完本 短篇集モザイク
3,080円(税込)
発売日:2010/12/22
- 書籍
花束が海へ落ちるまでの、数秒間の夢――。
人の世の怖れと情を封じ込めた宝石の如き短篇をいくつも綴り、壮麗なモザイクに組上げる著者畢生の作品集。娘が幻の父と対面する一瞬の情愛がせつない「じねんじょ」、老夫婦の哀歓が静かな絶頂に達する「みのむし」の、二つの川端賞受賞作のほか、遺された未収録の三作を収め、作品発表順に新たに編集した完本。伊藤整賞受賞。
目次
やどろく
みちづれ
とんかつ
めまい
ひがん・じゃらく
ののしり
うそ
トランク
なわばり
すみか
マヤ
くせもの
おさかり
ささやき
オーリョ・デ・ボーイ
じねんじょ
さんろく
ねぶくろ
はらみおんな
かきあげ
てんのり
おさなご
こいごころ
にきび
ゆび
そいね
はな・三しゅ
あわたけ
たきび
さくらがい
ブレックファースト
ふなうた
こえ
やぶいり
でんせつ
ひばしら
メダカ
かお
よなき
てざわり
みのむし
かえりのげた
ぜにまくら
いれば
みそっかす
おぼしめし
まばたき
チロリアン・ハット
おのぼり
なみだつぼ
かけおち
ほととぎす
パピヨン
ゆめあそび
あめあがり
わくらば
めちろ
つやめぐり
おとしあな
カフェ・オーレ
流年
山荘の埋蔵物
みちづれ
とんかつ
めまい
ひがん・じゃらく
ののしり
うそ
トランク
なわばり
すみか
マヤ
くせもの
おさかり
ささやき
オーリョ・デ・ボーイ
じねんじょ
さんろく
ねぶくろ
はらみおんな
かきあげ
てんのり
おさなご
こいごころ
にきび
ゆび
そいね
はな・三しゅ
あわたけ
たきび
さくらがい
ブレックファースト
ふなうた
こえ
やぶいり
でんせつ
ひばしら
メダカ
かお
よなき
てざわり
みのむし
かえりのげた
ぜにまくら
いれば
みそっかす
おぼしめし
まばたき
チロリアン・ハット
おのぼり
なみだつぼ
かけおち
ほととぎす
パピヨン
ゆめあそび
あめあがり
わくらば
めちろ
つやめぐり
おとしあな
カフェ・オーレ
流年
山荘の埋蔵物
あとがき
解説 荒川洋治
解説 荒川洋治
書誌情報
読み仮名 | カンポンタンペンシュウモザイク |
---|---|
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 576ページ |
ISBN | 978-4-10-320922-5 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品、文学賞受賞作家 |
定価 | 3,080円 |
書評
波 2011年1月号より モザイク画は何か?
短篇小説集というものは、お茶漬けをかっこむように、いっぺんに読むものでなく、お多福豆を味わうように、ゆっくりと一粒ずつ噛みしめる如く読むものなのだろう。もっとも、おいしいお多福豆でなければならぬ。まずい豆は、あとを引かない。
『モザイク』は、とびきり美味な豆なのである。いちどきに、三つも四つもほおばっては、もったいないし、味がよくわからなくなる。
一つ、つまんでは、本当の味を探るように、長い時間をかけて、咀嚼する。食べ終って、考える。いや、考えながら、味わっている。
何を考えているか、というと、『モザイク』の意味である。
『モザイク』は、三浦哲郎氏が十六年にわたって製作した短篇集の総題である。一篇が四千字前後、これを百篇書きあげるのが、三浦氏の念願であった。
第一集『みちづれ』に二十四篇、第二集『ふなうた』に十八篇、第三集『わくらば』に十七篇、残念ながら、これで終ってしまった。全部で五十九篇、単行本に収めていない三篇(第三集以後に書かれたもの)を加えて、このたびいわば決定版『短篇集モザイク』が出版された。
総計六十二篇、あと三十八篇で完成する予定だったモザイク画は、一体どのような図案だったのだろう?
