたという女性が、「この本が、私の生き方を変えてくれた」と、ボロボロになった『日日』を見せてくれた。嬉しくて胸がいっぱいになった。『日日』は、私だけの『日日』ではなくなっていたのだ。
 そして『日日』は海を渡ることになった。翻訳出版のオファーが次々にやってきた。フランス、フィンランド、韓国、イタリア、オーストラリア、イギリス。表紙もタイトルも、国によってさまざまな『日日』が出版される。
 楽しみにしていた、そんな春、コロナ禍で、世の中は突然活動を止め、講演も次々に延期になった。フランスでの映画上映も決まっていたが中止になった。
 ステイホーム期間中、私は以前から作りたかった本に取り組んだ。
 絵が描きたくて仕方がなかった。稽古場で、先生の美しいお道具や茶花、季節のお菓子などを見ていると、時々、愛おしさで、指先がうずうずした。好きだ。描きたい。この道具の、どこが好きなのか。その感情を自分の体を通して紙の上に載せたい。
 茶入の肩から飴のようにトローッとなだれた釉の色。棗の肩の丸みを照らす春の光。蓋の裏から現れる蒔絵の妖しい輝き。ここは色を薄くしよう。ここは銀を使おう。自分の思いを紙に載せようと苦心する時、苦しみは歓びだった。
『日日是好日』『好日日記』の時もそうだった。私は言葉にせよ絵にせよ、好きで愛おしいと感じることを紙の上に載せたいのだ。自分の五感と体を通したものは、永遠に自分のものになる。
 日本の繊細な季節のグラデーションを七十三枚の絵にして並べ『好日絵巻 季節のめぐり、茶室のいろどり』という本が出来上がった。
 いったん収まったかに見えたコロナが、また再燃し、この猛暑の夏もマスクをして暮らすことになった。
 そんな中、コロナで大打撃を受けたあのイタリアから、イタリア語版の『日日』が届いた。黒木さんと樹木さんのような二人が、縁側に並んで座る表紙のイラストがかわいい。なんと発売一カ月で増刷されたという。
 吉村プロデューサーからは、フランスでの映画「日日是好日」の上映が再決定したというニュースが来た。
 コロナが猛威を振るっても、本や映画は死なない――じわじわと元気がわいてくる。
 コロナは社会の構造や私たちの人生観を否応なしに変えるだろう。けれど、いつか長い歳月の先に、起こったことは必要だった、そう思える日が来ると信じよう。

(もりした・のりこ エッセイスト)
波 2020年9月号より

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「あなたが見つけた「よい日」を教えてください」Instagramプレゼントキャンペーン!

終了しました

キャンペーンに参加してくださった方の中から抽選でプレゼント!
■映画「日日是好日」出演、樹木希林さんサイン入り原作本を5名様
■キュンタの図書カード(3000円分)を10名様

応募方法

[STEP 1]

Instagramアプリをインストールして[新潮社「日日是好日」]公式アカウント@nichinichikorekojitsu_bookをフォロー。
※投稿する前に、[新潮社「日日是好日」]公式アカウントを必ずフォローしてください。
※投稿した画像を削除、もしくは公式アカウントのフォローを外した場合も応募が無効となります。

[STEP 2]

あなたが見つけた「よい日」を「#私の日日是好日 #よい日編」または「#私の日日是好日 #お茶編」のどちらかをつけて投稿してください。

#私の日日是好日 #よい日編:よい日だなと感じたことを教えてください。
(例)少し前、紫陽花の名所に行こうと予定していた日、大雨で断念。楽しみにしていた私は意気消沈。雨が止んだ夕方、買い物に。散歩がてら普段歩かない小道に入ってみたら、紫陽花が! こんな近くに咲いていたなんて!

