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今は何時ですか?

丸谷才一/著

2,530円(税込)

発売日:2025/12/17

  • 書籍
  • 電子書籍あり

笑い。サスペンス。謎。そして戦争──。知られざる名短篇を集成した生誕百年記念出版。

〈失踪した恋人の鎮魂のために女性作家が書いた小説〉が読者を魅了するモダニズム文学の傑作「今は何時ですか?」、終戦の日の朝の列車で、午後の「重大発表」が載った新聞を売る若い女を描いた遺作「茶色い戦争ありました」ほか、作家、エッセイスト、批評家、翻訳家として読者を愉しませつづけた希代の文学者による全四篇。

目次

今は何時ですか?
墨いろの月
おしやべりな幽霊
茶色い戦争ありました

書誌情報

読み仮名 イマハナンジデスカ
装幀 加藤千歳/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 160ページ
ISBN 978-4-10-320610-1
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 2,530円
電子書籍 価格 2,530円
電子書籍 配信開始日 2025/12/17

書評

喪の語り

鈴木結生

 丸谷才一生誕百周年を記念する本書は、長らく単行本未収録であつた短編四作から構成される。個人的に、表題作の明白な影響下で書いたつもりの『携帯遺産』といふ小説を上梓したばかりだつたので、図らずもタイミングが合つた格好。しばらく勝手な感慨に耽つてゐた。
 丸谷は自他共に認めるモダニズムの小説家であり、その作品群は、デビュー長編『エホバの顔を避けて』がエリオットのいはゆる神話的手法を旧約聖書の「ヨナ書」に適応したものだつたことに始まり、ナボコフに絡めた「樹影譚」、ワイルドにまつはるエピソードから発想された「横しぐれ」、ジョイスの『ユリシーズ』の構成に倣ふ『輝く日の宮』と、全体としてモダニズム文学を総浚ひする。さて、本作で俎上に載るのはプルーストだ。
 主人公は作家の浜谷百合子。主人公を作家にするのはモダニズム文学の常套である。ジッドの『贋金つくり』、ジョイスの『若い藝術家の肖像』、それこそプルーストの『失われた時を求めて』も。とはいへ、丸谷の標榜する市民小説への志向は、百合子を時代小説で直木賞を受賞した、いはば「若い藝術家」ならぬ中堅の大衆作家と設定してゐる点によく表れてゐて(蛇足ながら、ここから拙著の主人公を造形した)、本作と老境の純文学作家を主人公とする『樹影譚』を並べれば、その二部構成にしろ、入れ子式の物語にしろ、似てゐるところもやはり多いが、雰囲気はどこか違つてゐるやうな。そしてそれは多分、進藤南といふ本作で新たに導入された男性像による部分が大きい。
 進藤は地方自治体の文化記念事業(それこそ生誕百周年といふやうな)のプロデューサー。その昔、作家にならうとしたことがあつたらしい。が、自分の小説の着想がプルーストそつくりであることに気づききつぱり諦めた。そんな彼の小説評は、批評に飢ゑてゐた百合子を喜ばせる。二人の関係は、本作の前後で書かれた長編の女主人公と恋人たち──『女ざかり』の南弓子と哲学者・豊崎、『輝く日の宮』の杉安佐子と長良(および紫式部と藤原道長)のパターンに属してゐて、さういふ意味で、本作は丸谷文学の転換点に位置するといつていいかもしれない。
 しかし突如、進藤は失踪する。どうやら殺されたらしい。百合子は情人の喪に服すべく物語を書く。それが第二部「今は何時ですか?」、つまり小説の本編に当るものだ。このやうに作品の成立過程そのものを作品化するのもまた大変モダニズム的であり、そもそもモダニズム文学が作家を主人公にしたがるのは、その目的のための手段なのだけれど、ここで注目したいのは百合子が喪のために物語を書く、といふ点。
 本作のタイトルは、ロンドンのロシア人が「今は何時ですか?ホワット・タイム・イズ・イット」と訊かうとしたら、誤つて「時間とは何ですか?ホワット・イズ・タイム」と訊いてしまつた、といふ笑ひ話に由来するが、時に笑ひ話ほど真実を含むものはない。実に「時間とは何か?」といふ問ひこそは丸谷文学の中核なのである。この時間といふ捉へ難いものを描くため、モダニズム文学の先駆者ヘンリー・ジェイムズと泉鏡花は、いづれも幽霊話ゴースト・ストーリーを描いた。過去あるいは伝統を幽霊といふ形で引つ張り出し、その鎮魂のために物語を書く、といふのは、フィクションを書く、といふ本来ひどく不自然な欲求・行為を正当化するための、私小説とはまた違つた方法としても丸谷には魅力的だつたらう。
 このやうに考へると、本書に収録された物語が実は全部過去にまつはる幽霊話ゴースト・ストーリーであることに気づかされる。象徴的なのは、ズバリ日本兵の幽霊が語り手となる第三篇「おしやべりな幽霊」であるが、第四篇「茶色い戦争ありました」では、「君」の幽霊が書きかけの小説を書き上げる。第二篇「墨いろの月」に直接幽霊は登場しないけれど、ここでも過去は追つてくる。とはいへ、本作のラスト、主人公の翻訳家と少年の挿話は何とも涼やかで、そこには未来からの風も吹き渡つてゐる気がした。これは私の最愛の短編「鈍感な青年」も彷彿とさせる。
 丸谷才一の霊が鎮魂を必要とするかどうかは兎も角、本書が広く読まれることは作家に対する何よりの供養となるだらう。そんなことを抜きにしても、単純に素敵な本である。
(ところでわたしもまた百合子に倣つて、故人を偲び、「昔の仮名づかひ」で本文を書いてみた。とはいへ、いつかやつてみたかつた、といふのが本音。何分慣れてゐないから、現代の言葉づかひがまじつてないといいが。)

