やすらい花
1,760円(税込)
発売日:2010/03/26
- 書籍
- 電子書籍あり
若い女も若くない女も、嬌声を張り上げて唄い手を踊らせ顔に花が散りかかる……。
散る花とともに四方へ飛び散る悪疫を鎮めようとする鎮花祭。いまも歌い継がれるという夜須禮歌。豊穣を願う田植歌であり、男女の契りの歌でもあるおおらかな古来の節回しに、鮮やかに甦る艶やかな想い。その刻々の沈黙と喧騒――歳月を超えた日常の営みの、夢と現、生と死の境目に深く分け入る8篇。待望の最新連作短篇集。
目次
やすみしほどを
生垣の女たち
朝の虹
涼風
瓦礫の陰に
牛の眼
掌中の針
やすらい花
生垣の女たち
朝の虹
涼風
瓦礫の陰に
牛の眼
掌中の針
やすらい花
書誌情報
読み仮名 | ヤスライハナ |
---|---|
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 272ページ |
ISBN | 978-4-10-319209-1 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品、文学賞受賞作家 |
定価 | 1,760円 |
電子書籍 価格 | 1,408円 |
電子書籍 配信開始日 | 2017/06/09 |
書評
波 2010年4月号より 恐るべき小説
これは古井由吉氏の、最新短編連作集である。古井氏の筆は冴えに冴え、またも恐ろしい名作を誕生させることになった。僕は今、興奮の中にある。
圧倒的に豊饒な言語世界。過去も今も死者も混沌と現れる世界においては、時折現れる昔ながらの漢字や言い回しも現在に立ち上り、生き生きと揺れる。これから古井文学に入る若い読者のために例を挙げると、「生垣の女たち」の老婆の笑いを完璧に形容した「あでやか」という言葉がある。「あでやか」とは「艶かしい」などの意味だが、老婆には「艶かしい」より「あでやか」の方がしっくりとくる。なぜしっくりくるかというと、「あでやか」は必然的に、「あてやか」「あざやか」という言葉の響きをその中に含むため、語感的な広がりもあり、言葉に含まれる「色気」の質、その言葉を読んだ時の感覚が、この老婆を形容するものとして見事に合うのである。その直前に出てくる「臈たけた」という上品、年功を積むなどの意味の言葉が、その「あでやか」の中の「あてやか」を浮かび上がらせているようにさえ感じる。そしてこの老婆を形容する「あでやか」という言葉などによって、作中の若い女の妊娠がただの妊娠でないことが示唆されるのである。また今度は「やすらい花」から一つ挙げると「庭訓」という言葉がある。「家庭の教訓」などの意味だが、この言葉の由来には孔子の故事がある。一語を入れるだけで、外部の物語も取り込む。言葉とは本来由来のあるもので、その由来を連想する言葉を小説の中に滲み込ませることにより、言語世界はどこまでも広がっていく。由来とはいわば「過去」であり、『いろいろと聞こえる、今の音も昔の音も』『一瞬の内に千載の動くこともある』と作中にもあるが、この言語世界の中では、そういった「過去」も、言葉を読む「一瞬」の中に含まれ、読者の「現在」に立ち上る。この豊饒な言語世界に身をゆだねることは、過去から現在に至る圧倒的に豊饒な日本語世界に身をゆだねるに等しい。
そして僕がいつも古井文学に強く強く惹かれるのが、そのテーマとイメージの恐るべき深さと鋭さ、読み進めながら実際に鳥肌の立つ表現の見事さ、自在さである。「やすみしほどを」では、夢の連歌の座で発句を求められる。『古人は今の人間と、精神構造からして、その空間も時間も、ひろがりが異なると思われた。われわれほどには個人でない。内に大勢の他者を、死者生者もひとつに、住まわせている』という凄まじい言及を挟み、男は独吟を進めていく。男がただならぬ領域に「迷い出る」様をそのように表現する発想力は尋常ではない。繊維の乱模様の遊離、囃しの乱声、陰にそって行き、角を折れ日向へ出て行く反復の描写なども神がかっている。「生垣の女たち」の老婆の登場するタイミングは何度読んでも絶妙で、老人の死の領域の言葉のすぐ後に「女の湯を流す音」が伝わるのも死と性の妙である。『あまり耳を澄まされると、伸びがとどこおるものでしょうか』『生涯、聞いていました、風の吹くたびに』。悲しくも、あまりにも美しい物語である。
「朝の虹」の無音無響の混沌、惹きこまれる無音、無音の叫び、「涼風」の自足の考察の、それでも、しかし、とたたみかける緊迫の後に続く空襲の光景、さらに『空無を頼みとしても、尽きる間際の命にとっては、空無は嵐にほかならない。この大海に絶え間なく落ちては沈む無数の人の命も、すべてかすかな、目にも立たぬ水滴にひとしい、とさらに例の書は告げるが、そのかすかな水滴も空無の、音にもならぬ轟音に、声にもならぬ大音声に、感じて落ちるのではないか』という文章の迫力、「瓦礫の陰に」のしるし、自分こそ何者だったのかという古井氏独特の惑い、「牛の眼」の男の正体を見抜く「母」、「掌中の針」でのさらに「母」、死の前に返される針、「やすらい花」の同じ顔になる女達、嬌声、時鳥、半鐘、そして各短編の所々に現れる災害と呼応するような大水……。
