やってよかった東京五輪―オリンピック熱1964―
649円(税込)
発売日:2020/03/28
- 文庫
作家の名エッセイと編者が発掘した記事から浮かび上がる「オリンピックの時代と人間」!
1964年、東京――その時日本人は、「オリンピックの日々」をどう生きたのか。『昭和天皇実録』から当代一流作家の五輪ルポ、街に溢れた小さな出来事を追う編者のドキュメント、新聞記事まで、独自の視点で編まれたユニークな〈オリンピック・スクラップ帳〉。文士の名エッセイと虫眼鏡を手にしてニュースを発掘する編者の目が、時代と人間をあぶりだす。これまでにない東京五輪アンソロジー!
【コラム1】 そのとき世界は
【コラム2】 そのとき日本は
[新聞から(1)]東京物語・昭和三十九年秋
佐藤栄作 内閣総理大臣
小林信彦 作家
エドウィン・ライシャワー 駐日アメリカ大使
[新聞から(2)]開会式余話
三島由紀夫 東洋と西洋を結ぶ火
杉本苑子 あすへの祈念
井上友一郎 重量あげの三宅選手 重量あげ
有馬頼義 水泳所感 水泳
三島由紀夫 白い叙情詩 水上競技
有吉佐和子 魔女は勝った バレーボール
柴田錬三郎 思わず願った奇蹟 柔道
瀬戸内晴美(寂聴) “はやる馬”に敗れた“武者人形” 柔道
三島由紀夫 完全性への夢 体操
阿川弘之 男子選手村の風景 選手村
[新聞から(3)]選手村からの声
井上友一郎 残酷で壮大なドラマ マラソン
松本清張 解放と別離の陶酔 閉会式
菊村到 やってみてよかった
〈四年後(六八年)のできごと〉 円谷幸吉の死
川端康成 一草一花
三島由紀夫 円谷二尉の自刃
[新聞から(4)]投書
〈十二年後(七六年)の総括〉
虫明亜呂無 日本的表現としての「東京オリンピック」
玉木正之 「二度目」には何をするべきか?
亀和田武 いじけて、すねて、ボートだけを漕いでいた。
森まゆみ 東京オリンピック
喜納昌吉 『すべての人の心に花を』の誕生
参考文献・資料
書誌情報
読み仮名 | ヤッテヨカッタトウキョウゴリンオリンピックネツイチキュウロクヨン |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 毎日新聞社/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 320ページ |
ISBN | 978-4-10-141203-0 |
C-CODE | 0195 |
整理番号 | や-23-3 |
ジャンル | 文学・評論 |
定価 | 649円 |
書評
やってみてよかった!?
前回の東京オリンピック開催からはや五十六年である。
このとき、陸上男子100メートル走の金メダリストの記録は10秒0。いま世界記録は9秒58。水泳女子100メートル自由形の59秒5は、8秒近く縮まって51秒71。男子マラソンに至っては2時間12分11秒が、二時間を切ろうかというところまできている……というようなスポーツ・ノンフィクション系のことは、本書にはいっさい出てこない。
編者・山口文憲の関心はもっぱらあのオリンピックで世間がどう変わったかにある。
あのねー、知ってる? オリンピックは十月十日から始まるっていうのに、東海道新幹線が開通したのは十月一日、日本武道館なんて開会七日前だよ。北京やリオの夏季、平昌の冬季がバタバタだなんて笑ったけど、ぎりぎりセーフは東京が元祖なの。
だいたいね〜、オリンピック村が設置された代々木公園ね、あそこはワシントン・ハイツだからね。えっ、わからない? うーん、もともとは代々木練兵場といって、旧陸軍の土地だったの。だけど、日本は戦争に負けて、アメリカに占領されたでしょ。
うっ、知らない? いいから、負けたのっ。でね、アメリカは皇居向かいの第一生命ビルにGHQ本部を置いて天皇の威光を封じ、明治神宮に隣接したワシントン・ハイツに将校らの家族住宅を建てて帝国日本の霊力を無化したわけ。だから、ほら、原宿表参道には英語看板のスーベニアショップみたいな店が多いでしょ。キデイランドなんか、米軍家族御用達のトイショップだからね。
そうそう、ジャニー喜多川、あの人、戦争中、お父さんが真宗大谷派海外布教の坊主としてアメリカにいたとき生まれたのね。で、朝鮮戦争のとき、軍属(通訳)としてワシントン・ハイツの住人になって、近所の「ユーたち」を歌って踊れるタレントに育成することを思いついたわけ。今度、「嵐」がNHKのオリンピック関連番組の司会をするのも、そういう謂われを思うと感慨深いよね、ははっ。
と、以上は1964年の世相を概観する第1章のつまみ食い。若いモンに蘊蓄垂れるときは、本書をこんな風に使えるという応用例だが、第2章以下には『昭和天皇実録』や駐日米大使らの日記を配し、さらには三島由紀夫、大江健三郎、川端康成、杉本苑子、有吉佐和子らの観戦記や随筆などを再録して、当時の国を挙げての熱気、あるいは鬱陶しさを伝えている。
一読、当時はこんなにもたくさんの文学者が新聞・雑誌にオリンピック絡みの文章を書いていたのか、と驚く。たんなる興奮や礼讃の記ではない。開会式を見た大江はアフリカ選手や聖火ランナーの背後の歴史を想起しながら、それが「七万三千人の《子供の時間》」だったと記し、三島は「聖火は東洋と西洋を結ぶ火」だったと身振りの大きなことを言う。秀逸なのは杉本だ。彼女は二十年前、はなやかなその場所で出陣学徒を見送った記憶を呼び覚まし、「同じ若人の祭典、同じ君が代、同じ日の丸」の行方を案ずるのである。
すっかり忘れていたが、あのオリンピック中、いくつもの重大ニュースが飛び込んできた。「ソ連衛星船打ち上げ」「フルシチョフ辞任」「中国核実験」「キング牧師ノーベル平和賞受賞」等である。編者は、銀座のバーのマダムがオリンピック選手からボッたくった事件の顛末も見落とさないが、世界の動きにも目を配り、それから半世紀が過ぎて、もう一度オリンピックをやろうというこの国の世相の根もとを照らしている。
本書タイトルは、作家・菊村到が「やはりオリンピックは、やってみてよかったようだ。富士山に登るのと同じで、一度は、やってみるべきだろう。ただし二度やるのはバカだ」と書いた一節をヒネッたものか……と考えるうち、思い出した。私がブンケンと出会ったのは先のオリンピックの四年後。あのころの女子の流行り言葉は「あげてよかった」。私は、何のこと? と首をひねったが、すかさず彼は「もらって損した」と口走り、当時の身辺に抱えていた苦衷を洩らしたものだった。そのヒネリと苦衷が相変わらず精彩を放っている。
(よしおか・しのぶ 作家・日本ペンクラブ会長)
波 2020年4月号より
著者プロフィール
山口文憲
ヤマグチ・フミノリ
1947(昭和22)年、静岡県浜松市生れ。「朝日ジャーナル」への寄稿をきっかけに1970年前後からライターの世界へ。その後パリ、香港に滞在。1979年『香港 旅の雑学ノート』が新たな異文化ルポとして話題に。独自の視点とウィットとユーモアに富んだ文章で、ノンフィクション作家・エッセイストとして活動を続ける。著書に『香港世界』、『燃えないゴミの日』、『日本ばちかん巡り』、『団塊ひとりぼっち』、『若干ちょっと、気になるニホン語』など。