ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ
1,980円(税込)
発売日:2012/01/31
- 書籍
- 電子書籍あり
物語を読む至福の陶酔、官能的な文章に浸る歓び。すべてがこの小説にある!
あたしとまだ三つだったあんたを置いて、とうさんは家を出て行った。普段着でちびた下駄をつっかけ自転車に乗って、ちょっと出かけて来る、と言ってそれっきり帰ってこなかった──。過ぎ去った長い時間の濃密な記憶と、緻密な描写による重層的なコラージュが織り成す甘美な物語。5年ぶり待望の新作小説。
目次
ピース・オブ・ケーキ
トゥワイス・トールド・テールズ
ピース・オブ・ケーキ
「くゎいだん」
満州娘
ジャニー・ギター
泉の乙女
風
草
光
『愛欲の谷』
ひかりのくに
けいせいはんごんかう
『月』について、
砂の粒
トゥワイス・トールド・テールズ
『月』について、
裏切りの耳、紙の肉体
紙の肉体、裏切りの耳
孤独な場所で、
ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ
あとがき 読む快楽(よろこび)・書く快楽(おののき)
トゥワイス・トールド・テールズ
ピース・オブ・ケーキ
「くゎいだん」
満州娘
ジャニー・ギター
泉の乙女
風
草
光
『愛欲の谷』
ひかりのくに
けいせいはんごんかう
『月』について、
砂の粒
トゥワイス・トールド・テールズ
『月』について、
裏切りの耳、紙の肉体
紙の肉体、裏切りの耳
孤独な場所で、
ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ
あとがき 読む快楽(よろこび)・書く快楽(おののき)
書誌情報
読み仮名 | ピースオブケーキトトゥワイストールドテールズ |
---|---|
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 352ページ |
ISBN | 978-4-10-305004-9 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品、ノンフィクション |
定価 | 1,980円 |
電子書籍 価格 | 1,584円 |
電子書籍 配信開始日 | 2012/07/13 |
書評
波 2012年2月号より 風俗小説仕立ての芸術小説
金井美恵子を読むのは、さしずめチェーン・リーディングとでも呼べる体験だ。なぜなら、読んでいるうちに、そこに書かれている言葉が次から次へと連鎖を引き起こし、金井美恵子の他の本、あるいは別の著者による本へと手が伸びてしまうからだ。たとえばこの新作『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』の冒頭で、重なった絹地がこすれあって「シューシュー」という「ひんやりした軽いかわいた鋭い音」をたてるのを聞くと、たしか谷崎の『細雪』の冒頭近くに、袋帯が「キュウキュウ」鳴るという描写があったなあと思い出し、さっそく本棚から『細雪』を取り出して少し読むはめになる。
連作短篇集風の構成を取るこの長篇の目次を眺めると、「『月』について、」という章がある。そこからただちに、読者は短篇集『単語集』に収められた「月」という短篇を思い出し、さらにその章題の最後に打たれた読点から、『柔らかい土をふんで、』を思い出すかもしれない。実を言えば、その連想は当たっている。この新作は、「月」および『単語集』の巻末に置かれた短篇「春の声」、そして『柔らかい土をふんで、』と、さらには第一長篇『岸辺のない海』という、読むことと書くことをめぐる、いわゆる芸術小説群を読み直して書き直すこと、あるいは、そのなまなましい記憶を生き直すことが意図されているからだ。言葉を換えれば、こうした小説群をいわば生地にして、それを目白四部作の風俗小説的技法で一着の新しいドレスに仕立てあげたのが本書だと言ってもいい(生地の柄は、直接的な自己引用というかたちで、はっきりと見えている)。
そんな比喩を使ってみたくなるのは、風俗小説的な仕立てを成す部分をまとめれば、語り手である「私」は終戦の年に北京で生まれ、引き揚げてきた後には高崎市をモデルにしていると思しき町で暮らし、小学校に上がる前に「父」が家を出たままいなくなり、「母」と一緒に、「伯母」が洋裁室を営んでいる、湘南海岸付近と思しき海辺の町に引っ越すという筋書きを持っているからである。そこでは、一九四〇年代の終わりから五〇年代前半にかけての時代風俗が、主に母や伯母が「私」に語ったお話の記憶として、言葉で再現される。紙セッケン、チクデン、ロクマクエン、イカレポンチ……。極めつきは、おつかいだ。なぜ当時の子供たち(わたしもその一人である)は、あんなによくおつかいに行かされたのだろうか。
