
昭和質店の客
1,650円(税込)
発売日:2010/07/30
- 書籍
浅草栄久町の路地裏にある昭和質店。ここで出会った男女三人それぞれの戦争。
浅草松竹座の呼び込み柳田徳三郎の息子保男は満蒙開拓団に参加して、終戦直前に妻子と父を銃で自決させ、自らは死ねず日本に帰国した。六区のアドバルーン揚げ矢野進は二十二歳で応召、ニューギニア東部戦線に送られ地獄をみる。レヴューガール染子は帰らぬ恋人進をひたすら待ち続ける……。戦争と運命を描く渾身の書下ろし長編小説。
目次
プロローグ
柳田保男の夢
テンプル染子の夢
矢野進の夢
テンプル染子の夢
矢野進の夢
第一章 さいたま 長寿園 平成二十年
柳田保男の告白
第二章 横浜 寿荘アパート 昭和六十四年(平成元年)
テンプル染子の独白
第三章 満州 共栄開拓団 昭和二十年八月
第四章 ニューギニア 東部戦線 昭和十八年
第五章 浅草 昭和質店 昭和十四年
書誌情報
読み仮名 | ショウワシチテンノキャク |
---|---|
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 288ページ |
ISBN | 978-4-10-309017-5 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 1,650円 |
書評
波 2010年8月号より 貧しさと流血と
昭和二年一月、東京の浅草に「昭和質店」は開店した。店の客たちと主人一家の「戦争下の昭和」が描かれる。三人の男女の「夢」を描くプロローグの引きしまった文章は、「昭和」に生れあわせた者への挽歌だろうか。
六区の松竹座で呼び込みをしていた柳田徳三郎は常連の一人。店で出会って一目惚れしたレヴューガールの染子と、アドバルーン揚げの矢野進。徳三郎が一度は見棄て、再会後満州へわたって五十代で死ぬ運命をひらく一人息子の保男。
柳田保男は開拓の父加藤完治の満蒙開拓論、「満州建国の聖業」に魅せられ、昭和十四年、二十四歳で共栄開拓団に入植した。ソ満国境に近く、中国人、朝鮮人を小作に使う昔ながらの農業である。
二十年八月九日、日ソ中立条約下のソ連が対日参戦し、不意をつかれた開拓団の避難行がはじまる。父徳三郎、臨月の写真花嫁の妻、六歳の長男、年子の娘二人が保男の家族だった。八世帯の集落から七人のあるじが軍隊にとられ、結核で即日帰郷の保男一人が老人と女子ども三十人を引率することになる。大陸の果てしない大地、馬車をひく馬も倒れて徒歩になり、まず乳児が死ぬ。食糧も水も尽き、炎熱の昼と寒さの夜、接近するソ連軍と、暴徒化しようとする中国民衆に前後をはさまれた開拓団に自決の命令が出る。軍隊は「作戦」のために移動し、開拓民は見捨てられていた。
麻山谷に至って、妻は産んだばかりの子を乳房で圧し、その妻、父徳三郎、おさな児三人を保男は三八式歩兵銃で撃ち殺す。近所の母子たちも撃って、死ぬつもりの保男は生きのびた。ソ連戦車に攻撃をしかけ、負傷して捕虜となり、シベリアでの抑留生活へ送られる。
銃口を向けた父や子どもたちの姿と声、血まみれのわが手が保男の夜ごとの夢にあらわれる。うなされて呻き声で目ざめる生活から解放される日はなく、養護老人ホームで暮す保男は九十二歳になった。割腹自決もせず、戦後も教育者として生きのびた加藤完治、神格否定した昭和天皇につまずきながら、保男は家族を手にかけたことを悔いはしても、「日本人らしい立派な死に方でした」と告白。恥じてはいないという。だが、この「殺人」を再婚した妻にも明かせない。底辺で戦後の日本を生きてきた。
染子は福島の親許から九歳で子守奉公に出されたのち、旅まわりの一座に子役として売られた。借金を返して憧れの東京へ出るのは十四歳のとき、昭和十年。歌と踊りで舞台の端役に出るが、給金は安く、昭和質店で急場をしのぎながら、スターになる日を夢みて暮していた。
小説家志望の進は召集され、満州、中国、香港の戦場を転戦し、ニューギニアで飢えて死ぬ。約束通りに生還し結婚するはずの進を染子は待ちつづける。田舎の小さな無人の駅で、染子は進を待っている。老いて生活保護を受け、暦が平成に変る頃、染子の記憶はぼやけはじめる。
地図さえなく、いっさいの補給の絶えたニューギニアで、一等兵の進は命令されてパプア住民を殺し、味方兵士に殺されて食われる恐怖に追われつつ、死んだ兵士が道しるべの敗走中に息たえる。
昭和質店の主人夫婦は東京大空襲で死に、学徒出陣で海軍へ入隊の長男は消息をたつ。その妹と弟は戦後に生きのびたが、誰もその後を知らない。
菊の御紋章つき三八式歩兵銃と「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」の「戦陣訓」が支配した時代である。
