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無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―

山本文緒/著

1,650円(税込)

発売日:2022/10/19

  • 書籍
  • 電子書籍あり

お別れの言葉は、言っても言っても言い足りない――。急逝した作家の闘病記。

これを書くことをお別れの挨拶とさせて下さい――。思いがけない大波にさらわれ、夫とふたりだけで無人島に流されてしまったかのように、ある日突然にがんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった。58歳で余命宣告を受け、それでも書くことを手放さなかった作家が、最期まで綴っていた日記。

目次
第一章 5月24日~6月21日
第二章 6月28日~8月26日
第三章 9月2日~9月21日
第四章 9月27日~

書誌情報

読み仮名 ムジントウノフタリヒャクニジュウニチイジョウイキナクチャニッキ
装幀 大野八生/装画、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 176ページ
ISBN 978-4-10-308013-8
C-CODE 0093
ジャンル エッセー・随筆、ノンフィクション
定価 1,650円
電子書籍 価格 1,650円
電子書籍 配信開始日 2022/10/19

書評

寄り添われる、という読書

角田光代

 2021年10月13日に、作家の山本文緒さんが永眠された。個人的につきあいのあった私は、文緒さんが闘病されていたこともまったく知らなかったので、逝去の知らせに呆然とした。いったい何が起きたのかまったくわからなくて混乱した。呆然とし、混乱したまま、でも日は過ぎて、お別れの会があり、もう一年がたってしまった。それでもなお、その呆然と混乱は続いている。その文緒さんが、闘病の日々を書いた日記が本書である。
 山本文緒さんの小説は一貫して、読み手を、登場人物にのりうつらせると私は思っている。共感や感情移入とは異なって、もっと生々しく、登場人物の身体のなかに、読み手を入れてしまうのだ。たとえば『自転しながら公転する』であれば、私は読んでいるあいだ語り手の「都」を生きた。都の体験を体験し、都の気持ちの揺れを揺れる。文緒さんの書く人たちは、実際の私自身とはことごとくかけ離れているのに、そのかけ離れた登場人物にのりうつらされることが、私はずっと不思議だった。文緒さんの書く、けっしてむずかしくはない文章に、どんな魔力がひそんでいるのだろうといつも思うのだ。
 文緒さんが書き綴ってくれたこの日記にも、同じ魔力がある。
 冒頭で、文緒さんは「突然膵臓がんと診断され、そのとき既にステージは4bだった」と書き、抗がん剤治療をせずに緩和ケアに進むことを決めたと記す。
 あるとき胃が痛くなる。でも人間ドックも毎年受けているし、病院にいっても医者は首をかしげる。病院を変えてようやく検査入院、あれよあれよという間に「膵臓がん、ステージ4」と告知される。そこで文緒さんは「そんなことを急に言われても、というのが正直な気持ち」と書き記す。途方に暮れているうちに、たった一度の抗がん剤治療のために髪は抜け、具合のよい日と悪い日があり、具合のよい日には死ぬなんてことが信じられず、事務手続きがあり、葬儀について夫と話す。お見舞いにきてくれる人を気遣い、夫を気遣い、読者までをも気遣うようにユーモアをちりばめる。
 読んでいるうち、いつの間にか、書かれていることが他人ごとではなくなっている。読んでいる私自身が、余命宣告を受け緩和ケアを選んだ「私」を生きる。
 そんなこと突然言われてもと思い、そんな簡単に割り切れるかボケ! と神さまに言いたくなり、めそめそし、本当に死ぬのかと思い、家のなかのものを整理し、それに飽き、自身の人生を思い返し、支えてくれる夫に感謝し、泣いている夫を見て泣き、余命宣告から120日目を数え、これで最後かもと思いながら人に会い、来週ではなく、明日を数え続ける。追いつかれるとわかっていてもなんとか逃げられないかと思う。
 書き記されているとおり、山本文緒という人はかなりの頑固ものだし、「半歩普通からはみ出していないと爆発的な喜びを感じない」特異さもある。そもそも闘病記を逃病記と言いつつも書き綴る、その精神力は並外れている。その上彼女は、周囲の身近な人に、いや、読者にまで、自分がいなくなることを、かなしませることを、死を背負わせることを、最後の最後まであやまり、気遣っている。強さとやさしさが、この日記ではおそろしいくらい同義だ。
 私とはぜんぜん違う。違うのに、やはり、小説と同じように、私はこの「私」の日々を文字どおり、体験する。身体的な痛みと苦しみだけが読み手の私には、ない。そのことが心底申し訳なくなるほど、ここに描かれた、逃げながらも病と向き合わざるを得ない心の動きを、運命を受け入れていく過程を、読むことで体験する。「つらい話をここまで読んで下さり、ありがとうございました」と書き綴る「私」に、私自身は内側から、そんなこと言ってる場合じゃないよ! と叫びそうになる。
 通常、闘病記とくくられる日記や体験記において、余命を数えながら言葉を紡ぐ作者に、読み手は寄り添う。本書の場合はそれが反転する。「私」にのりうつって突然あらわれた死におののく読み手に、作者が寄り添ってくれるのだ。しかし甘言は言わない。死はこわくないとも言わないし、また会えるとなぐさめることもない。でも、驚くほど近くに寄り添っていてくれる。
 最後に記された日の文章を私は忘れることができない。このなんでもない言葉のなかに、私が今まで見送ってきた多くの人がいるし、この先の私自身もいる。それで気づく。無人島で生ききった「私」にのりうつりながら、私は私個人の生きることと死ぬことを見つめていたのだ、それに、作者の山本文緒さんは寄り添ってくれていたのだと気づく。

(かくた・みつよ 作家)
波 2022年11月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

山本文緒

ヤマモト・フミオ

(1962-2021)神奈川県生れ。OL生活を経て作家デビュー。1999(平成11)年『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、2001年『プラナリア』で直木賞、2021(令和3)年、『自転しながら公転する』で島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞した。著書に『絶対泣かない』『群青の夜の羽毛布』『落花流水』『そして私は一人になった』『ファースト・プライオリティー』『再婚生活』『アカペラ』『なぎさ』『ばにらさま』『残されたつぶやき』『無人島のふたり』など多数。

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