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灼熱の魂

ワジディ・ムアワッド/著 、大林薫/訳

880円(税込)

発売日:2025/03/28

  • 文庫

シェイクスピアの再来か──演劇界を震撼させ映画界を驚愕させた禁断の戯曲がついに!

ある日を境に沈黙を続けていた母ナワル。彼女の死後、双子の姉弟ジャンヌとシモンは公証人から奇妙な遺言を伝えられる。姉は死別したはずの父を、弟は存在すら知らぬ兄を、それぞれ探し出して手紙を渡せというのだ。姉弟が知りえなかった母の生涯が明かされるにつれ、沈黙に隠された驚愕の事実が判明する──。戦争と因習、そして運命に弄ばれた女性の壮絶なる過去が慟哭を誘う、現代の黙示録。

書誌情報

読み仮名 シャクネツノタマシイ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 (C)Alamy Stock Photo/カバー写真、amanaimages/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
頁数 304ページ
ISBN 978-4-10-240781-3
C-CODE 0197
整理番号 ム-2-1
ジャンル 戯曲・シナリオ
定価 880円

書評

沈黙に耳をすます

田中兆子

 海外の現代作家による戯曲シナリオが新潮文庫から発売されるなんて大事件でしょ! と思うのは私だけだろうか。『灼熱の魂』は、1968年生まれ、レバノン出身のカナダの劇作家ワジディ・ムアワッドが書いた戯曲である。
 この作品は、2010年にドゥニ・ヴィルヌーヴ監督によって映画化され、アカデミー外国語映画賞にノミネート。日本では2009年に劇団ピープルシアターが「焼け焦げるたましい」として初演後、2014年と2017年に、世田谷パブリックシアター企画制作による「炎 アンサンディ」として上演された。2014年の舞台は演出家の上村聡史が読売演劇大賞の最優秀演出家賞を含め数々の賞を受賞、2017年の舞台は主演の麻実れいが菊田一夫演劇賞大賞を受賞している。また、この作品はムアワッドによる《約束の血》四部作の第二部にあたるが、四部作は登場人物がそれぞれ異なり、単独の作品としても成立している。第一部『岸 リトラル』(原作邦題は『沿岸 頼むから静かに死んでくれ』)、第三部『森 フォレ』は、どちらも演出家の上村聡史によって舞台化されており(第四部『天空』は日本では未上演)、これらの優れた作品を通して彼の名を記憶している演劇ファンも多いだろう。
 そういう華々しい前情報を知ったとしても、「レバノン出身の劇作家が書いた戯曲」というだけでとっつきにくい感じがする人もいるかもしれない。しかしこの作品は、ネット上で毎日他人の言葉を大量に浴び続け、誹謗中傷をする人やされる人を見続けて少なからず疲れている私たちに、「沈黙」の深さを教えてくれる。
 この作品の大まかなストーリーは、双子の姉弟が母の遺言によって見知らぬ父と兄を捜し出すというものである。そしてまた、母が死ぬ前の五年間、ひと言も話さなくなってしまったその理由をつきとめる話でもある。
 母は祖国から逃れて別の国で姉弟を育てており、その祖国では隣人、親子、兄弟姉妹同士が反目し、殺し合う内戦があったことが徐々に明らかになる。私たちはまず、その内戦のすさまじさに驚く。が、そんななかでも、人々の間で愛情や友情、希望がきらめいていたことにも驚く。
 これらのことは、生前の母によって語られるのではなく、母の死後、姉弟が行動を起こすことによって初めてもたらされる事実である。姉弟は「知らないほうが幸せ」と言って真実から目をそらしたりはせず、自らの意思で母の沈黙の奥にある言葉を聴こうと行動する。その結果、最後の最後に素晴らしいギフトを受け取る。
 母の沈黙に隠された複雑で激しい感情を知れば知るほど、わかったことがある。本当に大切なことは容易に語られるものではなく、ましてやネット上に書かれることもない。沈黙の中にこそ、ある。それが知りたければ、相手が話してくれるのを待つのではなく、死んだからといってあきらめるのでもなく、自らが行動しなければ、決して手に入らない。だから、何ひとつ動くことなく他人の言葉をかすめ取って書かれた言葉など、沈黙という灼熱の炎の前ではただの燃えカスなのだから、そんなものにかかずらうことはないのだ。
 私は映画も観たが、観た後、かなりつらい気持ちになった。戯曲では、映画で描かれなかった出来事や心情が誠実で繊細な言葉で語られているので、映画を観た人はこの戯曲も読んでみてほしい。
 とはいえ、映画も戯曲も、この姉弟が最後に知った事実は同じであり、衝撃的で耐えがたいものである。けれども、その事実を「あり得ない」「遠い国の出来事」「神話のようだ」と言って自分と切り離すのはまちがっている。
 我が父母から始まり、祖父母、曾祖父母、高祖父母……と遡ってやがて祖先にたどりつく、自分と血のつながっている人たちのなかで、生きのびるために人を殺し、凌辱したことのある人、あるいは殺されたり、凌辱された人は一人もいない、と誰が断言できようか。
 私たちはみな、かつて、殺し、殺され、凌辱し、凌辱され、それでも美しくおだやかに愛し合ったご先祖様たちがいた結果、この時代に生を享けているのである。そして将来、私たちがまた耐えがたい結果を生む状況に置かれることは決してないと誰が言えようか。
 この戯曲を読むことは、共感などという生暖かいものを蹴飛ばして、五年間我が子に声をかけることができなかった女性の沈黙に正面から向き合う体験である。長文の解説も読みごたえがある。

(たなか・ちょうこ 小説家)

波 2025年4月号より

著者プロフィール

劇作家・演出家・俳優。1968年ベイルート生れ。レバノンで内戦を経験し、8歳で家族とともにフランスに亡命。1983年にカナダのケベック州に移住。カナダ国立演劇学校を卒業後、劇団テアトル・オ・パルルールを創立し精力的に演劇活動を続ける。2016年、パリのコリーヌ国立劇場の芸術監督に就任。2003年発表の『灼熱の魂』はシリーズ戯曲《約束の血(Le Sang des Promesses)》4部作の第2作で、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による映画化作品はアカデミー外国語映画賞にノミネートされた。

大林薫

オオバヤシ・カオリ

フランス語翻訳家。訳書に、ラウィック&ロブジョワ『わたしの町は戦場になった シリア内戦下を生きた少女の四年間』、ベッソン『恐るべき子ども リュック・ベッソン「グラン・ブルー」までの物語』、シムノン『月射病』など多数。

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