作者が意図した一枚のタブローは、私たち読者に何を伝えるものだったのか。
第一集『みちづれ』が出た時、私はワクワクしながら、あれこれ推理したのを思いだす。
私はまずこの短篇集に収録された作品のタイトルが、すべて平仮名と片仮名なのに注目した。これが謎ときの鍵だ、とにらんだ。
笑ってはいけない。私はタイトルの頭字を拾ったり、あるいは、末尾の一字をつなぎあわせて、いくつかの単語を見つけ、それを適当に入れ換えたり、くっつけたりして、しかつめらしくうなずいていたのだ。たとえば、「かきあげ」の「か」と、「にきび」の「に」、それに「トランク」の「ト」、「ささやき」の「さ」に、「めまい」の「め」で、かにトさめ、という工合である。「なすのマト」と読めた時は、那須与一が屋島の戦で、平家の女御がかざした扇を的に矢を射たシーンだろう、と考えた。那須与一が『モザイク』に描かれるとは思わないが、そういう場面から導きだされるテーマである。三浦氏が意味なく平仮名のタイトルを並べた、とは思えなかったのだ。
『モザイク』に先行する短篇集に、『拳銃と十五の短篇』(昭和五十一年刊)がある。この連作で平仮名の題は、たった一篇きり(片仮名題が同じく一篇)、そしてこの本のモザイク画の図柄は、「死」である。
三浦哲郎氏は、もともと平仮名に愛着を抱く作家であった、と私は見ている。デビュー作の、第四十四回芥川賞受賞作『忍ぶ川』(昭和三十五年)を読めば、わかる。「こんどは、私がわらっていった」というように、普通は漢字を用いる単語に漢字を当てない。一字一句を大切にする作家が、意味もなくそうしているはずがない。必ずや、平仮名でなくてはならぬ理由がある。
そういえば、『モザイク』が、どうして平仮名で表記されていないのか。題名が平仮名で統一されているのだから、総題も平仮名であっていいはずだし、その方が自然だろう。
そんなことを思いながら、私は六十二篇を、長い時間をかけて読んだのである。そして今、読み終ったのである。モザイク画は、何であったか? 詳しく語りたいけれども、読者の楽しみにした方がいいだろう。一端だけ、述べる。私の得た鍵は、「なわばり」や「ゆめあそび」に出てくる、老人の野外小便だ。また、過疎の村人が久しぶりに耳にする赤ん坊の泣き声を描いた「よなき」だ。ついこの間まで、日本のどこでも見られたなつかしい風景が、『モザイク』には六十二篇詰まっている。未完成だが完成したモザイク画が、ここにある。
『モザイク』は、とびきり美味な豆なのである。いちどきに、三つも四つもほおばっては、もったいないし、味がよくわからなくなる。
一つ、つまんでは、本当の味を探るように、長い時間をかけて、咀嚼する。食べ終って、考える。いや、考えながら、味わっている。
何を考えているか、というと、『モザイク』の意味である。
『モザイク』は、三浦哲郎氏が十六年にわたって製作した短篇集の総題である。一篇が四千字前後、これを百篇書きあげるのが、三浦氏の念願であった。
第一集『みちづれ』に二十四篇、第二集『ふなうた』に十八篇、第三集『わくらば』に十七篇、残念ながら、これで終ってしまった。全部で五十九篇、単行本に収めていない三篇(第三集以後に書かれたもの)を加えて、このたびいわば決定版『短篇集モザイク』が出版された。
総計六十二篇、あと三十八篇で完成する予定だったモザイク画は、一体どのような図案だったのだろう?
作者が意図した一枚のタブローは、私たち読者に何を伝えるものだったのか。
第一集『みちづれ』が出た時、私はワクワクしながら、あれこれ推理したのを思いだす。
私はまずこの短篇集に収録された作品のタイトルが、すべて平仮名と片仮名なのに注目した。これが謎ときの鍵だ、とにらんだ。
笑ってはいけない。私はタイトルの頭字を拾ったり、あるいは、末尾の一字をつなぎあわせて、いくつかの単語を見つけ、それを適当に入れ換えたり、くっつけたりして、しかつめらしくうなずいていたのだ。たとえば、「かきあげ」の「か」と、「にきび」の「に」、それに「トランク」の「ト」、「ささやき」の「さ」に、「めまい」の「め」で、かにトさめ、という工合である。「なすのマト」と読めた時は、那須与一が屋島の戦で、平家の女御がかざした扇を的に矢を射たシーンだろう、と考えた。那須与一が『モザイク』に描かれるとは思わないが、そういう場面から導きだされるテーマである。三浦氏が意味なく平仮名のタイトルを並べた、とは思えなかったのだ。
『モザイク』に先行する短篇集に、『拳銃と十五の短篇』(昭和五十一年刊)がある。この連作で平仮名の題は、たった一篇きり(片仮名題が同じく一篇)、そしてこの本のモザイク画の図柄は、「死」である。
三浦哲郎氏は、もともと平仮名に愛着を抱く作家であった、と私は見ている。デビュー作の、第四十四回芥川賞受賞作『忍ぶ川』(昭和三十五年)を読めば、わかる。「こんどは、私がわらっていった」というように、普通は漢字を用いる単語に漢字を当てない。一字一句を大切にする作家が、意味もなくそうしているはずがない。必ずや、平仮名でなくてはならぬ理由がある。
そういえば、『モザイク』が、どうして平仮名で表記されていないのか。題名が平仮名で統一されているのだから、総題も平仮名であっていいはずだし、その方が自然だろう。
そんなことを思いながら、私は六十二篇を、長い時間をかけて読んだのである。そして今、読み終ったのである。モザイク画は、何であったか? 詳しく語りたいけれども、読者の楽しみにした方がいいだろう。一端だけ、述べる。私の得た鍵は、「なわばり」や「ゆめあそび」に出てくる、老人の野外小便だ。また、過疎の村人が久しぶりに耳にする赤ん坊の泣き声を描いた「よなき」だ。ついこの間まで、日本のどこでも見られたなつかしい風景が、『モザイク』には六十二篇詰まっている。未完成だが完成したモザイク画が、ここにある。
(でくね・たつろう 作家)
著者プロフィール
三浦哲郎
ミウラ・テツオ
(1931-2010)1931(昭和6)年、青森県八戸市生れ。日本芸術院会員。早稲田大学を中退し、郷里で中学教師になるが、1953年に再入学。仏文科卒。1955年「十五歳の周囲」で新潮同人雑誌賞、1961年「忍ぶ川」で芥川賞を受賞。主著に『拳銃と十五の短篇』(野間文芸賞)、『少年讃歌』(日本文学大賞)、『白夜を旅する人々』(大佛次郎賞)、『短篇集モザイクI みちづれ』(伊藤整文学賞)等。また短篇「じねんじょ」「みのむし」で川端康成文学賞を二度受賞。2010(平成22)年8月29日没。
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