(すずき・ゆうい 作家)

波 2026年1月号より
単行本刊行時掲載

音楽は鳴り止まない

平松洋子

 舞台袖から登場した老練な指揮者が、確信に満ちた足取りで中央へ進む。黒い燕尾服。手にタクト。指揮台に上がってオーケストラの団員を見回し、数秒間の緊迫。タクトがしゅっと振り上がる。さあ始まる──
 丸谷才一の小説、とりわけ中・短編を読み始めるとき、かならずこんな光景が浮かぶ。いましも第一音が奏でられる瞬間に全集中する、あの感じに似ている。
 表題作『今は何時ですか?』の幕開けは、この一行。
「天正九年九月九日は九が三つ並ぶ」
 数字の羅列に攪乱され、ええと天正九年っていつ?(調べてみたら1581年) さらに『御湯殿の上の日記』『多聞院日記』『時慶卿記』など往時の日記の題名が畳みかけられて戸惑うのだが、ほどなく、この冒頭のくだりは三年前に直木賞を受賞した作家、浜谷百合子の長編小説『お国とお菊』へ続くものだと明かされる。
 仕掛けの宝庫のような小説だ。浜谷百合子は執筆依頼が度重なる多忙な作家だけれど、自身の作品がどんな評価を受けているのか、覚束ない感情を抱いている。そこへ記念事業を手掛けるプロデューサー、進藤南が現れてふたりは男女の仲になるのだが、この男がやたら批評上手。百合子の新作短編『わいわい天王』を褒めそやしたり的確に分析したり(もちろん『わいわい天王』の一部も登場)、小説家になるのを断念した少年時代の記憶や身の上話が語られたりもするのだが、知り合って五年目、進藤は失踪。その十二年後、行方不明のままの男と週刊誌記事の殺人事件と百合子の新聞小説『明治女賊伝』が絡まり合って……。
 小説内小説や種々の物語をあちこちに配置する巧緻な展開。言葉はひと粒ずつ彫琢された小石のように並べられて淀みなく、優雅な流れ。百合子がかつての恋人への供養として書こうと思いつく短編のなかのエピグラフにしても、なるほど、と膝を叩かせるあざとさも仕掛けのひとつだ。エピグラフとして置かれたその笑い話のオチは「時間とは何ですか?」。つまり読者は〈小説は、時間というものをどのように扱い得るのか〉、作者の手つきを目の当たりにしているのだと、中途ではっきり認識させられる。
 登場人物たちが時間の流れ(それこそ天正九年から現在まで!)のなかでゆらゆらと意識を揺らすことによって物語は進んでいくのだが、時間や意識に介入するのが「批評」という装置である。作家の百合子にしても、エピグラフを挟んで後半に登場する六十一歳の元経済企画庁長官、星川路代にしても、他者の意識の産物としての「批評」に揺さぶられるたび、いやおうなしに感情が刺激され、意識に変化がもたらされる。路代は、弟の喬志について、長年の付き合いのある経済記者に「エンジェリックな感じ」と評されて気をよくしていたのに、弟の死後、じつは違う意味だったと知って臍をかみ、喬志への思慕を募らせる。
「あたしが惹かれてゐたのは彼にあるそんなまるで死者の仲間であることを薄い薄い水わりにしたやうな気配だつたのかしら」
 しかも、室内楽を聴きに行った紀尾井ホールで、すぐ後方の席の男ふたりが亡き弟について喋る噂話を偶然聞いてしまい、路代の意識はさらに先へ促されてゆく。
 不意に他者の意識が差し挟まれることによって揺れ動く自我が、時間の流れにのせながら描かれる。自己と外界とのせめぎ合いを「批評」という行為に担わせたのは、それこそ、みずから書評を手掛け、批評や評価から逃れ得ない作家ならではの着想だったのかしら、などと探りを入れるのも読書の愉しみ。
 終盤、予期せぬ時間の流れが待ち受けている。プルーストに繫がる甘美な連なりに酔わされ、ああまたしても丸谷才一の術中に嵌ったと思う。
 そのほかに三編の短編。「墨いろの月」は、翻訳者の男が回想に取り憑かれ、みずから苛まれてゆく話。「おしやべりな幽霊」は、戦場でのあからさまな出来事が掘り返される話。そして「茶色い戦争ありました」は、丸谷才一が八十七歳で亡くなったのちに発見された遺稿である。戦争を主題として構想された連作短編のうちの一作で、題名は中原中也の詩から取られたものだろう。二人称で始まる新聞売りの少女と学生の小説にも、やはり小説内小説の企みが巡らされている。
 手練れの指揮者は、終生現役のままタクトを振り続けた。音楽は鳴り止まない。

(ひらまつ・ようこ エッセイスト、作家)

波 2026年1月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

丸谷才一

マルヤ・サイイチ

(1925-2012)山形県鶴岡市生れ。東京大学文学部英文科卒。1967年『笹まくら』で河出文化賞、1968年『年の残り』で芥川賞を受賞。小説、評論、エッセイ、翻訳と幅広い文筆活動を展開。『たった一人の反乱』(谷崎潤一郎賞)『裏声で歌へ君が代』『後鳥羽院』(読売文学賞)『忠臣藏とは何か』(野間文芸賞)『輝く日の宮』(泉鏡花文学賞)『持ち重りする薔薇の花』など著書多数。訳書にジョイス『若い藝術家の肖像』(読売文学賞)など。2011年文化勲章受章。

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