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胸に残る土地の記憶、戦争の記憶、逝きし人の記憶。時の移ろいの中に刻まれた言葉。

時のながめ

高井有一/著

2,160円(税込)

本の仕様

発売日:2015/10/30

読み仮名 トキノナガメ
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 223ページ
ISBN 978-4-10-311606-6
C-CODE 0095
ジャンル エッセー・随筆、文学賞受賞作家
定価 2,160円
電子書籍 価格 1,728円
電子書籍 配信開始日 2016/04/01

郷里秋田の角館の山桜、六月の葉山の若い緑の木々、敬愛する唐木順三氏の信州の別荘から見はるかす富士。家を焼かれ逃げ惑った空襲の悪夢、終戦のあとに命を絶った母、尼になった叔母。田宮虎彦、藤枝静男、後藤明生、江藤淳、三浦哲郎、秋山駿……亡き友人知己への痛烈な想い。清冽な文章で書かれた、九年ぶりのエッセイ集。
 

著者プロフィール

高井有一 タカイ・ユウイチ

(1932-2016)1932(昭和7)年東京生まれ。早稲田大学文学部卒。共同通信社に記者として勤める傍ら、作家活動に入る。1964年、立原正秋、加賀乙彦らと同人雑誌「犀」を創刊。1966年「北の河」で芥川賞受賞。著書に『夢の碑』(芸術選奨文部大臣賞)『真実の学校』『この国の空』(谷崎潤一郎賞)『夜の蟻』(読売文学賞)『立原正秋』(毎日芸術賞)『高らかな挽歌』(大佛次郎賞)『時の潮』(野間文芸賞)等がある。「この国の空」の映画が戦後70年の2015年に公開された。

書評

おのがじしの文学

佐伯一麦

 本業の小説の傍ら、折に触れて自身の身辺雑記を執筆し、一冊の本になる分量が溜まったら随筆集として出版する。そんなふうにして出来上がった随筆集を読むのを長年楽しみにしてきた。尾崎一雄永井龍男、野口冨士男、庄野潤三三浦哲郎古井由吉……。
 近頃は、随筆集そのものが出版されることがめっきり少なくなり、残念に思っていたところだったので、やはり先の作家たち同様に、出るたびに親しんできた高井有一氏の随筆集の新刊は悦ばしいことだった。
 緊張と集中の持続である小説とは異なり、折々の興にまかせて綴られる随筆には、寛ぎの色がある。とはいえ、世情が反映することともなるので、「近ごろの世の有様を見てゐると、〈昭和〉の遺産をさう長くないうちに食ひ潰してしまふのではないか、といささかならず気懸りになる」(「昭和のあとの十五年」)というような苦い思いの吐露もある。戦後七十年となったこの夏、私は、氏が戦時を生きる市井の人々の日常を描いた『この国の空』を、同じく戦争を知らない世代である中島京子氏の懇切な解説に頷かされながら、文庫本で再読したことだった。
 このたびの『時のながめ』という題名は、総じて、宮本武蔵が『五輪書』の中で、「観の目つよく、見の目よはく見るべし」と述べたような視線を感じさせる本書にふさわしく、また、昭和五十二年に上梓された最初の随筆集『観察者の力』と照応しているようにも思われた。
 そこに収録されていた「山あひにて」という文章で、四十代だった高井氏は、〈明治の半ば過ぎに田舎から出てきて東京へ定着した家の三代目に当る私には、故郷と呼べる土地はない。祖父が生まれた町には、古い墓があるばかりである〉と記していた。それが本書では、「私の郷里、秋田県角館町の桜は、ゴールデンウイークのころが盛りと憶えてゐたものだが、今年四月末に訪ねたときには、早や半ばが葉桜であつた」(「北の桜」)、「『信長』が評判になつてよく売れた一九九六年の秋、私は彼を秋田にある私の郷里の町へ連れて行き、講演をしてもらつた」(「石ころと天才の間――秋山駿の思ひ出」)とあり、ほかに「郷里の町の人と風景」として目次にまとめられたいくつかの小文もある。
 疎開先の東北の川に身を投げて歿くなった母親のことを書いて昭和四十一年に芥川賞を受賞した「北の河」の土地(小説では「町」としか書かれていなかった)は、長い歳月をかけて作者からながめられ、郷里の町として受容されるようになったのだろう。
 一九九二年の秋に、黒井千次氏を団長とする日中文化交流団の一員として、高井氏とともに私も初めて中国を訪れたことがあった。その折にもたれた交流の席で、たとえ日本人同士でも次の世代に戦争の体験を伝えることなど現実には無理で、私は戦後世代は違う人種だとさえ思っている、ましてや中国と日本が簡単に理解し合えるはずもない、と高井氏は穏やかな口調ながら毅然と言い放った。
 ざわついた中国側と共に、私も、横面を張られたような思いを味わったが、そうした席でも情に絆さない冷徹な言葉には、不思議に得心がいく思いがしたことも事実だった。背中を向けられてしまった拒絶は、黙って見送るしかないが、高井氏の個個を峻別する姿勢は、面と向かってであり、時に笑いを伴いもし、決して意思の伝達を遮断するものではない。
 そういえば氏はすでに、『観察者の力』に収められ書名にも取られた随筆の中で、鴨長明の『方丈記』に触れて、「多くの天変地異に奇怪なほど正確な観察を強ひたのは、彼の“好奇心”だと言はれる」と述べていた。世に背中を向けずに、その好奇心のはたらきで現実を見続けた人間の力は、確かに氏の随筆からも窺えるものである。
 本書でも「老いをめぐつて」の中で触れられている、一九九六年にいわゆる内向の世代と称される小説家たちが集まった座談会が開かれたときに、最も印象的だったのが、世代ということで一番動かしがたいのは、我々は六十に差しかかり、今まで六十歳を過ぎた作家が、それ以前の自作を凌駕する作品を書けたためしはない、という高井氏の発言だった。「おのがじしどれだけ自身の穴を掘れるかだね」という言葉を、五十代の後半になった私は思い返すことが多くなった。