この紙幅ではもう書ききれないが、この恐るべき名作を読める喜びに果てはない。
圧倒的に豊饒な言語世界。過去も今も死者も混沌と現れる世界においては、時折現れる昔ながらの漢字や言い回しも現在に立ち上り、生き生きと揺れる。これから古井文学に入る若い読者のために例を挙げると、「生垣の女たち」の老婆の笑いを完璧に形容した「あでやか」という言葉がある。「あでやか」とは「艶かしい」などの意味だが、老婆には「艶かしい」より「あでやか」の方がしっくりとくる。なぜしっくりくるかというと、「あでやか」は必然的に、「あてやか」「あざやか」という言葉の響きをその中に含むため、語感的な広がりもあり、言葉に含まれる「色気」の質、その言葉を読んだ時の感覚が、この老婆を形容するものとして見事に合うのである。その直前に出てくる「臈たけた」という上品、年功を積むなどの意味の言葉が、その「あでやか」の中の「あてやか」を浮かび上がらせているようにさえ感じる。そしてこの老婆を形容する「あでやか」という言葉などによって、作中の若い女の妊娠がただの妊娠でないことが示唆されるのである。また今度は「やすらい花」から一つ挙げると「庭訓」という言葉がある。「家庭の教訓」などの意味だが、この言葉の由来には孔子の故事がある。一語を入れるだけで、外部の物語も取り込む。言葉とは本来由来のあるもので、その由来を連想する言葉を小説の中に滲み込ませることにより、言語世界はどこまでも広がっていく。由来とはいわば「過去」であり、『いろいろと聞こえる、今の音も昔の音も』『一瞬の内に千載の動くこともある』と作中にもあるが、この言語世界の中では、そういった「過去」も、言葉を読む「一瞬」の中に含まれ、読者の「現在」に立ち上る。この豊饒な言語世界に身をゆだねることは、過去から現在に至る圧倒的に豊饒な日本語世界に身をゆだねるに等しい。
そして僕がいつも古井文学に強く強く惹かれるのが、そのテーマとイメージの恐るべき深さと鋭さ、読み進めながら実際に鳥肌の立つ表現の見事さ、自在さである。「やすみしほどを」では、夢の連歌の座で発句を求められる。『古人は今の人間と、精神構造からして、その空間も時間も、ひろがりが異なると思われた。われわれほどには個人でない。内に大勢の他者を、死者生者もひとつに、住まわせている』という凄まじい言及を挟み、男は独吟を進めていく。男がただならぬ領域に「迷い出る」様をそのように表現する発想力は尋常ではない。繊維の乱模様の遊離、囃しの乱声、陰にそって行き、角を折れ日向へ出て行く反復の描写なども神がかっている。「生垣の女たち」の老婆の登場するタイミングは何度読んでも絶妙で、老人の死の領域の言葉のすぐ後に「女の湯を流す音」が伝わるのも死と性の妙である。『あまり耳を澄まされると、伸びがとどこおるものでしょうか』『生涯、聞いていました、風の吹くたびに』。悲しくも、あまりにも美しい物語である。
「朝の虹」の無音無響の混沌、惹きこまれる無音、無音の叫び、「涼風」の自足の考察の、それでも、しかし、とたたみかける緊迫の後に続く空襲の光景、さらに『空無を頼みとしても、尽きる間際の命にとっては、空無は嵐にほかならない。この大海に絶え間なく落ちては沈む無数の人の命も、すべてかすかな、目にも立たぬ水滴にひとしい、とさらに例の書は告げるが、そのかすかな水滴も空無の、音にもならぬ轟音に、声にもならぬ大音声に、感じて落ちるのではないか』という文章の迫力、「瓦礫の陰に」のしるし、自分こそ何者だったのかという古井氏独特の惑い、「牛の眼」の男の正体を見抜く「母」、「掌中の針」でのさらに「母」、死の前に返される針、「やすらい花」の同じ顔になる女達、嬌声、時鳥、半鐘、そして各短編の所々に現れる災害と呼応するような大水……。
この紙幅ではもう書ききれないが、この恐るべき名作を読める喜びに果てはない。
(なかむら・ふみのり 作家)
著者プロフィール
古井由吉
フルイ・ヨシキチ
(1937-2020)1937年東京生まれ。東京大学独文科修士課程修了。ロベルト・ムージル、ヘルマン・ブロッホらドイツ文学の翻訳を手がけたのち、1971年「杳子」で芥川賞を受賞。1980年『栖』で日本文学大賞、1983年『槿』で谷崎潤一郎賞、1987年「中山坂」で川端康成文学賞、1990年『仮往生伝試文』で読売文学賞、1997年『白髪の唄』で毎日芸術賞を受賞。『山躁賦』『眉雨』『楽天記』『野川』『辻』『白暗淵』『ゆらぐ玉の緒』『この道』ほか数多の著作を遺して、2020年2月永眠。
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