血のにおいと腐臭漂う戦争の暦がめくられる前夜、昭和十四年秋の徳三郎渡満を祝う昭和質店のにぎわい。進も染子もいる。「明日はよいことばかりがあると信じようとする人たちの笑い声」が聞こえるところで、この小説は終る。学童疎開世代の著者は、「死ぬまでに書かねば」(あとがき)と考えてこの作品を書いた。取材と追体験とイマジネーションが描き得た「昭和」の人びとである。
六区の松竹座で呼び込みをしていた柳田徳三郎は常連の一人。店で出会って一目惚れしたレヴューガールの染子と、アドバルーン揚げの矢野進。徳三郎が一度は見棄て、再会後満州へわたって五十代で死ぬ運命をひらく一人息子の保男。
柳田保男は開拓の父加藤完治の満蒙開拓論、「満州建国の聖業」に魅せられ、昭和十四年、二十四歳で共栄開拓団に入植した。ソ満国境に近く、中国人、朝鮮人を小作に使う昔ながらの農業である。
二十年八月九日、日ソ中立条約下のソ連が対日参戦し、不意をつかれた開拓団の避難行がはじまる。父徳三郎、臨月の写真花嫁の妻、六歳の長男、年子の娘二人が保男の家族だった。八世帯の集落から七人のあるじが軍隊にとられ、結核で即日帰郷の保男一人が老人と女子ども三十人を引率することになる。大陸の果てしない大地、馬車をひく馬も倒れて徒歩になり、まず乳児が死ぬ。食糧も水も尽き、炎熱の昼と寒さの夜、接近するソ連軍と、暴徒化しようとする中国民衆に前後をはさまれた開拓団に自決の命令が出る。軍隊は「作戦」のために移動し、開拓民は見捨てられていた。
麻山谷に至って、妻は産んだばかりの子を乳房で圧し、その妻、父徳三郎、おさな児三人を保男は三八式歩兵銃で撃ち殺す。近所の母子たちも撃って、死ぬつもりの保男は生きのびた。ソ連戦車に攻撃をしかけ、負傷して捕虜となり、シベリアでの抑留生活へ送られる。
銃口を向けた父や子どもたちの姿と声、血まみれのわが手が保男の夜ごとの夢にあらわれる。うなされて呻き声で目ざめる生活から解放される日はなく、養護老人ホームで暮す保男は九十二歳になった。割腹自決もせず、戦後も教育者として生きのびた加藤完治、神格否定した昭和天皇につまずきながら、保男は家族を手にかけたことを悔いはしても、「日本人らしい立派な死に方でした」と告白。恥じてはいないという。だが、この「殺人」を再婚した妻にも明かせない。底辺で戦後の日本を生きてきた。
染子は福島の親許から九歳で子守奉公に出されたのち、旅まわりの一座に子役として売られた。借金を返して憧れの東京へ出るのは十四歳のとき、昭和十年。歌と踊りで舞台の端役に出るが、給金は安く、昭和質店で急場をしのぎながら、スターになる日を夢みて暮していた。
小説家志望の進は召集され、満州、中国、香港の戦場を転戦し、ニューギニアで飢えて死ぬ。約束通りに生還し結婚するはずの進を染子は待ちつづける。田舎の小さな無人の駅で、染子は進を待っている。老いて生活保護を受け、暦が平成に変る頃、染子の記憶はぼやけはじめる。
地図さえなく、いっさいの補給の絶えたニューギニアで、一等兵の進は命令されてパプア住民を殺し、味方兵士に殺されて食われる恐怖に追われつつ、死んだ兵士が道しるべの敗走中に息たえる。
昭和質店の主人夫婦は東京大空襲で死に、学徒出陣で海軍へ入隊の長男は消息をたつ。その妹と弟は戦後に生きのびたが、誰もその後を知らない。
菊の御紋章つき三八式歩兵銃と「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」の「戦陣訓」が支配した時代である。
血のにおいと腐臭漂う戦争の暦がめくられる前夜、昭和十四年秋の徳三郎渡満を祝う昭和質店のにぎわい。進も染子もいる。「明日はよいことばかりがあると信じようとする人たちの笑い声」が聞こえるところで、この小説は終る。学童疎開世代の著者は、「死ぬまでに書かねば」(あとがき)と考えてこの作品を書いた。取材と追体験とイマジネーションが描き得た「昭和」の人びとである。
(さわち・ひさえ 作家)
著者プロフィール
佐江衆一
サエ・シュウイチ
(1934-2020)1934年、東京生まれ。1960年、短篇「背」で作家デビュー。1990年『北の海明け』で新田次郎文学賞受賞。1995年、『黄落』でドゥマゴ文学賞受賞。自身の老老介護を赤裸々に描いてベストセラーに。1996年『江戸職人綺譚』で中山義秀文学賞受賞。著書に『横浜ストリートライフ』『わが屍は野に捨てよ――一遍遊行』『長きこの夜』『動かぬが勝』のほか、『昭和質店の客』『兄よ、蒼き海に眠れ』『エンディング・パラダイス』の昭和戦争三部作など。古武道技術師範。『野望の屍』は最後の作品として取り組んだ渾身の史伝である。2020年10月逝去。享年86。
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