(さえき・かずみ 作家)
波 2015年11月号より

目次

一 土地の記憶
海恋ひ
海辺の土地
北の桜
物語のうちそと
ある展墓
老いをめぐつて
白寿の雪
まぼろしの土地
人権よりもつと大事なもの――『編集者 齋藤十一』齋藤美和編
荒れた夏のあとに
里山の木陰にて
ささやかな体験の中から

二 戦争の記憶
自裁した母、尼になつた叔母
昭和のあとの十五年
しみじみと思ふ戦争
六十年目の夏に
戦場の生死

三 逝きし人の記憶
晴れた日の展墓
心身ともに頑健な生活人 後藤明生に先立たれて
母の時間
ひたすらに書き続けた一生
生真面目な顔、忘れられず 立松和平さんを悼む
記憶のなかの岡松和夫
石ころと天才の間――秋山駿の思ひ出
II
今の家 むかしの庭
夏の日/落暉/時雨と一葉/震災と空襲/或る葬儀/手品/食べるといふ事/家族といふもの

晩年の幸福
芸術家の歳月/殺された仁左衛門/菱田春草の世界/還つてきた父の絵/志賀直哉の文章/懐かしい人と舞台/むかしの人の文章/安楽死/国語の今昔/永井龍男さんと文学館/茂吉のゐた場所/木蓮の季節

郷里の町の人と風景
祖父の面影/祖父の享年/冬過ぎて/郷里の桜/廃家を訪ねて/墓を閉ぢる/雪の深夜の道

流れの中の言葉
むかしの町で/いやな時代/耳障りな言葉/特攻隊員の青春/部活・就活・婚活/三月十日と三月十一日/選挙の日に

月が呼ぶ夢
鰺くふや/仲秋名月/葉山の狸/洗熊の話/災禍/手放せない本/被災地の臭ひ/眠る老人


心臓を病んで/薬いろいろ/夢の中の病/寺の鐘が聞こえる病室/夢から醒めて/甦へる死者たち/桜の記憶

大文字山登り
大文字山登り/信濃境にて/なつかしい人/泣き蟲の杉村春子/昭和前期の光景

先立つ人を送る
吉行さんといふ存在/渡辺喜恵子さんの郷里/「癌め」を読んで/死の苦しみ/結城昌治の句業/演出家の「戦死」/古今亭志ん朝逝く/小さんのゐる風景/三枝和子さんの朗読/青春といふもの/初志/小川国夫さんの書簡/五十余年の夫婦の暮し/挽歌にこめた思ひ/中村芝翫さんの女形芸/病と文章/客間の沈黙/自作の評価/最も痛ましい死/生きる事の意味/夫婦ともどもの死
あとがき

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