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父92歳、母87歳。老親と過ごす還暦夫婦の凄絶な介護の日々を見つめた平成の名作。

  • 受賞第5回 Bunkamura ドゥマゴ文学賞

黄落

佐江衆一/著

680円(税込)

本の仕様

発売日:2019/05/30

読み仮名 コウラク
シリーズ名 新潮文庫
装幀 福井良佑/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-146607-1
C-CODE 0193
整理番号 さ-17-7
ジャンル 文芸作品
定価 680円

還暦間近の夫婦に、92歳の父と87歳の母を介護する日がやってきた。母の介護は息子夫婦の苛立ちを募らせ、夫は妻に離婚を申し出るが、それは夫婦間の溝を深めるだけだった。やがて母は痴呆を発症し、父に対して殺意に近い攻撃性を見せつつも、絶食し自ら命を絶つ。そして、夫婦には父の介護が残された……。自らの体験から老親介護の実態を抉り出した、凄絶ながらも静謐な佐江文学の結実点。

著者プロフィール

佐江衆一 サエ・シュウイチ

1934年、東京生まれ。コピーライターを経て1960年、短篇「背」で作家としてデビュー。1990年『北の海明け』で新田次郎文学賞受賞。1995年、ドゥマゴ文学賞を受賞した『黄落』は、著者自身の老老介護を赤裸々に描いてベストセラーになった。1996年『江戸職人綺譚』で中山義秀文学賞を受賞。他の著書に『横浜ストリートライフ』『わが屍は野に捨てよ――一遍遊行』『士魂商才――五代友厚』『長きこの夜』『動かぬが勝』等。『エンディング・パラダイス』は、『昭和質店の客』『兄よ、蒼き海に眠れ』に続く、昭和戦争三部作の最後の作品となる。古武道杖術師範。

書評

みんなに「後光」が射している

橋本五郎

 拝啓 佐藤トモアキ様
『黄落』、拝読しました。平成7年の単行本の刊行直後に読みましたので、2回目になります。一語一語、心に沁みました。そして19年前、胃がんで胃の全摘手術を受けた時のことを思い出しました。50日の入院中、リハビリのため廊下を行き来するのを日課にしていました。そこで気づきました。年の頃45、6から60歳ぐらいの女性が一生懸命、お年寄りを介護しているのです。どうしてこんなに多いのだろうかと不思議に思い、何人かに聞いてみました。そこには共通するものがありました。
 それは「後悔」の気持ちです。自分は舅、姑をちゃんと見送っただろうか。子育てが忙しく、確執もあったかもしれない。しかし、二人とも亡くなった今、自分は十分介護できなかったという悔いが残り、「贖罪」のためボランティアで病院に来ているのです。深く心打たれました。みんな辛い重荷を背負いながら生きていることを実感しました。そのことに思いを馳せることなく記事を書くのは不遜だと思いました。以来「あなたの文章が変わりましたね」と言われました。
 前置きが長くなってしまいました。トモアキさん、本当に大変でしたね。今92歳の父親と87歳の母親を12年前に近くに呼び寄せて住み始めましたが、「災厄」がこれでもかこれでもかと襲いかかりました。お母さんの大腿骨骨折と入院、右手の甲の火傷、気がふれたように両足を投げ出してのビール飲み……。作家として仕事をするどころではありません。あげくはバイク事故にまで見舞われてしまいました。
 しかし、何より辛かったのは奥さんとの関係でしたね。「あなた病院で、わたしを責める冷たい目で見たわね。あの目はなによ。……一生忘れないわ」「男はずるいわ」「親の世話を妻におしつけて当り前だと思ってるわ」。その通りだけに一語一語が胸に突き刺さったことでしょう。「離婚しよう」と言ったのも、奥さんの献身に対する感謝があったからだと理解できます。介護問題とは、介護する人と介護される人の関係だけでなく、介護する人同士の関係が大事なんですね。
 苦労の連続(もちろん奥さんの方が数倍大変だったのでしょうが)だけに、全体が暗いかと思いきや、この小説は意外にも明るいことに気づきました。両親が引っ越してきて以来、ずっとお父さんの床屋さんをしてきました。デイサービスを承知してくれた母に感謝し、せめて息子のつくったあたたかい蒸しタオルで躯を拭くようにと渡しました。デイサービスに行く前日には、お母さんに花柄のブラウスを買ってあげ、足の爪を切り、むくんで熱っぽい足まで撫でさすったじゃないですか。私には限りなく貴いものに映ります。「後光」が射していると言われて当然です。
 父と母が死んでくれたらと願う気持ちが脳裡の片隅に浮かんだからといって何ですか。避けようがないではありませんか。母をもっと長生きさせられたのではないか、私の冷酷さと不甲斐なさが母の寿命を縮めたのではないか。そう己をむち打つ気持ちはわからないわけではありません。でも、自分を責めすぎです。十分すぎるほど尽くしてきました。
 それにしても食を絶って死を迎えるお母さんの最期は衝撃でした。荘厳でさえあります。ましてや狂気を装って、夫(お父さん)を道連れにしようとした凄さには驚嘆しました。何よりの極めつきは「わたしはね……結婚していないのよ」という最後の言葉です。夫を許さぬ執念にたじろぎ、思わずわが身を振り返ってしまいました。妻の心の奥底に潜んでいるであろうものに恐怖を覚えたのです。
 私には妻の両親も含めて深刻な介護の経験がありません。ですから介護で毎日身も心もすり減らしておられる多くの方々を前に何かを言う資格はありませんが、生きるにあたって大事にしている言葉があります。小渕恵三元首相の「宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える」というものです。人間には自分ではいかんともし難い宿命がある。その宿命を嘆くことなく、己の信じる道をしっかりと見定めて生きていくことの大切さを記したものです。それは「自然体」と言ってもいいと思います。「根くらべだな。だけど、自然にまかせるほかはないね……」というトモアキさんの呟きと同じ境地です。どうか、くれぐれもご無理をなさらないようにしていただきたいと思います。

敬具

(はしもと・ごろう 読売新聞特別編集委員)
波 2019年6月号より

目次

第一章 転倒
第二章 後光
第三章 黄落
第四章 葬送
第五章 老骨

   解説 櫻井よしこ

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