美しいこと
2,640円(税込)
発売日:2009/04/24
- 書籍
自分の内側にある見えないものを、見えるようにすること。それがものを作るということだ――。
美しいって何だろう? という問いを胸に、気鋭の漆職人が、陶芸家、建築家、料理家など様々なジャンルで活躍する人気のクリエイターと対話し、紡ぎ出した15の物語。「職人」と「作家」、「人工」と「無為」などの狭間を揺れながらも、人がものを作ることの核心へ迫った思索のあと。
シュテファン・フィンク アナベル・シュテファン/人の手
坂田敏子/ただ、あたりまえのこと
内田鋼一/無数の小さなキズ
永見眞一/邂逅
吉岡太志 典子/キレイな何か
前川秀樹 前川千恵/時間の厚み
望月通陽/ある染物屋の日常
米沢亜衣/おいしさのひみつ
辻 和美/たゆたふ
関 勇 関 貞子/残すもの
エルマー・ヴァインマイヤー/案内人
荒川尚也/職人の末裔
新宮州三 村山亜矢子/ええ形
中村好文/お家の肌ざわり
正直に あとがきにかえて
書誌情報
読み仮名 | ウツクシイコト |
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発行形態 | 書籍 |
判型 | A5判 |
頁数 | 160ページ |
ISBN | 978-4-10-302572-6 |
C-CODE | 0070 |
ジャンル | エッセー・随筆、ノンフィクション |
定価 | 2,640円 |
書評
美しいもの、そして、こと
塗師・赤木明登は、漆を塗りながら哲学をしているのだと思う。市井の人々の中にも時々いるではないか。農夫だったり下駄職人だったりという、直接世界に触れる仕事をしながら思索を深めている人が。
どうも僕等は、哲学というと抽象的な思弁を追究している哲学者だけが哲学しているように思いがちだが、それは哲学を研究している人であって、哲学しているとは限らないのかもしれない。
赤木明登は問う。問いかける相手は、ものをつくりながら、ものに直接触れている人々だ。
例えば、かつて赤木明登の弟子だった新宮州三に向かって、こう問う。
「弟子として修行しているあいだは、何を考えていたの?」
「親方のことばかり考えてました」
「親方の何を?」
「自分の作っとんのは、親方のもんなんで、親方の作るもののことだけ、いう意味です」
「いろいろと教えてもらえたの?」
「いえ、全く何も教えてはもらえませんでした」
「そう、それでいいんだよね」
「はい。僕が輪島を離れるとき赤木さんが『弟子に入ったら、自分のことは全部捨ててしまえ、滅私奉公やぞ』って言うてくれた意味が、七年たってようやくわかりました」
続けて、赤木明登は、弟子になることは自分を徹底的に消しさる時間のことだと言う。弟子とは、何かを教わる者ではなく、小さな自己を捨てる者だと綴る。赤木明登もそのような弟子の時間を生きたのだろう。
「そしたら、自分の中に、見えへん形が確かにあることに気がついたんです」と新宮州三は答える。
それは、小さな自我から生み出される癖や好みのレベルを超えた、本来の大きな自己を掴みとったものだけが発しえる確たる自信と喜びにあふれたことばだ。
「木は、板の状態でもう完璧なんです。そこに僕が鑿を入れたとたんに、バランスが崩れて変なものになってしまう。一度鑿を入れたら、もう一度完璧な姿になるまで手を加えてあげないとあかんのです」
「僕のお椀とか見てて、どう思う」
「ときどき、ええ形やなぁ、思うもんがあります」
「ときどきかいな」
禅の師家と弟子との公案を介しての問答のようではないか。主客が入れ替わる美しい関係が対話の中に描かれている。何か広々としたところで、風にふかれながら、同じ月を見ているような会話だ。
他にも十九名の人々が登場する。ドイツ人の万年筆の職人、陶芸家、家具デザイナー、服のデザイナー、和紙職人、染色家、ガラス作家、料理家、建築家など、ものづくりをする人々だ。
その人々が、赤木明登の真摯な問いに対して真摯に答える。その答えに赤木明登は、さらに悩み、混乱し、苦しみ、思索の深みへと降りていく。
本書『美しいこと』の中で語られる懊悩は、赤木明登一人のものではなく、この時代に生を享けたものが共有しているものだろう。それは、ものをつくることに関わっている人だけのことでもないだろう。多くの人々に読んでもらいたい一書である。
(やまぐち・のぶひろ グラフィック・デザイナー)
波 2009年5月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
赤木明登
アカギ・アキト
塗師。1962年岡山県生れ。中央大学文学部哲学科卒業。編集者を経て、1988年に輪島へ。輪島塗の下地職人・岡本進のもとで修業、1994年独立。以後、輪島でうつわを作り、各地で個展を開く。著書に『美しいもの』『美しいこと』『名前のない道』、共著に『毎日つかう漆のうつわ』(いずれも新潮社)など。
小泉佳春
コイズミ・ヨシハル