この長篇では、現実の記憶も、聞いたお話も読んだ本も、見た映画も筋を聞かされた映画も、すべてが語り直された物語すなわち「トゥワイス・トールド・テールズ」としてまぜこぜになる。それを撚りの強い糸で細かく仕つけているのが、作者の腕の見せ所だ。とりわけわたしにとって印象的だったのは、「私」が初めて家族旅行で温泉に行ったとき、読みさしの『デイヴィッド・コパフィールド』と間違えて『ウェイクフィールド』を持っていったというエピソードで、孤児の物語が妻を置き去りにして家を出ていった男の物語(この二つはいずれも本書の物語の原型である)と重なってしまう。思えば、子供という存在は、どんなに幼くても、たえず大人の世界の秘密事と隣り合わせに生き、そして小説を読みはじめ、映画を見はじめることで、すでに大人になってしまうのではなかったか。
ここに書かれている言葉の数々が、個人的な体験の記憶、小説の記憶、映画の記憶を渾然と誘い出す。言うまでもなく、「ピース・オブ・ケーキ」とは、プルーストのマドレーヌの謂いでもある。不意に気になって、作者の著作を読み返しているうちに、最初に書いた『細雪』の記憶は、すでに作者が『小説論』の中で書いていることを発見した。もしかすると、谷崎を読んだというわたしの記憶は、金井美恵子を読んだという記憶ともう見分けがつかないほど混ざり合っているのかもしれない。
連作短篇集風の構成を取るこの長篇の目次を眺めると、「『月』について、」という章がある。そこからただちに、読者は短篇集『単語集』に収められた「月」という短篇を思い出し、さらにその章題の最後に打たれた読点から、『柔らかい土をふんで、』を思い出すかもしれない。実を言えば、その連想は当たっている。この新作は、「月」および『単語集』の巻末に置かれた短篇「春の声」、そして『柔らかい土をふんで、』と、さらには第一長篇『岸辺のない海』という、読むことと書くことをめぐる、いわゆる芸術小説群を読み直して書き直すこと、あるいは、そのなまなましい記憶を生き直すことが意図されているからだ。言葉を換えれば、こうした小説群をいわば生地にして、それを目白四部作の風俗小説的技法で一着の新しいドレスに仕立てあげたのが本書だと言ってもいい(生地の柄は、直接的な自己引用というかたちで、はっきりと見えている)。
そんな比喩を使ってみたくなるのは、風俗小説的な仕立てを成す部分をまとめれば、語り手である「私」は終戦の年に北京で生まれ、引き揚げてきた後には高崎市をモデルにしていると思しき町で暮らし、小学校に上がる前に「父」が家を出たままいなくなり、「母」と一緒に、「伯母」が洋裁室を営んでいる、湘南海岸付近と思しき海辺の町に引っ越すという筋書きを持っているからである。そこでは、一九四〇年代の終わりから五〇年代前半にかけての時代風俗が、主に母や伯母が「私」に語ったお話の記憶として、言葉で再現される。紙セッケン、チクデン、ロクマクエン、イカレポンチ……。極めつきは、おつかいだ。なぜ当時の子供たち(わたしもその一人である)は、あんなによくおつかいに行かされたのだろうか。
この長篇では、現実の記憶も、聞いたお話も読んだ本も、見た映画も筋を聞かされた映画も、すべてが語り直された物語すなわち「トゥワイス・トールド・テールズ」としてまぜこぜになる。それを撚りの強い糸で細かく仕つけているのが、作者の腕の見せ所だ。とりわけわたしにとって印象的だったのは、「私」が初めて家族旅行で温泉に行ったとき、読みさしの『デイヴィッド・コパフィールド』と間違えて『ウェイクフィールド』を持っていったというエピソードで、孤児の物語が妻を置き去りにして家を出ていった男の物語(この二つはいずれも本書の物語の原型である)と重なってしまう。思えば、子供という存在は、どんなに幼くても、たえず大人の世界の秘密事と隣り合わせに生き、そして小説を読みはじめ、映画を見はじめることで、すでに大人になってしまうのではなかったか。
ここに書かれている言葉の数々が、個人的な体験の記憶、小説の記憶、映画の記憶を渾然と誘い出す。言うまでもなく、「ピース・オブ・ケーキ」とは、プルーストのマドレーヌの謂いでもある。不意に気になって、作者の著作を読み返しているうちに、最初に書いた『細雪』の記憶は、すでに作者が『小説論』の中で書いていることを発見した。もしかすると、谷崎を読んだというわたしの記憶は、金井美恵子を読んだという記憶ともう見分けがつかないほど混ざり合っているのかもしれない。
(わかしま・ただし 京都大学教授・翻訳家)
著者プロフィール
金井美恵子
カナイ・ミエコ
1947年高崎市生まれ。1967年、19歳の時、「愛の生活」が太宰治賞の候補作となり、作家デビュー。翌年、現代詩手帖賞を受賞。その後、小説、エッセイ、評論など、刺激的で旺盛な執筆活動をつづける。著書に『プラトン的恋愛』(泉鏡花文学賞受賞)、『タマや』(女流文学賞受賞)、『恋愛太平記』『噂の娘』、『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』、『お勝手太平記』『目白雑録』シリーズなど多数。
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