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われもまた天に

古井由吉/著

2,200円(税込)

発売日:2020/09/28

書誌情報

読み仮名 ワレモマタテンニ
装幀 菊地信義/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 142ページ
ISBN 978-4-10-319212-1
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 2,200円
電子書籍 価格 2,200円
電子書籍 配信開始日 2021/03/05

自分が何処の何者であるかは、先祖たちに起こった厄災を我身内に負うことではないのか。

インフルエンザの流行下、幾度目かの入院。雛の節句にあった厄災の記憶。改元の初夏、山で危ない道を渡った若かりし日が甦る。梅雨さなか、次兄の訃報に去来する亡き母と父。そして術後の30年前と同じく並木路をめぐった数日後、またも病院のベッドにいた。未完の「遺稿」収録。現代日本文学をはるかに照らす作家、最後の小説集。

目次
雛の春
われもまた天に
雨あがりの出立
遺稿

書評

旅心

川上弘美

 入院と退院、そしてその間の日々について書いた四篇の短篇小説をおさめた本書を読んで、なぜこのように自分の中の凝ったものがほぐれてゆく心地となるのだろうと、不思議に思う。病院の高階から眺める語り手の住まい、手術後の体のありさま、夜の病院の廊下に停る車椅子に黙然と座る老人、気温の上がらない春、秋の大きな台風、ふたたびの入院、みたびの入院、思いだす戦争のこと、はるかな昔のこと、わずかな昔のこと、亡くなっていった家族のこと。こうして本書に書かれていることを連ねてゆくと、日に向かうように輝きわたることは何も書かれていないのに、いつまでもこの本の文章を読んでいたくなる。心が騒いでいたとしたなら、柔らかくなでられているように、静まってゆく。きれいに清められた庭をじっと座って眺めている時のように、身から澱がはがれ落ちてゆく。
 冒頭の短篇「雛の春」の中で、「ねざめに遠き小車の音」という宗祇の付句を寝覚め時に思い浮かべる語り手は、「一句ごとに移り行くのが連歌の心であるそうだから」と続ける。連歌、あるいは芭蕉が完成させた俳諧の連歌は、発句である最初の五七五への付句である脇句七七、さらにその付句である第三の五七五、またさらなる付句である四句目の七七と、連衆たちが次々に言葉を連ねてまいてゆくものであるが、そこには一つの決まりがある。発句の次の脇句は、発句からの連想を保ちながらも、発句からは少しだけ離れた世界を表現しなければならない。次の付句である第三は、脇句からの連想を保ちながらまた脇句から少し離れる。その時、第三はすでに、発句からはすっかり離れたところへ行っている。その後のいくつもの付句も、同じだ。いつまでも同じ景色の中にとどまらず、先へ先へと、あるいは脇道へ、またあるいはのぼりくだり、しつづけながら、連歌はまかれてゆくのである。
 古井由吉の小説も連歌のゆきかたと同様、一つの文章のかたまりが二番目の文章のかたまりを呼び、二番目の文章のかたまりが三番目を呼び、それらは互いにゆるくつながりあっているのに、三番目の文章のかたまりはすでに最初の文章からは、いつの間にか離れたところに読者を連れてゆく。
 連歌で大切なのは、つながりながら、変化しつづけること。以前、連歌の専門家に教わったことがある。では、変化しつづける、そのさらに底にあるのは何なのでしょうと問うと、生きること自体でしょうか、との答えがきた。
 うねるように、寄せては引くように、生の中にふくまれている死の確かな手ざわりをその文章で表現してきた古井由吉だが、なるほど、宗祇や芭蕉が連衆と共にまいてきた連歌や俳諧の連歌を、古井由吉は一人でまき続けてきたのかもしれないと、この短篇集を読んで、はじめて腑に落ちた。最初の一行からはるか遠く離れたところまで流されてゆくのに、切れ目や裂け目など一つもない、にぶい光沢を保ったまま、どこまでも進んでゆき、その深奥には「生」とは何か、という古井由吉自身の問いと思考が太く滔々と流れているのである。
 遺作である本書の最後の短篇は、未完成である。なのに読後、これでいい、いや、これこそがいいと、身にしみいる。それはもしかすると、たとえば芭蕉と連衆たちのまいた俳諧の連歌が、時には途中で未完のまま終わってしまうことがあっても、まいた、というそのことだけで十分であることと同じなのかもしれない。まかれたというそのことだけで、書かれたというそのことだけで、つづまりをつける必要など何もない全きものとなってあるのだ。
 古井氏と酒席を共にしたことが、一度だけある。二十四年前、銀座のバー「ザボン」での機会である。少しだけ、まいてみますか、と、その時、同席の丸谷才一氏がわたしに発句を所望した。「夜桜や沼に沈める千の虫」と、丸谷氏のさしだしたコースターの裏に書くと、「團子の餡が極楽の春」と丸谷氏が同じコースターに脇を付け、するとすぐさま、「旅心蛇の縁にみちびかれ」と、ウイスキーグラスを置いてあった目の前のコースターを裏返しにして、古井氏はしたためたのだった。柔らかな酔眼をすえるようにして書いた古井氏のコースターの字には独特の癖があり、一筋には読み解くことができなかった。ウイスキーのしみの飛んだコースター二枚を、今も宝として大切に持っている。古井由吉は、なるほど、たしかに一筋には読み解くことのできない「生」という旅を描く、旅心の人でもあった。

(かわかみ・ひろみ 作家)
波 2020年10月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

古井由吉

フルイ・ヨシキチ

(1937-2020)1937年東京生まれ。東京大学独文科修士課程修了。ロベルト・ムージル、ヘルマン・ブロッホらドイツ文学の翻訳を手がけたのち、1971年「杳子」で芥川賞を受賞。1980年『栖』で日本文学大賞、1983年『槿』で谷崎潤一郎賞、1987年「中山坂」で川端康成文学賞、1990年『仮往生伝試文』で読売文学賞、1997年『白髪の唄』で毎日芸術賞を受賞。『山躁賦』『眉雨』『楽天記』『野川』『辻』『白暗淵』『ゆらぐ玉の緒』『この道』ほか数多の著作を遺して、2020年2月永眠。

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