#私の日日是好日 #お茶編:日頃のお茶の楽しみ方を教えてください。
(例)お気に入りのランチバックにお茶道具を入れてお出かけ。このお茶道具、100均で買い揃えたもの。お茶碗、建水は小どんぶりにプランターで代用。屋外でも気軽に愉しめるいいアイテムです。

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[STEP 3]

応募完了!
キャンペーン終了後、当選者の方にDM(ダイレクトメッセージ)をお送りします。

募集期間

2018年8月1日(水)~10月13日(土)23:59まで

賞品内容

■映画「日日是好日」キャストサイン入り原作本を抽選で5名様
■キュンタの図書カード(3000円分)を抽選で10名様

抽選・当選者発表

厳正なる抽選の上、当選者のInstagramのアカウントへ公式アカウントよりDM(ダイレクトメッセージ)を送付させていただきます。

個人情報の取り扱いについて

・当選者よりお預かりした個人情報は株式会社新潮社が厳重に管理し、当選者の当選連絡および賞品の発送以外の目的で利用することはありません。

・法令により適用を除外されている場合を除き、原則として事前に同意を得ずに第三者に提供することはありません。

ご注意事項

本条件に予めご同意いただいた上でご参加ください。
※投稿する前に、[新潮社「日日是好日」]公式Instagramを必ずフォローしてください。
※投稿の非公開設定をON にされている方は、参加対象外になりますのでご注意ください。
・投稿した画像を削除、もしくは公式アカウントのフォローを外した場合も応募が無効となります。
・応募で使用するInstagramアプリの設定や使い方については、アプリ提供会社にお問い合わせください。
・Instagramをご利用の際は、規約を遵守してください。
・弊社のやむを得ない都合により、応募期間やプレゼント賞品の内容が変更となる場合がございます。
・応募内容に不備があった場合は抽選の対象外となります。
・当選した権利を他者に譲渡することはできません。
・プレゼント賞品の発送は日本国内に限らせていただきます。
・プレゼント賞品を、交換したり現金に変えることはしないでください。
・住所の記載間違いで配送できない場合や、受け取りをされなかった方は、プレゼント賞品受け取りを放棄したとみなし、無効とさせていただきます。
・本キャンペーンは新潮社による提供です。Instagram社が関与するものではありません。
・本キャンペーンは新潮社による提供です。東京テアトル/ヨアケは一切関与しておらず問い合わせも受け付けておりません。
・応募いただいた内容や抽選および審査結果などの個別のお問い合わせにはお答えできませんのでご了承ください。

イベント/書店情報

どういう本?

タイトロジー(タイトルを読む)

 雨は、降りしきっていた。私は息づまるような感動の中に座っていた。
 雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。……どんな日も、その日を思う存分味わう。
 お茶とは、そういう「生き方」なのだ。
 そうやって生きれば、人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇したとしても、その状況を楽しんで生きていけるかもしれないのだ。
 私たちは、雨が降ると、「今日は、お天気が悪いわ」などと言う。けれど、本当は「悪い天気」なんて存在しない。
 雨の日をこんなふうに味わえるなら、どんな日も「いい日」になるのだ。毎日がいい日に……。
(「毎日がいい日」?)
 自分で思ったその言葉が、コトリと何かにぶつかった。覚えがあった。どこかで出会っていた。何度も、何度も……。
 その時、自然に薄暗い長押の上に目が行った。そこに、いつもの額がある。
「日日是好日」
(中略)
「日日是好日」の額は、初めて先生の家に来た日から、いつもそこに掲げられていた。初めてお茶会に連れて行ってもらった日には、掛け軸に書かれていた。その後、何度もこの言葉を見てきた。
 ずっと目の前にあったのに、今の今まで見えていなかった。
「目を覚ましなさい。人間はどんな日だって楽しむことができる。そして、人間は、そのことに気づく絶好のチャンスの連続の中で生きている。あなたが今、そのことに気づいたようにね」
 そのメッセージが、ぐんぐん伝わって胸に響く。(本書217~219ページ)

装幀

[萩茶碗]
14代坂倉新兵衛作 即中斎 銘「好日」

一行に出会う

「生きてる」って、こういうことだったのか!(本書7ページ)

著者プロフィール

森下典子

モリシタ・ノリコ

1956(昭和31)年、神奈川県生れ。日本女子大学文学部国文学科卒業。「週刊朝日」の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者を経て、エッセイストとして活躍。2018(平成30)年、ロングセラー『日日是好日』が映画化される。同年、続編となる『好日日記』、2020(令和2)年、『好日絵巻』を出版。他に『猫といっしょにいるだけで』『前世への冒険』『いとしいたべもの』『こいしいたべもの』などの著書がある。

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